まほろばblog

Archive for 9月, 2013

いざ!市場へ

金曜日, 9月 6th, 2013

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「富士古文書」開陳

金曜日, 9月 6th, 2013

 

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先週25日に、富士吉田市大明見の宮下本家にて、

先代当主逝去以来、初の開陳の天縁に預かった。

森下敬一自然医学会会長と増川いづみ博士と共に間近に

見る古文書の圧倒的な量感に息を呑んだ。

 

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翌日の鼎談は、増川博士の小淵沢の旧邸にて。

また528Hzによる精妙にして深遠なるヒーリングを受けた。

詳しくは、国際自然医学誌の後号を。

 

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「砂時計の詩」

金曜日, 9月 6th, 2013
 山本 富士子(女優) 

              『致知』2013年10月号
               特集「一言よく人を生かす」より

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私は亡くなった主人と
毎年バースデーカードを贈り合っていたんですけれども、
主人は必ずそこに素敵な言葉を記してくれたんですね。

その一つが砂時計の話だったんです。

『産経新聞』の一面に、
「朝の詩」という一般読者の方が投稿する欄があって、
主人はそこへ投稿された「この秋」という詩に
大変感銘を受けて、「砂時計の詩」と題して
バースデーカードに引用し贈ってくれたんです。

       砂時計の詩

 一トンの砂が、時を刻む砂時計があるそうです。

 その砂が、音もなく巨大な容器に積もっていくさまを見ていると

 時は過ぎ去るものではなく

 心のうちに からだのうちに積りゆくもの

 と、いうことを、実感させられるそうです。

 時は過ぎ去るものではなく

 心のうちに からだのうちに積りゆくもの

私はこの言葉に出合うまでは、
時は過ぎ去るものと考えていました。

こうして牛尾さんとお話ししている時も
もちろん刻々と過ぎていきます。

だからこそこの一瞬一瞬を大切に、
一日一日を大切に、いい刻を
自分の心や体の中に積もらせていくことが大事で、
それがやがて豊かな心やいい人生を紡いでいってくれる。

そう受けとめて、一日一日を精いっぱい生きる、
きょう一日を精いっぱい生きることの大切さを
改めて実感させられました。

とても感動したものですから小さな紙に書いて、
お財布に入れていつも持ち歩いているんです。

※島根県の仁摩サンドミュージアムに設置されている
 一トンの砂時計。ちょうど一年の時を刻むそうですが、
 なぜこのような砂時計がつくられたのでしょうか?

農園ボランティア・杉村さんからのおたより

金曜日, 9月 6th, 2013

杉村さま

 

前略

先日は農業研修において、御多忙中にもかかわらず、

懇切丁寧な御指導を頂き、誠にありがとうございました。

 

「札幌最後の秘境」と、どなたかが言っておられた

小別沢での研修及び八軒での下宿生活は、一生忘れられないと思います。

 

トマトやキュウリの収穫、草刈、堆肥播き等、

作業は大変でしたが楽しい経験をさせて頂きました。

少しでも勉強になるように専務や農場長が気遣いをしてくれたのが、

うれしかったです。

 

研修最後日の握手は忘れません。

御土産に頂いた野菜はほとんど生でかじりました。

今後は、「まほろば自然農園に」として、

何か役立つ情報や研究があればご協力させて頂きます。

 

末筆ながら、まほろばの益々のご発展を心よりお祈り申上げます。

宮下専務、福田農場長、武藤さん、池田さん、本当にありがとうございました。

 

草々

杉村 浩昌

平成25年9月3日

 

浪花昆布「佃真」さん

木曜日, 9月 5th, 2013

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神戸の「浪花昆布『佃真』」さんの小濱社長が、水産新聞社の永原社長と共に

わざわざ本店にお越しになられました。

三代に亘って、昆布の佃煮屋さんとして家業を引き継いでおられます。

北前船で関西方面に運ばれた昆布は、当時から道外消費量が道内に比較して圧倒的でした。

当然、昆布加工は、ほとんどが京都大阪の京阪神方面に集中しています。

原産地での加工屋さんが極端に少ないのは、明太子と同じですね。

それと、香り高い文化圏で育てられた昆布の食文化も、品質が高く、

製造法も精緻を極めて、他の追従を許しません。

その厳しい業界で生き残った浪花昆布さん。

ほとんどが函館・尾札部の真昆布のみで加工しています。

今年は、殊のほか、昆布の生育が悪く、これは全道的傾向で、利尻は壊滅的だそうです。

先回、お知らせした歯舞の棹前昆布は10数回の出漁を、たった1回で終了したと言います。

サンマ、さば、さけなどの漁獲量も軒並み低迷して、サンマは7割減というからビックリです。

やはり、2,3℃高い海水温は異常で、この温暖化のあおりを昆布も食っている訳です。

元の海に還るのを願って止みません。

 

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「ちりめん山椒」   80g ¥680

「鰹しぐれ」     80g ¥410

「かみかみこんぶ」  20g ¥280

 

ポチポチ黒餅とうきび

木曜日, 9月 5th, 2013

3,4年前、道新に黒餅とうきびのことが出ると、

早朝から閉店まで電話が鳴り止まなかった。

これほどの反響は、後にも先にもなかった。

 

黒餅とうきび

 

ところが、今年は更新種を隣の我満さん

(盤渓スキー場や周辺の開拓者)に、その畑で作ってもらっています。

今、毎朝出荷で採れ採れとうきびが店頭に並んでいます。

片や、黄色のピーターコンを作っていますが、

何とその中に、黒粒がポチポチ混ざっているではないか。

そして、味わいが、モチモチの食感。

これは、今までにない味わいで、みな感動します。

自然は、このようにダイナミックに変貌を遂げて、

刻々として同じ時がない、同じ物がない。

だから素晴らしい!

ところが、それぞれに違うと、扱いが難しい。

それで、製品の統一規格が始まった。

それが、農産物にも及び、その品質サイズの色分けは、

日本は異常に、細かく厳しい。

これは世界の非常識で、およそ戦前戦後すぐの市場にはなかった。

これからは「みんな違って、みんな良い」時代で、

黄とうきびに、少々黒ポッチが入っていても、苦情は言わないでくださいね。

大いに楽しんで、自然の醍醐味をいささかなりとも、味わってください。

 

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この黒餅とうきびに感動した歌手のある方。

昭和の懐かしい歯応えと味わいに、万歳です!

 

9月感謝デー!

水曜日, 9月 4th, 2013

9月の感謝デーが6日から始まります。

特価!目玉!が目白押しでみな安過ぎます。

「自然食品が、もっと庶民の手に」をスローガンに頑張っています。

30、40、50、70%offといった物までの品揃い。

ことに、これから本格的販売になる寿都のカネキさんの

無添加水産加工品を一挙に20%引きにして

ご試食価格としています。

一度ご賞味くださいませ。

 

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イヴェントは

レモンマートル、サラダマスター鍋、レモンマートル、

ジャラハニー、OGスパイス&ティー各社がいらしてくださいます。

また、厚別店では「うさと展」が開かれます。

懐かしい寺島さん

水曜日, 9月 4th, 2013

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先日、栗山町日の出の寺島正晴さんのお母さんが一月前に

亡くなられたことを知らされ、今朝お参りに出かけた。

このところ降り続く雨の中、懐かしい寺島さんの家に着いた。

毎年、あの美味しいお米を戴いて、ファンの方も多い。

10年以上も、訪問していなかったかもしれない。

思い起こせば、寺島さんとの出会いが、最初の農家さんとの出会いだった。

もう30年も前、市場でことのほか美味しいトマトに感動!したのだった。

0リングでもバッチリ、早速電話で栽培法を聞き出し、即農園に向かった。

その取れる何もかもが美味しくて安全なので、そこから交流が始まった。

初期からのお客様は、懐かしく思われるに違いない。

あの黄玉のスイカの美味しいこと、ジャガイモの旨いこと、

山のように仕入れて、みなさんに歓んで頂いたものだった。

あれから30年も経って、お互いに年取ったけど心は同じだった。

まほろばの原点はココだったなー、と思いにふけた今日であった。

あと10日も過ぎると、稲刈りが始まるという。

もう一度、行ってみたい、寺島さん夫妻であった。

 

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寺島さんの「北里」カボチャ、仕入れて来ました。

●昨年デビューした新品種の「北里(ほくり)」

昨年の新品種「北里」。黒皮で、果肉は濃黄色で加熱するとオレンジ色に近くなるもので、肉質は粉質でホクホクして甘みの強いカボチャです。「最近はホクホクしたカボチャが流行りですが『喉に詰まるから』と言って敬遠する人もいます。北里は肉質の硬さ、きめ細かさ、貯蔵性、甘味の高さ、風味、香り、色合いなど、すべて自分の好みのカボチャになりました」。00302[1]

9月4日は「くじらの日」『バレニン・デー』です!

水曜日, 9月 4th, 2013

くじらの日 1

クジラの日 2

クジラの日 4クジラの日 3クジラの日 5クジラの日 6

南氷洋で漁獲した冷凍「ミンク鯨」を解凍に二日かけ、

一週間にわたり-5℃で熟成させたものを販売しています。

      『熟成ミンク鯨』 100g ¥320

そして、秋には釧路沖で、ミンク鯨の試験操業が始まります。

お楽しみに。

 

人間の姿勢は一つでいい

火曜日, 9月 3rd, 2013
  ~佐藤忠良先生から学んだこと~
         笹戸千津子(彫刻家)
              『致知』2013年9月号 
                   「致知随想」より

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「人間はある年齢になると下降線を辿る。
 だけど僕は、地面スレスレでもいいから、
 ずっと水平飛行しながら一生を終えたい」

世界的な彫刻家・佐藤忠良先生はこの言葉どおり、
二年前に九十八歳で亡くなるまで
創作活動に情熱を燃やし続けました。

私が佐藤先生とご縁をいただいたのは昭和四十一年、
新設された東京造形大学の一期生として入学した時でした。

母と乗った入学式に向かうバスで、
たまたま隣にハンチング帽をかぶり、
大きな鞄を抱えた、俳優の宇野重吉さんに似た男性が
座っていました。

その人が佐藤先生だったのです。

先生は山口の田舎から一緒に上京してきた母に
親切に話しかけてくださり、
細やかな心遣いを示してくださった一方、
その直後に行われた入学式では実に斬新なスピーチをされました。

日本の美術大学の歴史が始まって以来、
これほど程度の低い学生が集まったことはないだろう。

けれども私は、本人も世の人も天才だと思っているだろう
私の母校・東京藝術大学の学生と競争させてみるつもりだ。

素直に一所懸命に勉強すれば、
卒業時には一番成績の悪い学生でも
藝大の学生の下から三番目以上の力をつけさせる」

父母もいる前でこんな話をする先生のことを、
最初は随分変わった人だと思いましたが、
授業を通じてそのお人柄と芸術に対する深い洞察に触れ、
私はたちまち深い感化を受けました。

「大学の門を一歩くぐったら、
  僕は教える人、君たちは習う人、
  この区別をハッキリさせよう。

  でも大学の門を一歩出たら、
  お互いに芸術で悩む人間同士として付き合おう」

そんな佐藤先生から、四年の履修期間が終わり、
研究室に三年間残った後、

「僕のモデルを務めてほしい。
  その代わり僕のアトリエで自由に仕事をしていいから」

と誘われ、私は迷わず承りました。

おかげさまで私は先生のそばで創作活動を続けながら、
「帽子・夏」をはじめとする「帽子シリーズ」など、
七〇年代以降の先生の九割方の作品で
モデルを務める僥倖に恵まれました。

そのうち秘書のお仕事も担うようになり、
お亡くなりになるまで
四十年以上も身近にお仕えしたのでした。

私が彫刻の道を志した当初、
まだ女性で彫刻をやる人は稀でした。

けれども父は、
これからは女性も手に職を持たなければならない、
と理解を示してくれ、

「おまえは特別才能があるわけではないから、
  人より少しでも抜きん出たかったら人の三倍やりなさい」

と励ましてくれました。

私自身も、せっかく生まれてきたからには
自分をとことん試してみたいと思い、
自ら土日もなく佐藤先生のアトリエに通い詰め、
作品審査では必ず他の方より多く出品し続けました。

先生も私の意気込みに応えてますます創作に熱中され、
二人で競うように作品に取り組み続けたものです。

アトリエでは先生の粘土練りや心棒づくりをお手伝いしながら、
概ね午前中に自分の作品制作を行い、
午後は先生のモデルを務めました。

モデルを務めている時間は当然自分の作業はできませんが、
先生が制作に呻吟される姿を直に拝見するのが、
何物にも代えがたい勉強でした。

作品に向かう先生の姿勢は大変厳しく、
道具や粘土を粗末に扱うと厳しく叱責されました。

また、彫刻に男も女もない。
男に手伝ってもらおうと思った瞬間から負けが始まる、
と女性にも一切甘えは許されませんでした。

若い頃は

「こんなみっともない作品を
  僕のアトリエに置いてもらったら困る」

と完成間近の作品を壊すよう命じられ、
涙に暮れた体験は数え切れません。

けれども先生は、一度制作の場を離れると
実に温かい思いやりを示してくださいました。

「世の中には低姿勢とか高姿勢って言葉があるけれども、
  人間の姿勢は一つでいいんだよ」

と、どんな偉い方にもへつらわず、
また職人さんやお手伝いさんにも細やかな心遣いを示されるので、
面会した人は誰もが感激し、先生の虜になりました。

こうした先生の姿勢は、幼くして
父親を亡くし他家へ書生に入り、また先の大戦で応召し、
三年間もシベリアで抑留生活を送られた
ご体験とも無関係ではないでしょう。

イギリスに彫刻家のヘンリー・ムーアを訪ねた時、
既に晩年で病床にあったムーアが、
きちんとネクタイを締めて応対してくれた姿勢に感銘を受け、

「隣人へのいたわりや優しさのない人間が創る芸術は、
  すべて嘘と言ってもいい」

と繰り返されていました。

学生時代に師事した朝倉文夫先生から

「一日土をいじらざれば一日の退歩」

と教えられた佐藤先生は、講演会などで若い学生から、

「佐藤先生のような素晴らしい作品を
  創作するにはどうしたらいいですか?」

と質問されると決まって、

「コツはただ、コツコツコツコツやることだよ」

とユーモラスに答えていらっしゃいました。

生涯水平飛行を願った先生ですが、
それは極めて辛いことだともおっしゃっていました。

それでも先生は毎朝八時過ぎには必ずアトリエに入り、
生涯休むことなく活動を続けられました。

私もこの偉大な師の志を継ぎ、
命の炎が尽きるまで
創作活動に打ち込んでゆきたいと願っています。