まほろばblog

「TIMEDOMAIN」由井啓之代表、講演会決定!

8月 18th, 2012

 

画期的スピーカー「TIMEDOMAIN」の由井啓之社長がまほろばへ初めて來店されます。

本店移設以来、エリクサー給水場で「yoshii9」を設置して音を流しております。

みなさまには、お馴染みの音になってしまいましたが、

改めてそのメカニズム、音響工学を拝聴しようとの企画です。

油井社長による「TIMEDOMAIN」の講演会を来週、急遽行います。

会費は無料ですので、ぜひともお誘い合わせの上、ご参加下さい。

8月24日(金)

19:00~21:00

本店の給水場前と2階にて

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http://www.timedomain.co.jp/(「TIMEDOMAIN」HPより)

「降りてゆく生き方」上映会決定!!!

8月 17th, 2012

皆様、はじめまして。

映画「降りてゆく生き方」(主演:武田鉄矢)のプロデューサー

をしております、竹邨 勉(タケムラ ツトム)と申します。

ん?降りてゆく生き方?何それ?とお思いの方がほとんどだとは思いますが、

映画「降りてゆく生き方」とは、

●奇跡のりんごで有名な、木村秋則氏

●本物の酒、百薬の長を復活させた、寺田啓佐氏

●本物の苦労を取り戻す。精神医療でのカリスマ、向谷地生良氏

を含め200人以上の方々の「新しい生き方」を取材し、

本当にあった生き方をモデルに本映画のストーリーを構築しました。

更に、映画「降りてゆく生き方」は、DVD販売及びTV放映を行いません。

また、商業的な広告宣伝は一切行っておりません。

つまり、「口コミ」によって上映展開してきた映画です。

DVDにもTVにも放映しない代わりに、誰でも上映会を行える映画です。

初公開(2009年4月)以来、「上映したい!」、「知人にも観てもらいたい!」など、

上映主催の手を挙げて下さる方々の熱い情熱によって、

口コミでこれまで国内外300回を超える上映会を開催してきました。

そんな中、以前、北海道での上映会に来た時、北海道は本当に広いなぁ!

と正直思いました。北海道でもっともっと多くの方々に映画を観てもらいたい!

と思い、私自身も皆さんと同じく「手を挙げ」、まずは札幌での上映会を企画しました。

今年そして来年と道内各所での上映会を開催する予定です。

札幌にも居を構え、6月から住んでいます。

「つながり」の中で、まほろばの宮下社長をご紹介頂き、

今メッセージを書いている次第です。

口コミで拡がる本映画の醍醐味の一つとして、「新しい出会い」があります。

北海道での良き出会にわくわくしています。

是非、お友達をご紹介下さい!!

車もあるので、会いに行きます!

映画には行けないけど、話なら聞くよ。も、あり難いです!

では、皆さんにどこかでお会いできます事を楽しみにしております。

領土とは何か!

8月 17th, 2012

北方領土、竹島、尖閣諸島と軒並みに烈震している。

元々地は、神の物、天地の所有で誰彼のものではないだろう。

元始、人は定住せずに、狩猟なり、遊牧なりで、所有の概念がなかったはずだ。

みなの心は、天地と一体で、一切が己が体としていたのだろう。

農業革命により、人は定住して、貯蔵する術を知り、貧富上下と自他の別が生れた。

ここから戦いが始まり、領土を拡大して国家が開かれていった。

この対立概念が、何千年來、止む事なき人類の業となった。

冷静に、その初めを知り、これからの人類の歩みを再考することなしに、

根本解決の道は捜し得ないだろう。

極めて難しい課題だ。

激昂に激昂を対しては、止む時なし。

先ずは、知人からシェアされた動画を見ながら、歴史を知ることも必要であろう。

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お盆もそろそろ、「クロモンティーヌ」?

8月 16th, 2012

   ・・・・・・・お盆閑話・・・・・・・・・・・

 先日ご紹介しましたお客様が、フランスのクロモンティーヌのファンで、

大貫妙子さんの唄に、それを感じて(私も)、

若い頃から大貫さんのファンでもあったとか。

モバイルサイトも立ち上がったので、ご覧になって下さい。

http://www.possion-h.com/cle/(パリ日記)

また、youtubeで、下の数点が見られます。(先の方の推薦です)

http://www.youtube.com/watch?v=DRqgWc10WBo&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=u3B3bK5uTY4&feature=relmfu

https://mail.google.com/mail/?source=navclient-ff#inbox/138fbe1871d7aa4c

http://www.youtube.com/watch?v=sS43wOEAoto&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=p8-7ck1odZQ

http://www.youtube.com/watch?v=sS43wOEAoto&feature=related

また、他に次のものもご紹介して下さいました。

なかなかステキですね。

●  É Preciso Perdoar

é preciso perdoar – nossa alma canta
http://www.youtube.com/watch?v=FJMCkIZWfyA

João Gilberto – É Preciso Perdoar
http://www.youtube.com/watch?v=ao1mfwciJMA

ごっこシスターズ登場!!!

8月 16th, 2012

 

毎月5の付く日には、本店で二人の娘が黒のTシャツの出で立ちで登場している。

名付けて「ごっこギャル」「ごっこシスターズ」である。

振り付けも、ミーティングで披露してくれた。

この中の矢尾嬢が、「超かわいい!!!」とばかりのゴッコ狂いなのだ。

それにしては、そう言いながら、いとも簡単に「ブッチ」と、ゴッコをさばいてしまうのだ。

(何と言う、精神構造なのだろう?!)

そして、函館まで行って、とうとうゴッコシャッツまで手に入れてしまったのだ。

この執念には、恐れ入ったのである。

ともかく、5、15、25日には、このスタイルで、店中走り回っている。

みなさん、この涙ぐましさに、笑って拍手して上げて下さい。

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「うちや満」さん、万歳!!

8月 15th, 2012

まほろば本店近くの鯉料理『うちや満(ま)』さんが、

「財界さっぽろ」に、西本さんから紹介されました。

前・読売新聞グループ本社代表取締役社長であった内山斉氏は内山武さんの実兄。

北海道の出世頭であるお兄さんとは別に我が道を歩んだうちや満主人は、

奥様共々、温厚この上ない温かい人柄で来客を魅了させている。

道内では珍しい鯉料理、そして手打ちそばを堪能あれ。

若者よ、君たちが生きる今日という日は・・・・・・

8月 15th, 2012

   「若者よ、君たちが生きる今日という日は
           死んだ戦友たちが生きたかった未来だ

      八杉 康夫 (戦艦大和語り部)

        『致知』2006年7月号
           特集「人学ばざれば道を知らず」より
          

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  大和の後部が白煙を上げているのが私にも分かりました。
 
  なおも攻撃が続けられ、
  魚雷が的中した時は震度5にも感じられるほど激しく揺れました。
  次第に船は傾いていきます。

  砲術学校では、戦艦は15度傾いたら限界と習ってきましたが、
  25度、30度とどんどん傾いていきます。
 
  それでも、戦闘中は命令がない限り 
  持ち場を離れることはできません。
  その時「総員、最上甲板へ」との命令が出ました。
  軍には「逃げる」という言葉はありませんが、
  これが事実上「逃げろ」という意味です。

  すでに大和は50度ほど傾いていましたが、
  この時初めて、「大和は沈没するのか」と思いました。
  それまでは本当に「不沈戦艦」だと思っていたのです。
 
  もう海に飛び込むしかない。
 
  そう思った時、衝撃的な光景を目の当たりにしました。
 

  私が仕えていた少尉が日本刀を抜いたかと思うと、
   自分の腹を掻っ捌いたのです。
 
  噴き出す鮮血を前に、私は凍り付いてしまいました。
  船はますます傾斜がきつくなっていきました。
  90度近く傾いた時、私はようやく海へ飛び込みました。
  

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 飛び込んだのも束の間、
  沈む大和が生み出す渦の中へ巻き込まれてしまいました。

  その時、私の頭に過ったのは海軍で教わった
 「生きるための数々の方策」です。

  海軍に入ってからというもの、
  私たちが教わったのは、ひたすら「生きる」ことでした。

  海で溺れた時、どうしても苦しかったら水を飲め。
  漂流した時は体力を消耗してしまうから泳いではならない……。
  陸軍は違ったのかもしれませんが、海軍では
 「お国のために死ね、天皇陛下のために死ね」
   などと言われたことは一度もありません。
 
  ひたすら「生きること、生き延びること」を教わったのです。
 
  だから、この時も海の渦に巻き込まれた時の対処法を思い返し、
   実践しました。
 
  しかし、どんどん巻き込まれ、
  あまりの水圧と酸欠で次第に意識が薄れていきます。
 
 その時、ドーンという轟音とともにオレンジ色の閃光が走りました。
  戦艦大和が大爆破したのです。
  そこで私の記憶はなくなりました。

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  気づいたら私の体は水面に浮き上がっていました。

  幸運にも、爆発の衝撃で水面に押し出されたようです。

  しかし、一所懸命泳ぐものの、次第に力尽きてきて、
  重油まみれの海水を飲み込んでしまいました。
 「助けてくれ!」と叫んだと同時に、
  なんともいえない恥ずかしさが込み上げてきました。
  この期に及んで情けない、誰にも聞かれてなければいいが……。

  すると、すぐ後ろに川崎勝己高射長がいらっしゃいました。
 「軍人らしく黙って死ね」と怒られるのではないか。

  そう思って身構える私に、彼は優しい声で
 「落ち着いて、いいか、落ち着くんだ」と言って、
  自分がつかまっていた丸太を押し出しました。
  そして、なおもこう言ったのです。

 「もう大丈夫だ。おまえは若いんだから、頑張って生きろ」

  4時間に及ぶ地獄の漂流後、駆逐艦が救助を始めると、
  川崎高射長はそれに背を向けて、
   大和が沈んだ方向へ泳ぎ出しました。
 
  高射長は大和を空から守る最高責任者でした。
 
  大和を守れなかったという思いから、
   死を以て責任を取られたのでしょう。
 
  高射長が私にくださったのは、浮きの丸太ではなく、
   彼の命そのものだったのです。
 

      (中 略)

  
  昭和60年のことです。

  いつもピアノの発表会などでお会いしていた女性から
   喫茶店に呼び出されました。
 
  彼女は辺見さんが書かれた『男たちの大和』を取り出し、
   こう言ったのです。

 「八杉さん、実は川崎勝己は私の父です」

  驚いたなんていうものじゃありません。

  戦後、何とかしてお墓参りをしたいと思い、
  厚生省など方々に問い合わせても何の手がかりもなかったのに、
  前から知っていたこの人が高射長のお嬢さんだったなんて……。
 
  念願叶って佐賀にある高射長の墓前に
  手を合わせることができましたが、
  墓石には「享年31歳」とあり、驚きました。
  もっとずっと年上の人だと思い込んでいたからです。

  その時私は50歳を超えていましたが、
  自分が31歳だった時を思い返すと
  ただただ恥ずかしい思いがしました。
  そして、不思議なことに、それまでの晴天が
  急に曇天となったかと思うと、
  突然の雷雨となり、
  まるで「17歳のあの日」が巡ってきたかのようでした。
  
  天皇も国家も関係ない、自分の愛する福山を、
  そして日本を守ろうと憧れの戦艦大和へ乗った感動。
  不沈戦艦といわれた大和の沈没、原爆投下によって被爆者になる、
  そして、敗戦。
  
  そのすべてが17歳の時に一気に起こったのです。
  17歳といえば、いまの高校2年生にあたります。
 
  最近は学校関係へ講演に行く機会もありますが、
  現在の学生の姿を見ると、
  明らかに戦後の教育が間違ったと思わざるを得ません。
 
  いや、生徒たちだけではない。
  間違った教育を受けた人が先生となり、
  親となって、地域社会を動かしているのです。 

  その元凶は昭和史を学ばないことに
   あるような気がしてなりません。
 
  自分の両親、祖父母、曾祖父母が
  どれほどの激動の時代を生きてきたかを知らず、
  いくら石器時代を学んだところで、
   真の日本人にはなれるはずがない。

  現に「日本に誇りを持っていますか」と聞くと、
  学校の先生ですら「持ってどうするんですか?」と
  真顔で聞き返すのですから。
  
  よく「日本は平和ボケ」などと言われますが、
  毎日のように親と子が殺し合うこの日本のどこが平和ですか?
  確かに昔も殺しはありました。

  しかし、「殺してみたかった」などと、
  意味もなく殺すことは考えられませんでした。 
 
  真の平和とは、歴史から学び、
   つくり上げていくほかありません。

  鶴を折ったり、徒党を組んでデモをすれば
  天から降ってくるものではないのです。

  しかし、一流の国立大学の大学院生ですら、
  「昭和史は教えてもらっていないので分かりません」
  と平気で言います。
 
  ならば自分で学べと私は言いたい。
  自分で学び、考えることなしに、
  自分の生きる意味が分かるはずがないのです。
 
  人として生きたなら、その証を残さなければなりません。
 
  大きくなくてもいいのです。
  小さくても、精一杯生きた証を残してほしい。
 
  戦友たちは若くして戦艦大和と運命をともにしましたが、
  いまなお未来へ生きる我々に大きな示唆を与え続けています。
 
  復員後、長く私の中に渦巻いていた
 「生き残ってしまった」という罪悪感。
  それはいま使命感へと変わりました。
 
  私の一生は私だけの人生ではなく、
  生きたくても生きられなかった戦友たちの人生でもあるのです。
 
  うかうかと老年を過ごし、死んでいくわけにはいきません。

  未来の日本を託す若者たちが歴史を学び、
  真の日本人になってくれるよう私は大和の真実を語り続け、
  いつか再び戦友たちに会った時、
 「俺も生かされた人生でこれだけ頑張った」と
   胸を張りたいと思います。

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(八杉氏 講演会)

「塩煎り豆」絶品!!!

8月 14th, 2012

「こんな高いの売れないよーーーー」と見るなり、言ってしまった。

70g ¥1.050ですよ。誰が買いますか!?

「でも、食べて下さい。。。。。。。」とは、香遊生活二代目舟山亮眞君から。

手にとって、なんとも精彩のない「塩煎り豆」を口にほうばる。

全く期待感なし。・・・・・・・・・・・

だが、突然!!!!

「んん、これは、う・ま・い!!!!旨い!」と唸った。

「みんな、食べて食べて・・・・・」と相成った。

事務所のみんなも「これは、うまい、旨い」とばかり、

瞬く間に高い袋を空にしてしまった。・・・・・・・ほどに、旨かったのだ。

「これは、本当に実入りのある豆ダネ!!」と君子豹変してしまったのだ。

before、afterでこうも態度が違うものなのか、と恥じるほど旨かった。

聞くところによると、舟山組の一級建築士の面々が、百姓となって、

泥まみれ、汗まみれになってこの黒豆「祝い黒」を作ったとか。

人件費、時給を換算すると、1袋¥10.000にしたい位!!!とか。

そこを、涙を呑んでの¥1.000(税抜き)ほぼ、1/10である。

そう言われれば、「そうか、安いのか」なんて、妙に感心して、

今晩のビールの伴に、最高!とばかり、1袋ポケットに入れちゃうだろう。

無論、オーガニック認証付きで、隣の畑では道内唯一許認可を貰っている

『産業用大麻』の栽培が行われている。

今年の栽培応募者は急増したが、道の対応は硬化したままで、拒絶。

麻の歴史とその用途の広範で哲学的な面が開放されない限り、

新しい時代は到来しないだろう。

登窯、無限ハート皿

8月 14th, 2012

陶芸を趣味とする堀内さんから、報告があった。

芸術の森で開かれている登り窯で焼成する会があり、

そこで、例のハート皿、お香皿を焼かれたという。

思ったように灰の釉がかからず、次年の穴窯に望みを託すとかや。

次に、彼女の報告を聞きましょう。

お忙しいところすみません まだまだ暑い日がつづきますね。
7月下旬、 お香皿を芸術の森の登り窯 に入れて焼いてきました。

登り窯はとても大きくて 目指していた木灰がかかるような仕上がりを得るには、

登り窯より穴窯がよいと、教わりまして、今回は 写真のようなやきあがりになりました。

 
主宰者さんが来年は穴窯をするそうなので、今度は灰がたくさんかかるから…

また入れていいよと言ってくれました。

 
勉強不足で…お話していたように焼き上げれなくすみませんでした。
 

これはこれで軽いやきあがりで、素朴ではありますが

来年さらに穴窯にいれたほうが良い気がしています!

また電気窯のものになりますが… 今度はきれいめな色味のものおもちしたいと思っています。

blog拝見しています。

マザーテレサのお話にいたく感銘しました。

農園に熊…大丈夫ですか…

まほろばさんの ますますのご発展お祈りしております

堀内 洋子

「母の諫死、師の警策」自然医学2012.9.

8月 13th, 2012

今朝、「森下自然医学」9月号が届きました。

開口一番、森下会長による「徐福伝説Ⅱ」の掲載。

卑弥呼の邪馬台国は、九州なりや、近畿なりやの論争未だ鳴り止まず。

その学説迷走する中、更に遡ること400年。

ましてや、その400年。

徐福の存在在りや無しやの論争は、伝説物語の彼方に葬り去られている。

もし、それが正論なれば、日本史を根底から書き換えねばならぬ大事(おおごと)が待っている。

これは、国史家が容易に認められぬ意味がある。

それは良いとして、すでに中国の史記を初めとする歴史書には、歴然とした記述がある。

『魏志倭人伝』もあの「三国志」にあるのに、いわんや正統史記に於いておや、である。

徐々に謎めいた霧が、森下博士によって、今それが晴れようとしている。

面白い!是非、必読のことを。

5月に訪問したルーカオ視察、長寿調査報告。

食べ物の機能値結果を公表。

いずれも高い数値が示されて、ルーカオの環境条件の高さを示している。

伝統的地方食を継承して、現代的出来合いの物を口にすることはない。

みな家族の手作りが、心身共に健康の源を形成するのであろう。

日本も、古来の原風景に帰る必要があろう。

今月の「倭詩/やまとうた」は、『母の諫死、師の警策』と題して、昭和の傑物「田中清玄」について。

コーボルトを扱っている磯深雪さんが、何と田中清玄さんの姪子さんにあたります。

訪問した際、山本玄峰老師から清玄に宛てた一筆の色紙『母』を譲り受けた。

物語は、そこから始まる。

驚くべき清玄の生き様と、死をもって子を諌めたその母アイの凄まじい愛。

その事実を知る時、日本の行くべき先を示されたように感じた。