まほろばblog

広瀬さん講演会in釧路

4月 20th, 2012

寺田さん逝く

4月 19th, 2012

昨朝、宮嶋さんから「寺田さんが亡くなられた」との訃報を頂いた。

「えっ、まさか!」信じ難い急報に、全国の知人に確かめたが、誰も知ってはいなかった。

だが、夕刻、寺田さんの近所の方から真相を伝えられた。

そして、22日通夜の日取りを聞かされ、初めて死の事実なるを悟った。

思えば、二人して講演するはずだった31日の前夜、電話した時、入院するとの決断された時だった。

3月のこうさきのお祭りに風邪を引いてこじらせたらしい。

ここ何年かの寺田さんの働きぶりは、発酵ブームと相まって、本人の意思では

止められないほどの勢いが加わって、無理に無理を重ねられたのだろう。

笑顔をいつも絶やさずにおられたが、体力的には限界を遥かに超えていたに違いない。

うれしきも、たのしきも、周りにはそうであっても、気を配りながらの人への思いやりは、

やはり、体力を蝕むほど、過労に過労が追い討ちをかけた。

発酵というゆったりとした時間の推移を見守る蔵元主人の勤めは、

ただじっと毎日、樽のそばを通りすがれば、良いものだったはずだ。

そうはのんびりさせてくれなかった世間の発酵ブームの火付け役として、

東奔西走する日々を悔やまれてならない。

(最後の姿となったお祭りでの「バカ殿」に扮した寺田さん。彼らしい優しさと笑いに、

悲しみが伝わる。上記三点の写真は、いずれも国際自然医学社の山司記者の撮影)

今朝の道新に、「老少不定」「みな同じ年」と仙厓さんが云ったとのこと。

あの震災で、老若男女皆歳を違えて、あの世に旅立った。

寺田さんには、まだまだ働いて貰わねばならない歳で、

そんな意味では、みな同じ歳の感を否めない。

燎原の火のごとく、今「国菌」なる麹ブームで、

日本が変わる良き前兆と思っている。

日本は、微生物から変わる。

小さき世界から革命が起こる。

そんな小さき世界に目を向けてくれた寺田さんの功績は、

後代、語り継がれるであろう。

天上にて、日本をみそなわされて戴きますようご冥福と、

寺田本家の益々の繁栄を祈りたいと思います。

「土光敏夫さんから教わったこと」

4月 18th, 2012

             
       
   大谷 將夫 (タカラ物流システム社長)

       『致知』2012年4月号
         特集「順逆をこえる」より

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【記者:部屋の額縁に収められている
   「情熱に勝る能力なし」というのは、ご自分で書かれたものですか】

そう、これは座右の銘。
私の思い描くリーダー像でもあるんです。

45、6歳の時に土光敏夫さんの本を読んでいて
浮かんできたのがこの言葉でした。

その本には、要するに頭がいいからリーダーになる
というのは限界がありますよ、ということが書かれていました。

なぜか。

頭のよさで勝負しようとすると、
人間の性で自分より優れた人間を蹴落とそうとするんですね、
片方では優秀な人材が欲しいと言っていながら。

これは大なり小なり人間誰もが持つものなんだと思います。

では土光さんはどう言っていたかといえば、
能力ではなく、情熱を争えと

つまり誰よりも会社を愛して、
そして常に全力投球で会社に命を懸ける、というくらいの
情熱を持つ人こそがリーダーとして最も相応しいということです。

この時ですよ、あぁそうか、
情熱に勝る能力はないなと心底思ったのは。

だから情熱がなくなったら私は社長を辞めますよ。
その代わり情熱が続く限りは頑張る。
だってそれが会社のために一番いいと思いませんか。

本当に命懸けなら会社が順調な時はもちろん、
逆境に立たされたとしても体を張って守る覚悟ができているんだから。

年が若いから地位を譲るとかそういうのは一切関係ない。
ただしもし仮に私よりも情熱溢れる人が現れたら、
その時はその人が社長になるべきだと思います。

「吾は汝を引き、汝は吾を選る」自然医学誌

4月 17th, 2012

  

「森下自然医学」5月号が、昨日届く。

開くと会長の「巻頭随想」に、20011年3月11日・・・・との題がある。

当日当時、会長は羽田上空の機中で着陸待機。

着陸後、大混乱の空港内。交通網は全面ストップ。

頼むはTAXIのみ、その列500番を数える。

しかし、夜間と寒さとひもじさで次々とみな脱落、5,6番目になるに十数時間に及ぶ。

ついに、早朝に至りて土曜診療に間に合うを得たり、と。

以前から聞いていた話ではあるが、その簡にして妙を得た達文に感銘。

文語体と旧字体と俳諧調の絶妙な味わいは今日見れるものではない。

後世遺したい文体文章である。

そして、80歳を超えて、なお矍鑠とした体力・気力は驚くばかり。

若き頃、食うものも食えずの学徒動員の鍛錬の賜物とおっしゃられる。

見習うこと久しくして厳なるものがある。

昨年、中国ルーカオにご一緒した世界長寿郷視察。

再び、5月27日から6月1日まで「国際自然医学・海外大学講座」が開かれ、

ただいま、参加者募集中です!!!

都市型長寿郷のモデルを視察して、わが町わが村を長寿郷にしてみませんか。

シリーズ「食を支える人たち」で寺田本家さんが紹介されました。

3.18に行われた「発酵の里 こうざき酒蔵まつり」が開かれ、

6万人が内外から集まったとのこと、驚きますね。

お読みくださいね。

第二回目の「倭詩/やまとうた」は「吾は汝(な)を引き、汝(なれ)は吾(あ)を選(よ)る」という一文。

中国古琴、「幽蘭」との出会いとある方のその研究等々を書き、

縁生の不思議さを綴ったものです。

みなさま方々との出会いは、家族に再会したようなもの、

出会いを大切に育ててゆきたいものですね。

「お客様が先、利益は後」

4月 17th, 2012

      
       
          宇都宮恒久(中央タクシー会長)

             『致知』2012年3月号
              特集「常に前進」より──────────────────────────────────

MKタクシー創業者の青木定雄オーナーとの出会いです。
創業して1、2か月たった頃、友人から
凄いタクシー会社があると聞いてビックリしまして、
アポイントも取らずに夜行列車を乗り継いで京都に行ったんです。

京都駅からMKタクシーに乗って本社まで伺ったんですが、
早速驚いたのが、助手席の安全枕に
「お客様へのお願い」とありましてね、
次の4つを怠った乗務員には運賃を払わないでくださいとあるんです。

・「ありがとうございます」と挨拶をします。

・「MKの○○です」と社員名を明らかにします。

・「どちらまでですか」と行き先を確認します。

・「ありがとうございました。お忘れ物はございませんか」
  とお礼を言います。

感服しながら本社に着いたのですが、
やはりオーナーはご不在で翌朝3、40分なら時間を取れると。
その日は市内で何度もMKの車に乗り、
行き届いたサービスにつくづく感服しました。

翌朝お会いするとオーナーは開口一番
「君、年はいくつだ?」と聞かれました。
28歳で、まだ10台しか車を持っていないと申し上げると、
「そうか、実は私も32歳で始めた時はやっぱり10台だったんだ」
とたちまち話が弾んで、3、40分の面会予定が
3、4時間になったんです(笑)。

以来30年、青木オーナーを師匠と思い定めて
毎月のように通い詰め、頑張れ、頑張れと
励まし続けていただきました。

その青木オーナーからある時、
今度こんなことをやるんだと紹介されたのが
空港便だったのです。

数人乗りのジャンボタクシーで
お客様をご自宅から空港までお送りするサービスで、
素晴らしい業績を上げている。
ぜひ君もやりなさいと。

ところが地元の松本空港では便数、乗車率ともに
低くてとても採算が合わない。

諦めかけたところでパッと浮かんだのが、
成田空港だったんです。

すぐに長野から成田まで走ってみると、3時間半で着きました。
これならいけるということで、価格を
JRより安い8500円に設定し、24時間受付、
1名様からでもお送りするということで立ち上げたんです。

【記者:1名でも採算は合うのですか?】

1名の時は難しくても、トータルでは利益が上がるのです。
けれども当初はほとんど引き合いがなく、
やればやるほど赤字が積み上がりました。

3、4か月も続くと、やめたほうがいいかなと迷い始めたんです。

そんな時に出合ったのが宅急便の生みの親・ヤマト運輸の
小倉昌男さんの本でした。

宅急便も最初は5年間も赤字が続いたそうです。
しかし、それでも必ず逆転をすると信念を貫いて、
ついに翌日配送のシステムを確立したとのことでした。

その話に意を強くして、もう少し粘ってみようと思い直したわけです。

その小倉さんが赤字の時に言い続けたのが、

「サービスが先で利益は後」

ということでした。
それに感動して当社も

「お客様が先、利益は後」

という理念を掲げるようになったのです。

おかげさまで空港便は半年後に黒字転換し、
いまでは毎日35台、ハイシーズンには
45台くらい走らせています。

ご注文数では1日350件にも上ります。
新潟エリアにも1日70台くらい走らせ、
空港便は売り上げの6割を占める事業の柱になりました。

セレナイトな一夜

4月 16th, 2012

http://www.seleniteswords.com/

昨晩、緒方さん山田さんがお連れしたトム・レーダーさん。

地下洞で、交流をさせて頂いた。

セレナイトという水晶で作った宝剣。

この中には、世界各地の聖地の水が入り、水晶抹や磁気が入っていて、

生体を調整するという物。

何かエリクサーの製造に似ている所があった。

参加者の中には、いたく敏感な知り合いが居て、

瞑目しても、逐一トムさんの剣の動きと体内の気の動きが一致して、

驚くほど気が整えられて、場が著しく拡がったと感激しておられた。

世の中にはいろいろな方がいらっしゃるものと感心した聖夜であった。

コーボルト展示inファクトリー

4月 16th, 2012

土日に、札幌ファクトリーのフォアベルク札幌支店・特設会場で展示会が開かれた。

道内のコーボルトファンが集まったのか、多くの参加者の熱気で盛り上った。

初めてお会いするアントン・ヤッチ社長。

(何とも覚えやすいヤッチャな・・・と猪木を連想する(笑)。これ記憶術の極意です)

いかにもビール大好きドイツ然とした風貌に、親しみを覚える。

(ちなみに、この土曜日にまほろばに来店されます)

驚くことに、店の裏の鈴木先生は30年前の旧タイプからの愛用者だったとか。

それほど、良い物は末長く、愛され使われるということでしょうか。

このファクトリー店だけに売られているハンディータイプのクリーナーを買わせて貰った。

これは強力な優れもの、本店に見本を置いているのでご覧になって下さい。

(カッコいいでしょう!グッドデザイン!!!)

陶彩画展

4月 16th, 2012

千葉在住の本木さんから、札幌で開催される「陶彩画展」のご案内を戴いた。

一目観て涙が流れた本木さんは、その作家草場さんの佐賀の工房まで行かれたほど。

送られたパンフには、その感動が彷彿とされる驚くべき色彩の不思議さが拡がっていた。

仏画から龍に至るまで、人をして惹きつけて止まないのだろう。

全国で巡回しているので、お近くにお住いの方は是非ご覧になって下さい。

札幌は5月8日から13日まで、コンチネンタルギャラリーで開催。

春のイベント

4月 16th, 2012

「自家発電能力」

4月 15th, 2012

 

              覚張利彦
               (がくばり・としひこ=SMIオブジャパン公認エージェンシー
               “リバティ福岡”北海道エリア担当・「キャリエール札幌」代表)
 
               『致知』2010年9月号「致知随想」
                ※肩書きは『致知』掲載当時のものです────────────────────────────────

2004年、2005年の夏の甲子園大会で
連覇を遂げた駒大苫小牧高校へ、
初めてメンタルトレーニングに伺った時のことである。

野球部員の皆に目標は何かと尋ねたところ
「日本一です」という答えが返ってきた。

私は

「日本一になれる確率は4200分の1しかない。

  その確率はたった0・0002%で、
 失敗の確率は99・9998%。
 やっぱり無理だな、と思った人は?」

と聞くと、全員の手が挙がった。

甲子園に出場すること自体からも遠ざかっていた
2000年当時のことである。

続けて私が

「では日本一ではなく、北海道一になりたいと思ったことは?」

と聞くと、考えたこともないというふうだった。
北海道一にならなければ、当然日本一にはなれない。
また、北海道一になるためには区内一、
その前にはやはり、市内一になる必要がある。

私は彼らに、今年はここまで行くんだという
明確な目標と達成までの期限を決めさせ、それを用紙に記入させた。

高校球児は得てして「夢は大きく、達成は超白昼夢」
という状態になりがちだが、
達成は「超現実的」に考えていかなければならないのである。

私自身がこうした能力開発プログラム「SMI」に出合ったのは、
20年近く前のことだった。

米国のポール・J・マイヤーによって
1960年に創始された当プログラムは、
現在28か国語に翻訳され、世界80か国以上で活用されている。

当時26歳だった私は、薬品会社の営業マンをしていたが、
SMIのスタッフと出会い「夢は何か」と聞かれた時に、
何一つ言葉が出てこなかった。

つまり、自分に夢と目標がないということにすら気付かない、
恐ろしい状態で生きていたのである。

私はそのスタッフから

「夢と目標をセットしなければ、人の能力は絶対に向上していかない。
 そしてもし夢を持ったなら、その夢を
 “目的”と“目標”に分け、達成までの期限を決めなさい」

とアドバイスを受けた。

言われたとおり、目標と期限を設定して、
それに懸命に取り組むと確実に成果が出始め、
瞬く間に全国トップの売り上げを記録した。

さらにその原理を自分の部下にも使ったところ、
同様にぐんぐんと数字が伸びていったのである。

私はこのプログラムの素晴らしさをより多くの人に伝えたい、
と退職を決意して札幌に代理店を設立。

以来、スピードスケートの清水宏保選手や堀井学選手ら
トップアスリートをはじめ、企業や教育機関などに
プログラムの提供を行ってきた。

私が思うに、ほとんどの人は明確な目標を持っている時、
懸命にそれに取り組む。
しかし本当の苦しみは、その目標を達成した後に
始まるのではないだろうか。

例えば念願の金メダルを手にした途端、ケガや不調に見舞われ、
試合に勝てなくなる五輪選手。

「地域一番店になる」「自社ビルを建てる」と燃えていたが、
その目標を達成した後、目指すべきものが分からなくなり、
行き詰まっている経営者。

その人がいる「現在地」は、本人の成長段階に合わせて
刻々と変化していく。

私が、夢や目標を持つということと同等に大切だと思うのは

「いまの自分の実力を知り、その実力に合った目標を設定できる」

ということ。

世の中で成功し続けられる人というのは、
一様にこの能力を備えた人ではないかと思う。

五輪や世界選手権で金メダルを取り続けている
柔道の谷亮子選手などはその代表的な例だと思うが、
私は以前、こんなやりとりを目にしたことがあった。

2000年のシドニー五輪が始まる直前のことである。

彼女は自転車競技で連続の金メダルを取った
ある外国人選手とテレビ番組で共演していた。

その時、あなたが五輪に出る目的は何かと尋ねられた
谷(当時は田村)選手は

「もちろん金メダルです」

と答えた。五輪選手はその答えを受けて

「それじゃダメですね」

と述べ、こう後を続けたのである。

「私は金メダルを取ることを“目的”にしたことは一度もなく、
 金メダルを取ることは、祖国の子供たちに
 夢と希望を与えるための“手段”にしかすぎない。

もっと多くの子供たちに夢と希望を持ってもらうために、
私には絶対に金メダルが必要なの。
あなたのように金メダル獲得を目的にすれば、
取ったとしてもそこで終わってしまうでしょう」

この後、谷選手はシドニー五輪で自身初となる金メダルを獲得し、
4年後のアテネ五輪でも、見事、2大会連続となる金メダルを獲得した。

谷選手にあの時、どんな心境の変化があったのかは分からないが、
人は明確な理由に基づいて行動していくと、
必ずよい成果を出すことができる。

それが「セルフモチベーション」
「自家発電能力」といわれるものである。

日本人はよく、テンションが高い人のことを
「モチベーションが高い」と捉えてしまいがちだが、
モチベーションは明るさや元気さのことを指すのではない。

一見暗い性格で、地味な雰囲気の人でも、
やるべきことが明確で、その目標に向かって
こつこつこつこつ努力を続ける人は、
偉業を成し遂げることができる。

大切なのは、いまの自分の実力に合わせた目標を設定し、
絶えず新鮮なモチベーションをつくり出すことである。