まほろばblog

ベジタリズム

3月 19th, 2014

これも、ピンポイント通信から・・・・。

面白い「ベジタリズム」、とてもO妙です。

YouTube Preview Image

女の子の指揮!

3月 19th, 2014

ピンポイントの磯田秀人さんからの情報。

天才指揮者現る?

聖歌隊の指揮者になりきった女の子が凄い!

YouTube Preview Image

STAP騒動

3月 15th, 2014

STAP騒動、一夜明けてさらに過熱気味です。

真相が明らかなるには、まだ時間がかかりそうです。

10年も前に、エリクサー酵素の研究で、和光市の理化学研究所、

微生物学の辨野義巳先生を尋ねたことがあった。

今、ノーベル賞受賞の野依先生が理事長で、

事の終止をどのように付けるのか注目が集まっている。

今朝の朝日に、「動的平衡」の福岡伸一さんのコメントが掲載されていた。

現場の視点から、示唆に富む内容である。

スタッフ細胞 福岡

松本虚山(光司)先生ご逝去

3月 14th, 2014

松本先生 オーサワ(マクロビオテック3月号)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リマ・クッキングスクール校長の松本光司先生がこの1月にお亡くなりになりました。

享年78歳でした。

謹しみてご冥福をお祈り申し上げます。

「日本の至宝」と言うべき先生を喪い、残念でなりません。

先生とは、約20年ほど前、ご縁を戴き、以後ご尊敬申し上げ、ご指導を仰いで参りました。

その経緯は、下の「まほろばたより」1996年10月号をお読みくださいませ。

先生のみ教えが、多くの方々の活きる糧となりますようお祈りいたします。

松本先生 1松本先生 2松本先生 4松本先生 3

DASHIブーム

3月 12th, 2014

今、出汁がブームだという。

まほろばでも、あることがきっかけで作らざるを得なくなり、

今鋭意、製作中です。

そんな折、先月小泉先生とお会いした際、下記の出汁の話が出て、

大いに話が盛り上がった訳です。

天然材料以外は、人工化合物は使わない、この前提は言うまでもない。

詳しい報告は、販売開始のときに。

とにかく、お楽しみに・・・・・・・・!

dasi

岩田さんの「挽きぐるみ 手打ちそば」大好評!!

3月 11th, 2014

SONY DSC

 

今期、売り出し最終日の日曜日。

「手打ちそば」一食を、特別価格で半額の¥500でご提供させて戴きました。

やはり、石臼挽き「挽きぐるみ」と「手打ち」のそば。

これには、皆さん絶句していました。

SONY DSC三人美女

好みはそれぞれですが、更科や田舎、そして機械練りそばの違いが、

改めて浮き彫りにされた感じです。

ホールフードの美味しさは、そばで端的に現れますね。

SONY DSC大苑の岩田さん

私も、そば好みで、いろいろ食べ歩いて来ましたが、

岩田さんのは、家庭で食べれるレベルを遥かに超えていますね。

ちなみに、2食で¥980、冷凍庫に置いています。

また、何と1年物のかえしが入っています。

 

20140212そば3

 

石臼挽きのそば粉は、それこそ創業以来まほろばで販売していました。

この「挽きぐるみ」は、石臼で挽かれたもので、蕎麦の実の各層を取り分けない全粒粉です。

岩田さんのこの「手打ちそば」は、殻を取った「抜き」を挽いた

一、二、三、四番粉と種皮の甘皮を混ぜて深みを出しています。

以下、そばの実についての説明です。

 

s-a02[1]

 

玄ソバ(殻のついたままのソバの実)は、

外側から中心に向かって殻(果皮)、甘皮(種皮)、胚乳、胚芽(子葉部)という順で構成。

 

たとえば、そばの風味や麺のつながりに関係するたんぱく質は、

甘皮には約45%、胚芽にも35%近く含まれていますが、

炭水化物が主体の胚乳は4%程度しかありません。

また、そばの色に影響する灰分(ミネラル)は、

甘皮には約7%、胚芽には5%ほど含まれていますが、

胚乳では1%にも満たないのです。
「抜き」と呼ばれているのは、玄ソバから殻を取り除いたソバの実のことで、

その作業工程で割れてしまったソバの実は「割れ」といいます。

そば製粉では、この抜きと割れを段階的に挽きながら篩(ふる)い分け、

何種類かのそば粉にしていきます。

その時、殻を除いた各部の、どの部分がどれくらい含まれるかで、

そば粉の色や風味、そして栄養成分が決まることになります。
そば製粉の原理は単純で、抜き、あるいは割れの柔らかい部分から

順に挽砕(ばんさい、挽きくだくこと)して粉にしていきます。

現在の製粉工場では、段階的な挽砕と綱目の異なる篩の組み合わせによって、

成分組成の異なるそば粉を取り分けるロール製粉が主流で、取り分ける順に、

一番粉(内層粉)、二番粉(中層粉)、三番粉(表層粉)と呼んでいます。

o0416027911260652130[1]
一番粉は、抜き(割れ)を軽く粗挽きした段階で篩によって選別された粉で、

粉状質で柔らかい胚乳の中心部が主体の粉です。

栄養成分は炭水化物(ほとんどが「でんぷん」)が77.5%を占め、

たんぱく質は6.1%、灰分は0.8%しか含みません。

色が白く、いかにもそばといった風味はありませんが、

特有のほのかな甘みのあるそばになります。

一番粉とさらしな粉が混同されることも多いのですが、

厳密な意味でのさらしな粉は製粉方法が違い、さらに高純度のでんぷん粉です。
一番粉を取ってからさらに挽砕を続けると、一番粉にならなかった胚乳や胚芽が砕けてきます。

これを取り出した粉が二番粉で、そばらしい香りと風味に優れ、色は淡い緑黄色を帯びています。

たんぱく質は10.3%、炭水化物は71.9%、灰分は1.6%です。
三番粉は、二番粉を取り分けた残りの部分から挽き出される粉で、

甘皮の一部も一緒に挽き出されてくるため濃い色をしています。

たんぱく質は15.1%、灰分は2.4%といずれも最も高いですが、

その分、炭水化物は65.9%と少なくなっています。

そば本来の香りはいちばん強く、栄養価も高いが、繊維質が多く、味や食感は劣ります。
通常、そば製粉はこの三番粉までですが、

さらに四番粉(末粉(すそこ、或いはさなご)まで取る場合もあります。

四番粉は甘皮や胚芽が主体の粉で、主として乾麺や生麺用として利用されています。

SONY DSC

 

こうやって見ると、本当のそばの味や旨みは、「挽きぐるみ」でこそ、

蛋白質やミネラルも含まれて、ほとんどの成分である炭水化物と調和されて、

さらに香りや旨みが出てくるといえます。

さらしな粉だけでなく、雑味も加わってこそ、ホールフード・全体食としての

面目躍如たるものがあると思います。

コシもあり、旨みもあり、香りも立ち、

まさに、そばの王者のようでした。

31年目の初ルージュ!

3月 10th, 2014

SONY DSC

 

今朝、31年目にして「初ルージュ」のスタッフ山田成子さん。

「初めて、女性になれました!」との第一声。

本当に、彼女、口紅初体験なんです。

感動でした。

先日も初の眉墨で、事務所が盛り上がりました。

今日は、いよいよ仕上げのルージュをうっすらと・・・・・。

ミーテイングで、みんなにお披露目。

みんなから盛大な拍手と万歳!

日々、変わり行く山田さんの表情。

今、レジで明るくがんばっています。

長い長い苦しくも辛いアトピーとの壮絶な戦いから、

少しずつ少しづつ開放されて来ています。

皆さんも、応援してくださいね。

 

「お母さん」の言葉の由来とは?

3月 8th, 2014

境野勝悟(東洋思想家)

※『日本のこころの教育』より

4efccfdd[1]

 

僕が小学校の一年のときのある日、
「ただいま」って家に帰ると、
お母さんがいないときがありました。

お父さんに、「お母さんどうしたの?」と聞くと、
「稲刈りで実家へ手伝いに行ったよ」と言う。

そして、

「きょうはお母さんがいないから、
おれが温かいうどんをつくってやる」

と言って、親父がうどんをつくってくれました。

ところが、温かいうどんのはずなのに、
お父さんのつくったうどんはなぜか冷やっこいんです。

一方、「ただいま」と家に帰って
お母さんがいるときは僕はいつでも
「お母さん、何かないの?」と聞きました。

すると、母は

「おまえは人の顔さえ見れば食い物のことばっかり言って、
食いしん坊だね。そこに、ほら、芋があるよ」

って言う。

そういうときは決まって、
きのうふかしたさつま芋が
目ざるの中に入っていました。

かかっているふきんを取ると、
芋はいつもひゃーッと冷たいんです。

だけれども、お母さんのそばで食う芋は
不思議に温かかった。

これは、もしかすると
女性には理解できないかもしれないけれども、
男性にはわかってもらえると思います。

お母さんが家にいると
黙っていても明るいのです。
あたたかいのです。

それで、わたくしたち男は自分の妻に対して、
「日身(カミ)」に「さん」をつけて
「日身(カミ))さん」と言ったんです。

丁寧なところでは、これに「お」をつけて
「お日身(カミ)さん」といったんですよ。

何でしょうか。

この「日身(カミ)」という意味は?

「カ」は古い言葉では「カカ」といいました。
もっと古い言葉では「カアカア」といった。
さらに古い言葉では「カッカッ」といったんです。

「カカ」「カアカア」「カッカッ」
これが「カ」となるんですね。

「ミ」というのは、
わたくしたちの身体という意味です。

ですから、「日身(カミ)」とは、
わたくしたちの身体は
「カカ」の身体である、
「カアカア」の身体である、
「カッカッ」の身体であるという意味なんです。

では、「カカ」「カアカア」「カッカッ」という音は、
古代では一体何を意味したのでしょうか。

「カッカッ」というのは、
太陽が燃えている様子を表す擬態語でした。

「カッカッ」とは、実は太陽のことを指したのですね。
「カアカア」「カカ」という音も同様です。

つまり、わたくしたちの体、わたくしたちの命は
太陽の命の身体であるということを、
「日身(カミ)」(太陽の身体)と言ったんです。

「カミ」の「カ」に「日」という漢字が
当てられているのを見れば、
「カ」が太陽のことを意味している
ということがわかるでしょう。

「日身(カミ)」とは、
太陽の体、太陽の身体という意味だったのです。

お母さんはいつも明るくて、あたたかくて、
しかも朝、昼、晩、と食事をつくってくださって、
わたくしたちの生命を育ててくださいます。
わたくしたちの身体を産んでくださいます。

母親というのはわたくしたちを産み、
その上私たちを育ててくれます。

母親は太陽さんのような恵みの力によって
わたくしたちを世話してくれる。

母親はまさに太陽さんそのものだということから、
母親のことをむかしは
「お日身(カミ)さん」といったのです。

明日から「春雪市」「やよい祭」「彼岸会」開催!

3月 6th, 2014

kanshaday2014_03

「アシリ・レラ」さんからのたより

3月 4th, 2014

20120403_2005050[1]

「誰のためでもない。

自分のため、子どもたちのためにも

地球をきれいにして

カムイにかえしてあげないとね。

アイヌ・ネノアン・アイヌ

(人間らしい、人間)でありますように。

アイヌとは人間という意味です」                 

                アシリ・レラ(山道康子)

http://yasukosan.web.fc2.com/


二風谷のアシリ・レラさんから、時々会報を戴きます。

その中で、胸の痛む心にかかる記事がありましたのでお読みください。

 

「関東大震災90年」

   淺川 熙信  七施精舎主催・戒蔵寺福住職

淺川師

 

今から50年以上も前の。私が子供のときのことです。

周囲の大人たちが、県内ので多くの朝鮮人が殺された話をしていたのをかすかに記憶しています。

「フテーセンジン」という言葉も覚えています。「不逞鮮人」ということでしょう。

多数の朝鮮人がなぶり殺しにされたという話でした。

完全な記憶ではありませんし、当時、それらの意味を理解していたとは思えません。

ただ。子供心に、あのとき、そこに集まっていた大人たちの何とも形容し難い雰囲気をよく覚えています。

やがて私は高校で倫理社会を教えるようになりますが、

勤務校の隣の藤岡市で虐殺事件があったことを初めて知り、自らの不明を恥じたのです。

1923年(大正12)9月1日、午前11時58分、マグニチュード8弱の大地震が関東方面を襲いました。

激震と、時間的に昼食の準備をしていた家族が多かったため、大火災が発生しました。

東京、横浜を中心に、死者、行方不明は10万人とも14万人とも言われています。

この震災が特筆されるのは、震災後、悲惨な事件が各地で起こったことです。

それが他の震災と大きく異なる点だと言われています。

世情騒乱の中で、朝鮮人が「井戸に毒を投げ込む」「放火して廻っている」「婦女子を暴行している」などの

デマゴーグが流され、世間はそれに踊らされ、朝鮮人などを暴行、虐殺したと言われます。

この蛮行は、実際に手を下した在郷軍人会、青年会、消防組などを中核として

組織された自警団と一般大衆の手によって行われた凶行でした。

ただ、このことに関しては諸説が存在することを私は承知しています。

この蛮行の根底にあったのは、実は朝鮮人に対する恐怖心だったと指摘されています。

では、その恐怖心は何から生まれたのでしょうか。

私は、韓国併合の影響は大きいと思います。

そのひとつは後ろめたさです。

加えて朝鮮人への蔑視、偏見、搾取がありました。

そうだとすれば、国民性でもある差別指向を考えないわけにはゆきません。

被差別部落を作ってきた歴史もあります。

ほかにも偏見と差別に関することは今でも山のようにあるでしょう。

関東大震災の直後、群馬県では9月5日から6日にかけて、

身の危険を察知した隣県の朝鮮人が周囲の人々の斡旋で警察署に保護を願い出て、

留置場にかくまわれています。

それを知った数千人とも言われる近隣住民が警察に押しかけて、

周囲を取り囲み、朝鮮人の引渡しを求めたのです。

警察までもが恐れをなして逃亡してしまい、署内な無法地帯と化し、

隠れていた朝鮮人17名が撲殺されました。

これは「藤岡事件」といって、実際にあったことです。。

 

私はこれを90年前の過去のこととして、片付けるわけにはゆかないと思います。

形を変えた「藤岡事件」が今後も起こるのではないかと思うからです。

一人ひとりが善良な市民でも、何かのきっかけで排除の行動に出る可能性は考えられるのです。

想定外の場面に遭遇したとき、あるいは追い詰められたとき、

ふたたび「藤岡事件」のようなことが形を変えて起こる、そのようなことがあってはなりません。

関東大震災から90年。

私たちの社会はどう変わったのか、そう成長したのか、見つめ直す必要があると思います。

 

なお「藤岡事件」の犠牲者はその後、警察署に隣接していた成道寺に埋葬され、

今も毎年、歴代住職や有志によって慰霊の法要が営まれていうことも付け加えておきたいと思います。

合掌