まほろばblog

Archive for 10月, 2011

 「ノンタイタニック経営」

水曜日, 10月 12th, 2011

              
       
            伊藤 謙介 (京セラ相談役)
        
            『致知』2011年11月号
             特集「人生は心一つの置きどころ」より
       http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html#pick2

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(記者:創業期から稲盛名誉会長とともに仕事をしてこられた
    ご体験を踏まえ、経営で大切なことは何だとお考えでしょうか)

会社は、表向きの業績数値だけでは測れない風土、文化、
また理念というものが大事です。

私はそれを踏まえて常々

「ノンタイタニック経営」

ということを話しています。

タイタニックというのは映画でも有名な豪華客船で、
百年くらい前、航海中に氷山にぶつかり
二千名近くもの乗員乗客が亡くなる大惨事となりました。

私はこの事件を経営の教訓にするべく、
次のように自己流に解釈しています。

氷山というのは八割方水面下に沈んでいるものです。

タイタニックの船長は、不意に海上に現れた突起を見て
慌てて舵を切りました。
何とか蹴散らして進もうとしたのですが、
船は真っ二つに大破して沈没しました。

あのタイタニックでもびくともしないほど
巨大な氷山が水面下に潜んでいたわけです。

同様に経営においても、多くの人は水面上の突起、
つまり目に見えるものしか見ていないのです。

会社も表向きの業績数字だけではなく、
水面下に哲学や理念、情熱、思い、夢といったものがあります。
その見えない部分を充実させてこそ
水面上の突起の部分も充実してくる。

それを私はノンタイタニック経営
呼んでいるのです。

京セラが本社を構える京都には
素晴らしい企業がたくさんありますが、
いずれも創業者や、その哲学や理念をしっかり継承した
二代目、三代目が頑張っておられます。

いい企業というのは、創業者の哲学や理念が
社員の中でしっかりと生きているのです。

当社も稲盛の哲学や理念をまとめた
京セラフィロソフィを全社に浸透させることで
大きな成長を遂げてきたのです。

(記者:稲盛名誉会長が日本航空を一年で黒字転換させたところにも、
    フィロソフィの力が見出されます)

私は日本航空についてはよく分かりませんが、
ダメな会社というのは結局幹部がダメなのです。
社員は一所懸命働いていても、
幹部がだらけていたらそれが全体に伝わって、
組織全体が弛緩してしまうものです。

全従業員の意識の集約したものが会社であり、
会社の社格は、創業の哲学をもとに
どういう人格の社員をつくり上げているか、
つまり人格×社員の総数で表されると私は考えます。

ですから経営者は、立派な幹部、立派な社員を
つくり上げていくことが最大の仕事であり、
そこに企業内教育の重要性があるのです。

心に響く言葉  抜粋

火曜日, 10月 11th, 2011

白鵬 翔 (第69代横綱)
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   稽古だからどうとか、
   本場所だからどうということなく、
   一瞬一瞬の心の置きどころが相撲の勝敗を決めるし、
   それが積み重なって相撲人生が決まるわけです。

納谷 幸喜 (第48代横綱・大鵬)
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   相撲は真剣の勝負と一緒です。
   土俵の俵が剣が峰、刃なんです。
   そこから出たら死ぬということですよ。

   特に横綱にある間は、土俵から出たら死ぬんだ
   というくらいの気持ちで取り組んできました。

  
  
  
伊藤 謙介 (京セラ相談役)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   「井の中の蛙大海を知らず」という言葉がありますが、
   これに「されど天の深さを知る」と
   付け加えなければなりません。

   大海を知らなくてもいい。
   自分の持ち場を一所懸命掘り込んでいくことで、
   すべてに通ずる真理に達することができるのです。

  

松下 むめの (松下幸之助夫人)
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   “苦労”と“難儀”とは、私は別のものだと思っています。
   “苦労”とは心のもちようで感ずるものだと思うのです。
   
   ものがない、お金がないというのが苦労だと
   いわれる方がありますが、私はこれは
   “難儀”だと解しています。

   苦労は気分の問題であり、
   難儀とは別のものではないでしょうか。

鎌田 實 (諏訪中央病院名誉院長)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   僕が大事にしてきたフランクル先生の言葉があるんです。
   「可能なら運命を変える。不可能なら運命を引き受ける」。

   何もかも運命だ宿命だと言って済ませてしまっては
   人生はおもしろくない。
   
   やっぱりその運命を変えようと努力することも大事だし、
   時には引き受けるという覚悟が大事ではないか。

「『神聖喜劇』で問うたもの」

月曜日, 10月 10th, 2011

       
       
    大西 巨人 (おおにし・きょじん=作家)

        
          『致知』2011年10月号より

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 万事に関して奥手の私だが、
 こと文字を読むに関しては随分早かったと記憶している。
 
 児童芸術雑誌『赤い鳥』に掲載された
 北原白秋の詩を読んだのが始まりで、
 中には振り仮名のない本も多く、
 私はいくつもの読み得ぬ字句に出合った。

 私の入った中学は幹部候補生の受験資格がある学校で、
 日露戦争で将校を務めた大人たちが教鞭をとっていた。
 
 ある時、教官は学校の生徒全員に、
 日に焼けてくることを夏休みの宿題にした。
 それからというもの、私は毎日のように
 海へ行っては体を焦がした。

 当時私は汽車通学をしていたが、
 いつも隣駅から乗車してくる女学生がいて、
 私はその女性に対し愛情を感じていた。
 
 ところがその夏、彼女が胸を患ってしまったとかの理由で、
 海岸沿いのサナトリウムに入ったという噂を耳にした。

 
 「君が窓の灯火消えて海遠き夜の雲弾く稲妻の青さ」

 これはサナトリウムにいる彼女を思い描きながら詠んだ歌だが、
 この歌のとおり、夏も終わり頃になると晴天が少なくなり、
 せっかく日焼けした私の体も元来色白だったせいか、
 また元通りになってしまった。

 夏休みが終わって学校へ出てみると、
 私をはじめ、日に焼けていない者数名が
 講堂の前に立たせられた。
 
 私はその宿題を怠けたわけではなく、
 むしろ人一倍努力したつもりだった。
 
 しかし教官は我々を指差して
 「こんな白い奴らはろくな者にはならん」と言う。

 ちょうどその頃、私が影響を受けた作家に有島武郎がおり、
 「現代日本文学全集」所収の『或る女』や
 『惜しみなく愛は奪ふ』などの小説を好んで読んだ。

 そしてその全集に掲出されていた織田正信の

「『永遠の叛逆者』の前奏曲は奏ではじめられた。
 その途を阻むものは、焼きつくされるであらう。
 生命まで燃焼しつくして――何処へ行く。
 獨り行く者の跡を追ふものは誰か」

 
 の一文が私の心を激しく刺した。

 当時の私は「獨り行く者の跡を追ふものは、この俺だ」と
 心中ひそかに思った。
 
 そのようなことが相まって、胸の中には
 徐々に反軍国的な気持ちが募っていったのである。

 しかし、だからと言って私は軍隊に行くことを
 拒否したわけでは決してない。
 徴兵検査を受けるに当たり、多量の醤油を飲んで熱を出すだの、
 有力者が軍医に工作し、甲種を乙種にしてもらった云々
 という話もよく耳にしたが、私はそういう考えには甚だ否定的で、
 恥ずべきことであると感じていた。

 そんなやり口で徴兵そのものを忌避する姿勢は、
 消極的反戦ではなく保身というものである。
 
 もし反戦的な態度を示すのであれば、
 軍隊へ行くという運命をまず受け入れて、
 その中で反戦的な思想を遂行すべきではないか
 という考えだった。

 結局、私はこの三年九か月に及ぶ軍隊生活をもとに、
 昭和三十年から『神聖喜劇』の執筆に取り組むことになった。
 私が三十六歳の頃である。
 
 当初はそこまでの長編になるとは思ってもみなかったが、
 四百字詰め原稿用紙にして四千七百枚。
 
 完成までに費やした歳月は実に二十五年にも及び、
 評論家からは日本の戦後文学を代表する作品の一つ、
 との評価も数多くいただいた。

 『神聖喜劇』では、あの軍隊生活で味わった理不尽さとともに、
 それらのものに、意志と能力の限りを尽くして戦っていこうとする
 人間の姿を描き出そうと試みた。
 
 だがこの間、生活費を工面するには相当難儀し、
 妻子には随分と迷惑を掛けてしまった。

 配属年数にかかわらず、軍隊生活は二度と
 思い出したくないという戦友も少なからずいる。
 
 しかし、自分にとってあの経験は、
 非常に有益なものであったと感じている。
 
 人生にはどのような否定的、絶望的な状況の中からも、
 そこに何かしらプラスになるものを汲み取ってくる
 という姿勢が大切なのではなかろうか。

 世の中の見方はどうあろうとも、
 そんなことに捉われず自分の信じた道を行く。
 懸命に前進するという構えを私は崩したことがなかった。

 葛飾北斎は
 「七十五歳までの自分の仕事は習作である」と述べ、
 私自身も人間はそのようにあらねばならないと
 自らに言い聞かせてきた。

 私は普段、色紙や揮毫を頼まれても滅多に書くことはないが、
 十五年ほど前の正月に、ふと次の言葉を認めたことがある。

「此心、あながちに切なるもの、とげずと云(いう)ことなき也」。

 『正法眼蔵随聞記』にある道元禅師の言である。

 自分がこれをやるのだと強く思い込んでいさえすれば、
 いつか必ずその思いは遂げられるということである。

 私はいま齢九十二を迎えたが、長男の赤人が
 運営するホームページで、新作の発表なども行っている。
 
 いくつになろうとも、
 「老いてはますます盛んなるべし」の気概で
 これからも前進をしていきたい。

「生と死に向き合い “いま、ここ”を生きる」

月曜日, 10月 10th, 2011

 
       
       
   西原 由記子 (自殺防止センター東京前所長)

            『致知』2005年9月号より

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 私が電話による自殺相談のボランティアを始めたのは、
 いまから約三十年ほど前、一人の青年の死がきっかけでした。

 クリスチャンの私は当時、牧師の夫と一緒に
 大阪の教会で働いていました。
 そこに四、五年ほど出入りしていた青年が、
 「今度の日曜日、行けませんけどもよろしく」と
 私に電話をかけたのを最後に自殺してしまったのです。
 
 それを聞いた瞬間は、
 ショックのあまり血液がカーッと凝固し、
 体が硬直したようになり、
 どうして気がついてあげられなかったのだろうと
 自分を責めもしました。
 
 後に彼の母親から、躁鬱病で以前にも
 自殺未遂をしていたことを聞き、
 
 
 「私は彼について何も知らなかった。
   知らないということは無責任であり、
   愛がないのと等しい」
  
 
 と考えさせられたのです。
 
 この青年を救えなかったことに対する
 自責の念を持つだけではなく、
 二度と同じことが起こらないように、
 自殺のサインに気がつき、
 事前に防がなければいけないと思いました。
 
 
 そこで一九七八年に大阪に「自殺防止センター」を創設、
 九八年に年間自殺者が三万人を超えた
 ちょうどその年に東京にも支部を設立し、
 活動を開始しました。
 
 現在、東京支部では約五十名のボランティアが
 ローテーションを組み、二十時から翌朝六時まで
 年中無休で電話による自殺相談を受けつけています。
 
 相談件数は一日約三十件ほどで、
 二台の電話は鳴り止むことがありません。
 
 必要に応じて面接による相談や、
 緊急出動による救援活動にもあたっています。
 
 総じて自殺志願者は人に悩みを相談できずに、
 孤立無援状態で、生きている意味を
 感じられなくなっている場合が多いのです。
 
 だから私たちは一所懸命エネルギーを傾けて相手の話を聴き、
 相手の境遇に共感することを大事にします。
 聴くということが、彼らにとって大きな精神的支えになるのです。
 
 
 ある時、「もう電話が終わったら死にます」
 という男性がいました。
 
 彼は仕事で正当に評価されず、
 人を信用できなくなっていました。
 
 そこで「死んではいけない」と言うのではなく、
 私は彼の話をただ無条件、無批判で一所懸命聴きました。
 
 一通り聴き終えると、
 
 
 「あなたの話を伺いながら、
   私は心臓をわし掴みにされた思いです」
  
 
 と感じたままを話したのです。
 
 すると彼は心を開き、奥様にさえ言えない、
 真の心の叫びを話してくれました。
 
 そこで私はハッと気がつき、
 
 
 「人が信頼できないとおっしゃりながら、
  顔も見えない、どこの誰かも分からない相手に向かって、
  あなたは真実をおっしゃってくれましたね。
  
  私というものを信頼して話してくださったのですね」
  
  
 と言いました。

 すると彼もハッとし、
 
 
 「僕はもう人は絶対信じきれないと思っていたのですが、
  いまあなたに話を聴いてもらううちに、
  まだ人を信じたいという気持ちが
  残っていたことに気がつきました。
  もう一度やり直してみます」
  
  
 と言って電話が切れたのです。

 こちらが親身になって話を聴くことで、
 相手は命を絶つのを止め、
 またやり直そうと考えてくれました。
 
 私は嬉しさのあまり興奮し、
 次の交代の人が来るとすぐに、
 「聞いて! 聞いて!」といまの出来事を話しました。
 
 一本の電話にずしりと重いものを感じたのです。

 電話の相手に対して「あなたにも非がある」と、
 批判や欠点はいくらでも言えます。
 
 しかし私はこの活動を進めるうちに、
 どんな人に対しても常にポジティブになれる自分を
 育てようと決めました。

 それは自分自身に対しても同じです。
 
 例えば「きょうはよく頑張ったね」と誉めてあげる。
 要するに自分を大事にすることです。
 電話の相手に対してもよく
 「自分を大事にしてくださいね」と言います。

 しかしほとんどの人がどう自分を大事にしていいか分からず、
 周りに一所懸命気を使ってくたくたになっています。
 
 人間関係はまず自分を基本に考えること。
 他人と違いがあっても、無理に合わせるのではなく、
 その違いを楽しむ柔軟性が必要であると思うのです。
 
 世界には一人として自分と同じ人間はいません。
 だからこそ自分の長所も短所も素直に認めて、
 自分らしさを大事にしてもらいたいと思います。

 時には、相談に乗った方が自殺してしまうこともあります。
 けれど死んだという事実を受け止め、
 その人の決断を尊重してあげなければいけないと思っています。
 
 最後に生死を決めるのは、その人自身なのです。

 しかし私はその前に一所懸命相手の話を聴きます。
 
 いま、ここで自分にできる精一杯のことをするのです。
 だからこそ相談を終え、受話器を下ろした後、
 
 
 「神様、私はいま一所懸命、この人に関わりました。
  この人の話を聴きました。後はどうぞおまかせします」
  
  
 と祈る思いになるのです。
 
 生と死は裏返しであり、死と常に向き合うということは、
 きょうをどう生きるかに繋がります。
 
 
 「いま、ここ」を大切に、電話越しに
 どう生きた会話ができるか。
 それが私の最も大事にすることです。

 自殺者が増加する昨今において、多くの人々に、
 いま、ここに生きていることの大切さ、
 自分自身の大切さを分かってもらえればと願っています。

「人生はあなたに絶望していない」

土曜日, 10月 8th, 2011

       
       
       
            永田 勝太郎 (財団法人 国際全人医療研究所理事長)
        
              『致知』2011年11月号
               特集「人生は心一つの置きどころ」より
       http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html#pick3

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これは十三年前のことですが、ある時大病を患って、
突然歩けなくなってしまったんです。

何だろうと思っているうちに立つことも
できなくなって寝たきりになり、
ベッドのそばにあるトイレにすら
自分の力では行くことができなくなりました。

薬の副作用のため、末梢から筋肉が萎縮し、
力が抜けていくという病気でした。

そういう状況の中で、頭の中では何を考えていたかというと、
人間は死を受容できるのかということでした。

自分がまもなく確実に死ぬと思っていましたから、
毎日毎日天井を見ながらそのことばかりを考え続けました。

ただその時に、あの世はあるかということは思わなかった。
自分がもし万が一生きられたらって、いつも思っていましたね。

つまり、死んだらどうなるかということよりも、
生き延びることができたら、自分の人生を
何に使おうかと考えたわけです。

だから僕も楽観的だったと思うんですが、
散々悶々と考えた挙げ句に出た結論は、
俺は死を受容できないということでした。

受け入れられないから、もし死んだら化けて出るだろうと(笑)。
だったら生きるしかないだろうと思うようになったんですね。

ところが病状は日に日に悪化し、
ペン一本すら重たくて持てない。

眠るたびに酷い悪夢に襲われ、全身汗だくになって目が覚める。

僕が倒れたのはフランクル先生が亡くなった
翌年の一九九八年だったんですが、
僕はとうとう彼の奥さんにこんな手紙を書きました。

「エリーさん、さようなら。
 僕はいま死ぬような大病を患っているんだ。

 もう二度とウィーンの街を歩き回ることもないだろう。
 これから先生の元へ行きますよ」。

 そしたらエリーさん、慌てて返事をくれましてね。
 
 
 「あなたがそんな病気でいるなんて、とても信じられない。
 
  私は医者ではないから、
  あなたに何もしてあげることはできない。
 
  けれども生前、ヴィクトールが
  私にいつも言っていた言葉をあなたに贈ろう」。

この言葉が僕を蘇らせてくれたんですね。
 

 「人間誰しもアウシュビッツ(苦悩)を持っている。

  しかしあなたが人生に絶望しても、

  人生はあなたに絶望していない。

  
  あなたを待っている誰かや何かがある限り、

  あなたは生き延びることができるし、自己実現できる」。

この手紙を僕は何百回も読み返しました。
そうして考えたのは、いまの自分にとっての生きる意味とは
何だろうということでした。

そして考え続けた結果、
「あなたを待っている誰かや何か」の焦点は
私にとっては医学教育であり、
生きる意味は探せばちゃんとあるのだと感じたんです。

それから私はよし、と気合いを入れ直してリハビリに専心し、
毎日鍼治療も受けました。

さらに漢方薬や温泉療法なども行って、
二年後には奇跡的に職場復帰まで果たすことができたんです。

(エリーさんの)あの言葉がなかったら
僕はいまここにいませんよ。

医療もまさに心一つの置きどころで、
患者の側が自ら治ろうという気概を持たなければ
何も起こらない。

僕はこれを傘に例えているんですが、
傘には布と芯の部分がある。
布の部分は医療者や家族であり、
芯の部分が患者さん本人ですよ。

これがなければ、傘の用をなさないですよね。
僕はこれをアンブレラ理論と呼んでいますが、
治療には絶対に必要なものと考えています。

楽市楽座、今日!

金曜日, 10月 7th, 2011

今日から10月の感謝デー!!!

割引商品、盛り沢山で、もう紹介しきれません。

兎に角、急いで駆けつけてください!!!

今日本店では、函館のNーハーベストさんが店内でハーブやティーを

説明販売されています。

特に、絶妙なチャイが美味しくて、皆様買われて行きます。

フンザティーは出色ですね。

ティーと蜂蜜が大地のエネルギーを感じますね。

森下敬一自然医学会長が世界長寿郷に認定した同じフンザ。

そこに住まう100歳を悠に越えたおばあちゃん。

その若々しく美しい事。驚きました。

 「当然の限度の高い社員。青天井型社員」

木曜日, 10月 6th, 2011

             
       
            長谷川 常雄 (キューサイ社長)

        
            『致知』1997年5月号
             特集「リーダーシップの本質」より
            

                      ※肩書きは掲載当時です。

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(長谷川社長は十数年で青汁を年商131憶円<末端ベース>の事業に
 育てられたわけですが、そのエネルギーの源泉はどこにあるのですか)
 

これもまた難しい質問ですね(笑)。
先程いったように、私は仕事にのめり込む人間なんです。

でないといい仕事ができないと思っている。
経営計画書にも、切望する社員の人間像として
そう明記しています。

第一は、仕事に対して、こうしたいああしたいという
強い「念」を持っている人

第二に、その仕事を成し遂げる「パワー」のある人

第三に、その仕事に「のめり込む」人

この他に何項目かあるのですが、例えば、

「当然の限度の高い社員。青天井型社員」

というのがある。

たとえば、ソフトバンクという会社は
翌日決算のできる会社です。
普通は翌月に月次決算が出ない会社がいくらでもある。

そんな会社で翌日決算を出せといっても、
そんなことは無理ですとなる。

しかし、社長の私はいろんな会社を見てますから、
そんなことは「当然できる」という。

それが「当然の限度が高い」ということです。
その限度は上層部の人間ほど高くなっていくもので、
社長が一番高い。

社員にも「当然の限度」を高くしていってもらいたい。
そして最後には、何でもできるという
「青天井型の社員」になってもらいたい。

       * *

そしてもう一つ私のエネルギーの元といえば、
くよくよしないことです

中村天風(てんぷう)先生の本にこういうのがあります。

虎に追いかけられて木に登ったら、
木の上から大蛇が出てきた。

枝に逃げたら、ポキッと枝が折れた。
下は断崖絶壁。

蔓に飛び移ると、ポリポリと音がする。
見上げるとリスが蔓を噛んでいる。

「さあ、どうする」と聞かれた天風先生は何と答えたか。
先生は「落ちてから考える」 (笑)とおっしゃったそうです。

私も「落ちてから考える」タイプの人間なんです。
頭には「いま、ここ」しかない。

過去の過ちも功績も
「そりゃそうだろう。それでよかったし、当然なんだ」と認め、
受け入れ、悲観せず、有頂天にもならない

また、将来のことは、戦略や予測は真剣に考えるが、
思い煩うことはしない。

過去も未来も、
煩いをスッパリ切り捨て、いま、ここに集中する。
これを前後際断(ぜんごさいだん)というそうです。

「『銀の匙』を使った伝説の授業」

水曜日, 10月 5th, 2011

       
       
            橋本 武 (灘中学・高校元教師)
        
            『致知』2011年11月号
             連載「生涯現役」より
       http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html#pick8

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(記者:『銀の匙』一冊を教材にするというユニークな
      授業を始めようと思われたのはなぜですか?)
  
  
あの本はしばらく課題図書にしていたんですが、
自分が生徒だった頃を振り返ってみると、
先生に対する親しみはあっても
どんな教材でどんな授業だったか、
思い出そうとしても浮かんでこない。

自分が苦労して教えていることも、
卒業すれば皆消えてしまうんだなぁと思うと、
その空しさに耐えられなくなった。

何か、生涯頭に残るような教材で授業をしたい。

そう思った時に思い出したのが
『塙団右衛門直之』ですよ。
(※編集部注:橋本氏が小学生の時の担任教師は、
  授業中にこれらの講談本を読み聞かせていた)

一つの物語を取り扱えばいいんだと。

まさか講談本を教科書にはできないから、
何がいいかと思った時に浮かんだのが『銀の匙』でした。

これは夏目漱石の推奨を受け、長さも教材として扱いやすい。
それと、ひ弱な子供が立派な青年に育っていく過程が
描かれているから、生徒が作中人物と自分とを
重ね合わせて見ていくことができる。

ただし、一つの作品だけにこだわっていると知識が偏ります。
生徒の知識を広げるためにはどうすればいいか。

まず考えたのは、横道に逸れるということ、
これはもうはっきりと意識してやっていました。

例えば主人公が駄菓子を食べれば、買い集めて試食する。
凧揚げやカルタ取りも実際にやると。

それから授業は普通、教師が自分で教材を
調べていった結果を生徒に注入していくものです。

例えば
「ここの章には何も題がついていないが、
  つけるとすればこんなものがいいだろう」
というふうに教師が自分の考えを伝える。

でもそうではなく、自分が考えたことを
生徒にも考えさせたらいいと。

そうすれば、自分が作者になったようなつもりで
読むことができるでしょう。

言葉の意味でも、先生の言ったとおりに
書かなければならないことはない。

自分がその言葉をどう説明すればよいか、
思うように書きなさい。
書けなかったら、辞書を引いたり、人に聞いたりすればいい。

要するに「遊び」の感覚ですよ
人が遊んでるのを見ているだけじゃおもしろくない。
自分も一緒に仲間になって遊びに加わらせる。
だからこの前の講座でも遊ぶ感覚で学ぶ
ということをやったんです。

水野さんが本を出されました

火曜日, 10月 4th, 2011

まほろばにも来店されましたオーガニック検査員の水野葉子さんが、本を出されました。

http://www.mahoroba-jp.net/blog/2008/09/post_355.html

http://www.mahoroba-jp.net/blog/2009/09/post_543.html

http://www.mahoroba-jp.net/blog/2009/09/

また、オーガニック検査員の養成講座も開かれます。

ご興味のある方、是非ご参加ください。

とても興味深いものがあります。

 

「麹の力」販売!!

火曜日, 10月 4th, 2011

まほろばオリジナル麹 『麹の力』 が今朝から販売されました。

札幌の100年企業「中山酢」さんで作って頂きました。

近くに、こんな素晴らしい麹屋さん、お酢屋さんがあって有難いですね。

「へうげ味噌」にも使った仁木の金子さんの有機栽培の『ゆきひかり』を醸成させました。

上川農試の菊池元場長に聞きますと、麹にするには最適の品種だそうです。

水は、むろんエリクサー水です。

1袋、200gで¥298(税込み)です。

これから、漬物時期に突入ですね。

それと、今大ブームの『塩麹』、大いにご活用くださいませ。