まほろばblog

やみつき菓子・・・・

10月 17th, 2012

水産卸でいつも出会う、そしてまほろばに毎日のようにお茶を飲みに来る

人呼んで「魚谷清兵衛」、北さんこと嶋津伸悟さんが、連日口にすることば。

「あれには、参る。うまくてうまくて止められない。

あれは、凄い。あれは傑作だーーーーー!」と叫ぶ。

なんだと、思いきや秋場再登場の揚げ菓子、江戸揚げ本場「六郷 『豆』」。

北さんに依ると、

① 不揃いによる食感が極めて良い。

② 脂の廻りが少なく、まろやか。

③ おつまみ最適!ビールがはかどる。

世界のせんべいを食べ尽くした北さんが「これぞ、世界一!『六郷の豆』」と大絶賛。

言われるまま、食べてみると、確かに、これは何だとばかりに、手が離れなくなる。

しかし、一袋も食べ尽くすと、さすがに胸に来ます、だが、また・・・・病みつきになりそう。

くれぐれも、ご注意を・・・・・。

(これは、お金に替えられないと、北さん)

西暦3000年・・・・・

10月 17th, 2012

昨日、神戸から鳥本ご夫妻がお越しになった。

毎年恒例のまほろば参りと称していらっしゃいます。

毎朝、奥様のFAX激励メッセージで、店が開ける。

そこには、いつもmahoパワーと書いて、勇気を下さっている。

本当に毎日、毎年欠かさず頂く、その信念、その継続に頭の下がる思いだ。

「宮下さん、覚えていらっしゃいます?!このお言葉!!!」と、

忘れていた2000年初頭に掲げた挨拶と

2001年年賀状の詞を持参して下さったのだ。

既に12年経っている今年、ますます混迷の度を深める日本、アジア、世界・・・・・。

平和元年が、いつ到来するのだろう。

2000年の決意を今、改めて噛み締めてみたい。

ありがとうございました。

大貫ワールド3CD入荷

10月 16th, 2012

大貫さん自選のCD3種入荷しました。

いつ聴いても、今聴いても、新鮮ないのちのよろこびを感じます。

相続税という文化破壊

10月 15th, 2012

森下自然医学会の俳句コーナーでお馴染みの秋山素子先生の主催する『まがたま』。

2012年冬号、我が畑を想う一句がありました「野も人も枯れ極まりぬ夕風も  素子」。

その中に、松本宗雄氏なる「相続税という文化破壊」なる一文を読んで、腑に落ちる所あり。

なるほど、こうも日本的情景がなくなるのは、こういう所にも一因があったのかと、しばし絶句。

読者も是非、一読のことを。

「我が人生を支えた人生訓」

10月 15th, 2012

芥川賞&太宰治賞作家・宮本輝氏の
      「我が人生を支えた人生訓」

                『致知』2012年11月号
                 特集「一念、道を拓く」より
  http://www.chichi.co.jp/monthly/201211_index.html

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 ◆ 学者をしていても、商売をしていても、
   ここは人生賭けてなんとか乗り越えなあかんという時が必ずある。

   そして、その勝負に打ち克ち、
   乗り越えて初めて道が拓ける。

   ずーっと順風満帆なんていうことはあり得ませんよ。

 ◆ 人よりいろいろな経験はしてきたかもしれませんが、
   僕自身は深刻になったり、人生を悲観することはなかったんですね。

   そしてどこかに
  「十年先か二十年先か分からないけれど、
   必ずこれが自分の宝物に替わる」
   と思っていたところがありました。

 ◆ 人と人は、その人の最も核となるもの、
   基底部を成している傾向性が共鳴し合う。

   要するにどんな人に出会い、縁を結んでいくかは、
   その人の「命の器」次第ということです。

   そして、その出会いの質を変えるには、
   自分が変わるしかないんです。

 ◆  自分の仕事を最後まで手を抜かずにやることですね。
   みんな与えられた仕事があります。
   主婦には主婦の仕事があるんです。
   
   自分に与えられた仕事、自分に与えられた役割を、
   手を抜かずやり尽くすことが人生では大切だと思います。

 ◆「足下を掘れ、そこに泉あり」という言葉がありますが、
   皆、自分の足元を掘っていったら、
   必ず泉が湧いてくることを忘れているんです。
   
   与えられた仕事をコツコツと地道にやり続けた先に、
   自分にしか到達できない泉がある。
 

「むすび」誌に『倭詩』書評

10月 14th, 2012

正食協会さんの「むすび」誌に、

『倭詩』の書評と紹介を頂きました。

昨日のJWTの講演会でも「出版記念」と名打って下さって

多くの方々にお求め戴き、感謝申し上げます。

イリドイドとは?

10月 14th, 2012

選択可能な未来

10月 14th, 2012

「見えない境界線を消し去る言葉」

10月 11th, 2012

  矢崎 節夫 (金子みすゞ記念館館長)

                『致知』2011年7月号
                 特集「試練を越える」より

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 震災後、繰り返し津波が襲ってくる映像を目の当たりにしながら、
 直接被害を受けなかった人たちがなすべき仕事があるなと感じました。
 それはいかに日常生活をきちっと過ごすかということです。

 震災2日後、予定どおり京都で開かれる講演会に向かい、
 その足で東山にある禅林寺・永観堂を訪れました。
 そこでお聞きした法主のご法話に私は深く感ずるものがあったのです。

 「仏教の言葉に代受苦者(だいじゅくしゃ)というものがあり、
  これは本来私が受けていたかもしれない痛みや苦しみを、
  代わりに受けてくれている人を指します」

 この言葉をお聞きした瞬間、私は大きな衝撃を受けました。
 私が受けていたかもしれない苦しみを、
 今回は東日本の方々が代わりに受けている。

 本来であれば私が被災者であったかもしれない、
 そう考えるとすべてが自分の問題に見えてくるのです。

 いま日本全体に一体感が生まれていますが、
 これも時が経てば被災した人と被災しなかった人との間に
 無意識のうちに溝が生じてくるでしょう。

 私自身も、いつしか被災した人々のことを
 他人事のように考えてしまう可能性が十分にあります。

 「代受苦者」というこの言葉は、
 被災者と私の間に横たわる目に見えない境界線を消し去ってくれました。
 私そのものである被災者のために、自分にできることを考えて、
 なんでもしよう、そんな気持ちが湧き上がってきました。

「八十二歳のコンピューターおばあちゃん」

10月 10th, 2012

  大川 加世子 (コンピューターおばあちゃんの会代表)

        『致知』2012年10月号
              致知随想より
            
    http://ameblo.jp/otegami-fan/
              (↑誌面未公開写真アリ)

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「たくさんの高齢者がパソコンのネットで繋がり
仲間意識をもって孤立しないで生きてゆきたいと?
お年寄りがパソコンなんてするはずないでしょう」

平成九年、当時六十六歳だった私は、
区役所に高齢者を対象とした井戸端会議ならぬ
パソ端会議を楽しむパソコングループをつくりたいと
申し出ました。

すると、返ってきたのは冒頭の言葉。
世間はまだそんな認識だったのです。

私は二十代の時に勤めた米国保険会社で
英文タイプを覚えた経験から、
子育てが終わって仕事に復帰してからも
ワープロ、パソコンを使ってきました。

そうして来るべき高齢化社会は、高齢者こそ、
障碍者こそがITの恩恵を享受してよいと思っておりました。

だからこそとにかく行動を起こしたいと思い、
無謀と言われながら区に施設の予約を入れ、
区報に「パソコンで遊びませんか?」と告知を出しました。

迎えた三月二十七日。その日は
朝から雨の降る寒い日でした。

馴染みの電気屋さんが貸してくれた
十数台のノートパソコンを前に、
「こんな日に人が来るかなぁ」と不安に駆られながら
施設で待っていました。

するとどうでしょう。

傘をさし、杖をつき、なんと百五十人もの高齢者が現れたのです。
急遽二部制にしても、入りきれず半分は最敬礼で謝り
お帰り願わなくてはならないという盛況ぶりでした。

そうして始まったこの会を
「コンピューターおばあちゃんの会」と名づけ、
これが全国に広がるのに時間はかかりませんでした。

待ちに待ったお仲間、パソコンを学ぶのではなく、
楽しむこと、遊ぶことを目的とし、
今年で運営十六年目になります。

全国約二百五十名と海外で高齢になられた
日本人高齢者がメーリングリストで繋がり、
時々開く「サロン」と年に二回の全国オフ会を開催するなど、
活発に活動を続けています。

最初は「コンピューターなんて絶対に無理。
チンプンカンプンだもの」と言っていた人も、
実際に触って面白さを実感すれば
どんどん使い方をマスターしていきます。

若い頃にジャズが好きだった人は
ジャズをどんどんダウンロードしたり、
油絵が趣味だった人は写真の加工をして作品をつくったりと、
自分の趣味を掘り下げ高齢者の底力を発揮しております。

また、みるみるお洒落になっていくのも
皆さんに共通していることです。
長く年を重ねると友人は減っていく一方ですが、
指先一つで繋がる仲間ができ、

最近はやはり高齢者問題が深刻な中国から取材を受け、
iPadの翻訳機能を最大限に活用、
中国と日本の高齢者同士の友好を深めました
(当会HPに掲載 http://www.jijibaba.com)。

いま、高齢者の「おひとり様」が増えています。
伴侶を失った後、煩わしいけれど子供家族と同居するか、
寂しいけれど気楽に一人で暮らすか。

どちらを選ぶかといえば、
いま多くの高齢者は気安さを選んでいます。

壮年期には分からないものですが
朝、目が覚めた時のシーンとした寂しいような静けさ。

でも、そんな時にパソコンを起動させれば、全国の仲間たちが
「昨日はどこに行った」「何を食べた」
とおしゃべりをしています。

それにコメントを返せば、また返信がくる。
そこに自分の居場所を感じるのです。

おひとり様が一年で一番寂しいのは元日の朝です。
数年前までは子や孫たちと一緒に過ごすのが日本の風習でしたが、
最近はおばあちゃんが
「大変だろうから、無理しないでいいわよ」と言えば、
本当にスキーにすっ飛んでいってしまう。

そうだ仲間たちと過ごそう。
そうして今年の元旦に初めて
「おひとり様の元日会」を開きました。

元日の朝、都内ホテルに集結。互いに送り合った
電子年賀状をiPadで確認。

和室でお屠蘇を飲み、お雑煮を食べた後、
楽しいひと時を過ごしましたが、
私はこの会は、単に寂しさを紛らわせるだけで
終わらせてはいけないと思っていました。

何か自分たちが世の中で役に立ち、
必要とされていることを実感できる活動をしたい……。

そんな思いを巡らせていた時、
「大川さん、いまの大学生は日本の伝統的な
お正月のことを何も知らないから教えてあげてください」
と、慶應義塾大学の先生からの申し出がありました。

そこで元日の午後はおばあちゃんたちと大学院生のコラボが実現。

「昔はお正月にこんなことをして遊んだのよ」

「昔、会津のお雑煮はこうだったのよ」

次から次におばあちゃんたちが思い出を語れば、
学生たちは「へー」「ほー」と目を丸くして
iPadやiPhoneでサクサクと昔の習わしを検索。

そして、おばあちゃんたちとの様子を写真に撮って
どんどんFacebookにアップしていくのです。

一日が終わり、
「私たちもまだまだ世の中に役立つことがあるのね」
とおばあちゃんたちが嬉しそうに帰っていったことが
この会を開いた一番の収穫でした。

いま、私たちにとってパソ端会議は
何よりの「予防医学」であり、
同時にガスや水道と同じくライフラインになっています。

三日前にたった一人で孤独に死んでいた――。

そんな人を減らしていかなければなりません。
その思いで

『コンピューターおばあちゃんといっしょに学ぶはじめてのiPad入門』

という本もまとめました。

パソコンで楽しく遊びながら、
たくさんの仲間たちと繋がりましょう。
パソコンの向こう側には、まだ見ぬ広い世界が待っています。

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★コンピューターおばあちゃんこと、
 大川加代子さんの写真をブログで紹介しています。
 82歳とは思えぬ若々しさです!(誌面未公開)
 http://ameblo.jp/otegami-fan/