まほろばblog

Archive for 10月, 2013

熱心に集中して、賭けていますと

木曜日, 10月 31st, 2013

「熱心に集中して、賭けていますと、
     運というか、幸運というか、
   そういうものがプラスアルファが引き出せる」

      川上 哲治(元巨人軍監督)

※『致知』1982年12月号
特集「力の源泉はなんだろう」より

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――川上さんは後姿をみて部下がついてくる
ようでなければだめだと、おっしゃってますね。
後姿で、指導するようになる、
それがリーダーの最高の姿だ、と。

これは私の禅の師匠である梶浦逸外老師が、
私が監督になったときにはなむけの言葉としてくださったんです。

「あんたは、正力さんに信頼されて
巨人軍の監督を命ぜられたのだから、
一生懸命やらなければいかん。

それがためには、
後姿で率いるような監督になんなさいよ
面と向かって率いるというだけでは
絶対、大きな働きはできませんよ」と。

――後姿で率いるというのは、
何もいわなくても部下はリーダーの気持ちを
知ってついてくるということでしょうかね。

そうですね。ただ、何もいわんというわけにはいきません。
こうやれ、こうすべきだということは教えていくし、
また辛いときに辛いことを要求しながら
やらせていくこともリーダーとしては大切です。

しかし、それだけではうまくいかないと思うんです。
やはり、お手本を示すといいますか、
監督、リーダーが自分の仕事を通じて
自分の要求していることを
自然にわからせるように持っていくことが大事です。

指導する立場にいるものは、
他人を指導できるだけの人間になるべく、
自分自身を鍛えていかないとね。

――やはり陣頭指揮といいますかね、
自分が立派にならなければ人はついてこないですね。
能力の点、体力の点、あらゆる点でね。

まったくです。部下の率い方には、教え、しつける面と、
自分が手本を示していく面とがあり、
これを併用して率いてこそ、
いい組織、勝ち抜くことのできる組織づくりが
できるんだと思います。

で、そのいずれの場合にも、
一番大事なのは誠意といいますか、
真心といいますか、
これを土台にしながらやっていくということでしょうね。
これは集団では大切なことですよ。

――結局、野球も力の強いやつが勝つのだと思いますが、
ああいう野球の集団の力の強さというのは、
どうですか。王とか長島みたいなのが
一人か二人いるのがいいのか、
集団が全員やる気になって一致団結するほうが強いのか……

これはもう一人二人の選手がおったってだめで、
そういう人たちの力を当てにしているようでは
決して大きな成績はでないと思いますね。

やっぱり、集団の力というのは、
みんながやろうとする目標達成のために、
本当に一心になってやるときにでます。

それで、これが一心になってやっているというと、
もう一つの力もひき出せると思います。
例えば、幸運という運を呼び込む、プラスアルファということです。
神仏の加護といってもいいと思いますけどね(笑)。

熱心に集中して、賭けていますと、
なにかしらん、そういう運というか、
幸運というか、神仏の加護というか、
そういうものがプラスアルファとして引き出せるという気がします。

失敗のない人生は失敗だ

水曜日, 10月 30th, 2013

「人生は失敗があって当たり前。
          失敗のない人生は失敗だ」

佐藤 忠吉(木次乳業創業者)

※『致知』2013年11月号
特集「道を深める」より

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辛い時期を乗り越え
有機農業を確立できたのは、
一人ではなかったからだと思います。

親父も生粋の百姓ですけれども
折に触れ、いろいろなことを教えてくれました。

事業を始めた頃は、

「人間は1%の可能性があったらやれ。
失敗したら出発点に戻ればいいがな。
人生は失敗があって当たり前。
失敗のない人生は失敗だ」

「体で覚えたことしか実現しない。
頭で考えたことは正月の計画と一緒で駄目だ」

と励ましてくれました。

私が息子を亡くし火事で工場を失って
神頼みをしていた時には

「太陽は東から昇って西に沈む。
深い谷があれば次に高い峰がある。
私たちの人生はそういう循環の中にあるんだ」

ということに気づかせてくれたんです。

人生の節目節目でそういう言葉が私を支えてくれました。

(中略)

片足は清流に、片足は濁流につけて歩む。
人間は不完全なものです。

この年になって思うのですが、
年を取るほど分からんことが多くなる。
若い頃は分かったつもりでいたことが、
本当は何も分かっていなかった
ということをしみじみと感じる。

生きている限り、
これでいいということはありませんが、
私はあの世に行く前、
目を閉じた時がその人の価値だと思っているんです。

死に顔にはその人の生きざますべてが表れます。
残された人生、農業の道を深めていきたいと思っています。

* * *

93歳の今も島根県雲南市で
農業に従事する佐藤氏。
そのエネルギーの源泉はどこから来るのか。
また、日本初のパスチャライズ牛乳を
いかにして生み出したのか。

「未来を載せてエコトラックが走る」

日曜日, 10月 27th, 2013

池田 治子(エコトラック社長)

『致知』2013年11月号「致知随想」より

 

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「これ、ええなぁ。二十一世紀の運送会社は

こういう車を使っていかなあかん」

夫が経営する大阪の運送会社に勤めていた私が、
環境に優しい“天然ガストラック”に
初めて出会ったのは一九九八年、
地元の地域行事に参加した時のことでした。

守口市とガス会社の共同ブースで
「排ガスがクリーン」だと紹介されていたのです。

アトピーに苦しむ娘を助けたいと調べていた医学書の中で、
車の排ガスと皮膚病の関連を指摘する報告を見つけ、
ディーゼルトラックの性能に疑問を抱き始めていた頃でした。

排ガスは真っ黒で人体に有害というのが当時の認識です。
天然ガス車との出合いは、
まさに“青天の霹靂”ともいうべき衝撃的なものでした。

すぐに夫の会社で二台リース購入し、
実際に排ガスを出すなど実験を敢行。

すると確かに黒煙も臭いもないのです。
「これ使える。もっと普及させなあかん」。
そう確信した瞬間でした。

しかし、同業者に勧めてみても
「環境では飯は食えない」とつれない返事ばかり。
九〇年代には、まだエコ=コスト高との先入観が根強くありました。

しかし、娘、ひいては次代の子供たちのためにも諦め切れません。

「将来天然ガス車は絶対必要になる。
低公害車百%の運送会社をつくり、
業績を上げれば、皆振り向いてくれるはずや」

そう決心し、夫の援助のもと「エコトラック」という
会社を立ち上げたのは一九九九年。
トラック五台からの、まさに手探りでのスタートでした。

天然ガス車にとって最も重要なのは燃料補給の問題です。
周囲からも不安視する声が多くありました。

しかし、幸いにも営業エリア内に
いくつか充填(じゅうてん)所が設置されていることが分かり、
この地の利が起業を後押ししてくれたのです。

そして、車両メーカー、ガス会社、行政の三者と連携を図り、
綿密な運行計画を立てていきました。

「長距離を走行できないのでは?」との声が上がれば、
実際に神奈川―大阪間をデモ走行してみせる、
環境イベントに車両提供の依頼があれば手弁当でも引き受ける。

その際に徹底したのは、「天然ガス車を普及させたい」という
創業理念から絶対にぶれないことでした。

つまり「儲かるかどうか」ではなく、
「低公害車の普及にプラスかどうか」を
唯一の行動指針として貫いたのです。

そのような損得抜きの取り組みを地道に積み重ねていくことで、
本気さが伝わっていったのかもしれません。
結果的に周囲の信頼が得られ、
大きな荷主さんが付いてくれるようにもなりました。

そして、「地球環境保全」という理念を掲げることで、
私たちの情報提供をもとにメーカーが車両改善に取り組めば、
ガス会社が充填所の営業時間などを見直す、
さらに行政も補助金制度などを整えていくというように、
異業種同士が垣根を越えて協力し合う体制が
少しずつ生まれていったのです。

また私は環境への取り組みとともに、雇用をつくり
従業員の自己研鑽を応援することにも情熱を傾けていきました。

そこには少子高齢化のため将来運送業を支える人材が
いなくなってしまうという事情もあります。

しかし何よりも、私には会社を支えているのは社長ではなく、
一人ひとりの従業員だという思いがありました。
トラック運転手はしんどい仕事です。

暑い日も寒い日も重い荷物を積んでは降ろす……。
その姿に私は心からの敬愛の念を抱くのです。

そんな彼らに報いるためにも、子育てをした経験を生かし、
資格試験の補助制度、女性の役員への抜擢、
若手の幹部登用など、皆が自己実現できる
環境づくりに苦心してきました。

当社に来られた方は皆口を揃えて
「あなたの社員はいつも笑顔で楽しそうですね」
と言ってくださいます。

お互いが認め合い切磋琢磨する社風もまた、
創業期からの成長を支えてくれたのだと感じています。

しかし、会社が順調に伸びていた最中の二〇〇三年、
突然経営危機に見舞われたことがありました。
最大の取引先だった家電販売店が
なんの前触れもなく倒産したのです。

衝撃でした。

すぐに家電以外の異業種へも必死に声を掛けて回り、
荷主の多様化を図りましたが、
それだけではとても危機を乗り切ることはできません。

焦りが募っていく中、この難局を救ってくれたのも、
やはり社員たちでした。

慣れた仕事以外のことをするのは
誰しも抵抗があるものですが、多くの社員が
「自分が会社の危機を救うことができるなら」と、
それまで扱ったことのなかった荷物の配達や
取り付け業務への現場移動に応じてくれたのです。

社員一人ひとりの粘り強い努力が強い結束力で一つとなり、
エコトラックは存続することができたのです。

十四年前、五台のトラックから始まった当社ですが、
いまでは従業員八十名、保有する低公害車は七十五台を数え、
年商も六億円にまで成長しています。

「私たちの会社が潰れたら、やっぱり天然ガス車なんて
あかんって言われてしまう。この事業は絶対成功させたる」

との強い思いでこの十四年間、無我夢中で走り続けてきました。

しかし、天然ガス車の知名度はまだまだ低いのが現状です。
これからもエコトラックの活動を通じ
子供たちが安心できる未来を残していきたい。
そう心から願っています。

”松本愛子”「528HzCD」出版記念リサイタル

金曜日, 10月 25th, 2013

松本先生リサイタル ステージ一人

 

16日(水)、台風26号がスンデの所で逸れ、雨が収まってのコンサート日和。

待ちに待った松本愛子先生のピアノ弾き語り

「528Hz 『母なる子守り詩』」のCD発売記念コンサートが、

中島公園の「渡辺淳一文学館」で開かれた。

かの安藤忠雄氏設計のこのホール、小さいながら流麗な空気が流れる空間。

彼女のピアノと声がよく響き、よく通って心地よい。

 

松本先生リサイタル 会場

 

聴衆のほとんどが、まほろば関係者で、改めてビックリしました。

そこには、二階で毎月レッスンを受けている生徒さん、

お客様が沢山いらして、応援されている姿を見て目頭が熱くなりました。

来春の店開きには、まほろばのエリクサー前で初お披露目をされるとか。

道のコンクールにも出場するくらいにと、みな張り切っています。

 

松本先生リサイタル 工藤(我らが工藤さん、司会に準備にCD制作に大活躍)

 

これも、先生の天性の音楽性と声帯に加えて、長年培った実力、

アカデミックな鍛錬と知性と美意識が、実を結んだものと思います。

ことに、90歳になられるイタリア在住の名歌手平山美智子先生直伝の

発声法(ロール転がし)は、彼女によってこれから普及されることでしょう。

http://www.youtube.com/watch?v=K4v-rfJpjD0

仙骨が最も肝心と言われ、腰の柔軟性、足の親指と声帯と第三の目との繋がりなど、

生体と声の相関関係を、身をもって明らかにしてくださいます。

 

松本先生リサイタル ステージピアノ

 

当日のプログラムは、前もって決定せず、その場の雰囲気で弾き語りを行った。

お客様でもある札幌大谷大学音楽学部教授を歴任された木村雅信氏は、

松本先生のレッスンを垣間見て、

「すごい!40年の教師生活の中で、このような指導法を見た事がない。

是非取り入れたい。学生を送り込もうと考えている」とまで、絶賛。

同じ芸大出身の後輩として、今後も札幌の地で、交友が広げられるでしょう。

そんな先生や皆さんの熱い視線を浴びる中、彼女の演奏が始まった。

 

オペラのアリアあり、童謡あり、子守唄あり、唱歌あり、映画主題歌ありの

全方向のバラエティ豊かな演目に、飽きることがなかった。

今まで多くのコンサートを聴いて来たが、これほどピアノが快く鳴り、

声がこれほど伸びやかに響きをもって心に届く経験はなかった。

まさしく528Hzの威力であろうか。

松本さん自身もまた、これほど自分の声と楽器が調和して鳴り響いたことが無かったと言う。

政治的操作での528Hz云々はよく言われるが、

実際プロの耳で、それがどのように作用し理解されるのか、最も興味深いところだ。

そこを感性の面から、楽理面から、体験面から、これほど精通している人も稀だと思う。

 

松本先生リサイタル 3名(528Hzの情報を最初伝えてくださった原田ちほさんと一緒に)

 

その日、店で聴く彼女の歌声とは、全く違う威風堂々とした風格と繊細さと

豊かさと美しさが織り交ざったその歌声は、イタリアのベルカント唱法という

歌唱法を越えて、誰の心にも共感する感動があった。すばらしい!!

これから、ますますの活躍を祈りたい。

今後、山梨小淵沢やトータルヘルスさんなどで、本州でも活動の場が広がるという。

その日、ボランティアで支えて下さった皆様(美女軍団)に感謝します。

 

松本先生リサイタル 美女5名

 

追記:

芸森スタジオでの録音の際、ある現象が起こったという『ロンドンデリーの歌』。
NHKの「私の秘密」で懐かしい詩人の藤浦洸さんの歌詞を、お送りします。
ロンドンデリーの歌  Londonderry Air

Old Irish Melody  藤浦 洸 訳詞

北国の港のまちよ

りんごの花咲くまち

寄り添いて 共に語りし

情けあつき かの胸よ

想い出はかなしき夜の

星影か ともしびか

別れのしらせのベルに

見合わせし 瞳よ

20年前に、太平洋戦争の特攻隊の出撃を指示されていた方から、
その時の様子のお話を何度もお聞きした、その場面を思い出す言葉の響の歌詞だと、
私自身は感じます。(松本愛子談)
新譜のCDを、まほろば各店で備えております。

528Hz

「528Hz 『母なる子守り詩』」¥2.500(税込み)

1、私を泣かせてください 2、ロンドンデリーの歌 3、浜辺の歌 4、ピエ・イエズ

5、さくらさくら 6、この道 7、やさしい森 8、見上げてごらん夜の星を

9、夕焼小焼 10、江戸子守唄 11、グノーのアヴェマリア 12、故郷

13、歌に生き恋に生き 14、樹木の陰で(オンブラマイフ) 15、528Hzチャイムバー

「安岡正篤師とドラッカー氏の共通点(学びの手法編)」

金曜日, 10月 25th, 2013

佐藤 等(ナレッジアドバイザー、公認会計士、税理士)

『致知』2013年10月号

特集「一言よく人を生かす」より

└─────────────────────────────────┘

両者の著作は膨大ですが、
その教えの根本は活学であり、実践である点で一致しています。

さらに二つの教えは、学びの手法においても共通しています。

「一度古人に師友を求めるならば、

それこそ真に蘇生の思いがするであろう」

(安岡正篤『いかに生くべきか』)

「理論化に入る前に、

現実の企業の活動と行動を観察したい」

(ドラッカー『現代の経営(上)』)

ドラッカー教授の本には「IBM物語」「フォード物語」
といった経済人や企業の逸話が随所に盛り込まれています。

彼の著作には机上で生み出されたものは一つもなく、
すべて自らの目で見たものに基づいて記されています。

現実を観察し、一つの理想を提示し、実現を促しました。

これは安岡先生がお示しになる造化(ぞうか)の位どり、
つまり理想‐実現‐現実、天‐人‐地の教えに適っています。

それは歴史や人物に学ぶことの大切を説き続けた
安岡先生と共通するスタンスといえるでしょう。

「自分を知り、自分をつくすことほど、むずかしいことはない。
 
自分がどういう素質、能力を天賦されているか、
  それを称して『命』という。

  これを知るのを『知命』という。

 
知ってこれを完全に発揮してゆくのを『立命』という」

(『安岡正篤一日一言』)

「自らの成長のために最も優先すべきは卓越性の追求である。
 
そこから充実と自信が生まれる。

  能力は、仕事の質を変えるだけでなく
  人間そのものを変えるがゆえに重大な意味をもつ。

 
能力なくしては、優れた仕事はありえず、
  自信もありえず、人としての成長もありえない」

(ドラッカー『非営利組織の経営』)

安岡先生の説く「知命」「立命」は、
『大学』の「明徳を明らかにする」という言葉にも置き換えられ、
それはドラッカー教授の

「自分の持っているものを発現させる」

「卓越性の追求によって社会の役に立つ」

という言葉によって、
より現代人にも分かりやすい教えに転換されています。

「21世紀を担う若人の会」inまほろば

木曜日, 10月 24th, 2013

21C 農園2 合同

 

12日、13日の土・日曜日の2日間、

全国から「21世紀を担う若人の会」のみなさんがまほろば視察で来訪された。

㈱ムソーさんが主宰され、サン・スマイルの松浦智紀が世話人になり、

ムソーの小林東日本支社長が引率して、

次代を担う全国の自然食品小売店のみなさんが、遠路はるばる集った。

2時頃から、直路で「まほろば農園」へ。

20年も無肥料栽培に取り組まれている松浦さんをはじめ、

みなさん商売柄、農業に詳しい方ばかり。

2箇所の畑を見て回り、どうだったでしょうか。

 

21C 農園1 講義

私としては、農業革命で、人が作物を栽培し始めた時点で、

さまざまな問題を抱えるようになった原点を見据えた時、

この光と闇の二つながら背負った農業の本質には、

決してこれといったものがなく、絶えず揺らいでいるだろうと思えるのです。

それは、農業技術にしてもです。

収穫と言う光明と、貯蔵と言う無明。

現代病のうつ病さえ、発端は農業から始まったといえる事実。

自然からの収奪という乖離に、人間の本質が隠れてしまっています。

無肥料も有肥料も、大局から見ればほとんど変わらない議論のように思えます。

要するに、農業で自然にみな還るという入り口であれば、

みな仲良くしましょう、手を繋いで行きましょう、

ということだけでも、今は充分のように思えます。

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その後、店内見学と2階での「まほろば講座」で、お話を聞いて頂きました。

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① 大橋本店店長「まほろばへの誘い」 ② 島田編集長「まほろばPOSシステムについて」

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③ 専務「まほろば食養思想について」  ④ 社長「日本力」

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店長は、まほろば全般にわたる思想哲学と実践を広く簡潔に解説。

島田さんは、まほろばオリジナルで作ったPOSシステムについての説明。

専務は、まほろばの基礎を形成しているインテグレード・マクロビオテックの入門を、

社長は、情緒を「日本力」という言葉に置換えて、日本人の独創性を語った。

4人4相の講義を3時間、しっかり熱心に聴いてくださいました。

質問も飛び交え、会場は熱く盛り上がりました。

ありがとうございました。

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夜は、中央区でまほろばの食材も使って下さっている「粋ラボラトリー」で打ち上げ会。

街中に、こんな美味しく素朴なお店があるなんて、ビックリ!!

みんな話の花が咲き、とても楽しい交流会でした。

http://ikilab.com/

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次の日は、地下洞『無限心』での一時。

みなさん、心の優しいとても良い方ばかりで感激しました。

未来の自然食業界も大丈夫!!

と自信をもって希望を抱くことが出来ました。

余りお役に立つことがなく、申し訳ありませんでした。

各地でますます、お元気で活躍して戴きたいと思います。

ご苦労さまでした。

ありがとうございました。

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参加者(敬称略)

仙台「自然食品たんぽぽ」山田朋、矢口理恵

福島「あんぜんなたべものや」矢部博和

福島「リトルガーデン」中島隆志

埼玉「有限会社 サン・スマイル」松浦智紀 稲川圭一

東京「㈱文理書院 早稲田自然食品センター」寺島真吾

岡崎「ヘルシーメイト」山田展大

奈良「かんとりい」増本晃

大阪「ムスビガーデン」廣田直樹

大阪「健康ハウス 健友館」上滝竜矢

沖縄「農業生産法人 株式会社ぱるず」諸喜田徹

東京「ムソー」小林博行 村上洋二

 

 

 

 

 

 

「“戦争型競争”から“恋愛型競争”へ」

木曜日, 10月 24th, 2013

早川 吉春(公認会計士・霞エンパワーメント研究所代表)

『致知』2013年11月号
特集「道を深める」より

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私の考える価値創造というのは、
単に商品やサービスを生み出すことではなく、
社会的価値や文化的価値を含むより深いものです。

そして価値創造企業には数値化できない
企業文化や脈々とした遺伝子が存在し、
その原点に常に顧客に対する価値創造があります。

競合他社との比較における相対価値ではなく、
絶対価値の創造と深化こそが企業の持続的発展に
繋がると私は考えるのです。

価値とは創造しようと思っても創造できるものではなく、
絶対的なものを追求し続けるうちに実現できたり、
また、そのものや考え方は変わらないのに、
時代や環境が変わることで新たな価値が
加わったりするものだと私は考えます。

ですから真に価値を創造するためには、
常に絶対的なものを追求し続ける姿勢を
維持することが大切だと思います。

これからの企業と経営リーダーには、
「絶対の競争」への視座が必要なのです。

法政大学の嶋口充輝先生はこうおっしゃっています。

競争概念については、ライバルをいかに叩いて
相手のシェアを奪うかという
陣取り合戦的な「戦争型競争」から、
最終顧客にいかに喜んでもらえるかを
ライバルと競い合う「恋愛型競争」に移りつつある。

まさに競争が、創られた価値を
ライバル間で奪い合うスタイルから、
いかにより高い市場価値そのものを
創造するかというスタイル、
つまり相対の競争から絶対の競争に向かって動き始めています、と。

Yarnlight Collective、日本に

木曜日, 10月 24th, 2013

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YARNLIGHT COLLECTIVEは

ファッションとバランス、

そしてウェルネスを統括したパイオニア的コンセプトです。

国際的なエキスパートのチームによって、炭素と竹、そしてカシミアをブレンドして紡いだ革新的な編み糸が開発されました。この類稀なる糸は、お召しになった方々に活力を与え、人体に有害な電磁波汚染から守ってくれる自然の盾となり、又、精神的ストレスをも軽減してくれます。 世界中から集まったエネルギーヒーリングの癒し手によって、純粋な癒しのエネルギーが、毛糸に転写されました。この画期的な革新技術は特許を得ています。このYarnlight Collectiveのために、スペシャリストがパリに集結し、独自のプロセスを踏んで、直感ヒーリングと量子物理学を組み合わせた癒しのエネルギーを、毛糸に注ぎ込んだのです。 Christian DiorやKenzoでファッションデザイナーを務めたアダム・ジョーンズは、この毛糸に込められた力を最大限に生かし、袖を通した人が、見た目だけでなく、エネルギー的にも強化される、美しいセーターを創り上げる事に成功しました。 洗練された極秘のディテールを駆使して24金が毛糸に施され、究極の絶妙なタッチが加えられました。 セーターの効果は、何人かの世界的な科学者によって、検証されています。 特記すべきは、スタンフォード大学のティラー博士、イタリアのTES研究所、ドイツのビオエレクトロフォニックス研究所のルイ・ラベ氏などの実験結果です。これらのテストは、セーターに込められたエネルギーの実在と、人体のエネルギーフィールドのバランスを整える効能があるという事実について、揺るぎのない結果を示しています。 このセーターを身に着ける時、心身のバランスが調整される感覚と、幸福と穏やかさを感じ取る事ができるでしょう。 尚、Yarnlightの収益金の一部は、瞑想と健康を支援する慈善団体に寄付されます。

http://www.yarnlightcollective.com/

 

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22日、パリからファッションデザイナーのアダム・ジョーンさんが来店された。

同じくパリ在住のセラピスト、ビズネア磯野敦子さんもご一緒にお越しになられた。

http://angels-rainbow.com/

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上の説明があるように、新しい概念と素材の衣装。

このコンセプトは、なかなか業界には理解されず、

彼が直感的に、世界で最も理解してくれるのは、日本人しかいない、

そこから始めたい、と考られたという。

 

たんなるフォルムや色彩の流行を求めて来た服飾界においての革命でもある。

竹布とカシミヤとカーボン繊維を織り交ぜて、

電磁波をシールドし、体の代謝を良くする。

彼の斬新な発想に共鳴し、日本での本格的な取り扱いの一助になることを。

 

通訳して戴いた敦子さんは、セラピストとしてパリで活躍。

素敵な笑顔とお人柄は、きっと両国をつなぐ大きな架け橋となるでしょう。

また、仲介して頂いた緒方紀子さんに感謝いたします。

 

最後に、まほろばのフレグランスを紹介。

和の設えと東洋的香りで、逆輸出。

日本の心が、そとつ国に染めなすことを。

 

「和食」無形文化遺産に

水曜日, 10月 23rd, 2013

和食

「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録される見通しとなった。

富士山の世界遺産に引き続き、伝統文化の和食が世界の歴史に刻まれる。

実に記念すべきことで、ヘルシー日本食の普及がさらに加速される。

この登録の件は、かねてから小泉先生から聞かされていて、

再来年、イタリアで、この大イベントが行われ、

発酵食文化日本としてのお披露目をするということらしい。

先日、発足された「発酵文化推進機構」が軸となって、

発酵革命が、世界に席捲する日も近い。

 

酒饅頭 小泉

それにしても、小泉先生の食の背景の豊かさは、子どもの頃の家庭環境にあった。

酒の蔵元の日常は、酒はもちろんのこと、粕や麹で溢れ、

その加工品で、食卓がまかなわれ、人間関係も築かれていった。

その粕一つから、さまざまな食べ物が躍り出る。

そんな変化の豊かさのなかで、武夫少年は育っていった。

そして、今日がある。

酒饅頭。

これから美味しい季節になる。

ソフテリアでも、出ることでしょう。

「人生とは織物のようなもの」

水曜日, 10月 23rd, 2013

志村 ふくみ(人間国宝・染織作家)

『致知』2013年11月号
特集「道を深める」より

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自分の色というものは、
たった一つしかないのかもしれません。
それを求めてもらいたいと思いますね。

一つしかない色だけど、喜びや悲しみなど様々な感情、
刺激によって輝いていく。
その色に出逢うための人生じゃないですか。

それと同じように、
人の人生も織物のようなものだと思うんです。
経(たて)糸はもうすでに敷かれていて
変えることはできません。

人間で言えば先天性のもので、
生まれた所も生きる定めも、
全部自分ではどうすることもできない。

ただ、その経糸の中に陰陽があるんです。

何事でもそうですが、織にも、
浮かぶものと沈むものがあるわけです。

要するに綾ですが、これがなかったら織物はできない。
上がってくるのと下がってくるのが
一本おきになっているのが織物の組織です。

そこへ緯(よこ)糸がシュッと入ると、
経糸の一本一本を潜り抜けて、トン、と織れる。

私たちの人生もこのとおりだと思うんです。

いろんな人と接する、事件が起きる、何かを感じる。
でも最後は必ず、トン、とやって一日が終わり、朝が来る。

そしてまた夜が来て、トン、とやって次の日が来る。

これをいいかげんにトン、トン、と織っていたら、
当然いいかげんな織物ができる。
だから一つひとつ真心を込めて織らなくちゃいけない。

きょうの一織り一織りは
次の色にかかっているんです。