まほろばblog

Archive for 6月, 2014

発酵文化促進機構総会から

日曜日, 6月 29th, 2014

昨日、東京日本橋の「豊年萬福」で「発酵文化促進機構」の定期総会があり出席した。

朝3時まで原稿、仮眠をとって仕入れに、帰るや飛行機に飛び乗って一路、日本橋室町へ。

終わって、9時過ぎの飛行機があいにく遅れ、帰ったのは夜中の1時過ぎ。

いささか60過ぎた老体には酷な一日であった。

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この総会報告に、26年度の事業計画報告が注目された。

一に、発酵技術事業で、肉・鶏・野菜・イカ・オキアミの醤油の開発の着手予定が面白い。

それと、寺田本家の神埼町に「仮称:発酵食品・道の駅」が開設されて、全国の発酵食品を紹介するという。

地元や首都圏中心に車を利用されることを見越して、インターチェンジのそばに建設中とか。

いよいよ、発酵道開通ですね。

また、10月3日に、日本橋YUITOで、テーマ「味噌力」の講演会があります。

お近くの方は、ご参加ください。

 

その後、小泉武夫理事長のお話。

例のオランダハーグにおける捕鯨問題の裁判は、報道されているような決議や一方的なものではなく、

余り知らされていないその前文に、日本の正当性が詳しく述べられている、という。

為に、すでに北大西洋捕鯨は再開され、いずれ南氷洋も再開されるもようです。

世界から、捕鯨国日本が悪者にされているようですが、

そもそもIWCが日本に委託して調査捕鯨を任されている事が知らされていない。

すでに、シーシェパードは世界的テロ集団として国際指定されている。

今、食べている鯨肉の多くは、ノルウエー・アイスランドの商業捕鯨で漁獲されたものである。

現在、世界の海は大変なことになっている。生態系が狂い、加えて異常気象が続く。

ミンク鯨が78万8千頭、シロナガス鯨が100万等、人間が魚介を食する4.7倍も食べており、

海の生態系が崩れ、大衆魚が全く取れなくなって来ている。

今、BSE、鳥インフル、1000万頭の豚感染で、動物性蛋白が食べられないような時代を迎えている。

牛肉1kg造るのに、穀類7kg必要だ、つまりCo2を後押しする。

だが、牛70億頭の糞尿が土と海に染みて、硝酸化している。

加えて牛のゲップがメタンを放出することCo2の17倍と言う。

捕鯨反対のアメリカには、プロパガンダと人種差別が根底にあると指摘。

だが、飼料も要らず、環境も汚さずして、鯨1頭で、8000人が養われる。

まさに「クジラは、人類世界を救う」とは、真実である。

 

そして、先生はさらにアゴに本枯れでカビ付けしたダシを発表。

さらに、今沖縄の泡盛などの黒麹文化と石川県のフグの麹漬けの

2つを世界無形遺産に指定されるよう働きかけているとか。

またNHK総合TVの「小泉武夫の発酵漫遊記」で、

「なまぐさこうこ」「「ひっぱりうどん」「たから漬け」「いさじゃ」などの

余り知られていないスゴイ発酵食を紹介された。

発酵は未知ですね。

 

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そこに、「降りてゆく生き方」の森田さんがいらして、

10月13日(月・祝)のまほろば創業30周年イベントで、

小泉先生の記念講演を1時から、ついで「降りてゆく生き方」の上映、

そしてパネルトークという骨子が確認された。

前日の12日は、前夜祭のお祭り騒ぎで、色々企画案が持ち出されている。

多くの方々を呼んでのトークショーやコンサート。

そして、多くの関係者に出展して頂いてみんなで盛り上げましょう、

と言うことになりつつあります。

グッドアイデイアがありましたら受け付けておりますので、

どしどしご提案くださいませ。

昨日の1日で、難題の10月イベントに光が射し、出版にも目途がつき、

出向いてよかったなということになりました。

ご期待ください。

「人間は不可能を可能にできる」

日曜日, 6月 29th, 2014

塩見志満子(のらねこ学かん代表)

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※『致知』2014年7月号
特集「自分の花を咲かせる」より

└─────────────────────────┘

――塩見さんはもともと学校の先生でいらしたのですね。

はい。だけど、私は本当は
「おまえは先生にはなれん」と言われていた人間なんです。

生まれたのは愛媛の農家で、
よく生きておられたなと思うほどの貧乏でした。

6人きょうだいの4番目で

「この貧乏な百姓だけは嫌だ。
何としても働いて大学に行きたい」

とずっと思っていました。

それで高校を卒業する時、担任の先生に

「先生のような国語の教師になりたいです」

と言うたら、即座に

「なれん。おまえのところは
貧乏だから大学には行けん」と。

昭和30年の話です。

その先生は続けて、

「それでもどうしても教師になりたかったら短大へ行け。
いま女性の体育教師が不足しとるから、
その資格が取れるかもしれん。
そして愛媛に戻ってきて、わしと一緒に教員をやろうや」

と言ってくださいました。

でもね、私は学校の授業で一番苦手なのが体育だったんです。

「先生、こらえて」と言いましたら

「そんな贅沢を言いよったら、教員になれんぞ。
百姓して貧乏に耐えるのか」

と言われて、
東京の日本女子体育短期大学(現在の日本女子体育大学)を受験しました。
幸いに合格できましたけど。

――学費はどうされたのですか。

私の思いを知った船員の兄が
入学金を用立ててくれたんです。

授業料は近くの映画撮影所でエキストラのアルバイトをしたり、
寮の掃除や炊事の手伝いをして納めたのですが、
とても払いきれずに、後に東京で体育の教師をした1年半でようやく完納しました。

――苦手だった体育は克服されたのですか。

短大に入った1年目は

「荷物をまとめて帰りなさい。
あなたはここにおっても卒業できん」

と何回も言われました。

だけど、不可能は可能になるものなんですよ。

「負けてなるか」と思って毎朝4時に起きて6時までの2時間、
誰もいない体育館でバレーボールやバスケットボール、跳び箱などの練習をしました。

そうしたら6か月後には皆から褒められる学生になったんです(笑)。

その時、心の支えになっていたのは
短大進学を勧めてくださった高校の担任の先生の言葉です。

先生はおっしゃいました。

「わしは30年間教員をしてきたけれども、
得意な教科の教員になると、苦手な生徒の心が見えん。
苦手な教科の教員になると、苦手な者の気持ちが分かる。
そうするとクラスの生徒は、皆おまえの授業が好きになるじゃろう。
騙されたと思ってそうしてみい」と。

――それで、卒業後は東京で体育の教師に。

短大2年で中学校の教育実習に行った時、
その校長先生が

「どうか東京におって、
ここの教員になってくれ」

とおっしゃいましてね。

僅か2週間教育実習をしただけで

「先生、私は何も実技ができません」

と言ったんですけど

「おまえはここに必要とされている人間だ」と。

――よほど気に入られたのでしょうね。

いまでは考えられませんが、学校がある世田谷の田園調布は
ものすごく貧富の差が激しいところでした。

毎朝、車で送迎される子と、橋の下に住んでいるような子の両方が
同じ中学校に通っていたんです。

私は貧しい子供たちのために、
毎日おにぎりを握っていっては

「食べなさい。
私も同じように貧乏だったよ」

と手渡していた。

それをどこかで校長先生が
ご覧になったのかもしれませんね。

* * *

その後、最愛の息子を事故で突然亡くし、
さらに人生のパートナーであった
ご主人も交通事故で他界。

塩見さんはその絶望的な状況をいかにして乗り越え、
いまも前を向いて歩き続けているのか。

塩見さんが語った「人生で大事な心構え」とは――。

……この続きは『致知』7月号インタビューP50~54をご一読ください。

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「降りてゆく生き方」5周年記念 2

土曜日, 6月 28th, 2014

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2日間にわたる公開セッション。

多くのゲストが登壇する中、参加するばかりだった私を、

直前に指名して,強引に登壇させる森田さんの荒業。

会場の方々も、予告のない何処の誰兵?と思ったに違いありません。

特に、午前中のゲストで、寺田本家さんの「むすひ」の話題になり、

その仕込み水としてエリクサーを創った本人としての意見を求められました。

この時、どういう訳か、水の話をさておいて、自分の半生、

ことに岡潔先生の情緒のこと、懐かしさのことなど、

人と異なる道を辿った経緯をお話しさせて戴きました。

これに、武田さんが共感の意を述べて下さったことに、

逆に、何とも言うに言われない感銘を受けました。

何か、心が通い合ったという空気に包まれたのでした。

一生涯においても、なかなかそのような感応道交する場面はあるものではありません。

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同じ北海道浦河の授産施設・「べてるの家」の向谷地生良代表は、来る8月、

「べてる祭り」が開かれることを紹介。

その中で、統合失調症の多い仲間が競い合う「幻覚妄想大会」を開くとのこと。

みんな宇宙人に会ったり、UFOなんかに乗ったと、それぞれ自慢話をするという。

幻覚がひどく、妄想度が高い人が優勝だ!

これには、ただ感心してしまい、逆手にとった療法でもあるワクワク感に、是非参加したいと思ったほどだ。

みんな何でもかんでも認めちゃえ!という精神のたくましさに、何ともありがたく思った。

コレまでに、どんな困難の中をかいくぐって来たのかと思われた。

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最終日は、「奇跡のりんご」の木村秋則さんも出演。

人懐かしい表情や話しぶりに、現代人が失った天真爛漫さにみな惹きつけられるのだろう。

だから、自然栽培と言う何も為さないという境地に至ったに違いない。

木村さんも龍やUFOの話を盛んにされるというが、彼もべてる級なのだ。

そんな純真さに、神からも人からも愛されたのだ。

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多くの懐かしい友に会い、また多くの友を得た、実りある会であった。

家内に会うためわざわざ東京から息子さんと一緒にいらしたタカコ・ナカムラさん。

来月また「インテグレードマクロビオティック講座」が開かれる。

http://wholefoodschool.com/course/im_basic_140719.html

タカコさん、そこでセラピーカレッジ校長の池田明子さんとバッタリ再会を喜び合う。

その方、あの梅沢富美男さんの奥様と言う。

札幌でセミナーがあり、その時是非まほろばにお寄りしたいとのこと。

最終日、帰路のため途中退席して、成田を後にした。

今回は、多くの知人を得たこと、多くの生き方と繋がったことが収穫だった。

10月、札幌でも創業30周年を記念した「まほろばまつり」を開催する予定。

これを機に、札幌でも毎年お祭りが開かれることを期待したい。

降りてゆく生き方の降りる大地にしたい。

「降りてゆく生き方」5周年記念

金曜日, 6月 27th, 2014

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先週20、21、22日の3日間、寺田本家のある千葉県神埼町に、家内と二人で行ってきました。

映画館での上映、DVDの販売をせずに、各地の自主上映で、約10万人も動員した

「降りてゆく生き方」5周年のイベントが開かれるからです。

プロデューサーの森田貴英さんの主導で、曰く言い難い、とても実りのある会でした。

当初、ゲストに招かれましたが、来週から始まる創業30周年記念準備のために、ためらっていました。

しかし、直前になって、やはりどうしても参加せねば、という気持ちになって、

駆り立てられるように、札幌を立ちました。

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結果的には、正しい判断だったことが、途中から理解できました。

発酵や自然栽培や食関係、或いは多くのそれに関連した企業人、研究者、報道人といった

多彩な顔ぶれの中で、「降りてゆく生き方」によって醸される不思議な時空に触れたことは

かけがえのない経験であり、未来に希望を持てる扉に立ったような気がしました。

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それと、10月に開かれる「まほろば創業30周年記念行事」

森田さんと一緒に実施するを決意したこと。

その意義に確信を得たことは、大きな収穫でした。

(まだ、正式ではなく変更があるかもしれませんが、小さく発表します。

みなさんの予定に入れててください。

10月12日(日)前夜祭・・・旧コバワールド。『里山まつり』出店やコンサート

10月13日(月・祝)・・・ポルト。小泉武夫先生講演会、「降りてゆく生き方」上映会、パネルトーク

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寺田本家で行われた前夜祭。

主演の武田鉄也さんを中心に輪を囲み、日本全国から寄り添った名士を一同に介してのトーク。

チョコレート世界大会でグランプリを受賞した三田でエスコヤマを経営する小山進パテシエ。。

ベトナムで出合った酸味の効いたチョコに味の可能性を感じ、新たなる世界の挑戦を思うなどの創造性。

あのスクエア・ワンやセーラ・カミングスさんで御馴染みの長野県小布施町「桝一酒造」の市村次夫さん。

日本のまちづくりの第一人者でもあり、日本一の人気スポットに育て上げた力量は、素晴らしい。

そんなすぐれた賢人の寄り合いに、いささか驚き、素晴らしい人達が次から次へと紹介され、会は盛り上がる。

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そんな対話を当意即妙に受け答えする武田鉄也さんにも、ビックリ!!

あの金八先生や龍馬や海援隊から想像する彼ではなく、

実に謙虚で思慮深く、知識の豊富さには舌を巻くものがありました。

それに加えて話術の巧みさや声の深さ、テレビではお目にかかれぬ側面でした。

ことに、漢字学者の白川静先生が大好きで、漢字の知識や薀蓄もスゴク、また

日本は中国・韓国以上に東南アジアの影響が大きい、と。

あの国菌のコウジカビは、メコン地帯からの来たものだと力説。

醤油の起源は、宋で修行した鎌倉時代の僧、心地覚心が伝えたのだとか。

とにかく、なんでも詳しく、面白い。

ラジオのDJ「今朝の三枚下ろし」での真剣勝負が、この結果を生んだ一因では。

私が、白川さんのことなど話すと、妙に話が合って、急に親近感を覚えたのが嬉しい。

不思議な邂逅に、この映画「降りてゆく生き方」の新たなる可能性を思わずにはいられなかった。

 

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ケイタ・ミニ展inソフテリア

金曜日, 6月 27th, 2014

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ただ今、本店ソフテリアと器展示棚に、佐藤ケイタさんの焼き物、新作展を開いています。

開店当初から、彼の陶器を評価し、取り扱っております。

今回は、初めて信楽の土を用い、薪の登り釜で焼いたものが展示されています。

中々味わい深く、茶器、湯呑み、徳利、蓋物などなどが並べられています。

深々とした枯淡の中に、新しい沸き立つ力が迫ります。

「薪の自然釉薬がかかった焼き〆で、土と火とが織り成すエネルギーを感じてもらえたら嬉しいです。

現代人が一番失った自然性を、手にとって感じ、使ってみて下されば幸いです」

とは、奥様・千恵子さんの言です。

本当に、そう思います。

ケイタさんの器には、現代が喪失した人間の原初の力が秘められています。

どうぞ、ソフテリアでランチを堪能しつつ、ゆっくりとケイタさんの器を眺めてください。

 

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JAS早川メロン 初入荷!!

金曜日, 6月 27th, 2014

とうとうやって来ました。

メロンの季節が。

今朝、新篠津の早川さんと1年ぶりのご対面。

相変わらず、お元気そうで、頼もしい限りです。

10棟のメロンハウスを奥様と二人で切り盛り、

そればかりでなく、米からとうきび、大豆まで早川お一人で何十町歩もやってのける。

本当に超人的な働きと、その成果はびっくり!!

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何でも、明治初期の120年前、埼玉県川越市からアンコ(餡)商人として入植。

そこを遡れば、早川豪族として一帯を仕切っていたらしい。

新篠津では軍馬を育成しながら、国政で田んぼを拝し、そこから農家として自立していったという。

北海道民の多くは東北・北陸方面が多い中、本当に珍しい。

 

20日間の記録的長雨のせいで、今どこのメロンも仕上がりが悪いが、

来週には、立ち直る模様。

来週の30周年の4,5,6日には、沢山入荷されるよう頼んでおきました。

乞うご期待を。

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今日の初ゼリ、1箱、3万円!!!

店では、安くして販売していますヨ!!!

有機栽培JASメロン、安心メロンをどうぞ。

 

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この4人が、いわば市場の構図。

① 生産者(早川さん)が市場に出荷。

② 大荷受(左・榊原さん)が場内に上場。・・・この人、夕張メロンゼリで全国的に有名。

③ 仲買人(右・樋口さん)がセリで卸す。

④ 小売り(まほろば)が買って売る。

今朝のヤッチバ(魚市場)

金曜日, 6月 27th, 2014

今朝の魚仕入れから・・・・・・

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先ず、目に飛び込んできたのは、季節感漂う「ハモ」。

関西では、当たり前でしょうけど、北国では大珍しいのです。

愛媛からの直行便です。

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これは、贅沢!

羅臼産の活〆のメヌキの3kgもの。

刺身でよし、鍋でよし、焼きでよし。

粗の御つゆは、もう絶品!!!

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本マグロが噴火湾沖で獲れています。

境港、宮城を経て、ようやく北海道にも。

小型ながら、脂の乗りは申し分なし。

いよいよ、地物が食せる季節になりました。

 

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今朝初めて!生の紅鮭が入荷しました。

北洋の荒海で獲れた、脂周りたっぷりの3kg以上の大型。

これは、たまりませんよ。

2切れ、3切れで販売しています。

お家でサアッと塩してから焼いてください。

これが年末に、まほろばで出る「手塩紅鮭」になります。

これから半年、よろしくお願い致します。

白石酒造さん来店

金曜日, 6月 27th, 2014

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何か西郷ドンを彷彿とさせる風貌。

今朝、突然来店された鹿児島はいちき串木野の

白石酒造の若社長、白石貴史さん。

北海道へ、醸造組合か何かの会で視察旅行を抜け出してのことだとか。

これから新得の共働学舎へ見学に。

彼は、東京農大出身、小泉武夫先生門下の小泉チルドレンの一期生でもある。

先生からの推薦で、名焼酎『天狗櫻』を当店では置いている。

根強い人気である。

聞けば、農園もしており、自ら黄金千貫のサツマイモを栽培。

自ら「力強い、生命に溢れたものを作りたい」と。

不自然なことを排して、昔ながらの手法で作り続けたい。

既に5代目、明治の統制以前を数えれば、先祖は分からないぐらい昔から酒作りに携わる。

そんな土着に息づく醸造こそ、朽ちて壊れることのないイノチのバトンタッチだろう。

若き当主に、明日の次代を開いて貰いたい。

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「かたくり農園」へ協力させて戴きます

金曜日, 6月 27th, 2014

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昨日の厚別店からの日報。

穂積店長からの報告があった。

彼は関西出身で、奈良赤目の川口さんの処で自然農を学んだ。

その時の同志が、北村みどりさんだった。

1年共に学んだという。

皆様から寄せて頂いた「エリクサー基金」から

「かたくり農園」さんへ、5万円協力させて戴きます。

これまでの皆様の変わらない

東北復興支援ありがとうございます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以前ブログに掲載した内容をもう一度掲載します。

2010年12月15日。

それから3ヵ月後に大災害が起こった。

 

●「かたくり農園」と「ゆず」

今日は、厚別店の恵美ちゃんが、 以前訪問した宮城県丸森町のかたくり農園さんから 柚子を頂いているご縁で、 紹介の文を書いてもらいました。 とてもステキな柚子の結縁にお客様ともども大感謝です!! 柚子湯の冬至の22日には、是非お風呂に入れてくださいね!!

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社長へ
こんばんは。大場です! ゆずの原稿書きました。 写真は探したら,3枚しかありませんでした。 11月に撮ったものなので,畑の様子は分かりにくいかと思います。 食卓の写真は,卒論の調査でお邪魔して,一緒にお昼をごちそうになったときの写真です。 真ん中のパンは,ご主人の保さんが焼いてくれたんですよ。 それに,大きな瓶に入った栗のジャムをつけて食べて,すごくおいしかったです。 妻のみどりさんは,「こんなにいっぱいつけちゃうんだ!えい!えい!」と言いながら, たーっぷりの栗ジャムをのせて,パンをほおばっていました。 ほんとにすてきなお二人なんですよ。 今回はゆずを仕入れていただいてありがとうございました。 また宮城の人たちと,このような形でつながりをもつことができて,本当にうれしいです。 感謝申し上げます!
それでは,原稿よろしくお願いします。
大場恵美(厚別店)

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「かたくり農園」と「ゆず」                          by 大場恵美

今,お店には柚子が並んでいる。 濃い黄色が,ポッと明るい。 柚子が詰められた袋には,「かたくり農園安心ゆず」, と書かれたシールが貼ってある。 ああ,懐かしいなぁ…!

かたくり農園は,私が学生時代お世話になった大好きな農家さんだ。 北村保(たもつ)さん,みどりさん夫妻が営むこの農園は, 宮城県の最南端,丸森町というところにある。 小高い山々に囲まれた,水と緑の美しい町だ。

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まさに,日本昔ばなしに出てくるような風景。 イノシシだってサルだって,たくさん出る。   私は大学の卒論のテーマとして, 「新規で農業を始めた人たち」のことを調べたのだが, その調査地として選んだのが,丸森町だった。 丸森町には,都会から移り住んで農業や農的生活を営んでいる人たちが,20家族以上いる。 かたくり農園の北村さんもそのうちの一人だ。

北村さんは,神奈川で会社勤めをされていたのだが, 不規則な食生活から体を壊し, 安全な食べ物を食べたいという思いで市民農園を始めた。 それが,農業をするきっかけだったという。

1992年に丸森町で農業を始めて,野菜やお米を不耕起自然農で育てている。 他にも,農的暮らしのワークショップをひらいたり, 改築した古民家を「里の家」と名付け, ゲストハウスとしてたくさんの人が利用できるようにしたり。

農業を通して,田舎の人と都会の人がつながれる, あったか~い場づくりもされているのだ。 北村さん夫妻は,私の両親と同じくらいの歳だ。 夫の保さんは,もの静かで気さくで話しやすくて, 人を落ち着かせてくれるような人。

妻のみどりさんは,明るくておちゃめでたくさん笑う。 そして畑のことについては,ものすごーく観察し ,ものすごーく考えて,努力されている人。だと思う。

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そんなお二人が栽培するゆずは,古民家を譲り受けたとき, その敷地に植えられていたものを,そのまま一緒に譲ってもらったものだそうだ。 「地主さんが植えていたものは,なるべくそのままの形で受け継いでいきたい」と, 新たに植えたり切ったりはせず,20本ほどあったゆずをそのまま育てている。

ゆずの品種は,名前は分からないけれど,丸森にある昔ながらの在来のもの,だそうだ。 ゆずは,東北でも栽培できる唯一の柑橘類で,丸森辺りが北限と言われているらしい。 無農薬でも育てやすい,ありがたい,と北村さんは言う。

栽培で気を付けていることは,寒い地域なので,早くに剪定せずに, 3月に入って少し暖かくなってから剪定するようにしていること。 「ゆずだって人間と同じで,寒いときは辛いだろうから」,と考えてのことだそう。 剪定するときは,風通しがよくなるように。

それから,イメージとして,枝が手のひらを太陽に広げたような形になるように,を心掛けている。 人と植物を見るときの目線がおんなじ,なのですね。

ゆずといえば,もうすぐ冬至だ。 冬至は,一年の中で最も昼が短く,夜が最も長くなる日だが, 今年は12月22日にあたる。 日本では,この日にゆず湯に入り, 小豆粥やカボチャを食べると風邪をひかないといわれている。

なぜ冬至にゆず湯なの?と思い調べてみた。 すると,冬至には「湯治」をかけていて, ゆずには「融通が効くように」という願いを込めているからだそうだ。 お正月のおせち料理に,縁起担ぎの意味が込められているのに似ています。

ゆず湯の仕方はいろいろで,お風呂に丸ごとを浮かべたり, スライスしたのを巾着に入れて浸したり,お好きなように。 調べてみると,ゆずの精油(植物から採れる芳香油)には, 血行を促進させる働きがあって,お風呂に入れると身体を芯から温めてくれるそう。

北村さんがおっしゃるには,ゆず湯にすると, 柑橘系の香りがおふろ全体に広がって,それが気持ちいいのだそうです。

果物は裏と表(不作と豊作)の年があるといわれますが, ゆずも同じなんだそうです。 北村さんは,今年も去年も出来がよかったので, 来年はどうかと心配しているそうですが, 「来年もがんばって送れるように」,と思っているそうです。

「今回,自分たちは北海道に行けなかったけど, 自分たちの生産物が北海道までいってくれて,うれしい。 これからもよろしくお願いします。」 とおっしゃってくれていました。

こちらこそ,どうぞどうぞよろしくおねがいします。 北海道のみなさん,この冬は,北村さんのゆずで,心も体も温まりましょう!

かたくり柚子 1.jpg 「かたくり農園の安心柚子」        3玉 ¥390

新垣さんの出直し

木曜日, 6月 26th, 2014

新垣さん記事

人には、さまざまな過去があり、色々な痛みがある。

そこには、立ち直れないほどの痛手や傷があるだろう。

しかし、天には好生の大徳、いかなるものも活かそうという慈悲がある。

どんな過ちも、間違いも、責めるばかりではなく、許す回りの愛が必要ではなかろうか。

わが身におき、批判ばかりでなく、抱きかかえる抱擁・・・。

そんな折、私の友人が、あの事件の当事者でもある本人に救いの手を差し伸べた。

その輪がどんどん広がり、札幌の音楽家が立ち上がり、

彼を応援しようと、この度コンサートを開くことになった。

その人こそ、あの新垣隆氏である。

8月19日、kitaraコンサートホールで。

チケットも、まほろばで預かっています。

どうぞ、私達で応援しましょう。

新垣 1

新垣 2