まほろばblog

Archive for 5月, 2013

聖尼僧『アニ・チョイン・ドルマ』

金曜日, 5月 31st, 2013

selwa drolma

 

 

7,8年前に、ネパールで僧院を開いている若き尼僧のアニ・チョイン・ドルマさんの

平和活動とマントラの歌声に魅せられて、まほろばでもCDを取り寄せて販売したことがあった。

若くして世界を駆けての、その力強いメッセージ力と、堂々と渡り合う交渉力、

そして瞑想に裏打ちされた深い声は、まさに仏陀の思想哲学を代弁する仏弟子の風格を湛えている。

次代の世界の精神界を担う女傑ではなかろうか。

ぜひとも、日本での講演会と演奏会を催す機会を待ちたいところである。

 

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アニ・チョイン・ドルマ

来歴

1971年ネパールで生まれ、13歳でカトマンズ盆地の北の斜面のシバプウリ山にあるナギ寺院入った。瞑想マスターであるTulku Urgyen リンポチェに師事し、教育と宗教的な修行の指導を受けた。リンポチェは尼僧と修行僧を同等にみなしていたので、尼僧が勉強する機会を多く創りだしていた。 瞑想チャント(唱和)・儀式・儀礼について学んだ後、すぐに尼僧院のチャンティング・マスターの地位に昇格。その後、リンポチェのような利他的な生活を目指し、チャンティング・マスターの地位を辞職した。尼僧の仕事をもっと熟練させ、慈悲に満ちたものにしていくことと、リンポチェが描く未来像に自分の人生を捧げることが、最善の方法であると信じ、尼僧を高めていくことに従事しようと活動を始める。

現在は、世界各国をツアーで巡りマントラを歌いながら女性の教育・平等・仏法的考え方を広めるため、精力的に活動している。 トレイシー・チャップマンセリーヌ・ディオンティナ・ターナーなど彼女の活動を支援するアーティストも多く、ダライラマとの親交も深い。

2008年4月彼女の自叙伝がヨーロッパで発売された。

 

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この動画は、上海においてドルマさんと古琴の名手・成公亮氏との競演であり、驚かされた。

歴史的にも初めて見る古琴と梵声の一致に、瞠目したい。

 

 

「からだ会議」開催

木曜日, 5月 30th, 2013

 

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名店「美松」さんに、エリクサーが!

木曜日, 5月 30th, 2013

東京でオーガニックショップ「エコマルシェ」http://www.ecomaru.info/さん

という素晴らしいお店を経営され、オーガニック検査員でもある深野弘之さんから、

FBで「美松」さんのご紹介を受けました。

image[1]

 

・・・・・・・・・・私の自宅の近くの「美松」という定食屋さんで本日からエリクサーを導入されました。

http://www.facebook.com/teishokumimatsu

とても素晴らしい店主かつ店です。

野菜はマート城山の海藤さんhttp://www.shokokai.or.jp/11/1122910641/index.htm

からも仕入れているようですよ。

マート城山[1]

もし池袋近辺にお立ち寄りの際はぜひ。

では長くなり恐縮ですが、どうぞよろしくお願いいたします。・・・・・・・

                 深野 弘之

 

和光市の海藤さんからのご紹介で、エリクサー購入に踏み切ったそうです。

海藤さんとは20年に亘るお付き合いで、日頃色々ご指導戴いております。

理化学研究所のあの著名な発酵学者・辨野義己教授をご紹介戴いて研究が進んだり、

地元に根ざした地道な啓蒙活動を長年続けているいらっしゃる名士でもあります。

今回も池袋のちかまの定食やさん「美松」さんに安心野菜を届けられるなどして、

水のこだわりまで手が届いたわけです。そのご苦労に感謝いたします。

これからも、近くの仲間と提携してゆくことが大切ではないかと教えられました。

ありがとうございました。

ぜひとも東京近郊にお住まいの方、上京される方々は、

是非とも「美松」さままで、足をお運びくださいませ。

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本日より浄水器の優れものを導入致しました。
“まほろば製ELIXIR”

放射能も除去し、力のある活きた水を生み出してくれます。
お茶に、みそ汁に、料理に使わさせていただきます。

ペットボトルをお持ちいただければ、お入れ致します。
皆様にとりまして、今週も佳き一週間となりますように。

田村 久雄

 

定食『美松』 

〒171-0014 豊島区池袋2-18-1タムラ第一ビル1

03-3982-3766

 

山本太郎さん講演会「放射能から・・・・」

木曜日, 5月 30th, 2013

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北の北斗七星

木曜日, 5月 30th, 2013

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もう夢中になってしまう!「愛の周波数講座」

水曜日, 5月 29th, 2013

今までの講座ではありえなかったキャンセル待ち。

それが毎月1日(2回)のレッスンですが、大人気で、みなさんとても楽しそうです。

応募者が多いので1日増やし、

● 小グループ 6.17

● 個人レッスン 6.17

に分けてヴォイストレーニングを開くことになりました。

詳しくは後ほどお知らせいたします。

担当・工藤にまで、ご連絡ください。

(合唱レッスンは満員御礼です)

 

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こちらは、コロコロ棒(管)の上に座って、
仙骨を宙に浮かした状態で、骨盤を後ろに倒し、
自由自在に呼吸と発声のバランスを取りながら歌っている映像です。

この管も使い、トレーニングすることで、
未知のご自分の真の声に辿り着くことができます。

また、愛の周波数528Hzに調整したピアノの音と、ご自分の真の声が共振共鳴し、
足先から尾骨を通って蝶形骨までの全身のチャクラも活性化されてゆきます。

コロコロ棒で体得された歌い方が基礎となり、
後々、立って歌った時にも、既に、
しっかりと声の出し方が身についているのを実感されることとなります。

声は、まるで、凧揚げの凧を空高く揚げてゆくのと同じ仕組みです。
より深いグランディングをすることで、遠くの観客にも、
スピントでやわらかな真の歌声を届けることができるのです。

何事も、楽しんで、ご自分磨きをされることが、一番大切なことと存じます。

そういった意味でも、美しい、このワークのお時間が、
皆様の自己開放と自己表現のお手伝いをさせていただけるよきひとときとなります様に、
愛と感謝の心でさせていただきたいと思います。

松本愛子
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妊婦さんのみならず、体調のすぐれないお方も、是非ご参加ください。
また528Hzにご興味のある方も、体感されてください。

				

まほ×共働ソフト+こだわりコーン

水曜日, 5月 29th, 2013

まほろばソフトクリーム「ジェラード・ヴィターレ」を初めて世に出したのが2002年。

あれから11年、ようやく念願のベーキングパウダー無添加コーンで再スタートを切ることが出来ます。

国産小麦と重曹で出来たソフトコーンです。

そのため、今までカップでお出ししていましたが、コーンの美味しさも含めて、

全面「こだわりソフトクリーム」の完成です!!!!!

ありがとうございます。

いよいよ、明日からの完売となります。

 

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「プロ宣言をした真意」

水曜日, 5月 29th, 2013
  竹内 洋岳(プロ登山家)

              『致知』2013年6月号
               特集「一灯照隅」より

└─────────────────────────────────┘

これを踏まえて二〇〇六年、私はプロ宣言をしました。
記者会見を開き、八千メートル峰十四座を
すべて登り切ることを宣言したのです。

発表前に思ったことは、その発表をする自分は
いったい何者かということでした。

それまでの私は、一人の登山愛好家として
ただ自分の登りたい山に登り続けてきました。
しかしそういう宣言をする以上は、
単なる愛好家では済まなくなりました。

十四座完登というのは、それまで数多くの
先輩登山家たちが命懸けで挑戦してきた目標でした。

実際、山田昇さん、名塚秀二さんをはじめとする先輩登山家たちが、
九座まで登頂を果たした後、命を落とされています。
その志を継いで登るからには、いつか登れると思いますとか、
やはり無理でしたというわけにはどうしてもいかない。

やると宣言して、最後は這ってでも
登らなければならないと私は考えたのです。

記者会見に向け、そうした思いを綴っていた時、
「登山家」という肩書に私は違和感を覚えました。

世の中には評論家、芸術家など、
「家」のつく職業がたくさんあります。

その共通点をあらためて考えて気づいたことは、
「家」のつく職業の多くは資格が要らず、
自分で名乗るだけでなれるということでした。

それは逆に、いつでも勝手に辞められるということでもあります。
それは自分の思いとは全く釣り合いませんでした。

私は十四座必ず登り切るということ、
山の世界で生きていくという覚悟を込めて、
「プロ登山家」と名乗ることにしたのです。

プロとはいったい何か。

いろいろな考え方があると思います。
私が考えるプロとは、覚悟があるか否かだと思います。

プロ宣言は私にとって、
十四座を最後まで辞めずに登り切ってみせるという
覚悟を定めるために必要でした。

辞めないでやり通す覚悟があるのがプロ。
やると宣言し、それを確実にやり抜いてこそプロだと思うのです。

登山というのは他のスポーツと異なり、
ルールもなく審判もいません。

世間から隔絶した場所で行われることを幸いに、
自分に都合のいいことばかり公開してしまいがちな面もあります。
しかし、これが仮に格闘技の試合であれば、
勝つ試合ばかりでなく、自分がボコボコに負かされる試合も
観客に見せなければなりません。

同様に登山も、結果だけでなくその過程も見せる必要があります。
自分の都合の悪いことも包み隠さず公開することは、
登山をスポーツとして認めてもらうためには必要なことだと思うのです。

ゆえに私は、ダウラギリの登山では、
GPSを使用して自分の居場所をリアルタイムで
インターネット上に公開しました。

これは単純に頂上に行って帰ってくる過程を見せるだけでなく、
万一途中で命を落とせば、その様子も伝わります。

そこまで見せる覚悟があるのがプロであり、
今後登山がスポーツとして発展していくかどうかの
分かれ道になると私は考えるのです。

「食の新しい流通への挑戦」

月曜日, 5月 27th, 2013
  濱田 正人(旬銀座贅沢倶楽部オーナー、食材探し人)

              『致知』2013年6月号
               致知随想より

└─────────────────────────────────┘

皆さんは「贅沢」というものをどうお考えでしょうか。

我が身にはそぐわないほどの豪華なものや高価なもの、
といったイメージかもしれません。

しかし、私どもの考える贅沢とは、
想像以上の満足感を得ること、
中でも最高の贅沢をつくり出すのは、
どんなお金持ちでも買うことのできない
「時間」ではないかと考えています。

手間隙をかけて作られた優れた食材を、
生産農家の顔が見える形で提供しよう――。

それが、私の経営する八百屋兼レストラン
「旬銀座贅沢倶楽部」です。

例えば当店で扱う完全無薬の「梅肉豚」は、
九州天草島の養豚家が実に二十三年もの間、
試行錯誤を繰り返し、生み出されたものです。

もともと高齢者福祉を中心に
複数の事業を展開していた私が、
この道に入ったのは九年前の五十四歳の時でした。

ある農業団体から高齢者福祉施設をつくりたい
との協力を求められ、現地調査を始めたのです。

その地域では農家の高齢化が進んでいましたが、
彼らは例外なく昼夜を問わず、懸命に働いていました。

一方、私は頻繁に農業団体などから接待を受けるのですが、
その経費が結果的に、あの農家の方たちに
ご負担を頂いているのではないかという疑問が湧き始め、
その実態に気がついた時、納得できない矛盾と
葛藤が芽生えたのです。

そして、日々努力している
小規模農家の優れた食材を世に出し、
それが正当に評価される新しい流通の仕組みを
創ることはできないかという熱い思いが込み上げてきました。

自分なりに考えて立てた仮説は、
農家と消費者を繋ぐ販売窓口自体が少ないのではないか、
ということでした。

そこで、自分が個々の農家と消費者を直接繋ぐパイプ役となり、
「少量生産少量消費」の小さな窓口をつくっていこうと
全国行脚を開始したのです。

初めは何も分からず、「道の駅」や直売所などを訪ねました。
するといつも必ず先に売れてしまう野菜や果物がある。

地元の人はどの農家の作物が
一番おいしいかを知っているからでしょう。

私はその農家を訪ね、直に生産現場を見るところから
活動をスタートさせました。

とはいえ、まったくの素人である私が
初めからうまくいくわけがありません。

農家のもとへ赴いても
「東京もんに騙されるぞ」
「先に現金を見せてくれ」
などと言われ、なかなか信頼をしてもらえないのです。

私は見た目も大事なのかもしれないと背広をやめ、
上下作業着に長靴履きという格好にし、
朝の四時や五時という時間でも呼ばれれば
田や畑へ出向き、農作業を手伝いました。

こちらが作物を仕入れてあげるのだという立ち位置ではなく、
生産者と同じ目線に立って初めて信頼が得られるのだと
考えたからです。

そうして多くの方の話を伺う中で、
実感したことがありました。

それは

「生産品の良し悪しは、生産者の人柄に比例する」


ということです。

さらに、優れた食材を作る農家には
独自の哲学とそれに至る苦労、
つまり「物語」があること、
また優れた生産者同士は他県であれ繋がっていることにも
気がつきました。

そうして粘り強く訪問していくうちに信頼関係ができ、
農家から農家へと紹介もしてもらえるようになっていったのです。

しかし農家の信頼を得ることができても、
既存の流通業界との軋轢には随分苦しみました。

現在の仕組みでは、生産者は様々でも、
作物がいったん団体などに集荷され、
箱詰めされてしまえば、
どれも同じ値段・産地として提供されてしまうのです。

つまり、手間隙をかけて作った
農家の作物とそうでないものとの区別がない。

そこを差別化し、顔の見える流通にしませんかと
提案した時には強い抵抗にも遭いました。

そうした中で平成二十二年、
個々の農家に食材を提供していただき、
それをお客様が食し、購入できる
食材のリアル情報サービス「八百屋レストラン」を
銀座にオープンさせました。

年中休みなく地方の農村を歩き回る私を
人は変わり者のように見ていましたが、
自分の作った作物を東京のレストランで
食べてくださる人がいると知った時の
生産者の弾けるような笑顔。

またお客様からこんなにおいしい野菜や果物が
あったのかと喜ばれると、探してきた甲斐があった、
もっとたくさんの人に食べてもらいたいという気持ちになり、
それが何よりの励みとなってきたのです。

苦しい時期もありましたが、
地道な取り組みが実を結び、
現在ではお客様の数も徐々に増え、
リピーター率も約六十五%という
高い数字になっています。

食の新しい流通に挑む中で見えてきたものがありました。

それはお互いに顔の見える食の流通が、
人間の信頼関係の構築に繋がっていくということです。

生産農家はあの人のためならば、
と一所懸命優れた作物を作る。

お客様はあの農家さんが作ったものだからと
少々傷んだものがあっても、彼らを信頼し作物を購入する。

手間隙はかかりますが、そこで味わえるものこそ、
食の本当の満足、贅沢だと私は思うのです。

科学技術は我われが便利に暮らす上で
大切なものかもしれません。

しかし、人間は食なしに生きてはいけません。
食はその国の文化であり、国の礎を成すものであると思います。
これからも命ある限り、農家を支援し、
日本の食を強くする活動に挑戦し続けたいと思います。

「冒険とは、死を覚悟して、そして生きて帰ること」

日曜日, 5月 26th, 2013
 三浦 雄一郎(冒険家)

              『致知』2004年3月号
               特集「壁を越える」より

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【記者:昨年(2003年)2月にお二人は、
    雄一郎さんのご長男の雄大さんを含めて
    親子孫の三代でアルプスのモンブラン大氷河を滑走され、
    さらに五月には雄一郎さんが世界最高齢で
    エベレスト登頂に成功されました。

    いずれも人類が、これまで越えることのできなかった壁を
    越えた大快挙ですが、現在のご心境はいかがですか?】

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エベレスト登頂ということは、
いくつかある自分の人生の最大の目標の一つでした。

結果として世界最年長記録になり、
モンブランは親子同時滑走ということになりました。
しかしどちらも死ぬ可能性はありますし、
それを承知で行っているわけです。

人間がある限界を越える世界に入っていくというのは、
死を承知の上でなければしないほうがいいし、
死をしっかり見極めて、かつそれを
どう乗り越えていくか ということになると思います。

冒険家の植村直己さんが

「冒険とは生きて帰ることである」


と言った言葉は有名ですが、
実は一行言葉が抜けていて、

「冒険とは、死を覚悟して、
  そして生きて帰ることである」

と言ったんですね。

自分の生命の限界を越えても、
そこに行く意志と能力を持って行かなければいけない
という言葉です。

僕は若い頃から、四十歳まで生きればいいと
いうようなむちゃくちゃなことをやってきて、
そのたびごとに生きて帰れないかもしれないということを、
ずっと繰り返し続けてきましたから、
その辺の覚悟はできていると思うんですが、
七十になって、人間が事を為すに当たって、
単純に言えば命懸けということを
実践できるかどうかということを試してみたかったんですね。

父、敬三がモンブラン滑走を終えてからポツリと
「今生の別れのつもりで滑った」と
漏らした言葉には感動しました。

エベレストに出発する一か月前でした。
前からその覚悟は知っていましたけどね。
万が一俺は死んでもしょうがないと。

そういう極限の世界まで入っていけるということが
すごいと思いますし、そういう覚悟があって
初めて事が成就するんだと思いました。