まほろばblog

Archive for 9月, 2011

エゾシカ肉、流行の兆し

金曜日, 9月 30th, 2011

毎月大4火曜日は「シカの日」。

『エゾシカ肉はやわかりブック』店頭にあります。

「エゾシカ肉料理教室」が西区では、11月12日(土)に「ちえりあ」で、

11月13日(日)に、白石区民センター等々で開かれます。

コンテストもありますよ。

詳しくはエゾシカ協会HPで。

リニューアルDOKODA

木曜日, 9月 29th, 2011

前厚別店店長の渡邉君のドーナツ店「DOKODA」がリニューアルする。

10月1日(土)、是非訪ねて上げて下さい。

また、9日(日)の大売出しには、本店での試食販売をします。

お楽しみに。

ジョージ・オーサワの世界

木曜日, 9月 29th, 2011

久司道夫マクロビ講演会

水曜日, 9月 28th, 2011

「エジソンの思考術」

水曜日, 9月 28th, 2011

        
       
            斎藤 茂太 (精神科医)
        
            『致知』2002年2月号
             特集「尽己」より
            

                      ※肩書きは掲載当時です。

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(坂村真民氏との対談記事より)

これは私自身が八十三年の人生を
生きてきて得た結論ですが、人間は、

一つは気力、

二つは人とうまくやること、

三つは百%達成しなくても悲観しない。

もちろん、望むんですが、百%達成できる人は
ほとんどいないんですから、七十%ぐらいで満足する。

この三つが大事だと思います。

坂村真民先生のおっしゃる一本の道というのは、
ぼくの言葉でいえば、根気ですよ。

いまの若い連中、根気のないのが、本当に多い。
もう一日で会社をやめるのがいっぱい、います。
しかし、人生で何かを成す上で、根気というのは不可欠です。

私の好きな話に、エジソンが電気のフィラメントになる素材を
発見するに至ったエピソードがあります。

彼は、電気のプラスとマイナスに
何をつなげば光を発するかを求めて、
その辺にあるものを片っ端から実験していった。

人間の髪の毛、こより、自分が食べ残したチーズ、
あらゆるものを実験し、その数は三千種類にも及んだが、
いい結果が得られなかった。

友人がみかねて

「もう三千回も実験したから気がすんだろう。
 そろそろ諦めたらどうだ」

といった時に、エジソンは、

バカなことをいうな。
 世の中に物質は五千五百種類あると聞いている。
 私はそのうちの三千の物質をすでに実験した。
 
 残りは二千五百。
 成功はもう目の前まできている
 

といった。このエジソンの根気のおかげで、
我々は電気という恩恵に浴している。

   (略)

精神の病気の最悪の状態は、根気をなくすことですね。

魚屋ガイドマップ

火曜日, 9月 27th, 2011

「お魚屋さんガイドマップ」が、札幌の卸売市場から発行された。

30年前に比べ、半数以下に減って今は333軒の魚屋。

昔懐かしい相対の対話もなく、無言で買って行く今のありようが、

本当に健全なのだろうか。

まほろばも、地域に根差した小さい魚屋さんとして生きて行く。

恵まれた市場の近くで、安全安心で鮮度の良い魚介類を扱える幸せを思う。

「汗のなかからホンマもんの知恵が出るんやで」

火曜日, 9月 27th, 2011

       
       
            江口 克彦 (PHP研究所副社長)
        
            『致知』1997年5月号
             特集「リーダーシップの本質」より
            

                      ※肩書きは掲載当時です。

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松下幸之助の言葉に

「風が吹くときは絶好や。凧がよう上がる」

というのがあります。
あるいは「短所は長所、長所は短所」とも言っています。

たしかに、考え方、見方によって物事は180度転換します。
だから、経営者が業績の悪さを景気のせいにしてはいけないのです。

松下が

「好況よし、不況なおよし」

と言っているのもそのことです。
松下電器がそうでした。

松下幸之助が元気だった頃は、
不況のときにむしろ取り引きが拡大しているのです。

なぜかと言いますと、
不況になると誠実で確実な企業と
取り引きをしたいと思うのが人情です。

好況のときにいくらいい成績をあげていても、
お客様のことを考えず、会社のこと、
自分たちのことばかりを考えていた企業は、
不況時には相手にされなくなります。

私が30歳になるかならないかの頃、ある経営者から、

「知恵ある者は知恵を出せ。

 知恵なき者は汗を出せ。

 それができない者は去れ。

 それがオレのモットーだ」

と聞かされたことがあります。
そのことを松下に話すと、

「その会社は潰れるな」

と言いました。そして、こう続けたのです。

「わしなら、まず汗を出せと言う。

 汗のなかから知恵を出せ、

 それができない者は去れと言う。

 汗のなかからホンマもんの知恵が出るんやで。

 生きた知恵は汗のなかから出るもんや

予言通りその会社は倒産しました。

そのように、汗を出すこと、
ほんとうの汗を流すことに徹すれば、
不況どこ吹く風となるのかもしれません。

「脳内の内部留保を厚くせよ」

月曜日, 9月 26th, 2011

       
       
            生田 正治 (商船三井最高顧問)
        
            『致知』2011年10月号
             連載「二十代をどう生きるか」より

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 私自身のことを振り返ってみて、
 二十代でまず大切だと思うのは、
 自分の頭で考える力を養う、ということが一つ。
 
 次に、様々なことに幅広く興味や関心を持つこと。
 
 私の周りを見てみても、社会的に成功を収めているのは
 好奇心のかたまりのような人がほとんどである。
 そういう気持ちを常に持っていることが、
 人をよく知ることにも繋がっていくのだろう。
 
 
 また人を知ると同時に、自国の歴史を知っておくことは
 外国人と交流をする上での必須条件である。
 
 私が社会人になってから愛読したのが、
 司馬遼太郎の一連の歴史小説だった。
 
 中でも『坂の上の雲』に描かれている
 氏の歴史観や国家観には深い感銘を受けた。
 
 氏はこの作品の中で革命によって
 短期間に近代国家をつくり、
 列強を打ち破る様を描きつつ、
 その主導者がどういった末路を辿ったかを表し、
 次代への警鐘を鳴らしている。
 
 
 また同じく氏の『世に棲む日日』には、
 “革命は三代で成立する“との記述がある。
 
 初代は吉田松陰のように思想家として現れ、
 二代は高杉晋作のような乱世の雄(戦略家)、
 そして最後に現れるのが伊藤博文や山県有朋といった
 実務家だというのである。
 
 氏のこの洞察は、ビジネスの世界にもそのまま当てはまる。
 
 但(ただ)し、現代は昔とスピードが違うので、
 経営者は一人でこのうち二役以上を兼ね、
 思想(ビジョン)を明示し、戦略を打ち立てる。
 
 それと並行する形で有能な実務家を配下につけ、
 改革を行っていくという具合である。
 
 総じて言えば仕事や読書、遊びを通じて若い頃から
 「脳内の内部留保」をできるだけ広く深め、
 また出会った方々との関係も大切にし、
 どんな物事にも対応できるよう力を蓄えておくことが
 二十代を生きる上で肝要ではないかと思う。
 
 日本国を根本的に変えていくのは
 いまの政治家や経済界の幹部層ではなく若い人の力である。
 俄かに物事は成せずとも「継続は力なり」と信じ
 何事にも粘り強く取り組んでいってほしいと願っている。
 

アンチ・エイジング医学講座

日曜日, 9月 25th, 2011

参加したい

第一線で活躍の講師陣から抗加齢(アンチエイジング)医学を
「楽しく」「学び」「ますます健康」で、いきがいのある生活を!
日本抗加齢協会、日本抗加齢医学会主催の市民公開講座や、
日本抗加齢医学会理事、評議員が講演を行う、
講座など一般の皆様にご参加いただける、
抗加齢(アンチエイジング)医学に関連するイベントをご案内いたします。
ご案内をご希望の方は是非ご登録ください。

「人という字を刻んだ息子」

日曜日, 9月 25th, 2011

                         秋丸 由美子(明月堂教育室長)

             『致知』2007年5月号「致知随想」
             ※肩書きは『致知』掲載当時のものです

※明月堂は「博多通りもん」で有名な福岡の和菓子店です。
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■医師からの宣告
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

主人が肝硬変と診断されたのは昭和54年、
結婚して間もなくの頃でした。

「あと10年の命と思ってください」

という医師の言葉は、死の宣告そのものでした。

主人は福岡の菓子会社・明月堂の五男坊で、
営業部長として会社を支えていました。
その面倒見のよさで人々から親しまれ、
たくさんの仕事をこなしていましたが、
無理をして命を落としては、元も子もありません。

私は「まずは身体が大事だから、仕事は二の次にして
細く長く生きようね」と言いました。
しかし主人は「精一杯生きるなら、太く短くていいじゃないか」
と笑って相手にしないのです。

この言葉を聞いて私も覚悟を決めました。
10年という限られた期間、
人の何倍も働いて主人の生きた証を残したいと思った私は、
専業主婦として歩むのをやめ、
会社の事業に積極的に関わっていきました。

30年前といえば、九州の菓子業界全体が
沈滞ムードを脱しきれずにいた時期です。
暖簾と伝統さえ守っていけばいいという考えが
一般的な業界の意識でした。

明月堂も創業時からの主商品であるカステラで
そこそこの利益を上げていましたが、
このままでは将来どうなるか分からないという思いは
常に心のどこかにありました。

そこで私は主人と一緒に関東・関西の菓子業界を行脚し、
商品を見て回ることにしました。
そして愕然としました。
商品にしろ包装紙のデザインにしろ、
九州のそれと比べて大きな開きがあることを思い知らされたのです。

あるお洒落なパッケージに感動し、
うちにも取り入れられないかと
デザイナーの先生にお願いに行った時のことです。

「いくらデザインがよくても、それだけでは売れませんよ。
 それに私は心が動かないと仕事をお受けしない主義だから」

と簡単に断られてしまいました。

相手の心を動かすとはどういうことなのだろうか……。
私たちはそのことを考え続ける中で、一つの結論に達しました。

それは、いかに商品が立派でも、
菓子の作り手が人間的に未熟であれば、
真の魅力は生まれないということでした。

人づくりの大切さを痛感したのはこの時です。

■「博多通りもん」の誕生
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

以来、菓子屋を訪問する際には、
売れ筋の商品ばかり見るのではなく、
オーナーさんに直接会ってその考え方に触れることにしました。

しかし、同業者が突然訪ねていって、
胸襟を開いてくれることはまずありません。
行くところ行くところ門前払いの扱いでした。

忘れられないのが、神戸のある洋菓子店に
飛び込んだ時のことです。

そのオーナーさんは忙しい中、一時間ほどを割いて
ご自身の生き方や経営観を話してくださったのです。

誰にも相手にされない状態が長く続いていただけに、
人の温かさが身にしみました。
人の心を動かす、人を育てるとはこういうことなのかと思いました。

いま、私たちの長男がこのオーナーさんのもとで
菓子作りの修業をさせていただいています。
全国行脚を終えた私たちは、社員の人格形成に力を入れる一方、
それまで学んだことを商品開発に生かせないかと
社長や製造部門に提案しました。

そして全社挙げて開発に取り組み、
苦心の末に誕生したのが、「博多通りもん」という商品です。
まったりとしながらも甘さを残さない味が人気を博し、
やがて当社の主力商品となり、いまでは
博多を代表する菓子として定着するまでになっています。

「天の時、地の利、人の和」といいますが、
様々な人の知恵と協力のおかげで
ヒット商品の誕生に結びついたことを思うと、
世の中の不思議を感ぜずにはいられません。

■「父を助けてください」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ところで、余命10年といわれていた主人は
その後も元気で働き続け、私も一安心していました。
しかし平成15年、ついに肝不全で倒れてしまいました。
手術で一命は取り留めたものの、
容態は悪化し昏睡に近い状態に陥ったのです。

知人を通して肝臓移植の話を聞いたのは、そういう時でした。
私の肝臓では適合しないと分かった時、
名乗り出てくれたのは当時21歳の長男でした。
手術には相当の危険と激痛が伴います。
万一の際には、命を捨てる覚悟も必要です。

私ですら尻込みしそうになったこの辛い移植手術を、
長男はまったく躊躇する様子もなく

「僕は大丈夫です。父を助けてください」

と受け入れたのです。
この言葉を聞いて、私は大泣きしました。

手術前、長男はじっと天井を眺めていました。
自分の命を縮めてまでも父親を助けようとする
息子の心に思いを馳せながら、
私は戦場に子どもを送り出すような、
やり場のない気持ちを抑えることができませんでした。

そして幸いにも手術は成功しました。
長男のお腹には、78か所の小さな縫い目ができ、
それを結ぶと、まるで「人」という字のようでした。

長男がお世話になっている
神戸の洋菓子店のオーナーさんが見舞いに来られた時、
手術痕を見ながら

「この人という字に人が寄ってくるよ。

 君は生きながらにして仏様を彫ってもらったんだ。

 お父さんだけでなく会社と社員と家族を助けた。

 この傷は君の勲章だぞ」

とおっしゃいました。
この一言で私はどれだけ救われたことでしょう。

お腹の傷を自慢げに見せる息子を見ながら、
私は「この子は私を超えた」と素直に思いました。
と同時に主人の病気と息子の生き方を通して、
私もまた大きく成長させてもらったと
感謝の思いで一杯になったのです。