まほろばblog

Archive for 8月 29th, 2012

『倭詩』長谷川さんから・・・・

水曜日, 8月 29th, 2012

もう20年以上も前に、妹が学生の頃、札幌でファッションモデルの仕事をしていて、

(僕の顔からは想像を絶しています)円山の会社にお世話になっていた。

まほろばが、今の場所に移転してから、長谷川さんという若いご夫妻と親しくなった。

話し込んでいるうちに内に、何とそのモデル会社は、奥様の母上が経営されていたのだ。

何という奇縁!ビックリ!!!

今も、札幌と東京で交流があるらしい。

長谷川さんご夫妻は、とても日本の精神文化に造詣が深く、驚くばかりで、

色々教えられ、深い絆を感じざるを得ません。

そのお友達、釧路の「自然食のあまむ」の新村さんも、(http://yaplog.jp/amamu/)

同じように高い霊気を感じ、共に、これからの日本を背負っていかれる方と思っております。

長谷川さんのHPで、今回の『倭詩/やまとうた』の感想を載せて頂きました。

ここにご紹介しますね。

http://firstseed.blog114.fc2.com/blog-entry-976.html

札幌に越して16年半が経とうとしていますが
東京から脱出してほとんど縁が無かったに等しい此の地を選んで良かったと
感じているひとつの理由は自然食店「まほろば」さんが在る事です。
安心安全な食材を提供して下さり浄活水器エリクサーの水を無料で汲ませて頂け、
さらには食をはじめ様々な分野の情報を得られとてもお世話になっています。

社長さんとはちょっとしたご縁があり親しくさせて頂いていてますが、

このほど社長の宮下周平さんが先日の善き日に本を出版されました

宮下周平著『倭詩』表紙
タイトルは『倭詩(やまとうた)』
表紙の町並みは富士吉田の明見の里でしょうか。

富士山を臨みその上方に太陽が輝いているというなんとも神々しい表紙です
この本は雑誌「森下自然医学」に約3年に渡って連載されていた
『北の空から』をまとめてリライトされたものだそうです。

もとの連載を拝読させて頂いていましたが、
個人的には日本の文化と日本人としての誇りを再認識させてもらえ、

この時代にこの日本に生れて来た意味に気付く道標となりました。

08月24日に店頭に並んだばかりの著書を早速買わせて頂いて

読み始めていますが宮下さんご本人が本のまえがきに記されているように、

「硬い文体」は幾ばかりか硬度が和らいでいて、

私たちが普段あまり使わないだろう漢字にはふり仮名があり読み易くなっています。
本を購入した際に宮下さんがいらしたので表紙の裏に一筆書き添えて頂きました。

しばらく沈黙された後に筆を走らせて…、
宮下周平著『倭詩』裏表紙のことば

「和魂洋才という言葉があるけどこれからは洋はいらないよね
 あなたから何かこの言葉が浮かんできた…」
昨年の震災からの復興だけでなく明治維新後や第二次大戦後に失ったモノを
取り戻すのだけはなく新たな価値観として創造していくにあたって

倭の魂 精神を以って和の心と文化を再認識して現代に融合させる
この国が日本で在り続けるのにこの『倭魂和才』は指標になると感じます。
これからの日本を新興するのに必要な言の葉がこの本には散りばめられています
ぜひ読まれて見て下さい。
日本に生れてきて良かったと感じられ勇気が湧いてきます
しかし奇跡の浄活水器エリクサーを発明された宮下さんはやっぱり奇才人(宇宙人)です

今ここに在るすべてに
感謝

「京セラ創業期秘話 ~前篇~」

水曜日, 8月 29th, 2012

     稲盛 和夫 (京セラ・日本航空名誉会長)

          『人生と経営』より

└─────────────────────────────────┘

創業して3年目(昭和36年)の5月、
会社は順調に発展していたが、私は自分の考えを
根底から覆されるような事件に遭遇した。

研究者として、自分の開発したファインセラミック技術を
世に問いたいということが、会社設立にあたっての
直接の動機であったが、そのような私の姿勢を
根本的に見直さなければならなくなったのである。

前年春に採用した高卒男子11人が、
血判まで捺した要求書を持って、
私に団交を申し入れてきた。

要求書には、定期昇給やボーナスの保証などの
要求が記さている。

彼らは、その要求書を私に突きつけて、

「会社が将来、どうなるのかわからず、不安でたまらない。
  毎年の昇給とボーナスの保証をしてほしい。
 もし、保証できなければ、
 いつまでもこの会社に勤めるわけにはいかない」

と言う。

私には、とても彼らの要求をのむことはできなかった。
初年度から黒字を出すことができたとは言え、
会社はいまだ手探りの状態で、明日のことなど皆目わからない。
1年先の保証すら請け合えるものではなかった。

しかし、彼らは自分たちの要求が聞き入れられなければ、
全員が辞めると言う。
会社で話し合っても埒(らち)があかないので、
私はその頃住んでいた京都、嵯峨野の市営住宅に
場所を移して話し合いをつづけた。

「先々の給料やボーナスを保証しろというが、
 今日どうやって飯を食おうかと日々悪戦苦闘しているのに、
 そんなことができるわけがないじゃないか。

 君たちを採用するとき、
 『できたばかりの会社で、今は小さいが、
 一緒に頑張って大きくしていこう』と言ったはずだ。

 だから、なんとしても会社を立派にして、
 将来みんなで喜びを分かち合えるような会社にしたいと考え、
 このように毎日頑張って仕事をやっているのじゃないか」

私は、このように彼らに話し、懸命に説得を続けたが、
当時は社会主義的な思想が蔓延し、
労使の対立という枠組みの中でしか、
ものごとを見ない風潮があった。

そのため、経営者はいつも、そんなまやかしを言って、
労働者をだます。やはり、給与や賞与を
保証してもらわなければ安心して働けない」

と、夜が更けても頑として納得しない。
結局、3日3晩ぶっつづけで話し合うことになった。

3日目に私は覚悟を決めて言った。

「約束はできないが、私は必ず君たちのためになるように
 全力を尽くすつもりだ。

 この私の言葉を信じてやってみないか。
 今会社を辞めるという勇気があるなら、
 私を信じる勇気を持ってほしい。
 私はこの会社を会派にするために命をかけて働く。
 もし私が君たちを騙していたら、私は君たちに殺されてもいい」

ここまで言うと、私が命懸けで仕事をし、
本気で語りかけているのがようやくわかったのか、
彼らは要求を取り下げてくれた。

しかし、彼らと別れて一人になったとたん、
私は頭を抱え込んでいた。

(……明日へ続く)