まほろばblog

Archive for 12月, 2014

さようなら!26年よ

水曜日, 12月 31st, 2014

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あと今年も残すところ、8時間。

最近は、時の経つのも早いが、仕事も速い。

何かに、追われるように、追うように、

次々と仕事が、片付いてゆく。

そのテンポが、周囲も自分も、早くなって来ている事に気付く。

今日大晦日の段取りも、朝からみんなで一致協力していって、

全体で4,5時間前倒しで、過ぎてゆく。

みんな家族も大事で、なるべく早く家に帰したい。

普段、働きづめで働いているから・・・・・。

ささやかだけど、今日は6時に帰れるといいな!と思っている。

おかげさまで、お節関係の商品は、ほぼ売れ尽くした感じ。

全体に過不足なくいけたかな・・・・。

みんな、本当に良くやってくれて体の限り働き尽くした。

兎に角、30周年の2014年は終わろうとしている。

これも、多くのお客さまにお越し戴ければこそで、

感謝極まりない・・・・・です。

来年も、もっともっと喜んで頂けますよう、

店作りに励んで参りたいと思います。

ありがとうございました。

皆様にとりまして、来年もまた良い年でありますように。

 

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(福田農場長の迫力満点の正月飾りが本店前に出現しました。

これも、例年なら正月休みに彼が出勤して山に樹を伐りに、

一人で黙々と造形に励むところ、年内の昨日今日で完成しました。

時間と意識が、早く回っている証拠ですね。)

「衣食(イシキ)革命」in東京

水曜日, 12月 31st, 2014

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http://pinpoint.ne.jp/manpokei/

11月16日(日)に、東京本郷の求道会館にて「衣食革命」のイベントが行われました。

あいにく、ウーさんが都合でタイから帰国出来ず、滝沢泰平さんも参加が叶わず、

その時間分、私が急遽延長して講演することになった予想外の展開でした。

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会場は東大赤門近く、浄土真宗の教会風の明治期建造物で、

都の保存建築物に指定されており、風格と音響の良さに魅入りました。

その日の話が、浄土的な内容や音楽史に相応しく、

これも天のお計らいかと感謝しました。

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私の講演「衣食革命」と「ホツマツタエ」のユニット、

踊りの花柳鶴寿賀さん、琵琶の黒田月水さん、笛の雲龍さん、

デジュリドウのKNOBノブさんで、皆さんとは初対面。

皆さん、うさとと着ていらっしゃいました。

これで、4回目のコラボということで、気が充実していて素晴らしいコンサートと舞でした。

ことに、楽屋で見せて頂いたウーさんの製作した舞台衣装の

凝り様は尋常でなく、5,6枚もの重ね着で、それぞれに麻や綿の素地が使われ、

その截ちや縫いの見事さに、ウーさんの天才振りが発揮されていました。

神道を初めとする世界各地の儀式の礼服を研究されていたものと思われます。

これから、何事かに、回を重ねて、この演目が公開されることでしょう。

 

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私の講演で、即興で月水さんが伴奏をして下さいました。

プロの方にやって頂き光栄ですが、

彼女、札幌で、12月5日の宇崎竜童さんのフラメンコ「曽根崎心中」に出演されました。

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また、会場には多くの旧知の方々が多くいらっしゃいました。

阿部一理先生や子育ち文化研究所の澤田季里先生、有岡夫人、

IDP出版の和泉社長、降りてゆく生き方の森田さん、蓬さん、

本応寺の僧尼のみなさま、磯田御夫妻の共通の仲間たちが

大勢集ってくださいました。

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何か、同窓会のようで、とても懐かしくとても高揚してしまいました。

帰りは、皆さんとイーハトブー・クリニックの萩原優医院長と語り合いました。

来年もまた、この衣食の本質と意味合いが、広く伝わればと思います。

 

本應寺・栖岸院とのご縁

火曜日, 12月 30th, 2014

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11月16日の東京・講演会で、宿をどうしようかと思ったときに、

今回真宗の求道会館だったので、お寺にしようかと、ふと頭によぎった。

そういえば、一昨年の夏ヘンプの会に尼さんがいらしていたな、と思い出していた。

毎年カレンダーが贈られてくる東京の本應寺・栖岸院さんで、

今年も地下洞で念仏会の会場をお貸ししたご縁があった。

早速、電話してみると「どうぞ、いいですよ」と言うことになり、お言葉に甘えた。

その日、丁度登別から野崎さんが来店されていたので、まさかと思ったのだが、

「明日、東京に一緒に行きませんか」と問うと、本当に

「いいですよ!」と言うことになって、内心ビックリしながら、翌日共に旅立った。

 

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着いて見て驚いたのが、

愚静尼がまほろば自然農園裏の盤渓出身だったということである。

何と言うこと!

そして、みんなウサトの作務衣を着ている。

どうして?

すると、ウーさんがまだ無名の頃、ここの品愚住職が働きかけて普及をお手伝いした。

ここでもウサト展を開いたというのだ。

翌日、都合でウーさんが来られなくなったが、ウーさんの会のようなものだから、

そういう因縁で、今回偶然ここを選んで来たのか、と思った。

朝晩、慣れない念仏のお勤めに参加しながら、えもいわれぬ別世界を味わった。

カレンダーを見ると、こんなことが書かれてあった。

「念仏三昧で、だんだん 極楽がわかってくる。

こんなすごい救いが あったのだ!」

んん、そんなこともあるのか、と思いながら16日朝、本郷の会場へと向かった。

そして、尼さん全員、参加されるということになった。

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(左から二人目が愚静尼さん)

「母を慕い讃える会」発足

月曜日, 12月 29th, 2014

 

母を 2

http://www12.atpages.jp/dreambig/

韓国の後藤吉助翁が、この度『母を慕い讃える会』を立ち上げました。

先回のブログ「僕を支えた母の言葉」でも、そうですが、

いかに母の存在が大きいか、

後藤翁もまた、お母さまの後姿を見て、今の人生を歩むようになったのです。

色々な難しい事や立派なお話をしても、やはり

心に愛を感じないものは、聖パウロのコリント書にある

「13:1      たとひ我もろもろの國人の言および御使の言を語るとも、愛なくば鳴る鐘や響く鐃鈸(にゅうばち)の如し。

    13:2      假令われ預言する能力あり、又すべての奧義と凡ての知識とに達し、また山を移すほどの大なる信仰ありとも、愛なくば數ふるに足らず。

    13:3      たとひ我わが財産をことごとく施し、又わが體を燒かるる爲に付すとも、愛なくば我に益なし。・・・・・」

のように感じるのです。

後藤翁の実践の根底にあるものは、母への愛なのです。

私にとって、それを真正面から言ってのけて、

真剣に取り組まれる、そのお姿に素直に感動するのです。

今時、人間にとって、こんな本質的なことを語ることすら出来なくなって来ています。

後藤翁の切実なる思いと願いが、

自作曲の「母を慕い讃える歌」に凝縮されています。

これを、世界に送り届けたいという夢を抱いていらっしゃいます。

まほろばもこの運動に賛同し支援させて戴きたいと思っております。

よろしくご理解・ご協力のほどを、お願い申し上げます。

 

母を慕い 1

http://www12.atpages.jp/dreambig/jpheart/hahatataeru.html

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先月、札幌で「北東アジア共同体平和機構」主宰の「日韓友好について」の講演会後、

小樽で、ささやかながら後藤翁の米寿のお祝いをさせて戴きました。

後藤翁 祝い八十八

 

日韓友好に、母恩に、イノチをかけていらっしゃるお姿、

88歳とは思えない、お元気な行動力に、私達もがんばらねば!と思います。

この一連の唄は、CD化され、有線放送でも流され、

なんとジャスダックのカラオケに、5曲も入っているんです。

びっくりでした。

どうぞ、カラオケに行かれる際には、是非一度試して唄ってください。

そうして、応援してください。

来年も、皆様にとって、良き年になりますように、お祈り申し上げます。

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『僕を支えた母の言葉』

月曜日, 12月 29th, 2014

昨日、登別のアイ企画・野崎秀夫さんから、年末のお手紙を戴きました。

以前から、ご紹介戴いている梅原司平さんのことは存じ上げているのですが、

時のご縁でしょうか、彼の唄に動かされ、それと野崎さんが同封してくださった

ある方の「おかあさん」への想いの綴りが重なって、

皆さまにお知らせしたくなりました。

また韓国の後藤翁も「母の会」を立ち上げましたので、次回お知らせいたします。

まずは、野崎さんの許可を得て、文章と共に、動画も添付します。

 

宮下社長!

沖田 真琴 @野崎秀夫です。先日はありがとうございました。

このCD是非お聞きください。お願いします。(以下は私の顧客にお知らせした内容です)

拝啓

18日(木)午後2時から90分、NHKラジオ第一に、シンガーソングライターの梅原司平さんがゲスト出演されました。

しかし、今回の爆弾低気圧で、肝心なところが北海道のラジオでは聞けませんでした。

ところが・・

偶然ある方から依頼を受けてパソコンで録音していたので、聞き直して感動しております。 

もし、聞きたい方が居られましたら、CDに焼いてお届けいたします。

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梅原司平

 

内容は、NHKのブログから引用してご紹介します。

 

『売れない歌手でよかった』

キャリア40年以上、“アラ古希”とは思えない艶やかな

声と見事なギターテクニックをスタジオで御披露ください

ました。でも、何より、歌詞に込められている司平さんの

思いの深さが、パーソナリティ陣の胸にストレートに刺さ

ってきて、“みちや”の目に 涙・・・きっとラジオでお聞

きになっていた皆さんの胸にも届いたことと思います。

 

昭和20年の富山大空襲のとき、お母さんのお腹の中に

いた司平さん。自宅は全焼、疎開先の物置小屋で生まれ、

お母さんや兄弟から空襲のときの様子を繰り返し聞かされながら、

大きくなりました。

 

30歳で故郷を離れ、歌手としてデビューするも、なかなかメジャーになれません。全国各地でオリジナルコンサートをしながら、フォークソングの原点である“ラブ&ピース”をテーマにした歌を作りたいとずっと思っていたそうです。そして、被爆者の方と知り合い、平和の歌を作ることになったとき、子どものころ から聞かされてきた富山大空襲と改めて向き合って、今も歌い継がれる『折り鶴』が生まれました。

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今日、もう一曲歌っていただいたのは、東日本大震災の被災地、福島県楢葉町との交流の中で作られた『望郷』。司平さんの歌は、弱い人、苦しみにある人たちのそばで生まれ、癒しと励ましを与えています。

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番組でもご紹介いただきましたが、司平さんのファンの方たちは、コンサートのあとに書くアンケートの内容が濃いんです!学校コンサートでの小学生の率直な 感想にも驚かされましたが、多くの人が、ご自分の人生や生き方を司平さんの歌に重ね、明日へ、未来へ生きる力にしていることがわかります。そして、その1 枚1枚を大切にしている司平さん。

売れたほうが、多くの人に歌を聴いてもらえるからもちろん良いのだけれど、でも、ご著書のタイトル『売れない歌手でよかった』ではありませんが、こうして人々の思いを近くで感じて、くみ上げることのできることを幸せに思っている司平さんでした。

引用おわり

 

ラジオ深夜便に登場してから11年余り。久々に90分のラジオ番組に登場されました。

彼の一途な営みに感謝して、この一年を終えることを幸せに感じております。

皆様のご健康をお祈り申し上げます。

http://www005.upp.so-net.ne.jp/pulana/

 

 

『僕を支えた母の言葉』

僕が3歳のとき父が亡くなり

その後は母が女手ひとつで僕を育ててくれた

仕事から帰ってきた母は 疲れた顔も見せずに

晩ごはんをつくり 晩ごはんを食べた後は内職をした

毎晩遅くまでやっていた

母が頑張ってくれていることはよくわかっていた

だけど僕には不満もいっぱいあった

僕が学校から帰ってきても家には誰もいない

夜は夜で母は遅くまで内職

そんなに働いているのにわが家は裕福じゃなかった

遊園地にも連れて行ってもらえない

ゲームセンターで遊ぶだけの小遣いももらえない

テレビが壊れた時も半年間 

買ってもらえなかった

僕はいつしか母にきつく当たるようになった

「おい」とか 「うるせー」とか なまいきな言葉を吐いた

「ばばあ」と 呼んだこともあった

それでも母はこんな僕のために頑張って働いてくれた

そして僕にはいつもやさしかった

小学校6年のときはじめて運動会にきてくれた

運動神経が鈍い僕はかけっこでビリだった

悔しかった

家に帰って母はこう言った

「かけっこの順番なんて気にしなくていい

おまえは素晴らしいんだから

だけど僕の悔しさはちっともおさまらなかった

僕は学校の勉強も苦手だった

成績も最悪 自分でも劣等感を感じていた

だけど母はテストの点や通知表を見るたび、やっぱりこう言った

「大丈夫 おまえは素晴らしいんだから」

僕にはなんの説得力も感じられなかった

母に食ってかかったこともあった

「何が素晴らしいんだよ!?どうせ俺はダメな人間だよ」

それでも母は自信満々の笑顔で言った

「いつかわかる時が来るよ

おまえは素晴らしいんだから

僕は中学2年生になったころから 仲間たちとタバコを吸うようになった

万引きもした 他の学校の生徒とケンカもした

母は何度も学校や警察に呼び出された いつも頭を下げて

「ご迷惑をかけて申し訳ありません」 と 

あやまっていた

ある日のこと 僕は校内でちょっとした事件を起こした

母は仕事を抜けて学校にやって来て いつものようにあやまった

教頭先生が言った

「お子さんがこんなに”悪い子”になったのは

ご家庭にも原因があるのではないでしょうか」

その瞬間 母の表情が変わった

母は明らかに怒った眼で教頭先生をにらみつけ

きっぱりと言った「この子は悪い子ではありません」

その迫力に驚いた教頭先生は言葉を失った

母は続けた

「この子のやったことは間違っています

親の私にも責任があります

ですがこの子は悪い子ではありません」

僕は思いきりビンタをくらったような そんな衝撃を受けた

僕はわいてくる涙を抑えるのに必死だった

母はこんな僕のことを

本当に素晴らしい人間だと 思っていれくれていたんだ・・・

あとで隠れてひとりで泣いた

翌日から僕はタバコをやめた

万引きもやめた 仲間たちからも抜けた

その後 中学校を卒業した僕は高校に入ったが

肌が合わなくて中退した

そして仕事に就いた

そのときも母はこう言ってくれた

「大丈夫 お前は素晴らしいんだから」

僕は心に誓った

「これから僕が頑張って お母さんに楽をしてもらうぞ」

だけどなかなか仕事を 覚えられなくてよく怒鳴られた

「何度同じ事を言わせるんだ!」 「すこしは頭を働かせろ!」

「おまえはほんとうにダメなやつだな!」

怒鳴られるたびに落ち込んだけど

そんなとき 僕の心には母の声が聞こえてきた

「大丈夫 おまえは素晴らしいんだから」

この言葉を何度もかみしめた

そうすると 元気がわいてきた 勇気もわいてきた

「いつかきっと 僕自身の素晴らしさを証明して お母さんに見せたい」

そう考えると僕はどこまでも頑張れた

仕事を始めて半年くらい経ったときのことだ

仕事を終えて帰ろうとしていたら 社長がとんできて言った

「お母さんが事故にあわれたそうだ すぐに病院に行きなさい」

病院に着いたとき 母の顔には白い布がかかっていた

僕はわけがわからなくて 何度も 「おかあさん!」

と叫びながら ただただ 泣き続けた

僕のために 身を粉にして働いてくれた母

縫いものの内職をしているときの 母の丸くなった背中を思い出した

母は何を楽しみにして 頑張ってくれてたんだろう?

これから親孝行できると思っていたのに

これから楽させてあげられると思っていたのに

葬式のあとで親戚から聞いた

母が実の母でなかったことを

実母は僕を産んだときに亡くなったらしい

母はそのことを いつか僕に言うつもりだったんだろう

もしそうなったら僕はこう伝えたかった

「血はつながっていなくても お母さんは僕のお母さんだよ」

あれから月日が流れ僕は35歳になった

今あらためて母にメッセージを送りたい

お母さん 僕とは血がつながっていなかったんだね

そんな僕のためにお母さんは 昼も夜も働いてくれたね

そして お母さんはいつも言ってくれた

「おまえは素晴らしいんだから」 って

その言葉が どんなに僕を救ってくれたか

どんなに僕を支えてくれたか

あれから僕なりに成長し     

今は結婚して子どももいるよ

規模は小さいけど会社の社長になって

社員たちと楽しくやっているよ      

まだまだ未熟な僕だけど 僕なりに成長してきたと思う

その成長した姿をお母さんに見せたかったよ

「おまえは素晴らしい」 って言ってくれたお母さん

その言葉は間違っていなかった っていう証拠を見せたかった

そしてそれを見せられないことが 残念でならなかった

だけど最近気づいたんだ     

お母さんは最初から 僕の素晴らしさを見てくれてたんだよね

証拠なんてなくても 心の目でちゃんと見てくれてたんだよね

だって、 お母さんが 「おまえは素晴らしいんだから」

って言うときは まったく迷いがなかったから

お母さんの顔は確信に満ちていたから 僕も今 

社員たちと接していて

ついついその社員の悪いところばかりに 目が行ってしまうことがある

ついつい怒鳴ってしまうこともある

だけどお母さんの言葉を思い出して 心の目で

その社員の素晴らしさを 見直すようにしているんだ

そして心を込めて言うようにしている

「きみは素晴らしい」 って

おかげで社員たちともいい関係を築け 楽しく仕事をしているよ

これもお母さんのおかげです

お母さん 血はつながっていなくても

僕の本当のお母さん

ありがとう

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敬具

どんと、「迎春」海産物入荷!

日曜日, 12月 28th, 2014

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いよいよ残す所4日!

海産物仕入れも、今日がピーク。

今年は、例年になく天然の鯛とブリ、更にシマあじが入荷しました。

(市販のほとんどが養殖です)

マグロも天然、白身も活〆で、

今までにないお正月が迎えられそうです。

正月商品 海産物即日情報

● マグロ

  天然本鮪 腹トロ   g¥750

  天然本鮪 赤身    g¥700

● 鮭

  まほろば天塩紅・時鮭  ¥6800

  天然紅鮭    2.2kg ¥4800

  天然紅鮭ルイベ   g  ¥450

  まほろば イクラ 250 ¥3500

      〃    100 ¥1480

● 天然ぶり       g ¥280

  天然しまあじ     g ¥650

● 天然平目 積丹    g ¥1500

  天然松川鰈      g ¥950

  天然 真鯛 鹿児島  g ¥700

● 冷メンメ      1尾 ¥2680

 生キンキ       3尾 ¥1580

 活〆まゾイ      1尾 ¥490

● 活〆たこ足 ラウス  1本 ¥2480

     〃      1本 ¥1280

  たこ頭 宗谷    1個 ¥780

● 冷 毛蟹 特大   1パイ¥4980

   〃   中    1パイ¥3500

 冷 タラバがにシュリンク   ¥5980

● 貝付き帆立 野付 3バイ ¥890

 貝ホッキ  白糠  1ぱい ¥450

 牡蠣 オホーツク    200g ¥680

● 無添加いずし500g

       紅鮭     ¥2980

       ハタハタ   ¥2400

       ほっけ    ¥2400

       かじか    ¥2400

● 日本海船上凍結えび 500g

       ボタンえび  ¥2890

       甘 えび   ¥1780

 

大和さん、おつかれさま!ありがとう!

土曜日, 12月 27th, 2014

 

    歓こび

私の一番大好きな詩

 

霊極(たまきわ)る 天地(あまつち)の息

吹き抜けし

食(け)を生(き)のままに

調理(はかる)歓こび

 

私は、調理しながら

この詩を皆様に

届けていたことに気付きました。

最後にクリスマスの日に歓びを感じながら

食を気のままに調理させて頂いて

心から心から感謝いたします。

本当に楽しかった。

ありがとう。

メリークリスマス!!

大和 八千代

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30年前、この和歌を創って、

まほろばを始めました。

その精神を見事に料理に具現し、

味をもって、みなさまに示してくださいました。

大和さんの天性の無垢なる感性が、

無垢なる素材と出あった時に、

感応するのでしょうか。

絶妙な味付けは、足さない引かない、

その微妙な接点を的確に捉え、

無駄なこと、無理なことをせず、

材料の言うことに耳を傾けて来た、

までのこと・・・・・・・

と、本人は言うでしょう・・・・・・・〈笑〉

そんな逸材をまほろばが失うことは、実に残念なことです。

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あの大貫妙子さんも、「私のお抱え料理人にしたい」と言ったほどで、

月一回、来道されて、まほろばで大和さんの御膳を食べるのを

楽しみにされていました。

このクリスマスの24日が最後の大和さんの日となりました。

その去り際に相応しく、

絶妙の和食膳に舌鼓を打ちながら、最後の味を惜しみました。

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また、クリスマスケーキは、これまでにない渾身の美味しさで

みなさん、大変驚いていらっしゃいました。

ステビア農法の苺、昔の名前で「さちのか」という名品を提供して

下さっている方も、初めて食べるこのケーキにご家族一同、感動されて

「こんなケーキ食べたことない!」と語って下さいました。

素材も一流ですが、腕もまた一流だったのです。

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真に惜しい限りですが、

何時かまた舞い戻って来てくださることを祈ります。

七飯に住まわれるご両親の介護を心行くまで尽くして来て下さい。

ご家族と離れて大変でしょうけど、

思い残すことなく親孝行されて下さい。

また何時か、大和さんの手料理を食べられることを

お客さまと共に、待っております。

さようなら

 

 

4000号達成!!!

木曜日, 12月 25th, 2014

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(編集部 島田 浩)

この12月5日で「まほろばたより4000号」達成しました!!

ありがとうございました。

 

社長から引き継いだのが、1998年2月20日の1188号。ヌニェス・デ・プラド・オリーブオイルと、鹿肉の取り扱い記事でした。

それから約3,000号近く発行したことになります。

なんだか感慨深いものがありますね・・・。

 

当時はPCもろくに操作できなかったので、パソコン教室でWARDを覚えるところから始まり、ノリとはさみで切り張りするのが基本でした。

10年前の2004年から工藤さんが手伝ってくれるようになりましたが、それまでほぼ一人。

 

1回の印刷部数も、確かあの頃は、通常600~800部、大売出しの時でも1,000部ほどだったと思います。(当時はB4用紙で毎週3~4枚、売り出しで8~10枚の原稿でした)

それが、現在は毎月のセール時に1,800部、大売出しは2,200部の発行、1回の原稿はA3用紙で15枚~最大30枚ほどになっています。

 

それだけ多くのお客様にご愛顧頂ける様になったものと思うと、とてもありがたく、感謝の思いで一杯です。

 

現在は、切り張りもほとんどパソコン内の作業で、きれいに仕上げる事ができるようになりました。

とはいえ、創刊当初の、社長の手書きイラスト付きまほろばだよりの、パワーと溢れるエネルギーにはとても及びませんが・・・。

 

3000号が、2009年7月7日ですので、ほぼ5年で1000号。

5000号達成は、2020年頃でしょうか?

 

激動のこの時代を、皆様と共に軽やかに乗り切り、少しでも良い世界を後に続く人たちに手渡す事ができるように、

小さな紙面ではありますができることをこれからもコツコツ続けて行きたいと思います。

 

これからも応援の程、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

「はなちゃんのみそ汁」講演会

水曜日, 12月 24th, 2014

みそしる

 

本に、TVドラマに、そしてついに映画化になる「はなちゃんのみそ汁」。

まほろばとも関わりのある安武さん家族。

2月の講演後、まほろばに立ち寄り、そして盤渓スキー場で、

人生初のスキーをされるとか。

今からお逢いするのが、楽しみです。

どうぞ、当日、道新ホールでの講演会にご参加ください、無料です。

河野メリクロンさんの蘭

水曜日, 12月 24th, 2014

 

 

河野メリクロン

 

市場には花きの店もあり、度々仕入れることがある。

先日、立ち寄ったら、シクラメンが入荷していた。

しかし、何気なく強く惹かれるものがあり、「欲しい!」と思ったのだ。

胡蝶蘭のように下に花を下げた仕立てになっており、

一般の上向きのものとは、雰囲気が違っていた。

それは、多分にピンク色の清楚で明るい光彩が、

ある種のオーラーを放っているからだろう。

販売より、事務所に置いて味わおうと思って、飾ったところ、

みんなから「いいわねー」という声が多くあったのだ。

改めて見直し、気持ちが華やいで和む、いわゆる「和気」を放出している。

それで、皆さんにもと思い、更に注文したのだが、中々入らないというのだ。

名は『Happy Chapel /ハッピイチャペル』、登録品種されていて増殖できない。

そして、生産者を見ると、なんと「㈱河野メリクロン」と書かれてあった。

ビックリである。

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以前、THDさんの講演会で、社長の河野通郎氏と演壇で、ご一緒したことがあり、

まほろばを訪ねて戴いたこともあった。

そして、蘭による育毛剤「蘭夢」を、まほろばでも販売していたのだ。

 

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今朝も、全国紙一面に、掲載されていた。

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さすが、これほどのシンビジュームを育種育養されている技量は素晴らしい。

世界初の39種類もの成分から、育毛剤を開発して、

それが大ブームになっていることは、喜ばしいことで、

河野社長の長年のご努力と人徳が結実されたものとして、

称賛させて戴きたい。

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(シンビジューム「天使の翼」販売中)