まほろばblog

雄武から「鮭のいずし」が届きました!

12月 23rd, 2013

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浜益村の木村テルさんのいずしも、今では遠い思い出となりました。

雄武の智ちゃんのいずしも完売で、

今朝、同じオホーツクの雄武町、津嶌司さんの手作り「秋さけ飯寿し」が入荷。

前浜の雄武沖で獲れる銀毛のオスのみを厳選使用しています。

40日間じっくり熟成させて旨みを引き出す昔ながらの『本漬け』、

味わい深い食感に仕上げる。今年4年目の製造販売。

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津嶌さんは、元より漁家の生まれ育ち。

漁協、地元の水産加工業者で経験を積んで独立開業。

帆立加工を主力に、秋鮭の飯寿しのほかに、 秋鮭の新巻き、地場産の干物などを手掛けています。

津嶌社長のお母さんが家庭で漬けていた飯寿しのレシピを受け継いでの製品化。

前浜のピッカピッカで脂の乗った銀毛鮭を、フィレーに製割し、一晩、凍結。

半解凍で食べ易い大きさに切り、 一晩流水に晒して、ヌメリを丁寧に取り除く。

 

一緒に漬け込む野菜は、人参と、 地元の農家に生産を依頼した無農薬栽培の大根

味付けは、酒、生姜、唐辛子などで、

合成保存料や化学調味料は一切使わず、 無添加にこだわっているます。

500g発泡容器に(木目調)詰めで販売。

¥2.480

 

津嶌社長は、 「手作りで大量生産は出来ないが、 地元の秋鮭にこだわって素材を厳選し、

昔ながらの製法と味付けを 守って行きたい」と話される。

実に、滋味深い旨さに、いささか驚いています。

限定200箱、お早目のご注文を。

「一年を通して働きづめの両陛下」

12月 23rd, 2013

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渡邉 允(前侍従長)

※『致知』2013年7月号
特集「歩歩是道場」より

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両陛下は毎朝6時にはお目覚めになり、
お二方で吹上御苑の森の中を散歩なさっています。
驚くべきことに、ご病気の時を除いて、
この6時起床を変えられたことはありません。

普通はその日の予定に合わせて起床時間を決めたり、
休みの日は遅くまで寝ていたくなるものでしょう。

しかし、1年を通じてその時間を変えない
という規律を自らに課しておられる。
そこに私は、陛下の一貫した
強靭な意志力を垣間見る思いがします。

私が毎朝9時に出勤すると、
両陛下は既に書斎に入られ、
いつもお仕事をされていました。

両陛下の1日は
本当にお忙しいものです。

例えば、まず午前中、
宮中三殿で宮中祭祀を執り行われた後、
午後は宮殿に行かれて社会福祉関係者の拝謁や
認証官任命式(国務大臣その他の官吏を任命し、
辞令を交付する儀式)がある。

その後、新しく着任した
外国大使夫妻のためにお茶会をなさり、
夜は御所で、近く訪問予定の国の歴史について
学者の話をお聴きになる。

通常、夜10時半が御格子(陛下が御寝になること)
となっていますが、
たいてい両陛下はそれ以後も、
翌日の行事のための資料や
式典で読まれるおことばの原稿に目を通したり、
外国の国王王妃にお手紙を書かれたりされているようです。

このように朝から晩まで
次々と性質の異なるお仕事に取り組まれており、
それが1年を通して続くことになります。

両陛下がお出ましになる大きな行事や式典は、
休日や祝日に行われることが多いため、
5日働いて2日休むという生活のリズムもないのです。

そこまでしてご公務に邁進される陛下の根底にあるもの――
それは「国民のために」という思いにほかなりません。

陛下のその思いが一つの形として
具現化される場が「宮中祭祀」です。
宮中祭祀とは、
陛下が国家国民の安寧と繁栄を
お祈りになる儀式のこと。

陛下の1年は、元旦朝5時半から
執り行われる「四方拝」で始まります。

外は真っ暗、しんしんと冷えている中、
白い装束を身にまとい、
神嘉殿の前庭に敷かれた畳の上に正座され、
伊勢神宮をはじめ四方の神々に拝礼される。

その後、宮中三殿に移られ、
「歳旦祭」を執り行われます。
宮中三殿とは賢所、皇霊殿、神殿の総称で、
それぞれ天照大神、歴代天皇と皇族の御霊、
八百万の神々が祀られています。
そこで五穀豊穣や国民の幸福をお祈りになるのです。

陛下が執り行われる宮中祭祀は
年間20回程度ありますが、
その中で最も重要とされる祭祀が
11月23日の「新嘗祭」です。

その年に収穫された農産物や海産物を
神々にお供えになり、
神恩を感謝された後、
陛下自らもお召し上がりになる。

夜6時から8時までと
夜11時から深夜1時までの2回、
計4時間にわたって執り行われ、
その間、陛下はずっと正座で儀式に臨まれます。

我われも陛下がいらっしゃるお部屋の外側で、
同じように2時間正座を続けるのですが、
これは慣れている人でも難儀なことです。

私は毎年夏を過ぎると
正座の練習を始めていました。

ある時、陛下のもとに伺うと、
居間で正座をしながら
テレビをご覧になっていたことがありました。

やはり陛下も練習をなさっているのかと思ったのですが、
後からお聞きしてみると、陛下はこうおっしゃったのです。

「足が痺れるとか痛いと思うことは一種の雑念であって、
神様と向き合っている時に雑念が入るのはよくない。
澄んだ心で神様にお祈りするために、
普段から正座で過ごしている」

その取り組み方一つとっても、
専ら肉体的な苦痛を避けたいと思っていた私とは
まるで次元が違うと感服した瞬間でした。

元旦の「四方拝」「歳旦祭」に始まり、
春分の日の「春季皇霊祭」、
秋分の日の「秋季皇霊祭」、
天皇誕生日の「天長祭」など、
宮中祭祀の多くは国民の祝日に行われています。

つまり、私たちが休んでいる時に、
陛下は国民の幸福をお祈りされているのです。
そのことを私たちは忘れてはなりません。

 

ボブさん来店

12月 21st, 2013

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アラスカ先住民クリンギット族のボブ・サムさんとアイヌ民族の結城幸司さんがひょっこり来店。

先日、カフェ・トーンさんで二人による「語り部の会」が行われました。

通訳は、わこちゃんと北大文学部准教授のジェフ・ゲーマンさん。

ボブさんとしばし、自然教と在来宗教の関係、民族と国々の歴史について話し合い、

双方深い理解を得たことは、とても嬉しく感じました。

何事も、よりシンプルであるべきことを学ばせて頂きました。

またの再会を楽しみに・・・・。

-Tribute to Taeko Onuki-

12月 21st, 2013

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17日、大貫さんがお買い物に立ち寄られた。

STVラジオの収録の帰りとかで、翌日全国販売されるアルバムのことを話されたとか。

http://www.stv.ne.jp/radio/onefineday/index.html

そのトリビュートアルバムは、坂本龍一さんや松任谷由実さんなどによる新録音10曲、

そして、竹内まりやさんや薬師丸ひろ子さんなどのすでにリリースしている11曲。

多彩なアーテストがリスペクトする大貫さんへの愛の賛歌である。

活動40周年と00歳の誕生を兼ねた、集大成といってもよい内容で、

彼女の奥行きのある世界、幅広い交友の織り成す結晶でもある。

おめでとうございます!!!

 

大貫妙子「Tribute to Taeko Onuki」盤の詳細判明 & 

40周年ライブに細野晴臣&鈴木茂参加

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12月18日にリリースされる大貫妙子さんのトリビュートアルバム『大貫妙子トリビュート・アルバム -Tribute to Taeko Onuki-』の詳細が明らかになった。

山下達郎らと結成したシュガー・ベイブで1973年に音楽活動を開始し、今年で活動40周年を迎えた大貫。CD2枚組でリリースされる同作のDISC1には、奥田民生、岡村靖幸+坂本龍一、KIRINJI、Salyu×小林武史、寺尾紗穂、ハナレグミ、THE BEATNIKS(高橋幸宏+鈴木慶一)、松任谷由実、宮沢和史、やくしまるえつこらによる新たに録音された大貫のカバー曲が収められる。

DISC2には、様々なアーティストたちによってこれまでに発表されてきた大貫のカバー曲が収められる。今回明らかになった収録アーティストには竹内まりや、矢野顕子、中谷美紀、原田知世、土岐麻子、大橋トリオ、青葉市子らが名を連ねている。なお、同作は当初11月27日のリリースを予定していたが、12月18日に延期になった。

また、3月28日に東京・有楽町の東京国際フォーラムで開催されるライブ『大貫妙子 40th ANNIVERSARY LIVE』のゲストとして細野晴臣、鈴木茂が出演することも発表された。チケット一般発売は12月21日からスタート。

リリース情報

V.A. 『大貫妙子トリビュート・アルバム -Tribute to Taeko Onuki-』(2CD)

2013年12月18日発売 価格:3,990円(税込) RZCM-59438/9

 

[Disc-1] 1. 岡村靖幸+坂本龍一 「都会」 2. THE BEATNIKS 「LABYRINTH」 3. やくしまるえつこ 「ピーターラビットとわたし」 4. KIRINJI 「黒のクレール」 5. ハナレグミ 「Happy-go-Lucky」 6. Salyu× 小林武史 「What to do ‘cause love you」 7. 宮沢和史 「夏色の服」 8. 寺尾紗穂 「Rain」 9. 奥田民生 「突然の贈りもの」 10. 松任谷由実 with キャラメル・ママ(細野晴臣・鈴木 茂・林 立夫・松任谷正隆) 「色彩都市」

 

[Disc-2] 1. 竹内まりや「突然の贈りもの」(1978) 作詞・作曲:大貫妙子 編曲:告井延隆 2. ラジ「風の道」(1979)  作詞・作曲:大貫妙子 編曲:坂本龍一(初CD 化音源) 3. 矢野顕子「海と少年」(1986) 作詞・作曲:大貫妙子 編曲:坂本龍一 4. EPO「横顔」(1987) 作詞・作曲:大貫妙子 編曲:乾 裕樹 5. 薬師丸ひろ子「色彩都市」(1988) 作詞・作曲:大貫妙子 編曲:井上 鑑 6. 中谷美紀「夏に恋する女たち」(1999) 作詞・作曲:大貫妙子 編曲:前田和彦、星野英和、坂本龍一 7. 山弦「蜃気楼の街」(2002) 作詞・作曲:大貫妙子 編曲:山弦 8. 原田知世「色彩都市」(2007) 作詞・作曲:大貫妙子 編曲:伊藤ゴロー 9. 土岐麻子「都会」(2008) 作詞・作曲:大貫妙子 編曲:渡辺シュンスケ 10. 大橋トリオ「突然の贈り物」(2010) 作詞・作曲:大貫妙子 編曲:大橋トリオ 11. 青葉市子「3 びきのくま」(2012) 作詞:大貫妙子 作曲:坂本龍一 編曲:青葉市子

 

 

イベント情報

『大貫妙子 40th ANNIVERSARY LIVE』

2014年3月28日(金)OPEN 18:00 / START 19:00 会場:東京都 有楽町 東京国際フォーラム ホールC 出演:大貫妙子(Vo)、小倉博和(Gt)、鈴木正人(Ba)、沼澤尚(Dr)、フェビアン・レザ・パネ(Pf)、林立夫(Dr)、森俊之(Key) ゲスト: 細野晴臣 鈴木茂 料金:7,500円 ※6歳未満入場不可

 

 

 

これぞ!西郷ドンか?

12月 21st, 2013

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今、原稿を書いていて、明治期の写真を何気なく見ていると、

何と、そこに西郷隆盛とおぼしき御仁が座しているではないか。

左は島津家の子息たちで、右に立っているのは大隈重信の若い頃。

西洋画家が描いた西郷像が一般に流布されているが、

この写真こそ、西郷さんに相応しい風貌と雰囲気を伝えているのではないか。

何とも、今まで知らされていなかったことが不思議だ。

それ にしても、明治が今いきいきと蘇るようなことに出会っている。

その答えは、来春をお楽しみに・・・・・。

 

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「海外から逆輸入されるメイドイン山形」

12月 20th, 2013

佐藤正樹(佐藤繊維社長)

※『致知』2014年1月号
特集「君子、時中す」より

 

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当社はもともと山形で
糸作りとニット製造をやっておりまして、
曾祖父が羊を飼ってウールの紡績業を
始めたのが最初です。

祖父の時代に工業化を進め、
父がニット製造を始めました。
私は4代目として後を継いだのですが、
ちょうどその頃から日本の繊維業界は
急激な勢いで衰退し始めたんです。

それまで私は東京のアパレル会社に勤務していましたが、
帰郷していきなり大変な場面に遭遇したわけです。

ニットという分野は繊維製品の中でも加工賃比率が高いので、
不況となると人件費の安い海外に
生産拠点を移すケースが多いんです。

私たちもこのまま日本で製造を続けるか、
海外に生産拠点を持って行くか、
いろいろと悩みましたが、
やはり国内の製造は守らなくてはいけないというので、
そのまま製造を続けることを決めました。

(中略)

山形に戻って4、5年経った頃でしょうか、
私はある糸に魅せられました。
これはどこで作ったのだろうと問い合わせてみたら、
取り引きのあったイタリアの工場の糸だと。

自分のところにしかないオリジナルの糸を作る上で
ヒントを得られるのではないかと思った私は、
イタリアに飛びました。

ちょうど世界の糸の最高峰と呼ばれる
ピッティ・フィラーティー展が開かれていたので、
それに合わせて糸を作っていたメーカーを訪問したのですが、
この時、私は大変な衝撃を受けたんですね。
人生の一番の転機になったのはこの時だったかもしれません。

驚いたことに、工場に並んでいたのは
我が社で使われているのと変わらない機械でした。
その代わり、どの機械にも職人たちが加えた
独自の工夫の跡があったんです。
ギアなどの部品を替えたりしながら、
独自の糸を作っているわけです。

工場長が親切な人で
「この糸を手に取ってご覧なさい」
と実際に糸を触らせながら、
この糸がなぜここまで美しくなるのか、
どうやって製造するのかといったことまで、
実に細かく丁寧に説明してくれました。

私の目を見て熱く語る
工場長の姿を見ながら、思いましたね。

「ああ、俺たちはアパレルに言われるがままに
物作りをやっているけれども、
それとは全く別の発想で生きている人だ」と。

そう考えていたら、工場長は
「私たちが世界のファッションのもとを作っているんだ」
と力強く言うわけです。
この言葉も衝撃的でした。

だって日本でいう工場のイメージは
「これを作ってくれ」
「はい分かりました」
と黙って頭を下げる、というものでしょう。

だけど、この工場長にはそういう雰囲気は微塵もない。
自信と誇りに満ち溢れていました。

「物作りの現場から世界を変えていくことは不可能ではない、
自分もこの道を歩いて行こう」

と強く思ったのはこの時が最初でした。
早速社員を集めて
「俺たちも人から言われたものではなく、
自分たちだけの糸を作ろうじゃないか」
と訴えました。

でも反応は冷ややかでしたね。
「社長の息子がイタリアにまで行って
変な風邪に感染されて帰ってきた」と(笑)。

いま思うと、新しいオリジナルの製品を作るのも大変でしたが、
それ以上にスタッフの心を変えていくのが大変でした。

* * *

その後、佐藤さんはいかにして社員の心を変革し、
世界から認められるオリジナルのニット製品を生み出したのか。

続きはぜひ『致知』1月号P60をご一読ください。

自然医学誌『故郷忘じ難く・・・・』

12月 17th, 2013

自然医学 2014・1月 表紙

「森下自然医学」1月号が届きました。

新春鼎談は、会長と船瀬さんと増川さん。

「現代西洋医学はなぜ病気を治せないのか」前篇。

ワクチン問題、iPS細胞の限界、抗ガン剤は毒ガス兵器・・・・等々、

過激発言が飛び交う面白い内容です。

自然医学 2014・1月 鼎談

 

北海道在住の元毎日新聞社記者の山田寿彦さんの

「ヒポクラテスの目」シリーズ『食文化が破壊される構造』。

和食が世界無形文化に登録される一方、食材表示偽装事件の発覚。

ホテルで出される和食は、本当に和食なのか、大丈夫なのか?

という疑問が沸く、何とも皮肉な時の巡り合せに、一石を投じられている。

自然医学 2014・1月 ソクラテス

 

今回の「倭詩」は、歴史的日中韓問題を取り上げた。

それは、古代中国人と原日本人の融合の時代があったこと。

そして、古代から中世にかけて朝鮮人の大挙渡来があり、

いずれも現日本人の血に流れている事実。

それを直視することなしに、この国家間の問題は語れないことなど・・・・。

今「利休にたずねよ」が封切られたこともあり、その問題が突きつけられている。

自然医学 2014・1月 倭詩

 

 

「KAMOS」発酵?発行!

12月 17th, 2013

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『KAMOS/醸す』

「日本の発酵文化を世界に発信する[かもす]」創刊号が発刊されました!

小泉武夫理事長の肝煎りで発足されましたNPO法人「発酵文化推進機構」。

その情報が満載されたこの機関誌、「倭詩」を編集したIDP出版社から出ます。

まさに醸造発酵の最新情報満載です。

1誌、¥300で、店頭にて扱っております。

ここ主催の行事予定が、

来年先ず2月、日本橋で日本酒試飲会があります。そして、6月総会です。

順次、お知らせいたします。

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「失敗と躓きの数が人生の勲章」

12月 16th, 2013

坂本健一(古書店「青空書房」店主)

※『致知』2014年1月号
連載「生涯現役」より

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――いまもお元気で現役を貫かれている秘訣はなんでしょう。

一にも二にも本ですな。
本屋に対する愛情と、本が私に向けてくれた愛情。
その交流だけです。

本ってね、生きて甦って私の心の中に飛び込んできてくれる。
「本は生きている」と書いたら、
「そんなアホな。ただ紙に活字が印刷してあるだけや」
と言う人がいたけど、そんな人は既に死んでるわ。

本ってね、読んであげることによって
その作家の情熱や理想が伝わってくるんです。
どうしたら人に伝わるか、
自分のこの思いをどんな方法やったら
相手に伝えることができるか、
一所懸命考えて形になったものが本です。

――きょうまで歩んでこられて、
人生で大事なことはなんだと思われますか。

自分を偽らんように、できるだけ自分に素直に生きること。
所詮世の中は嘘で固められているけど、
自分に対して嘘をついたらおしまい。

それから、人生辛いことも多いけど、
上司が悪い、世の中が悪いというのは通用せん。
全部自己責任。
どんな環境になっても、
病気で動けなくなっても、
それが自分の運命や。

私みたいに90になってまだ元気で
商いをさしていただけてるのは、
有り難すぎるほどの人生やから、心を尽くして、
人々にいままで受けてきたご恩、
受けてきたいろんな知識とか知恵を伝播していくのが
私の仕事やと思ってます。

これまでたくさん過ちや失敗を重ねてきたから、
それを伝えて若い人たちの参考になったらええやろ。
失敗と躓きの数がその人の勲章。
その数が多いだけ人生は豊かになる。
それが一番の貯金ですよ。

――勇気づけられる助言です。

失敗して自分は一番しょうもない人間やと
思うのと同じレベルで、
自分ほど強くて、真っすぐで、
負けないやつはおらんという二つの重心を持つこと。
片側だけやと転んでしまう。

そして地べたに放り出されても、
そこで負うた傷を勲章に変える。
人生はオセロゲーム。
真っ白の裏に真っ黒。
真っ黒の裏に真っ白がある。
真っ黒の真後ろに真っ白があることを忘れたらいかんですよ。

* * *

・人生の苦境を突する知恵袋

・本を読まない人へのアドバイスとは?

・読書こそが人生を豊かにしてくれる

続きはぜひ『致知』1月号P98~をご一読ください。

「森下仁丹をV字回復させた劇的組織改革」

12月 14th, 2013

駒村 純一(森下仁丹社長)

※『致知』2014年1月号
特集「君子、時中す」より

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――2006年に社長に就任され、
僅か2年で黒字転換を成し遂げられましたが、
その要因はなんだと思われますか。

組織の構造自体を見直したことが大きかったと思います。
何をしたかというと、社内の部署を
一度すべてなくしてフラットにしました。

――部署を取り払う!?

簡単に言えば、部署をバラバラにして、
プロジェクトチームをたくさんつくるということです。

結局それまでは縦割りのお役所仕事になっていたんです。
まず企画部が商品のアイデアを考え、決裁を取り、
デザイン、製造、営業と、
それぞれ稟議書に判子が押されないと
次のステップに行けない。

それでは時間がかかってしまって、
仕事にスピード感が生まれないんですね。

そこで異なる部署の人同士でチームをつくり、
一つのテーマに関して徹底的に議論を重ねていったんです。
私もその現場にできる限り足を運び、
社員と対話をするよう心掛けていました。

――ああ、現場に出ていかれた。

役員室にいたって、ただ数字を眺めているだけで
何も起きないわけです。
リポートを待っていても出てきませんから、
逐次デイリーな情報を現場で拾い上げる。

例えば、商品のパッケージについて話し合った時、
私が「このデザイン買う気にならないね。
なんでこんなふうになってるの?」と聞くと、
「上の人がこれがいいって言っているので」と。

「いや、君らはどう思うの?」
「ちょっと古臭いかなと……」
「じゃあなんで言わない。
いまの市場に合わないんだったら売れるわけないよね」

そこで分かったのは、
伝統企業のしきたりゆえに物凄く儀礼が先行し、
妙に上の人に遠慮してしまう部分があるということでした。

だから、バカ丁寧な言葉遣いは一切やめさせたんです。
例えば、「お言葉ですが」ではなく、
「私の意見としては」と言いなさいって。

そうすることで活発に議論ができる社風へ変えていくとともに、
市場のニーズを捉えた商品づくりに挑んでいきました。

それを何年も繰り返し続けていくことで、
160億円の負債があった森下仁丹は
現在、売上高96億円、4億円の経常利益を出す
企業へと生まれ変わりました。

――目覚ましい変化ですね。

それでも私自身が手応えを感じ始めたのは、
社長就任から4年くらい経った頃でした。

やはり組織というのは
「1」の力で「1」変わるのではなく、
「10」の力でようやく「1」変わるものだと思います。

組織をフラットにしたもう一つの理由は、
人材の適性を見るためでした。
この人、一体どういう人?
どこが最適なの?って。

ただ、それだけですべて見極めることは
できないので、まずはやってもらう。

だから私は年齢に関係なく
ポジションを逆転させ、
若い人を積極的に抜擢していきました。

――キャリアに拘らず、見込みのある人材をどんどん登用された。

もちろん全部が成功するってわけじゃない。
だから、人事は比較的早く変えました。
合わないなと思ったらすぐ移す。

この人の性格とか仕事のやり方を見てると、
どうもこっちの畑のほうがいいんじゃないかなと。
なのでそこに関しては「石の上にも三年」
というのとは少し違うんですよ。

どっちかというと朝令暮改。
半年くらい見ていると分かるんですね、
その人のポテンシャルが。
無理なことをいつまでもやらせていたら、
本来一番伸びるところまで潰れちゃうんです。

だからまずは得意なところで実績を出すことが第一です。
そこで才能を伸ばした上で、
次のキャリアで苦手分野にチャレンジして経験を積んでいく。

自分の持ち味を発揮できない状態で、
立派なジェネラリストにはなれないですよ。
自分の強み、そこがやっぱり自信の源になってきますから。

* * *

・三菱商事の事業投資先で社長を務めていた駒村氏が
52歳の時、赤字の森下仁丹へ転職した理由とは?

・伸びる社員と伸びない社員の差

・リーダーに求められるものは
情報量とインスピレーション

・企業再建に当たって大切にしてきた言葉

・駒村流「経営の極意」とは?

続きはぜひ『致知』1月号P40をご一読ください。