まほろばblog

Archive for 8月 9th, 2013

いざ、寿都へ

金曜日, 8月 9th, 2013

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一昨日、「無着色タラコ」「無着色明太子」の生産地・寿都の南波さんに行って来ました。

長年、魚を扱って来て、ようやく地元でタラコの安定供給の道を見出したのです。

しかも、ずべて原材料は地物日本海産のスケソウ鱈の卵。

輸入物は一切なしという徹底振りで、その工場の衛生・製品管理の徹底さにも驚嘆しました。

 

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(「無着色明太子」80g 、「無着色たらこ」70g )

 

また、全く添加物を加えないという一貫性。

産地は北海道で、加工は福岡、・・・なる明太子。

それを、北海道の人々が何十倍もの値段で買って食べるという馬鹿な構図がありました。

しかし、これからは、地物を地元で作って、地場で売って買う健全な構図にしなければなりません。

そんな意味でも、この商材を起爆剤にして、裾野を押し広げることは、

地域活性にとても重要なことです。

これから、南波さんとタッグを組んで、前向きに商品開発に力をそそぎたいと思います。

詳しくは、後号まほろば便りの報告をご覧ください。

 

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 『清、負けたらあかん』

金曜日, 8月 9th, 2013
貧乏と小児マヒを乗り越えた孝行社長の物語

    川辺 清・著
   
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    *     *

焼肉の「情熱ホルモン」をはじめ、
様々な事業を手がける「五苑マルシングループ」は、
今年4月で創業から50年を迎えます。

創業者の川辺清氏は昭和13年生まれ。
靴職人で博打好きだった父はほとんど家に帰ることなく、
母は生活費を得るために、
夫の行方を捜しながら4人の子供を育てたといいます。

清が2歳の頃のことです。
帰ってきた母がボロ布団の中でぐったりと横たわる清を見つけました。
布団をめくってみると、
紫色に腫れ上がった清の左足首からは膿が垂れ、虫が湧いています。
急いで病院に駆け込んだものの、
清の左足は完治することなく、
小児マヒの身となってしまいました。

その後、父の意向で清だけが
親戚の家に預けられることになります。
継ぎ接ぎだらけの服、小児マヒで骸骨のようになった左足、
それを引きずるようにして歩く姿がおかしいと、
近所の子供たちから毎日のようにいじめられました。

孤独でつらい日々でしたが、
清の心の中にはいつもやさしい母の存在がありました。
子供の頃から抱いていた
この「お母ちゃんを早く楽にしてあげたい」という思いは、
清が大人になってからも続きます。

中学を出た清は、
奈良の靴職人のもとへ奉公に出ました。
仕事は朝6時半から夜中の12時まで、
休みは月に2回のみでしたが、
早く一人前になりたい一心から懸命に働きました。
ところが2年経った頃、結核を患ってしまい、
不本意にも実家へと追い返されてしまったのです。

「俺は本当に駄目なやつだ」

絶望した清は自らの命を絶とうと迫り来る機関車に身を投げました。
ところが次の瞬間、清は傍らの草むらの上に倒れていたのです。
恐れに飛び退いたか、風圧に飛ばされたか、ともかく生きていました。
ふと線路を見ると、
ポケットから転がり出た5円玉が身代わりに機関車に潰され、
平べったくなっていました。

「俺は5円玉や。5円玉の輝きを見せてやる」

新たな決意に病魔も退き、無事年季を全うした清は25歳で会社を創業。
以来、異業種にも果敢に挑戦しながら、
経営者として事業に情熱を注ぐ一方、
子として母に孝養を尽くしました。

実話を元に記された川辺氏の半生が描かれた本書は、
遡ること平成5年に刊行された作品です。
この20年、川辺氏は正月になると本書を読み返し、
自身の原点を振り返ってきたといわれます。

親が子を思い、
子が親を思う姿が美しく綴られた感動の名作から、
親子関係や孝行のあり方について、
見つめ直してみるのはいかがでしょうか。