まほろばblog

Archive for 5月, 2013

「はじまりの記憶」杉本博司氏

金曜日, 5月 17th, 2013

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映画『降りてゆく生き方』のプロデューサーである弁護士の森田貴英さんとは、

「発酵」繋がりで、寺田さんを通じて親交を深めている。

宮嶋さんの本で、即「エリクサー」を求められたのだ。

先日、東京でのマイグルトのイベントでも再会し、話し込む中で、

彼の思想実践の源泉がおぼろげながら理解できたのは幸いだった。

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http://www.sugimoto-movie.com/

その話の中で、ある写真家が現像時に電流を走らせて作品を発表しているという。

帰札後まもなく、森田氏からその映画になったDVDが送られて来た。

この手の現代映像は、ほとんどが期待外れのものが多いので、

申し訳ないが期待していなかった。ところが、違った。

「はじまりの記憶」と題する杉本博司氏のドキュメント。

久しぶりに、古い知己と邂逅したというか、ピッタとした志向は得難かった。

 

 

 

「私の中では、最も古いものが、最も新しいものに変わるのだ」

30年ニューヨークで現代アートシーンを牽引した彼だが、

一方若き日に、古物商で食い繋いだという古き良き物への眼力が、かく言わしめている。

前衛と古典に揺れ動いた私自身を見るようで懐かしくも心ときめいた。

 

初の著作「苔むすまで」を読み始めると、そこに鴨長明の方丈庵のくだりが記されてあった。

先日「自然医学」の連載に、その方丈記について書いたばかりだったのでその共時性に驚いたのだ。

 

杉本博司 コケむす

 

直島・瀬戸内アートの楽園に「護国神社再建」の任が杉本氏に与えられた。

十方に玉砂利を敷き、24tものイワクラ(磐座)を運び、簡素な柱を立て、

質朴で矮小な本殿には、光学ガラスの階梯を渡し、それが地下洞に通じる。

そこは墳墓でもあった。

古代、古墳と社屋は一体であるとした彼のイマジネーションがそう設計させた。

著書で、場について、こう語らせている。

 

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Q:写真家だと思われているあなたが、

なぜ神社を建てることになったのですか。

A:写真家といっても水と空気、それと光を扱ってきました。

建築も似たようなものです。

Q:アプロプリエート・プロポーションとは、

日本語でどう訳したらよいのですか。

A:神はある特殊な場に宿ります。そのような場には、

独特の比率があります。

Q:それは建築的な比率のことですか。柱とか梁の。

A:比率とは場のたたずまいのことです。

Q:ではアプロプリエートは、適切という意味ですね。

A:空間が適切であるとき、日本語では

場をわきまえた と言います。

Q:すると、”場をわきまえた、たたずまい”となりますね。

A:そうです、凛とした空気のことです。

(写真と対話、「苔むすまで」より) 杉本博司 現な像

 

『生きる力になる言葉』

金曜日, 5月 17th, 2013
      藤尾 秀昭・著
       ⇒ http://www.chichi.co.jp/book/7_news/post_76.html

「人は昔から、言葉を心の糧として生きてきました。
 私たちはできるだけよい言葉、よい教えにふれ、
 それを糧とすべく心術の工夫をしていかねばなりません」

――言葉の持つ力の偉大さと、
心を鼓舞する内的言語の存在が、
人生においていかに大切であるかを謳った
著者の思いが込められた一文です。

今回一冊の本として装いを新たにしたことで、
各章の中に刻まれた箴言至言の数々が、
読む人の心に大きな活力を与えてくれます。

  *        *        *

「“3万6500朝”(棟方志功)
 なんといういい言葉だろうか。
 100年生きたって僅か3万6500朝だ。
 一朝だってムダにしてはならないんだと、
 腹にしみわたるような言葉だ」
(坂村真民)

「父母の恩の有無厚薄を問わない。
 父母即恩である」
(西晋一郎)

「家庭の躾ができていない人は
 主役級の俳優にはなれない」
(浅利慶太)

「人に教えられたものは身につかない。
 自ら探して得られたものだけが自分の力になる」
(中川一政)

「芸のゆきどまりを見せずして、
 一期を終るをまことの芸とす」
(扇ケ谷三郎)

  *        *        *

一度海に潜った海女は、
一つの真珠貝を見つけるまで、
どんなに苦しくとも上がってこない、
これを「一沈一珠」という.

「へうげ醤」道新記事に!!

木曜日, 5月 16th, 2013

へうげ味噌 道新記事

昨朝の北海道新聞の全道経済面に、「へうげ醤」が紹介されました。

市内版では時々まほろばが掲載されますが、全道版は珍しいですね。

記者の方が、取材に何度も訪れ、稿を重ねられました。

それほど、なかなか実態が掴めない内容です。

全国から集めた複雑に絡み合った原材料は元より、

蔵元の製造工程が、今の作業場でも見かけなくなった道具や仕事が

多くあることも、理解を困難にしています。

後日、「へうげ醤」のチラシを掲載しますので、ご覧になってください。

 

 

うに魚醤「雫」

木曜日, 5月 16th, 2013

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まほろばの「へうげ醤」は値段が高いな・・・・(原料費が通常の5倍以上かかりました)

と思いますが、それよりはるかに高い醤油を仕入れています。

それは、苫小牧の丸恭水産さんが作った「うに魚醤『雫』」。

75g ¥1.050

ビックリしました。

500mlに換算すると¥7.000ですので、またまたびっくりです!!!

それもそのはず、バフンウニ(米麹+塩)を使っていますので。

これは、醤油というより発酵調味液の魚醤、かけ醤油にお使いください。

宇宙の理~二人展

水曜日, 5月 15th, 2013

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まほろばのお客様でもある画家の田口陽子さん。

この度「きみがよものがたり」という素敵な絵本を出版されました。

日本の国歌「きみがよ」の奥の意味を説いているようです。

それにちなんで、奈良さんとのコラボ展が開かれます。

ご案内いたします。

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「芸森ヨガ」

水曜日, 5月 15th, 2013

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まほろばでも行っている「ハタラージャ」ヨガの松本さんも出演する

芸術の森で行われるヨガフェステバル『芸森ヨガ』が開催されます。

どうぞ、実践されている、あるいはご興味のある方々はお越しくださいませ。

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「苗木即売会」17日から

水曜日, 5月 15th, 2013

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肌寒い中、 早くも苗木の季節を迎えました。

手稲山の雪が解ける頃が、その適期でしたが、まだ残雪があります。

購入してすぐ植え込まないほうが良いでしょう。

玄関内と外に朝夕出し入れしながら、外気に慣れさせながら、様子を見ましょう。

植えた後も、ビニールで囲いをするなどの養生が要ります。

寒温交互に来ていますので、油断のないようにお願い致します。

先ずは、17日(金)から始まります。

2題・原発関連映画

水曜日, 5月 15th, 2013

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「いかに恐怖心と向き合うか」

水曜日, 5月 15th, 2013
   竹内 洋岳(プロ登山家)

              『致知』2013年6月号
               特集「一灯照隅」より

└─────────────────────────────────┘

十四座完登というのは、
もちろん簡単に達成できる目標ではありません。
山というのは登る喜びもある一方、
一つ間違えれば命を落とす危険も内包しています。

では、その危険に対する恐怖心をいかに克服すべきか。
実は、恐怖心というのは克服したり
打ち消したりしてはダメなのです。

恐怖心があるがゆえに、それを利用して危険を察知し、
危険を避けて進んでいくのです。

私の中では、危険な体験を重ねる度に
恐怖心が積み重なっています。

しかし恐怖心が増すということは、
危険に対するより高感度なセンサーを手に入れるようなもので、
決して悪いことではないと思っています。

これから起こりうる危険を、いかにリアルに想像できるか。
その感覚をどんどん研ぎ澄ましていけたらいいと思っています。

もちろん、登山で相手にするのは大自然という、
人間のコントロールを超える存在です。

いくら自分が登ろうと意気込んでも、
天候に恵まれるなど自然の了解を
得られなければ登ることはできません。

私たちにできることは、自然の了解が得られた時に
すぐアクションを起こせるよう十分な準備をしておくことです。

登山の準備で大切なことも、やはり想像力です。
それは頂上に到達できるという想像ばかりでなく、
到達できずに引き返すという想像であり、
時には死んでしまうかもしれないという想像です。

そして死んでしまうかもしれないという想像ができるなら、
どうすれば死なずに済むかという想像をする。

死なないためにいかに多方面に、多段階に、
緻密に想像できるかということを、
私たちは山の中で競い合っているのです。

ゆえに想定外というのは山の中では存在しません。
想像が及ばなかった時、登山家は命を落とすのです。

――無能無才にしてこの一筋につながる

水曜日, 5月 15th, 2013
致知出版社社長・藤尾秀昭の「小さな人生論」
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┃□□□      2013/5/15 致知出版社(毎月15日配信)
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│130 │『致知』35年に思うこと――無能無才にしてこの一筋につながる
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『致知』は今年の9月1日発行の10月号で創刊満35周年になります。

私はこの雑誌の創刊の準備から編集に携わってきましたので、
『致知』一筋に35年の人生を歩いてきたことになります。

俳聖、松尾芭蕉は
「無能無才にしてこの一筋につながる」という言葉を残していますが、
この言葉はそのまま実感として、
体に溶け込んできます。

先日、タビオの越智会長にお会いしましたが、
愛媛県の中学を卒業し、大阪の靴下問屋に丁稚奉公に入り、
以来約60年、靴下一筋に歩まれ、
会社を今日業界の雄に育て上げられた越智会長の信条は、
「一生・一事・一貫」
だとおうかがいしました。

会社がうまくいき始めますと、
本業以外にいろいろな事に手を出したがる人が多いのが世の常ですが、
創業以来45年靴下一筋、
他には目もくれないで歩んでこられた、その姿勢に頭が下がります。

『致知』は心を磨く、人物を創るということをテーマに
一事一貫してきた雑誌です。

即ち、人間学の追究です。

その道を35年追い求める中で、実にたくさんのすぐれた先達の生き方、
遺した言葉に触れ得たことは、まさに冥利に尽きるというものです。

この道一筋に歩ませていただいた者の至福を感じています。

一生を道元禅の研究に生きた田里亦無(たざと やくむ)氏から聞いた話ですが、
シモーヌ・ヴェイユというフランスの思想家が

「与えるというものではないが、、
 人に是非渡しておかねばならぬ 
 大事な預りものが私の内にある」

といっているそうです。
すばらしい言葉だと思います。

私自身も先達から手渡された大事な預り物を『致知』を通して、
心を込めて、後世に手渡していきたいと念願しています。

ちなみに、『致知』の7月号の特集テーマは
「歩歩是道場」(ほほこれどうじょう)です。

禅の言葉ですね。
特別な場所を道場とするのではなく、
日常のあらゆる場を自分を鍛える道場としていけ、という教えです。

そういう心構えで生きていけば、
あらゆる場が自分を高めていく修養の場になるということです。

これに似た言葉に
直心是道場(じきしんこれどうじょう)があります。

「維摩経」(ゆいまきょう)にある有名な言葉です。
光厳童子(子どもではなく、求道にめざめた人)が
路上で維摩居士(伝道の奥儀をきわめた在家の人)に会います。

童子が「どちらからこられましたか」と聞くと、
「道場から来た」と答えます。
童子は修行のためにどこかいい場所はないかと探していたので、
「それはどこにありますか」とききます。

その時、維摩が答えたのが先の言葉です。
「直心是道場」

直心とは、素直な柔らかい心ということです。
心さえ、素直に調(ととの)っていれば、
あらゆるところが道場になる、ということです。

伸びる人はあらゆる場を生かして伸びてゆくというのは
『致知』の取材を通して感じたことですが、
そういう人たちはこの言葉を体現した人であったということでしょう。

禅語にはさらに
「歩々清風起こる」という言葉もあります。
一歩一歩、歩いたあとに清風が起こる。
至り難い世界ですが、そういう一歩を歩んでいきたいものです。