「あと3年、とにかく死に物狂いでやる」
月曜日, 11月 11th, 2013大島まり
(東京大学大学院情報学環・生産技術研究所教授)
※『致知』2013年11月号
特集「道を深める」より
――脳動脈瘤の研究はどのような経緯で始められたのでしょうか。
大学院時代にマサチューセッツ工科大学(MIT)に留学し、
帰国後は博士課程を終えて工学博士になりました。
その後、スタンフォードにも1年間留学し、
大変刺激を受けて戻ってきました。
変わらず懸命に研究に打ち込んでいたのですが、
30代中盤に差し掛かった頃、
1つの転機がありました。
男性も35歳くらいに転職を考えると
聞いたことがありますが、
私もそのくらいの時に
「今後どうしようかな」と
随分悩んだ時期があったのです。
それまでは若い研究者の卵ですから、
ある程度ステップの目安があるわけです。
30歳くらいに博士号を取って論文を発表して……と。
でも、そこから5年くらい経って
次のステップに進まなければならない時、
果たして自分は本物のプロになれるのだろうかと思ったんです。
というのも、流体力学自体は
レオナルド・ダ・ヴィンチの時代からある
古い学問分野ですから、
MITにもスタンフォードにも、もちろん東大にも、
優秀な人がひしめき合っているわけです。
天才的なひらめきのない自分では、
どうやっても敵わない。
じゃあ自分には何があるのだろうと思った時、
つらかったというか、凄く不安だったんですね。
――そこからどうされたのですか。
実はその当時、
ファイナンシャルエンジニアリングという分野が
注目され始めた頃でした。
要するに金融予測ですよね。
理学部や流体の分野からも
金融関係に就職する人がいました。
知人が
「金融関係で数値シミュレーションできる人を欲しがっているから」
とヘッドハンティングの人を紹介してくれたのも、
ちょうどそんな時でした。
――研究で生きていくことに不安を感じていた時期に。
はい。「年収も十倍に」なんて言われて
「どうしようかなぁ」と思ったりもしましたけどね(笑)。
ただ、やっぱり私の中には
アポロ11号が月面着陸した時の
「サイエンスやテクノロジーは不可能を可能にする」
という感動があったんです。
また、金融工学は自分には向いていないかもしれない
と思って最終的には研究を選んだのですが、
とはいえ置かれている状況は変わりません。
不安だし、迷っていた。
そこで自分で期限を切ったんです。
「あと3年、とにかく死に物狂いでやって、
それでダメならダメで悔いが残らないし、次の道もあるだろう」と。
――締め切りを設けた。
はい。そう腹を括ると逆に気分が楽になりました。
「これで終わりだ」と期限が明確になると、
試験勉強みたいな感じで頑張れたんですね。
傍から見るとなんでそんなにガムシャラに、
という感じだったと思いますが、
不思議なことにそこから次の道が拓けていったのだと思います。