まほろばblog

「人生は一に努力、二に努力、三に努力、全部努力」

1月 5th, 2014

福島孝徳(デューク大学教授)

※『致知』2014年2月号
特集「一意専心」より

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※対談のお相手は、福島氏の盟友であり、
世界最先端の医療機器を導入し、
福島・宮城・青森・東京・神奈川を基盤に
16もの病院を経営する
南東北グループ総長・渡邉一夫氏です。

福島 私は若い時からとにかく、
日本一、世界一になりたかった。

そのためには普通のことをやっていたらダメなんで、
「人の二倍働く」「人の三倍努力する」
という方針でやってきました。
普通の人が寝ている間、休んでいる間に差をつけると。

そういう姿勢で若い頃から腕を磨いてきたんですけど、
いま71歳になってみると、人生は短い。
私に残された時間はもう少ない。
だから、一刻も無駄にできないんです。

渡邉 いまは年間どのくらい手術をされているんですか?

福島 600回ですね。
一番の盛りは三井記念病院にいた43歳の時で、
900回はやっていました。

私は人間の年齢には暦の上の年齢と、
生理学的な年齢の二つがあると思っているんです。

私が本当に感心するのは、
経団連の会長をされていた土光敏夫さん。
80を過ぎても矍鑠(かくしゃく)としていましたよね。
素晴らしい人でした。

で、いま世界でも、
例えばモスクワの国立ブルデンコ脳神経センター
というところは脳外科だけで2000床もあるんですが、
ここの総帥がコノバロフという人で
83歳のいまも毎日手術をしている。

渡邉 ああ、そうでしたか。それは凄い。

福島 それからローマ大学のカントーレという教授、
彼もいま83ですけど、手術をしています。

私自身、手術に関しては
いまだにマスターチャンピオンですよ。
目と手は全然若い人に負けない。
だからあと10年は大丈夫じゃないかなと思っています。

これにはやっぱり天性の才能が
少なからずあると思うんですけど、
それ以上に膨大な数をやっています。

だから、私はいつも言うんですけどね、
人生は一に努力、二に努力、三に努力、全部努力なんですよ。
他の人が信じられないような努力をして、経験を積む。

それから本当はいいコーチがいなきゃいけない。
オリンピック選手を見ていても、
皆が類い稀な技量を備えている中で
どこに差が生まれるか。
コーチですよ。

渡邉 なるほど。でも、福島先生にコーチはいないでしょう?

福島 いや、私は若い頃、ちょっと暇があれば、
世界中の名医を訪ねて回りましたから。

いまでもそうです。毎日勉強しています。
あの天才ミケランジェロが残した
有名な言葉が「ラーニングアゲイン」。
ルネサンス期に世界一の絵と彫刻を生み出していても、
いまだに日に日に勉強しています、と言った。

だから日に日に勉強して、日に日に努力して、
渡邉先生も同じだと思うんだけど、毎日仕事しています。
休んでいられないですよ。

私は土日と祭日も一切休まない。
夏休み、冬休み、一切取らない。
毎日働くのが趣味なんです。

* * *

福島氏はいかにして世界一のドクターとなったのか。
その不遇の修業時代とは。
大切にしている信条とは。

正月にはいづくにも・・・・・・・

1月 5th, 2014

正月にはいづくにも
つまらぬ遊事をするものに候間、
夫れよりは何か心得になるほんなりとも
読んでもらひ候へ

(お正月にはどこでも
つまらない遊びをするものである。
そんなことより何かためになる本でも
読んでもらいなさい)

――吉田松陰(幕末の志士)

※『吉田松陰一日一言』
1月3日の言葉より
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本日お届けした吉田松陰の言葉は、
2歳年下の妹に宛てた手紙に
書かれていたものです。

特典書籍の1つである『吉田松陰一日一言』には、
明治維新の精神的指導者である
吉田松陰の遺した名言、箴言が366も
収録されています。
ここでは1つだけご紹介しましょう。

■2月19日

天道も君学も一の誠の字の外なし。
一に曰く実なり。
二に曰く一なり。
三に曰く久なり。
故に実と一とを作輟なく
幾久しく行ふこと、是れ久なり。

(世間一般の道も、君子たるの学問も、
たった一つ、誠の字のほかにはない。
一にいう、実際に役に立つことを行うことである。
二にいう、それだけを専一に行うことである。
三にいう、ずっと行うことである。
だから、実学を専一に、やったりやめたりすることなく
ずっと行うこと、これが久である)

想像する人間は絶えず危機の中に・・・・

1月 5th, 2014

新しい年を迎えるには、
新し心構えがなくてはならぬ。
決してただ漫然と迎えてはならぬ。

そしてその心構えには
年相応のものがなくてはならぬ。
50代には50代の心構え、
70代には70代の心構えが大切である。

還暦になったんだから、
古稀になったんだからという妥協は
自己を深淵に落ち込ませるだけである。

――坂村真民(仏教詩人)

※『坂村真民一日一言』
1月2日の言葉より

 

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「念ずれば花ひらく」や
「二度とない人生だから」の詩をはじめ、
数々の作品を世に送り出した97歳で亡くなられる直前まで
詩の創作に打ち込んでいたという坂村氏。

その人生の真理を紡ぐ言葉は
いまなお多くの人々を惹きつけてやみません。

「老人は早起きだというけど、
そんなの嘘ですよ。
私も本当は遅くまで寝ていたい。
しかし、私が遅くまで寝ていて、
どうして人々の心に光を灯す詩が書けますか。

想像する人間は絶えず危機の中に
身を置いていなければいけない」

「ウマくいくぞー!」2014年おめでとうございます

1月 1st, 2014

馬 年賀

新しい年明けを寿ぎます。

旧年中は大変お世話になりました。

今年も、よろしくご愛顧戴きますようお願い申し上げます。

皆様方の末永きご健康とご繁栄をお祈り申し上げます。

平成26年 元旦

お世話になりました!2013年

12月 31st, 2013

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2013年も残す所、あと6時間(今年は余裕です)。

あっという間の1年。

皆様には、ご愛顧賜り、誠にありがとうございました。

1983年12月7日に、アパートで開店の第一声。

あれから丁度30年の月日。

記念すべき年であったにも関わらず、案外アッサリと過ぎてしまいました。

来年7月は、正式の店舗開店創業30周年で、力を入れねばなりません。

とにかく、世界情勢、国内情勢、混沌とした中で、

どのように舵取りして行けばよいか、試練の年になりそうです。

 

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今年、唯一残念で惜しまれるのは、皆さんに愛されて来た城越ゆかりちゃんの退社です。

みんなの太陽で、まほろばの宝でした。

しかし、何処にいようともゆかりチャンの輝きは周囲を照らし続けてくれるでしょう。

まほろばとのお付き合いも、末永いものとなりそうです。

がんばれ!ゆかりちゃん!!!

笑顔のままで!!!!!

 

 

初売り6,7日「餅つき大会」両店で!

12月 31st, 2013

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来春、初売りの6(月・本店),7(火・厚別店)の両日、

恒例のヤンジーによる「餅つき大会」が、まほろば両店で開かれます。

本店では、10時開店と同時に、「まほろば合唱団」の聖歌が店内に響き渡ります。

心もお腹も一杯に膨らませてください!

初売りを是非、お見逃しなく!!!

「喜びの種をまく」

12月 26th, 2013

中條 孝徳(アサヒビール名誉顧問)

※『致知』2014年1月号
連載「巻頭の言葉」より

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筆者が中学生の頃、
菩提寺の和尚さんが
『易経』の「積善之家必有余慶」の
因果応報を分かりやすく、

「幸せになりたかったら
他人様にどんどん喜びの種をまきなさい」

と説いた。

ひどい貧乏で真面目な男が

「和尚さん、そうしたいが
お金が一文もありません」と。

これに答えて

「おまえさんの了見違い(考え違い)も甚だしい。
おまえさんには素晴らしい笑顔があるではないか」

と反論。

彼は一念発起、やがて上京し、
笑顔に徹して立派な商人になった。

筆者長じて学んでみれば
『雑宝藏経』に

「仏説きたもうに七種施あり。
財物を損せずして大果報を得ん」

とあるではないか。

1、眼施(げんせ)
――やさしいまなざし

昔から「目は口ほどに物を言う」
と言われてきた。

眼施一つで恋実り、
そのおかげで多くの若者が
幸せを掴んできた。

天下の切れ者、
石破茂自民党幹事長のまなざしは異様。
眼施に気づけば鬼に金棒、天下が取れる。

2、和顔悦色施(わがんえつじきせ)
――慈愛に溢れた笑顔で人に接する

道元禅師はやさしくほほえんで
赤ちゃんにかける言葉を「愛語」と称され、

「慈念衆生、猶如赤子のおもいをたくわえて
言語するは愛語なり。(中略)
怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること、
愛語を根本とするなり。

むかいて愛語をきくは、
おもてをよろこばしめ、こころをたのしくす。
むかわずして愛語をきくは、
肝に銘じ、魂に銘ず。

しるべし、愛語は愛心よりおこる、
愛心は慈心を種子とせり。
愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり、
ただ能を賞するのみにあらず」(『正法眼蔵』)

と説く。

安岡正篤師もまた
「斉家の箴」で五か条を挙げ、
最初に

和顔愛語を旨とし、
怒罵相辱かしむるをなさず」

と説く。

3、言辞施(げんじせ)
――言葉には廻天の力あり

『致知』の2002年9月号で紹介された

「ありがとうおかあさん
ありがとうおかあさん
おかあさんがいるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを生きていく

やさしさこそが大切で
悲しさこそが美しい
そんな人の生き方を
教えてくれたおかあさん
おかあさん
あなたがそこにいるかぎり」

の詩には、どれほど涙を流したか分からない。
脳性マヒの子供が
悲しみ悩む母親に「喜びの種」をまいたのだ。

今上陛下のご指南もされた碩学・小泉信三氏が、
戦死したご子息の信吉大尉へ宛てた
手紙の一節を紹介しよう。

「我々両親は、君に満足し、
君をわが子にすることを
何よりの誇りとしている。
僕は若し生まれ替わって妻を選べといわれたら、
幾度でも君のお母様を選ぶ。
同様に、若しもわが子を選ぶということが出来るものなら、
我々二人は必ず君を選ぶ」

それほどまでに自分を考えてくれる
両親の愛情を確と受け止め、
信吉大尉は前線に赴き、
お国のために散っていった。

* * *

残りの4つの教えとは何か。

続きはぜひ『致知』1月号P4をご一読ください。

「私たちは気づかぬうちに周囲を照らしている」

12月 25th, 2013

鈴木 秀子(文学博士)

※『致知』2014年1月号
連載「人生を照らす言葉」より

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『風立ちぬ』の主人公は、
大切な婚約者を結核で失い、
失意のどん底に落ち込みます。

そして、思い立ったように
婚約者と過ごした信州の別荘地を訪れ、
楽しかった思い出を探し求めるのです。

一人のドイツ人神父との偶然の出会いによって、
薄紙を剥ぐように心が軽くなっていく主人公ですが、
やはり時には、どこにもやり場のない感情が
湧き上がってくるのでした。

(中略)

失意の状態が続く中、
この別荘地にも
賑やかなクリスマスがやってきました。

しかし、主人公にはそれを楽しむ余裕がありません。
次の件からは、皆が笑顔で歓談する様子を、
一人陰鬱そうな表情で眺める姿が目に浮かんできます。

「夜、村の娘の家に招ばれて行つて、
寂しいクリスマスを送つた。
こんな冬は人けの絶えた山間の村だけれど、
夏なんぞ外人達が沢山はひり込んでくるやうな土地柄ゆゑ、
普通の村人の家でもそんな真似事をして楽しむものと見える」

主人公の心を変えるある小さな出来事が起きたのは、
まさにこのクリスマスの日でした。
ここはこの小説のとても大切な部分です。

「九時頃、私はその村から雪明りのした谷陰を
ひとりで帰つて来た。
さうして最後の枯木林に差しかかりながら、
私はふとその道傍に雪をかぶつて
一塊に塊つてゐる枯藪の上に、
何処からともなく、
小さな光が幽かにぽつんと落ちてゐるのに気がついた。

こんなところにこんな光が、
どうして射してゐるのだらうと訝りながら、
そのどつか別荘の散らばつた狭い谷ぢうを見まはして見ると、
明りのついてゐるのは、たつた一軒、
確かに私の小屋らしいのが、
ずつとその谷の上方に認められるきりだつた」

夏場、多くの外国人で賑わう別荘地も、
冬場はどこも閉じられていて夜は真っ暗です。

雪明かりを頼りに林の中を歩く主人公は、
ふとそこに小さな明かりが
射していることに気づきました。

その光のもとを辿っていくと、
紛れもなく谷の上方にある
主人公の小屋から漏れてくるものでした。

(中略)

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主人公はここで初めて、
周りにある多くの光が自分を照らし、助け、
生かし続けてくれていることに気づきます。

そして、取るに足らない
ちっぽけな存在だと思っていた自分が、
実は気がつかないうちに遠くの存在を照らし、
知らない誰かの助けになっていることを知るのです。

クリスマスは苦悩する人類を救うために
神様が遣わしたイエス・キリストが降誕した日です。
それは同時に、神様が新しい人類の希望と、
人間一人ひとりがかけがえのない存在であるという
メッセージを送られた日でもあります。

「自分は一人で生きてきたように
思ってきたけれども、
そうではない。
自分を生かしてくれる多くの光に
包まれていると同時に、
自分もまた周囲を照らしながら生きている」

という主人公の気づきは、
クリスマスの美しい雪景色とも重なり合いながら、
読む者の心に静かに染み入ってきます。

* * *

その後、主人公はいかにして絶望から立ち直り、
人生の幸福へと辿り着くのか。

続きはぜひ『致知』1月号P102~をご一読ください。

※まだ『致知』をお読みでない方は、
この新年号(1月号)からのスタートをお勧めします

和食・・・小泉節

12月 24th, 2013
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今朝の日経「食あれば楽あり」。

早速『和食』がユネスコの文化遺産に登録になったお話。

その中で、熊本県の山間の集落での田舎料理に感動された顛末。

こんなに擬態語が出たのは初めてではないだろうか。

さぞ美味しかったに違いない・・・・・一度食べてみたい!!!

 

食在れば楽あり 和食

2014年『ミニ〆縄』、届きましたよ!!!

12月 23rd, 2013

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ほうずき灯り作家の波多さんが、今日、恒例の縁起物

「ミニ〆縄」を作って届けてくださいました。

これを、飾って新年を招福来運の年としましょう。

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            〆縄 小 ¥1.500

 

大きな節目の2013年も遺すところあとわずかとなり、

冬至に祈りと共に仕上げた注連縄(〆なわ)を、

今年もまほろばにて限定販売させて戴きます。

新しい飛躍の午年を迎えるに当り、

皆さまにとって、益々健康で笑いの多い年と成りますように・・・・・・。

        未来路micro工房 波多誠子

 

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         〆縄 中 ¥2.000

 

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            〆縄 大 ¥2.500