まほろばblog

Archive for 8月, 2012

若者よ、君たちが生きる今日という日は・・・・・・

水曜日, 8月 15th, 2012

   「若者よ、君たちが生きる今日という日は
           死んだ戦友たちが生きたかった未来だ

      八杉 康夫 (戦艦大和語り部)

        『致知』2006年7月号
           特集「人学ばざれば道を知らず」より
          

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  大和の後部が白煙を上げているのが私にも分かりました。
 
  なおも攻撃が続けられ、
  魚雷が的中した時は震度5にも感じられるほど激しく揺れました。
  次第に船は傾いていきます。

  砲術学校では、戦艦は15度傾いたら限界と習ってきましたが、
  25度、30度とどんどん傾いていきます。
 
  それでも、戦闘中は命令がない限り 
  持ち場を離れることはできません。
  その時「総員、最上甲板へ」との命令が出ました。
  軍には「逃げる」という言葉はありませんが、
  これが事実上「逃げろ」という意味です。

  すでに大和は50度ほど傾いていましたが、
  この時初めて、「大和は沈没するのか」と思いました。
  それまでは本当に「不沈戦艦」だと思っていたのです。
 
  もう海に飛び込むしかない。
 
  そう思った時、衝撃的な光景を目の当たりにしました。
 

  私が仕えていた少尉が日本刀を抜いたかと思うと、
   自分の腹を掻っ捌いたのです。
 
  噴き出す鮮血を前に、私は凍り付いてしまいました。
  船はますます傾斜がきつくなっていきました。
  90度近く傾いた時、私はようやく海へ飛び込みました。
  

  *********************************************
 

 飛び込んだのも束の間、
  沈む大和が生み出す渦の中へ巻き込まれてしまいました。

  その時、私の頭に過ったのは海軍で教わった
 「生きるための数々の方策」です。

  海軍に入ってからというもの、
  私たちが教わったのは、ひたすら「生きる」ことでした。

  海で溺れた時、どうしても苦しかったら水を飲め。
  漂流した時は体力を消耗してしまうから泳いではならない……。
  陸軍は違ったのかもしれませんが、海軍では
 「お国のために死ね、天皇陛下のために死ね」
   などと言われたことは一度もありません。
 
  ひたすら「生きること、生き延びること」を教わったのです。
 
  だから、この時も海の渦に巻き込まれた時の対処法を思い返し、
   実践しました。
 
  しかし、どんどん巻き込まれ、
  あまりの水圧と酸欠で次第に意識が薄れていきます。
 
 その時、ドーンという轟音とともにオレンジ色の閃光が走りました。
  戦艦大和が大爆破したのです。
  そこで私の記憶はなくなりました。

  *********************************************

  気づいたら私の体は水面に浮き上がっていました。

  幸運にも、爆発の衝撃で水面に押し出されたようです。

  しかし、一所懸命泳ぐものの、次第に力尽きてきて、
  重油まみれの海水を飲み込んでしまいました。
 「助けてくれ!」と叫んだと同時に、
  なんともいえない恥ずかしさが込み上げてきました。
  この期に及んで情けない、誰にも聞かれてなければいいが……。

  すると、すぐ後ろに川崎勝己高射長がいらっしゃいました。
 「軍人らしく黙って死ね」と怒られるのではないか。

  そう思って身構える私に、彼は優しい声で
 「落ち着いて、いいか、落ち着くんだ」と言って、
  自分がつかまっていた丸太を押し出しました。
  そして、なおもこう言ったのです。

 「もう大丈夫だ。おまえは若いんだから、頑張って生きろ」

  4時間に及ぶ地獄の漂流後、駆逐艦が救助を始めると、
  川崎高射長はそれに背を向けて、
   大和が沈んだ方向へ泳ぎ出しました。
 
  高射長は大和を空から守る最高責任者でした。
 
  大和を守れなかったという思いから、
   死を以て責任を取られたのでしょう。
 
  高射長が私にくださったのは、浮きの丸太ではなく、
   彼の命そのものだったのです。
 

      (中 略)

  
  昭和60年のことです。

  いつもピアノの発表会などでお会いしていた女性から
   喫茶店に呼び出されました。
 
  彼女は辺見さんが書かれた『男たちの大和』を取り出し、
   こう言ったのです。

 「八杉さん、実は川崎勝己は私の父です」

  驚いたなんていうものじゃありません。

  戦後、何とかしてお墓参りをしたいと思い、
  厚生省など方々に問い合わせても何の手がかりもなかったのに、
  前から知っていたこの人が高射長のお嬢さんだったなんて……。
 
  念願叶って佐賀にある高射長の墓前に
  手を合わせることができましたが、
  墓石には「享年31歳」とあり、驚きました。
  もっとずっと年上の人だと思い込んでいたからです。

  その時私は50歳を超えていましたが、
  自分が31歳だった時を思い返すと
  ただただ恥ずかしい思いがしました。
  そして、不思議なことに、それまでの晴天が
  急に曇天となったかと思うと、
  突然の雷雨となり、
  まるで「17歳のあの日」が巡ってきたかのようでした。
  
  天皇も国家も関係ない、自分の愛する福山を、
  そして日本を守ろうと憧れの戦艦大和へ乗った感動。
  不沈戦艦といわれた大和の沈没、原爆投下によって被爆者になる、
  そして、敗戦。
  
  そのすべてが17歳の時に一気に起こったのです。
  17歳といえば、いまの高校2年生にあたります。
 
  最近は学校関係へ講演に行く機会もありますが、
  現在の学生の姿を見ると、
  明らかに戦後の教育が間違ったと思わざるを得ません。
 
  いや、生徒たちだけではない。
  間違った教育を受けた人が先生となり、
  親となって、地域社会を動かしているのです。 

  その元凶は昭和史を学ばないことに
   あるような気がしてなりません。
 
  自分の両親、祖父母、曾祖父母が
  どれほどの激動の時代を生きてきたかを知らず、
  いくら石器時代を学んだところで、
   真の日本人にはなれるはずがない。

  現に「日本に誇りを持っていますか」と聞くと、
  学校の先生ですら「持ってどうするんですか?」と
  真顔で聞き返すのですから。
  
  よく「日本は平和ボケ」などと言われますが、
  毎日のように親と子が殺し合うこの日本のどこが平和ですか?
  確かに昔も殺しはありました。

  しかし、「殺してみたかった」などと、
  意味もなく殺すことは考えられませんでした。 
 
  真の平和とは、歴史から学び、
   つくり上げていくほかありません。

  鶴を折ったり、徒党を組んでデモをすれば
  天から降ってくるものではないのです。

  しかし、一流の国立大学の大学院生ですら、
  「昭和史は教えてもらっていないので分かりません」
  と平気で言います。
 
  ならば自分で学べと私は言いたい。
  自分で学び、考えることなしに、
  自分の生きる意味が分かるはずがないのです。
 
  人として生きたなら、その証を残さなければなりません。
 
  大きくなくてもいいのです。
  小さくても、精一杯生きた証を残してほしい。
 
  戦友たちは若くして戦艦大和と運命をともにしましたが、
  いまなお未来へ生きる我々に大きな示唆を与え続けています。
 
  復員後、長く私の中に渦巻いていた
 「生き残ってしまった」という罪悪感。
  それはいま使命感へと変わりました。
 
  私の一生は私だけの人生ではなく、
  生きたくても生きられなかった戦友たちの人生でもあるのです。
 
  うかうかと老年を過ごし、死んでいくわけにはいきません。

  未来の日本を託す若者たちが歴史を学び、
  真の日本人になってくれるよう私は大和の真実を語り続け、
  いつか再び戦友たちに会った時、
 「俺も生かされた人生でこれだけ頑張った」と
   胸を張りたいと思います。

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(八杉氏 講演会)

「塩煎り豆」絶品!!!

火曜日, 8月 14th, 2012

「こんな高いの売れないよーーーー」と見るなり、言ってしまった。

70g ¥1.050ですよ。誰が買いますか!?

「でも、食べて下さい。。。。。。。」とは、香遊生活二代目舟山亮眞君から。

手にとって、なんとも精彩のない「塩煎り豆」を口にほうばる。

全く期待感なし。・・・・・・・・・・・

だが、突然!!!!

「んん、これは、う・ま・い!!!!旨い!」と唸った。

「みんな、食べて食べて・・・・・」と相成った。

事務所のみんなも「これは、うまい、旨い」とばかり、

瞬く間に高い袋を空にしてしまった。・・・・・・・ほどに、旨かったのだ。

「これは、本当に実入りのある豆ダネ!!」と君子豹変してしまったのだ。

before、afterでこうも態度が違うものなのか、と恥じるほど旨かった。

聞くところによると、舟山組の一級建築士の面々が、百姓となって、

泥まみれ、汗まみれになってこの黒豆「祝い黒」を作ったとか。

人件費、時給を換算すると、1袋¥10.000にしたい位!!!とか。

そこを、涙を呑んでの¥1.000(税抜き)ほぼ、1/10である。

そう言われれば、「そうか、安いのか」なんて、妙に感心して、

今晩のビールの伴に、最高!とばかり、1袋ポケットに入れちゃうだろう。

無論、オーガニック認証付きで、隣の畑では道内唯一許認可を貰っている

『産業用大麻』の栽培が行われている。

今年の栽培応募者は急増したが、道の対応は硬化したままで、拒絶。

麻の歴史とその用途の広範で哲学的な面が開放されない限り、

新しい時代は到来しないだろう。

登窯、無限ハート皿

火曜日, 8月 14th, 2012

陶芸を趣味とする堀内さんから、報告があった。

芸術の森で開かれている登り窯で焼成する会があり、

そこで、例のハート皿、お香皿を焼かれたという。

思ったように灰の釉がかからず、次年の穴窯に望みを託すとかや。

次に、彼女の報告を聞きましょう。

お忙しいところすみません まだまだ暑い日がつづきますね。
7月下旬、 お香皿を芸術の森の登り窯 に入れて焼いてきました。

登り窯はとても大きくて 目指していた木灰がかかるような仕上がりを得るには、

登り窯より穴窯がよいと、教わりまして、今回は 写真のようなやきあがりになりました。

 
主宰者さんが来年は穴窯をするそうなので、今度は灰がたくさんかかるから…

また入れていいよと言ってくれました。

 
勉強不足で…お話していたように焼き上げれなくすみませんでした。
 

これはこれで軽いやきあがりで、素朴ではありますが

来年さらに穴窯にいれたほうが良い気がしています!

また電気窯のものになりますが… 今度はきれいめな色味のものおもちしたいと思っています。

blog拝見しています。

マザーテレサのお話にいたく感銘しました。

農園に熊…大丈夫ですか…

まほろばさんの ますますのご発展お祈りしております

堀内 洋子

「母の諫死、師の警策」自然医学2012.9.

月曜日, 8月 13th, 2012

今朝、「森下自然医学」9月号が届きました。

開口一番、森下会長による「徐福伝説Ⅱ」の掲載。

卑弥呼の邪馬台国は、九州なりや、近畿なりやの論争未だ鳴り止まず。

その学説迷走する中、更に遡ること400年。

ましてや、その400年。

徐福の存在在りや無しやの論争は、伝説物語の彼方に葬り去られている。

もし、それが正論なれば、日本史を根底から書き換えねばならぬ大事(おおごと)が待っている。

これは、国史家が容易に認められぬ意味がある。

それは良いとして、すでに中国の史記を初めとする歴史書には、歴然とした記述がある。

『魏志倭人伝』もあの「三国志」にあるのに、いわんや正統史記に於いておや、である。

徐々に謎めいた霧が、森下博士によって、今それが晴れようとしている。

面白い!是非、必読のことを。

5月に訪問したルーカオ視察、長寿調査報告。

食べ物の機能値結果を公表。

いずれも高い数値が示されて、ルーカオの環境条件の高さを示している。

伝統的地方食を継承して、現代的出来合いの物を口にすることはない。

みな家族の手作りが、心身共に健康の源を形成するのであろう。

日本も、古来の原風景に帰る必要があろう。

今月の「倭詩/やまとうた」は、『母の諫死、師の警策』と題して、昭和の傑物「田中清玄」について。

コーボルトを扱っている磯深雪さんが、何と田中清玄さんの姪子さんにあたります。

訪問した際、山本玄峰老師から清玄に宛てた一筆の色紙『母』を譲り受けた。

物語は、そこから始まる。

驚くべき清玄の生き様と、死をもって子を諌めたその母アイの凄まじい愛。

その事実を知る時、日本の行くべき先を示されたように感じた。

熊出没!?!!!

月曜日, 8月 13th, 2012

ここが、まほろば自然農園の入り口で、三角山の登山口でもあります。

数日前、突如熊出没の掲示板に市からの書き込みがありました。

親子熊らしく、盤渓のお墓近くで発見、その道伝えの先が、農園になります。

きっと、夜中にここいらを徘徊しているのでしょう。

家内は夕刻から夜にかけて、一人作業になるので、チョット怖いものがあります。

二匹の餌食になるかもしれませんね。

果たして美味しいかな・・・・・・?

そんな呑気なことを言ってられません。

こんな危険地帯で、まほろばは作物作りをしています。

追記:

先ほど、野良仕事に出かけると、隣のさくら農園に熊が出たとの知らせがありました。

すると、まほろば農園の前を通って、付近をウロウロしていたはず。

農作業も、勇気の要るイノチがけの仕事であります。

モンゴル塩の故郷、ジランタイから

土曜日, 8月 11th, 2012

 

昨日の10日、モンゴル塩の故郷、内モンゴルの吉蘭泰(ジランタイ)から、

『蘭泰実業』社長はじめ幹部の方々が、木曽路物産のトヤさんの案内で、

北海道見学、まほろば視察にいらっしゃった。

はるか遠くの日本の涯で、自分達の産出した塩が、このように使われているのか、

という感激の面持ちで、店内を見回られた。

食されたソフトクリームやパンにも使用され、一層日本が近しく思われたことでしょう。

創業60年、木曾路さんとは15年のお付き合い。

10万tのほとんどが国内需要で、残りが日本と外モンゴル向けという。

意外にも、世界には行き渡っていなかった貴重なものなのだ。

最後に、2階の講話室をお貸ししている橋本東峰先生主催の「詩吟教室」を見学。

歓迎の合吟で、みなさまをお出迎え。

何というベストチャンス。

漢詩が、異国の日本でこのようにして歌われていたのか、と驚きの面持ち。

終えた後、感激のメッセージ。心は届いた模様。

これからも、文化に物に、交流を深めて、友好を図ってゆきたい。

 

唐 王之渙
    「  登 鸛 雀 樓 」


白日依山盡,
黄河入海流。
欲窮千里目,
更上一層樓。

******

鸛雀樓に 登る

                       
白日  山に依りて 盡き,
黄河  海に入りて 流る。
千里の目を  窮めんと 欲して,
更に上
(のぼ)る  一層の樓。

「日本サッカー強さの秘訣に“言語技術”あり」

土曜日, 8月 11th, 2012

    
   田嶋 幸三 (日本サッカー協会副会長)

         『致知』2012年9月号
            特集「本質を見抜く」より

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もちろん身体能力とか技術の高さはベースに必要ですが、
そういったものはあるレベルに達すると
そう変わらなくなってきます。

その時、何が大切かというと、
いかに考えてプレーをするかということなんです。

サッカーは正解のないスポーツです。
好きに動いていいんです。
ボールを受けたらドリブルしてもいいしパスしてもいい。
どこにどう蹴るか、すべて自分で判断する。

そして、それはボールを持っている時だけの判断ではありません。
自分がボールを持っているのは90分の試合時間の中で
せいぜい2、3分です。

ボールを持っていない時のほうが圧倒的に長く、
そこでどう動くかということを、
1試合に何千回、何万回と判断しているんです。

状況を見て、自分の考えを組み立て、
判断してプレーすることが大切なのです。

私自身、選手時代も含めて40年以上サッカーに
携わってきました。
選手を引退してからはなんとか日本のサッカーを
世界レベルにしたいという思いでやってきたのですが、
ある時、その方法が見えてきたように感じました。

それを一言でいえば
「自分で判断してプレーする」ということであり、
その秘訣は言語技術にあるのではないかと思ったのです。

日々の言葉を論理的に使えるよう
訓練を積んでいけば、サッカーでも瞬時に状況を捉え、
論理的に判断してプレーができるようになるのではないかと。

また、たとえ失敗しても自分で考えながらやっている選手は、
次はこうしようとまた自分で次の方法を考えられます。
しかし何も考えずに、言われたことしかやってこなかった選手は
自分で改善することができないんですね。

私は1983年から2年半、指導者になるために
ドイツに留学しました。
サッカーでは練習中にゲームを途中で止め
「どうしてそこにパスを出したんだ」と
プレーの確認をすることがあります。

ドイツの子供たちは
「僕は足の速いペーターが走ってくると思って、
 あそこのスペースにパスを出したんだ」
とすぐに自分の考えを返してきます。

ところが、帰国後、日本の子供たちにゲームを止めて尋ねても、
ただ僕の顔を見ているだけなんです。

つまり僕の答えを待っている。

当時は言語技術といった言葉は知りませんでしたが、
この違いはなんだろうということがずっと頭にありました。

クーポン券で、ソフトに特典

金曜日, 8月 10th, 2012

西区の地域新聞「ふりっぱー」誌の最新No65号は、『甘え~じんぐ』AmazingSweets。

ヘルシー系スイーツ欄に、まほろばソフトが掲載され、この後ろのクーポン券で、

¥390 ⇒ ¥300 の大特典!!!(ちと、オーバーだな)

とにかく、安いことは良いことで、区外の方は西区の友達に頼んで、券を譲ってもらって下さいね。

雑草の海に浮かぶ南瓜の実

木曜日, 8月 9th, 2012

小別沢、高島さんの馬の放牧地。

2町もあるそこを借りて、第6圃場としたのは4年ほど前。

牧草と石との大格闘で、大変な目にあった荒地。

今年は、人手もなく手放すか、との声もあったが、勿体ない、しかしやりようがない。

そこで兎に角、自家採種の都や栗、冬至、マサカリ南瓜などを播いた。

マルチの手間もなく、天地返しの暇もない。

だが、いよいよ高い雑草の蔭に隠れて、カワイソウ!

そこで、家内や子供の少ない手を使って、除草と玉返し。

鬱蒼とした草むらから、ゴロゴロと出てくる南瓜の濃緑の玉。

ほっといても出来ているありがたさ。

申し訳ないので、南瓜をしっかり陽に当ててやり、日光浴させてやりました。

切れてしまった蔓から青白い南瓜一玉。

持ち帰って青臭い未熟の旨くないだろう南瓜を調理。

ところがドッコイ、旨いではないか、ホクホクしているではないか。

これには、驚き、桃の木、南瓜の実。

これは期待出来るゾ!!とばかり、風乾させて出荷出来るのは、今月中から末頃か。

美味しくて、美味しくて、どうしましょう、とばかり。

題名は「何もしなかった南瓜の嘆きの旨さ!」

なんだか、よく分からない名前になりました。

寺尾紗穂さんの札幌初ワンマン

木曜日, 8月 9th, 2012
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三角山放送局の杉澤社長よりメールが入り、ホットなお知らせ、お伝えしますね。

8.11 (土)
寺尾紗穂 6枚目のアルバム『青い夜のさよなら』完成記念ライヴツアー

シュガーベイブの2代目ベーシストで、現在はフランス語映画字幕翻訳家である、
寺尾次郎さんのご令嬢という寺尾紗穂さん。
自らも東京都立大から、東京大学大学院で学び
川島芳子の評伝を書いた修士論文は、
文春新書から刊行されています。
 
ピアノ弾き語りをベースにした、独特の音楽世界は、
数多くの音楽ファンの心をとらえ、
今までに6枚のオリジナルアルバムをリリース。

寺尾紗穂(vo, pf)
18:30開場 19:00開演
前売3500円(当日4000円)
別途飲物代500円必要
L-11738(6/8~)。

くう  COO
札幌市中央区南1西20(南大通沿い北向き)LOGビルB1 TEL.011-616-7713

てらおさほ・・・2007年ピアノ弾き語りによるメジャーデビューアルバム『御身』が話題となり、

坂本龍一や大貫妙子らからも賛辞が寄せられる。

大林宣彦監督作品『転校生 さよならあなた』の主題歌も担当した他、

CM、エッセイの分野でも活躍中のシンガーソングライター。

『青い夜のさよなら』は従来の弾き語り中心のスタイルから一新した6枚目のニューアルバム。

様々なジャンルのアーティスト・トラックメイカーと

1曲毎にコラボレーションした新しい形のオリジナルアルバム。

今までのアルバムにはなかった、どこに辿り着くかわからないわくわく感に満ちている。

七尾旅人との「時よ止まれ」、Crystalとの「老いぼれロバの歌」、

出光TVCMソング以来の共演となるキセルとの「バスの中で」、

寺尾紗穂のボーカルとレイヤーされたDARTHREIDERのラップが強烈な印象を残す「私は知らない」、

歌のストーリーとシンクしたSEをふんだんに配置した意欲溢れるイルリメによる「はねたハネタ」、

特定のジャンル枠に収まらない壮大な世界観が構築された

Kazumasa Hashimotoの手による「富士山」。

多種多様なアイデアに溢れた全10曲。