まほろばblog

Archive for 10月 28th, 2011

如皋、第6番目「世界長寿郷」に認定!

金曜日, 10月 28th, 2011

10月26「如皋市が、6番目の『世界長寿郷』に認定!」との

報道が世界に配信された。

9月に同行した「森下世界長寿郷調査団」の探査の結果、

あの北京人民大会堂において、授与式が行われ、

森下敬一自然医学会会長が認定書を如皋首長に手渡した。

その報告は来月15日に発刊される『森下自然医学』に詳しい。

私も連載に今日投稿し、一部その顛末を述べた。

WHO(世界保健機構)の認定より、森下認定を重しとする中国

これを以て、日中友好の相互理解が深まることを、祈りたい。

http://japanese.cri.cn/1061/2011/10/27/161s182066.htm#comment

http://leaders.people.com.cn/GB/70158/80046/16022518.html

コルマン・インデックス 28日、世の終わりか!?

金曜日, 10月 28th, 2011

「2011年10月28日、マヤ暦終了!」。

コルマン・インデックスでは、以前からこの日が「人類の意識進化が完成する日」とされているらしい。

とすれば、今日であり、日本時間では明日となるのか?

どうも、私見ではそれらしい感じはないのだが。

またもや、思い出すのが1999年の世の終わり、2000年問題だ。

コルマン博士によれば、「意識の共鳴により、人類が統合され、一種のグローバルブレインが形成される」のだという。

エゴが強い今までの人類の時代は終わり、新しい人類の世界が始まるという。

しかし、それはまだまだ遠い先のように思うのだが。

故岡潔博士に依れば、およそ人類が仏陀のように覚醒するには、

単細胞から現人類の進化の2倍はかかるという数学的計算で予測された。

それだと、その見解は夢物語のような話しで、到底人類はまだまだのように感じるは私一人ではあるまい。

世界各地で起こっている闘争を見て、暗澹たる絶望的様相に、

人類の先は遠い、されど今の一歩しかない、と思うしかないのではないか。

気の遠くなるような歴史の果てに、夢の世界が開かれるのだろう。

ただそれが、長いと感じるか短いと感ずるかは、それぞれであろう。

億万年も、弾指の間であるから、そこには時間がない。

まあ、今年や来年のものではない事は確かだ。

虚言に惑わされず、今を生きるしかない。

「日本人を見習いたい」 

金曜日, 10月 28th, 2011

被災者らが助け合い 略奪も発生せず

2011.10.26 09:55 [中東・アフリカ
25日、トルコ東部エルジシュで「日本人を見習いたい」と話すイザット・アカーンさん(共同)
(25日、トルコ東部エルジシュで「日本人を見習いたい」と話すイザット・アカーンさん(共同))

多数の死傷者を出したトルコ東部の地震被災地では避難生活を送る人々がお互いに助け合い、

落ち着いた行動を呼び掛け合っている。

「日本人を見習いたい」。

東日本大震災で注目された日本人の忍耐強さ、秩序を守る姿勢が教訓となっている。

 多くの建物が倒壊、損壊するなど大きな被害が出たエルジシュ。

千人を超す被災者がテント生活を送る競技場では、食料配給を求める人々が整然と列をつくっていた。

割り込む人はおらず、妊婦に先を譲る姿も。

物資が不足しているとされる被災地のワンでも商店で略奪などは発生していない。

 「昨晩、みんなで震災後の日本人の姿勢を見習わなければいけないと話していたんだ」。

25日午後、エルジシュの競技場で、一家7人でテント生活を強いられている被災者の一人、

イザット・アカーンさん(46)が打ち明けた。(共同)

『安岡正篤 活学百言』から

金曜日, 10月 28th, 2011

    
「どんなに仕事ができても、手柄があっても、それ故に地位を与え、
 禄を与えて人を支配させてはいけない人がある。
 又これといって仕事のできないでも、その地位にその人を据えておれば、
 自然に治まる人がある。
 これを使い分けることが東洋政治哲学の人事行政の根本問題である。
 これが賞禄有功(しょうろくゆうこう)である」

「人間の言葉で案外確かなものは酔中の言だといわれる。
 酔えば理性が麻痺(まひ)するために本当のことをいう。
 しかしそれでは余りに真実で生々しいから、
 約束で酔中の言はとりあげぬことにした。
 古人の粋(いき)なはからいではあるが、
 この酔態の中によくその人物を観ることができるものだ」

「賞禄有効」や「酔中の言」――。
これら日常の行動指針となる100の言葉が収められています。

また、

「『一燈照隅』とは、おのおのが、それぞれ一燈となって、
 一隅を照らす、則ち自分が存在するその片隅を照らすこと。
 (中略)
 聞くだけなら愉快だが、つまらない人間も
 「世界のため、人類のため」などと言います。
 あれは寝言と変わらない。寝言よりももっと悪い。
 なにも内容がない。
 自分自身のためにも、なんて大口きけるか。
 それよりも自分がおるその場を照らす。
 これは絶対に必要なことで、またできることだ。
 真実なことだ。片隅を照らす!
 この一燈が万燈になると、「万燈遍照」になる」
 

といった大局的な物の見方・考え方も説かれ、奥深い内容となっています。

    *     * 

編著者である安岡正泰氏は安岡師のご子息です。
本書では、ご家族だからこそ語れる貴重なエピソードとして
安岡師が戦犯に指名されかかった時の
家庭での鬼気迫る様子も「序」で描かれます。

選び抜かれた100の言葉をコンパクトにまとめた本書は
身近に置いておける座右の書、心の糧の書として、おすすめです。

 「先人たちの筆相が物語るもの」

金曜日, 10月 28th, 2011

        
       
  森岡 恒舟 (筆相研究の第一人者)
        
   『致知』2011年9月号
      ※肩書きは掲載当時です。

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その人の深層心理は、その人の書く字に表れ、
その人の字を見れば、その人の深層心理が分かります。
そして、その人の字を書く時の習慣、
つまり深層心理の習慣は、他の行動にも顔をのぞかせるのです。

       (中略)

源義経の字を見てみると、非常に個性的で、
まず左払いが大変長く突出しています。
http://ameblo.jp/otegami-fan/day-20110812.html

普通であれば深層心理が働いて一定の長さで
ストップさせるところを、
さらに突き抜けて伸ばすというのは、
人並みを超えて目立つわけですが、それで平気だということ、
目立つことが好きだということです。

実際に義経は、五条大橋で弁慶と大立ち回りをやったり、
鵯越の逆落としをやったり、
ことごとく世間の耳目を集める派手な行動をとっています。

深層心理としてそういうことを躊躇せず
やっていける人だったのです。

ただその一方で、義経の字はいずれも
右側へ転びそうなものが多いことも注目に値します。

こういう字を平気で書くところに、
あまり安定した状態を好まない深層心理が表れています。
むしろ転びそうな不安定な状態を自ら求めていたり、
転びそうになってもスイスイ乗り切って
そのことに気持ちよさを感じたりする傾向が見て取れます。

それが人間関係にも影響し、
頼朝との関係に破綻をきたしたとも考えられるのです。

        * *

突出するという点では、明智光秀の縦線下部の
引き延ばし具合も尋常ではなく、
これほど長い書き方は歴史上でも希です。

彼がもし枠の中に収まる程度の文字しか書かない人物であれば、
本能寺の変などという大それた事件は起こさなかったでしょう。
信長の逆鱗に触れてもひたすら謝り、
左遷先で堪え忍んで一生を終えたと思うのです。

        * *

吉田松陰の筆跡には非常に行動力が感じられます。
そして右上がりの度合いが強いところから、
保守的で柔軟性に欠けるところがあり、妥協を嫌います。
http://ameblo.jp/otegami-fan/day-20110812.html
(※2つ目の画像をご覧ください)

そうした深層心理が、黒船に乗り込もうというような思い切った行動や、
己の信念を貫き、最後は斬首されるという結末を暗示しています。
かつて学生運動が盛んな頃、大学の構内に掲示されていた看板に、
松陰に似た筆跡がよく見受けられたものです。

        * *

東郷平八郎の筆跡は、偏と旁がグッと密着しています。
これは包容力があって多くの人を束ねるトップリーダーというより、
人の意見に左右されず、自分の信念を貫くタイプです。
http://ameblo.jp/otegami-fan/day-20110812.html
(※3つ目の画像をご覧ください)

中国では偏と旁の間を気宇、心の広さを表す空間と捉え、
なるべく間隔を広くとって書くのがよいとされています。

一方で技術者は偏と旁の間を狭く書く傾向があります。
寿司職人などは客の言いなりになっていたのでは
うまい寿司は握れません。

「俺の握りが嫌なら、よそへ行ってくれ」とばかりに
自分のやり方にこだわり、それを通すタイプは
偏と旁の間は広く書けないのです。

東郷の筆跡にもそういうところが見て取れ、
実際、寡黙でいろんな意見を取り入れてという
タイプではなかったようです。

彼がもし偏と旁の間を広く書くような人であったら、
バルチック艦隊が近づいているという情報が入ったら、
心の中にはこうすべきだ、ああすべきだと、
いろんな人の意見が入り込んで千々に乱れていたでしょう。

東郷はやはり周りの雑音を受け付けず、
こうだと決めたことを徹底する前線指揮官のタイプであり、
だからこそ最強のバルチック艦隊を撃破し、
日本を勝利へ導くことができたのだと思います。

        * *

最後に、経営者を一人だけ見てみましょう。

「経営の神様」と謳われ、経営者に限らず
様々な人にいまもなお多大な影響を与え続ける松下幸之助。
その筆跡は、小ぢんまりとまとめずにグッと大きく広げて書くのが特徴で、
心の内からほとばしり出るものが伝わってきます。
http://ameblo.jp/otegami-fan/day-20110812.html
(※4つ目の画像をご覧ください)

これは豊臣秀吉の書き方によく似ており
私は太閤相と呼んでいます。

また「助」という字の最終画が点になっていることから、
普通の人が考えつかないことを考え出す
アイデアマンであったことが窺えます。

さらに、縦線の上部への突き出しはそれほど際立っておらず、
包容力豊かなリーダーというより信念を持った技術者タイプです。

実際、細かいことに非常に厳しい人だったという話も聞いていますが、
それでも多くの人がついていったのは、
やはり太閤相にも表れているような人間的魅力があったからでしょう。

……………………………………………………………………
筆相を変えることによって、自分自身の運命をも
高めていくことができると言われる森岡氏。

『致知』9月号では、そのほか、聖徳太子や西郷隆盛、
大久保利通などの筆相についても解説いただきました。
ぜひご一読ください。