まほろばblog

故郷忘じがたく候・・・・・

12月 12th, 2013

沈寿官 1

 

「自然医学誌」1月号の『倭詩』責了後、すぐの今朝。

紙面を見て、驚く。

そこには薩摩焼15代目の「沈寿官」氏が載っていた。

父祖の地・韓国で初めて展示会を開いたと言うのだ。

島津藩によって連行拉致された陶工たちの中に、沈氏初代が居た。

それから400年。

その別離の悲しみ、懐郷の思いを抱いたのは、九州全土あるいは山口萩に及んだ。

その数、一千人と聞く。

その惨状と非情を、今回思い切って書いてみた。

歴史の裏に隠された、我らが祖先の所業を、わが身に置換えた時、

隣国に対する眼差しも、変わるのではなかろうか。

映画「利休にたずねよ」の背景にある残酷な歴史を、

我々は知らねばならない時に来ている。

「国際交渉プロフェッショナルの人間学」

12月 11th, 2013

島田久仁彦(国際ネゴシエーター)

※『致知』2013年1月号
特集「君子、時中す」より

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念願の国連勤務がスタートし、
2週間目の金曜日。

この日、私は人生を決定づける人物との
出会いを果たすことになります。

同じ部署のIT担当の女性から
「将来国連で活躍したいのなら、
会っておいたほうがいい人がいる」
と言われ、夕食に誘われました。

そこに現れたのは、女性のご主人とその友人。
ともに国連事務次長、つまり国連のナンバー2の方でした。
そして、そのご主人の友人こそ、
後々私のメンターとなるセルジオ・デメロ氏だったのです。

「こんなカッコいい人がいるのか。俺もこうなりたい!」

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私は一瞬にして虜になってしまいました。
彼は紛争調停界のスーパーマンと
称されていたほど類い稀な交渉力を持ち、
次の国連事務総長に最も近い人物と言われていました。

国連で働く人は皆、彼のことを「ミスター・デメロ」ではなく、
敬意と親しみを込めて「セルジオ」と呼んでいました。

私の知る限り、いまだかつて
ファーストネームで呼ばれた国連幹部は、
彼を除いては1人もいません。
ゆえに、ここでも「セルジオ」と呼ばせていただくことにします。

国連のカリスマ的存在の2人との会食を終え、
翌週の月曜日の朝一番、
セルジオが私のもとにやってきました。

「おまえは非常に熱い男だ。
お互いに物凄く好きになるか、嫌いになるか、
どっちかだと思う。
俺と一緒に紛争調停や交渉の仕事をしてみないか」

私は二つ返事で引き受けました。
当時の私は上昇志向の塊であり、
何よりも「この人についていきたい」という思いが強くありました。
こうして私は紛争調停官としての第一歩を踏み出すことになったのです。

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(中略)

セルジオは交渉術を手取り足取り教えてはくれませんでした。
とにかく背中を見て学べ、というスタンス。

彼がどういう話し方をしているか、
どんなジェスチャーをしているか、
それに対する相手の反応はどうか。

目線はセルジオのほうを向いたまま、メモを取る。
そうやって私はセルジオを絶えず観察し、
一つでも多くのことを盗もうと心掛けていました。

その中で学んだことは数限りなくありますが、
最も印象深く刻まれているのが
彼の人柄であり、人に対する接し方です。

セルジオが長期の仕事を終え、
久々にオフィスに帰ってくると、
その日の午前中はまず仕事になりませんでした。
というのも、職員の多くが
セルジオのもとにやってくるからです。

彼は常に明るく笑顔を振りまき、
誰に対しても分け隔てなく接していました。

そして、職員一人ひとりの顔と名前が一致しているのはもちろん、
「病気のお子さんは元気にしている?」
「最近二人目のお嬢さんが生まれたんだって? おめでとう」など、
その人に関するホットな情報が
必ず頭に入っていたのです。

交渉の現場においても、
彼が部屋に入るとパッと明るくなる。
血生臭い話も和やかな雰囲気で合意へと運んでいく。
そういう仕事上の絶妙な呼吸を持った人でした。

皆に同じ態度で接する。
いつも笑顔でいる。

一見当たり前とも思えるようなことを
徹底することで人望は生まれ、
周りの人が自然と力を貸してくれたり、
プラスアルファの仕事をしてくれたりする。

そのことをセルジオは身を以て教えてくれました。
これはどんな仕事にも当てはまることではないでしょうか。

* * *

その他、

・交渉の第一条件
・最善手を導き出す秘訣
・エレベータープレゼンテーション
・交渉とは勝ち負けではない
・プロフェッショナルの流儀
・交渉に当たって心に留めてきた信条

等々、仕事に生かせる極意が満載です。

続きはぜひ『致知』1月号P34をご一読ください。

「時代はいつも魅力的な言葉から始まる」

12月 10th, 2013

細田高広(クリエイティブディレクター)

※『致知』2014年1月号
連載「致知随想」より

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「十年以内に人類を月に送り込む」
(ジョン・F・ケネディ)

「ポケットに入るラジオをつくれ」
(井深大)

「女の体を自由にする」
(ココ・シャネル)

いつの時代も、
未来はこうした魅力的な言葉によって
創造されてきました。

私は広告会社のコピーライターとして
企業ブランディングのお手伝いをする中で、
多くの企業が前年比何%アップといった「数字の経営」に汲々とし、
その数字がなんのためにあるのかという原点が
見失われている現状を痛感しています。

経営は本来、こんなものをつくりたい、こういう時代にしたい、
といった言葉から始まるものであり、
「言葉の経営」こそが社員を躍動させ、
時代を開く原動力になると私は考えるのです。

私はかねて主に企業の宣伝部の方と向き合い、
広告やCM制作のお手伝いをしてきました。

ところがせっかく知恵を絞っても、
その企業のトップが別の場所で
私たちが発信したメッセージと異なる発言を
していることがしばしばあり、
自分の仕事に疑問を抱いていました。

転機となったのはロサンゼルスの会社への出向でした。
現地で一緒に仕事をしたアップルやペプシ、
ゲーターレードといった会社のトップの口からは、
「こういうものがあったらいいよね」といった
無邪気な夢や常識外れな発想が、
ドキドキするような魅力的な言葉となってポンポン飛び出し、
それを周りが具体的な数字に落とし込む形で経営が行われていました。

周囲との軋轢を避けるため、
当たり障りのない発言しかしない
多くの日本のトップとの違いを痛感したのです。

以来私は、クライアントの意思決定に関わる経営層と直接向き合い、
マーケティング戦略や企業戦略といった
より上流の部分からブランディングに関わることで、
的確で魅力的なメッセージを発信する努力を重ねているのです。

冒頭の「ポケットに入るラジオをつくれ」という言葉を
井深大氏が発信した当時、
ラジオというのは大きな「家具」でした。

単に「小さなラジオをつくれ」という指示であったなら、
従来のラジオを少し小さくしたものしかできなかったでしょう。
「ポケットに入る」という言葉によって、
ラジオを外に持ち歩くという新しい発想が共有され、
形になったと思うのです。

またシャネルは、
窮屈な衣服で心身ともに束縛されていた女性を解放する、
というブランドに懸ける思いを、
「女の体を自由にする」という明快な言葉で表現することによって、
新しい未来像を提示し、社会から絶大な支持を集めたのです。

言葉には、人の意識や現実を大きく変える力があります。

* * *

その他、
ディズニーランド躍進の秘訣、
商品開発から経営戦略、マネジメント、
人生設計まで役立つ言葉の技術とは。

続きはぜひ『致知』1月号P89をご一読ください。

今朝から「幸い市」GO!

12月 6th, 2013

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今朝から3日間の「歳末大売出し」。

早くも売れ切れ続出。

店内は殺気立っています。

こんなに多くのお客様にお越しいただいて感謝一杯です。

明日が、実質の開店30周年記念です。

1983年12月7日に開業しました。

長くもあり、短くもありです。

ありがとうございました。

(詳しくは、今月のお便りをお読みください)

 

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「トップの決断が可能性を拓く」

12月 5th, 2013

立谷秀清(福島県相馬市長)
鈴木秀子(文学博士)

※『致知』2014年1月号
特集「君子、時中す」より

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立谷 震災から3日目の3月14日夜9時頃、
ガスマスクをした自衛隊員が100人以上、
市庁舎にやってきましてね。

隊長が「いますぐ相馬市民を避難させてください」と
要請してきたんです。

より原発に近い隣の南相馬市からは
避難者がどっと押し寄せてきていて、
崩壊した近隣の病院の入院患者を
受け入れるなど大混乱にある時でした。

私はすぐに政府に電話で確認しました。
「避難命令を出したのですか」と
仙谷由人さんに聞いたところ、
「自分のところは出していないが、
他の対策会議で何を話しているか分からない」と。

仙谷さんですら動きを把握していない。
日本政府として腰が定まっていない。
これにはただあっけにとられました。

そうである以上、私が判断するしかありません。
で、考えるわけですよ。
夜9時に「さあ、市民の皆さん一斉に逃げてください」
という指示を出したらどれだけの混乱があるか。

たぶん寝たきり老人を置いて皆逃げるでしょう。
他の市町村では実際、
寝たきり老人が置いていかれて餓死する
という悲劇がたくさん起きています。

鈴木 人の命を救うという医師としての視点が
そこでも生きてくるのですね。

立谷 ここで問われるのは、
いざ避難した時に何人の犠牲者が出るかというリスクと、
逃げないで様子を見ている間に
どれだけ被曝するかというリスクの大小です。

(中略)

その時、私の頭の中は6対4でした。
6割は
「いま逃げたら大変だ。
放射線の被曝どころではない。
相当の混乱と被害が出る」
という思いです。

仮に原発が緊急事態で退避するにしても、
最初は病人から逃がさないといけない。
そのための引き受け先を決めなくてはいけない。
市民全員を避難させる場所も決めなくてはいけない。

それを決める間、
被曝することもあるだろうが、
1週間、2週間の被曝は微々たるものだ。
いま自衛隊の言うことを聞くわけにはいかない――
この思いが6割。

残りの4割は
「ひょっとしたら、
これは相当やばいかもしれない」
という底知れぬ不安が、やはりありました。

鈴木 その頃は東日本全体が大混乱に陥っていて、
原発から遠く離れた東京でさえ
脱出する人が相次いでいたくらいですから。

原発にほど近い現場で冷静さを保ちながら
情報を集め、的確な決断を下すのは、
並大抵の覚悟ではできなかったと思います。

立谷 私は普段から3日考えるのも
3分で考えるのも一緒と思っていますから、
とても思慮の浅い人間なのかもしれません(笑)。

だけど、私は体験して思ったのですが、
口から衝いて出る時は
6対4が10対0になっているんですよ。

私がその時、なんと言ったか。
自衛隊の人たちに
「皆さん、市役所から出ていってください」と
明確な意思を伝えました。

鈴木 迷いが吹っ切れた凄い一言ですね。

しかし、その冷静な一言で職員さんは安心された。
それがまさにリーダーの資質なのだと思います。

立谷 避難させるべきか否か。
本当のところ、私も頭の中では
ぴりぴりしているわけですよ。

市の職員もじっと私の顔を見ている。
まさにギリギリの決断でした。
しかし、不思議なんですが、
自衛隊がいなくなった途端、
職員は何事もなかったように仕事をするんです。

相馬市への避難勧告が
誤報であることが分かったのは、
その翌日のことです。

鈴木 いまのお話を伺いながら、
とても感心しました。

いざという時、リーダーはどうあらねばならないか。
そのことがあますところなく伝わってくるご体験談でしたね。

立谷 危機に当たって皆が見るのはリーダーの顔です。
その時、演技でもいいから
「道はこうだ」「間違いない」という
顔をしなくてはいけない。

私になぜそれができたのか。
震災後、市長室で情報を入手したり
電話で連絡を取ったりしながら、
自分の中にお手本がいたんです。
それが栗林忠道中将です。

鈴木 ああ、第二次世界大戦中、
硫黄島で守備隊指揮官として戦い、
最後は戦死された……。

立谷 私はこの栗林中将をとても尊敬しています。

負けると分かっていながら、
諦めないで戦う不屈の精神を
私はこの人に学びました。

もっとも硫黄島の激戦は、
私どもの仕事の比ではない。
千倍、万倍過酷な状況にあっても
挫けないトップの姿勢は、
やはり危機に当たってのお手本ですね。

* * *

立谷市長は震災当日から
いかにして陣頭指揮を執ってきたのか。
復興の道程やそこに懸ける思いとは。

続きはぜひ『致知』1月号P20をご一読ください。

和食が無形文化遺産に ユネスコ 「自然尊重の体現」評価

12月 5th, 2013

先日、小泉先生から教えていただいた「和食」が世界の無形文化財となるとの情報、

ついに登録が決定しましたね。

おめでとうございます。

ますます日本が注目されますね!

 

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アゼルバイジャンのバクーで開かれている国連教育科学文化機関(ユネスコ)の政府間委員会は4日、

日本政府が提案していた「和食 日本人の伝統的な食文化」無形文化遺産への登録を決定した。

国内の無形文化遺産登録は22件目で、食文化では初めて。

福島第1原発事故で日本食への風評被害が海外でも広がったが、登録決定により信頼回復が進みそうだ。

「和食」をめぐっては、京都の料理人らでつくるNPO法人「日本料理アカデミー」が

東日本大震災後の平成23年6月、京都府に働きかけて「日本料理を無形文化遺産に」と提言。

政府も「原発事故で揺らいだ日本の農水産物の信頼回復につながる」などとして昨年3月、

有識者による検討会を経てユネスコに登録を提案していた。

 

提案書では、和食を「自然を尊重する日本人の精神を体現した食に関する社会的慣習」と位置づけた上、

(1)正月や田植えなど年中行事との密接な関わり

(2)四季や地理的多様性による新鮮な山海の幸

(3)自然をあらわした美しい盛り付け-などを特色に挙げていた。

今回の決定を受け、文化庁では学校給食や地域行事で郷土料理を提供したり、

親子教室などで食育活動を推進したりして、継承に努める方針だ。

食に関係する無形文化遺産としては、フランスの美食術、スペインやイタリアなどの地中海料理、

メキシコの伝統料理、トルコのケシケキ(麦がゆ)の伝統がすでに登録されている。

 

和食

「弱点を武器に水族館に奇跡を起こす」

12月 4th, 2013

中村 元(水族館プロデューサー)

※『致知』2014年1月号
特集「君子、時中す」より

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――斬新なアイデアを次々と生み出す秘訣はなんですか。

常識を常に疑っているんです。
みんながそうだと言っていることは、
本当にそうだろうかと、その奥を考えたくなる。

ですから結構理屈っぽいですね。
理屈っぽいというのは凄く大切で、
自分の哲学をつくります。

絶対にこうなんだって自信を持って
言い切らなければならないプロデューサーは、
しっかりした自分の哲学を
持っていなければなりません。

こちらの企画に皆が戸惑うようなことがあっても、
ちゃんと説得しなくてはいけませんから。

――各館とも厳しい条件の中で、
再生を実現していくのは至難の業です。

僕は逆境であればあるほど頭が働くんです。
お金はいくらでもあるから
自由に考えてくださいって言われると、
逆に考えられなくなる。

だけど逆境では道は限られているから
見つけやすいじゃないですか。
ですから僕は、わりに順境の時でも
断崖ギリギリまで行くことにしているんです。

絶壁でこそ力が出るし、
そんなギリギリのところに優秀な人は来ませんから、
僕の力でも勝てる。
そこにやっぱり進化の道があるんですね。

――逆境に進化の道がある。

生物が進化するのは、
存亡の瀬戸際に追い込まれた時です。
キリンの首が長くなったのも、
シマウマに餌を奪られてしまうからでしょう。
大きな進化ってギリギリのところにあるんですよ。

山の水族館の前に手掛けた
東京池袋のサンシャイン水族館は、
海から遠く、都会の高層ビルの上にあるために
大量の水が使えない。
敷地の半分が屋上にあって
屋根がつくれない。

夏は設置した椅子が座れないくらい熱くなるし、
冬は逆に寒過ぎ、
来館者数は年間七十万人に落ち込んでいました。

そこで僕は、屋上を緑化して庭園にしました。
屋上緑化で有名な玉川高島屋を調べて、
最悪の環境を「天空のオアシス」というコンセプトに転換し、
オープン1年で来館者数224万人を記録しました。

大事なことは、
自分のダメなところを直視する
ことだと思います。

弱点を克服しようと思わずに、
武器にすることを考えていくと、
道は開けると思います。

* * *

中村氏はいかにして名プロデューサーへと
登り詰めていったのか。その半生とは。

りんご娘のりんごセール!

12月 3rd, 2013

青果市場の蔵重商店の娘さん、蔵重友恵ちゃん。

市場の働き者で人気者だ。

何百万円でセリ落とした夕張メロンのセリ場で、

夕張市長とツーショットで全国放映されたり、

貴重で重要な産地訪問など、上司の渡会さんと歩く。

その成果が、昨日から始まっているリンゴ品評会だ。

りんご娘と木村さんの奇跡りんご

 

まず驚くのは、あの「奇跡のリンゴ」の木村さんへ乗り込んで、取材して来たことだ。

取引はできなくても、話題に貴重な1個をもらって来た。

この1個の繋がりが、後々大きな収穫を得るかもしれない。

スゴイゾ!友恵ちゃん。

りんご娘と江刺サンフジ

 

これは、意外と知られていない岩手県江刺の「サンふじ」りんご。

ここは、天皇陛下皇室御用達のリンゴ産地で、

初ゼリが、1箱¥1,000,000だったとか。

名ばかりでなく、それだけ品質も素晴らしい!

林檎娘と水木さんりんご

 

これは、話題の弘前の水木農園のリンゴ。

ここも一家言あって面白い。

木村さんとは同じ弘前、同じリンゴ栽培。

当然のように批判・対立が出てくる。http://www.foocom.net/special/9580/

しかし、何事も両論聞いて全体の視野からその存在理由を見る事が大事では。

ジュースが届いています。

 

コックスオレンジ,プレムリー

 

これは、昨日upした「コックス・オレンジ・ピピン」。

そして、同系統の「ブラムリーシードリング」。

いずれもイギリス原産で、日本での品種登録がない。

どちらも、王様と呼び、世界一だとイギリス人は自慢する。

これから加工用として紅玉のように評価されるかもしれない。

真ん中に、山の手の斉藤リンゴ園のスターキングとリチャードが展示されてあった。

 

福田、穂積、集合写真①

 

今朝から、山の仕事を終え、冬場市場仕入れを手伝うことになった福田君。

穂積店長と友恵ちゃんとで記念ショット!

ありがとう!

ごくろうさん!!

『アルカヌム』の凄さ!

12月 3rd, 2013

arukanum

まほろばオリジナル健康食品『アルカヌム』の本当の凄さは、あまり知られていません。

それは、下の記事の循環多段式加圧抽出法にあったんです。

じっくりお読みください。

もちろん、「クマイザサ」も入っていますよ。

アルカヌム 1

カッコイィ・ぞ!まんさく杜氏!!

12月 3rd, 2013

mannsaku 1  秋田の観光キャンペーンに横手市増田の「日の丸醸造」さんの蔵が一役買っています。

そのキャッチコピーがにくい!

『家の中に豪華な蔵を構える内蔵。

秋田の商家は、見栄を張るより、

一家の誇りを内に秘める』・・・・・

NATURAL BEAUTY AKITA

このポスターはJR駅と車内に掲載されています。

 

早速、年越し・お正月用のめでたし酒の受付を開始します。

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