まほろばblog

小泉博士、絶口調!Ⅰ

11月 22nd, 2012

「家族が欲しかった。あたたかい家族がいつも欲しかった」

11月 22nd, 2012

           安藤 大作 (安藤塾塾長)

                『致知』2012年12月号
                 特集「大人の幸福論」より

└─────────────────────────────────┘

僕自身も両親が離婚しまして、幼い頃から
「自分が惨めだ」とずっと思い続けてきたんです。

とはいっても、それに気づいたのはずっと後で、
子供の頃から人よりも目立とう目立とうと頑張ってきたのも、
いま思うと不安や惨めさ、温かい家庭を持つ人を
恨めしく思う気持ちを埋め合わせようとしていたのでしょうね。

両親が離婚した後、僕は父親の再婚相手との生活に
馴染めないで母親の元に送られたそうです。

だけど、その母も結局は九歳の僕と妹を
伊勢に置いて東京に行ってしまう。

それから僕たちは福祉施設を経営する母の知人の女性に育てられました。
この女性は皆から「先生」と呼ばれていて
僕たちをとても大事にしてくれたんですが、
仕送りが滞って親や安藤家の悪口を言われる時は惨めでしたね。

「見返したい」「でも構ってほしい」
「僕は惨めじゃない」「甘えたい」……。
そんな複雑な感情が湧き上がってくるんです。

悔しかった僕は新聞配達のアルバイトをして、
稼いだお金は全部先生に渡していましたよ。

ある時から、僕たちの家に先生の知人の山本さんという女性と
四人の子供たちが一緒に住むようになりました。

この山本さんは僕たちの第二の育ての親でもあるのですが、
先生と一緒に家庭問題に悩む人の会を立ち上げると、
やがて各地から家族ぐるみでやってきて
生活を始める人まで現れました。

中学一年から高校三年までこの大家族で育ったことは、
とても大きな体験だったと思っています。

長野の大学に入学した後も目立ちたい、
チヤホヤされたいという思いは相変わらずでした。

だからスキーやサーフィンなど仲間に
注目されそうなものにはすぐに飛びついた。

その頃の僕はいつも元気印で、皆の注目を集めていれば
世の中を上手く渡っていけると本気で考えていたんです。

ところが、就職にことごとく失敗しまして、
特別扱いされない世界、どうにもならない世界があることを
知るんですね。

そしてこの時、幼少期から満たされない心を
埋めよう埋めようとして頑張ってきた
自分の生き方にようやく気づくんです。

そうすると心を埋めるためだけに生きた自分が
猛烈に空しく思えてきて、最後にはとうとう死を決意しました。

いまも台風シーズンになると思い出すのですが、
一九九〇年九月、超大型の台風が松本を直撃した時、
僕は夢遊病者のように誰もいない暴風雨の街を彷徨いました。
もうどうにでもなれ、という思いでしたからね。

だけどとうとう死にきれずに、ずぶ濡れのまま
アパートに帰りました。

そして、気がつくと、部屋にあったまっさらなノートに
湧き上がる思いを一気に書き殴っていたんです。

「家族が欲しかった。あたたかい家族がいつも欲しかった」

とめどなく言葉が溢れて、ノートはたちまち埋め尽くされました。
臭いものに蓋をしていたというか、幼い頃から抱いていた感情が
際限なく湧き出るのが自分でも不思議でしたね。

ノートをつけ始めて三週間後くらいでしょうか、
僕は一大決心をしました。

決別してもいい。
二度と会えなくてもいい。
心のコブとなっている母と本音でぶつかり合いたいと思ったんです。

母はそれまで一切長野に来ることはありませんでしたが、
「とにかく来てほしい」と松本の僕のアパートに呼び、
泣きながら訴えました。

「俺は寂しかった。惨めだった。
 お母さんの悪口は聞きたくなかった。
 親は好きだ。だから俺は頑張った。
 バカにされたくなかった。辛かった……」

と。いい年した大人がですよ。

【記者:お母様はなんと?】

「ごめんね。ごめんね」を繰り返しながら
いつまでも泣いていましたね。

そうやって一晩中語り明かして明け方になった頃に
母の辛さ、弱さも分かってきました。

母自身も片親で育ち、寂しさを紛らわすかのように
音楽にはまり、離婚した後は、我が子に寂しい思いをさせるのを
覚悟で音楽の夢を求めて東京に出てきていたんです。

僕は母の泣く姿を見ながら

「受け入れられた」「深く愛されている」

という安堵感に包まれていました。

母を松本の駅に送り、アパートに帰る時の
清々しさといったら半端ではなかったですね。
世の中がキラキラ輝いているというか。
僕が心の縛りから解放されたのは、この時からです。

「幸福の原点とは?」

11月 21st, 2012

           ――鈴木秀子氏の幸福論

                『致知』2012年12月号
                 特集「大人の幸福論」より

└─────────────────────────────────┘

 ◆ 東日本大震災は大変な悲劇でしたけれども、
     マイナスに見える出来事をとおしながら
   日本人が古来、よしとしてきたものをさらに純化していく。

     そういう時期に日本が直面しているような気がします。
     危機を皆で乗り越える上での大きな方向性みたいなものが
     日本人の間から湧き上がることを私はずっと祈り続けているんです。

 ◆ 全人類を大河にたとえると、自分はその中の一滴にすぎない。
   だけどその一滴がなくては川そのものが成り立たない。

 ◆ 私たちは自分の命は自分のものだと思っています。
     だけどその当たり前は
     当たり前ではないということなんですね。
     そこに気づくところに幸福の原点がある。

 ◆ 仏教で諸行無常を説くように、
     すべては変化していくわけだから安全や安定が
     いつまでも続くということは絶対にありえないわけですよね。

     時々刻々の変化の中にいいこともあれば、悪いこともある。
     ただそれは中立として起こるものであって、
     それをこちら側がどのように受け止めるかで
     いい、悪いが決まる。

     だから起こってくる出来事をしっかりと見つめながら、
     最善の判断をしていくことが大事だと私は思うんです。

冬到来!

11月 20th, 2012

1世紀ぶりに遅い初雪。

18日の日曜日は、暗雲立ち込め、雷を伴う初雪が舞った。

畑が心配。ハウスが倒れないか、作物は凍らないか。

一家して、農場に向かった。

トマトの凍結が心配、兎に角、青トマトを猛スピードで取り込む。

まだハウス内は、青々と茂った葉や花、トマトも相当量残っている。

播種から、どれほどの手間と暇がかかったことか。

それに比し、実ること、残ることの何と少ないことか。

冬の厳しさ到来と共に、農業の厳しさを思うのだ。

「雲南百薬」の白い花も摘み、あのお茶が出来るだろうか。

今年は葉と峻別して、花茶が出来れば嬉しい。

南方の植物が、この厳寒の北方で一番最後まで残っているとは驚く。

古代日本人も南方から、鍛えながら北方の今に辿り着いたのだろう。

                   (取り残された「輪黒大根」。何千本の命が土に眠る。)

「グラニースミス・ジャム」発売!

11月 19th, 2012

大貫さんから紹介された長野の町田さんの「グラニースミス」が、今大人気!

これほど骨があるとういか、芯も身もしっかりして深い味のするリンゴは中々お目にかからない。

来年早々、グラニーファンから、呼び声がかかりそうです。

そこで、ソフテリアでは早速、3種の「コンフィチュール」を製作。

もう、我ながら絶品ですね。

「グラニースミス・コンフィチュール(ノーマル)」       ¥280

「グラニースミス・コンフィチュール(オレンジリキュール入り)」 ¥280

「グラニースミス・コンフィチュール(シナモン&レーズン入り)」 ¥300

バターケーキも作ってみました。金・土曜日にお目見えです。

「グラニースミス・バターケーキ」  ¥200

ついでながら、長期保存用にジャムを作りました。

 「グラニースミス・ジャム」 225g      ¥480

  グラニースミス、果糖、一二三糖、有機レモン汁、エリクサー水

今朝、町田さんから【ふじ】も入荷しました。

もう、これは富士の極まりみたいな味ですね。

ビックリしました。グラニーと同じ、g ¥60です。

グラニースミスは12月初めから半ばで終了。

富士は、来年越えて、まだあると思います。

安藤大作氏の幸福論

11月 19th, 2012

「心のコブを取り除いた時、本当の幸せが見えてくる」
 
                 
                『致知』2012年12月号
                 特集「大人の幸福論」より

└─────────────────────────────────┘

 ◆ 僕は、現代人の自己否定は、
   その人が勝手につくりあげたものだと考えています。
   誰かから否定されたわけではないのに、
   自分の意識が「おれは駄目だ」「認められていない」と思ってしまう。

   僕が塾の教育を通してやってきたのもまさに、
   子供たちのこの「心のコブ」に気づかせ、
   そこから抜け出させて「必ずやれる」という確信を
   持たせてあげることでした。

 ◆ 人間の心が100としたら、普段意識できるのは5%で、
   95%は無意識の世界です。

   「俺はこんな男だ」「これしか俺にはできない」
   と言っているのはこの5%です。

   ところが、化石のようになった95%を穿(ほじく)り出すと、
   段々自分の思考パターンや可能性が見えてくる。
   おもしろいもので自分を穿り出した分、他人の心も見えるんですね。

 ◆ 親と分かち合って繋がりを感じた時に、
人間は優しくなれるし、万物への愛しみが生まれる。
これが僕の実感です。

身の回りの友達、同僚、これも確かに大切な絆でしょう。
だけど親や先祖というもう一つのパワーが
これとクロスすることで人間は無限の幸せが
得られるのではないでしょうか。

 ◆ どんなマイナスの環境に生まれたとしても
「それを変えるために自分は生まれてきた」
「そんな自分だからできることがある」と思ったら
すべて感謝、すべてオーケーです。

そこに幸福感、心の安らぎを覚える人が増えていけば、
この国はもっと優しくなり、もっと輝くはずです。

(編集部より)

  安藤大作氏は三重県屈指の学習塾・安藤塾の塾長です。
  小さい時の両親の離婚に端を発する様々な苦悩を
  克服するために目を向けたのが、自らの潜在意識でした。

  誰もが持つ「心のコブ」をいかに取り除くか。
  実体験に基づく安藤氏の言葉はどれも説得力があります。

「蔵人/クロード」さんとの出会い

11月 18th, 2012

               (クロードさんこと嶋津彰さんと奥様の輝子さん)

以前から幾度となくお誘いを受けていた珈琲焙煎&喫茶「蔵人」(クロード)さんへ、

一昨日、漸くお伺いできる機会を得た。

マスターの20年来の友人でもあるヤンジーや、STVでお世話になった城下さんの

お姉さまの緒方さんや磯ご夫妻から、しばしばお誘いを受けていた。

UFOの異次元世界に大変精通されているということで(私は全く縁がないのですが)、

いささか興味もあり、恐る恐る訪問しました。

中島公園沿いで、ピアノの辻井伸行君や江差追分の青坂満先生を

後押しされている多田さんを呼び出して、伴にしばし会談に時を過ごした。

お店の雰囲気が、クリスタルなどのパワーストーンがあり、

イエスやマリアさまの写真が多くあったので、不思議な雰囲気を醸していた。

これはマスターのお名前、嶋津さんが物語るように、

鹿児島、薩摩藩主・島津公の流れを汲んでおられるとか。

ところで、さつま芋を、市場では丸十(まるじゅう)と呼びます。

中を十字、外が円で、藩の旗印ですね。

この印の発祥が、キリスト教に由来するというのですね。

あの聖ザビエルが鹿児島に上陸した時から、日本にキリスト教が始まった訳です。

マスター曰く、島津公は、隠れキリシタンだ、そうです。

『倭詩』に書いた、八橋検校は隠れキリシタンで、あの『六段』の調べは、

グレゴリア聖歌の伴奏であったことが、近年証明された。

それと、千利休も洗礼名が「セイント・ルカ」で、その名前をもじったという。

あの濃茶の回し飲みは、聖杯でイエスの血であるワインを飲む儀式から来たとか。

一々の所作が、キリスト教のセレモニーを彷彿させるものがある。

確かに、私の所持しているものに、クルスの象嵌を施した古碗がある。

爛熟した安土桃山時代に、そのような文化交渉があってもおかしくはない。

そんな血筋をマスターが引いているのだろうか。

その日、座って雑談をしていると、次から次へと女性のお客様が来店された。

それも、飛びっきり美人で、外国の方ばかり。

このように惹き付ける何かがこの店にあるとしたら、

マスターのご先祖さまと関与しているのかもしれない。

美容家であるギリシア系アメリカ人二世・千春スゥザンさん。

看護師さんでペルー出身のケリー・ペレさん。

それから、コスタリカの方。

そして、江波や磯さん、ご夫人の輝子さんなどなど、日本人離れした相と雰囲気。

このインターナショナルな仲間は、きっとマリア信仰的な古い絆で、

結ばれているのかしらとさえ思ったほどだ。

古代イスラエル10支族がシルクロードを通って日本に来たという話は、つとに聞く。

それも原始キリスト教(中国では景教)の伝来もあったとか。

何かタクマラカン砂漠やローランなどの村で、遠い昔、出会ったような錯覚に陥った。

まほろばでは、母性復活のことをよく説き、

よくマグダラのマリアの存在を引き合いに出す。

私は、どちらかと言うと仏教的、あるいは老子や儒教的な思想が色濃いが、

イエスも悪くない、むしろ大好きな方で、みんなそれぞれ良いと思っている。

そんなこんなで、突然降って沸いたような出会いの意味合いを考えた。

これも大いなる神仏のお導きかもしれない。

今朝、市場で、「インカの星」などペルーの色々な芋を苦労されて集められている

米内青果の会長に、このお話をしたら、

「是非、ペルーのケリーさんにお会いしたい」ということになり、お互い歓ばれた。

これらのご縁から、またまた多くの方々と新たなる出会いと幸せが拡がる

と良いな、と思う今日この頃でした。

皆様も、是非一度お訪ね下さい。

 

珈琲の店蔵人

〒064-0918  北海道札幌市中央区南18条西14丁目3−18
011-532-1110

『蝦夷の漁場』まほろばオリジナルgift

11月 18th, 2012

宮脇 昭 氏の幸福論

11月 18th, 2012

世界1700か所、
         約4000万本の植樹をした         
          

                『致知』2012年12月号
                 特集「大人の幸福論」より

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 ◆瓦礫は貴重な地球資源です。
  そもそもゴミとか廃棄物などというのは人類の歴史にはなかった。
  すべて生産、消費、分解、還元の
  生態系の循環システムに組み込まれている。
  すべて生かす。だから瓦礫も生かすんです。

 ◆私は人と付き合って騙されたことがない。
  なぜなら本物としか付き合わないから。
  本物とは「そのうちに」とは言わない人。
  日本人の「そのうちに」は「やらない」という意味です。

 ◆やれることからすぐに始める。これが本気さの証明。

 ◆現代人の多くは
  経済と環境問題は相対するものと考えていますが、
  それは刹那的で一時的な富を考えるからです。
  長い目で見れば、
  本当は環境を大切にすることが経済的なのです。

 ◆木は2本植えれば林、
  3本植えれば森、
  5本植えれば森林になる

 ◆駆け回るからタフになるんです。
  過労死などありません。
  それから、引き算の考え方はしない。
  常に未来志向、明日のためにできることを毎日やる。
  これが私の健康法です。

 ◆生きている以上の幸福はないんです。
  私はまだ84歳ですからね、
  少なくともあと30年は木を植え続けたい。

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(編集部より)

  「瓦礫は大切な地球資源」

  「瓦礫を活かして、9000年間日本を守る
   “森の防潮堤”をつくる」
  
  東日本大震災後、多くの報道で瓦礫の処理をどうするか
  自治体の首長がもめている姿を見ましたが、
  こんなスケール感で考える人がいるのかと改めて驚きました。

  「いますぐにやらなければならないのは、
   消費税の増税ではなく、森の防潮堤づくりです!」
  
  という一言に、その場の編集部一同、大いにうなずきました。

『うーさんと衣道』 自然医学誌

11月 17th, 2012

今朝、「森下自然医学12月号」が届きました。

早いもので、今年最終になりました、今、1月の原稿に追われています。

「巻頭随想」は徐福、相変わらずの実証的健筆がひかります。

歴史書を妄信せず、単なる伝承的な記述に捉われず、

歴史的・科学的にもメスを入れて検証することの重要性を教えられる。

今回のノーベル賞で俄かに注目されたiPS細胞に、

船瀬・山田両先生が正否の論を言及している。

iPS細胞の前駆的理論が森下博士の腸造血論に達するという。

今、欧米の最先端理論では、そこに至っていると聞くが。

光あれば影あり、iPS細胞にガン細胞増殖の危険因子ありを指摘する。

そこには原発で駆け抜けた盲信に似た、同一の自然背信の何かが・・・。

「食養を極める」を田中愛子先生がお書きになっていらっしゃいます。

病気のお母様から教えられた桜澤先生、その出会いから田中先生のドラマが始まります。

ドイツ人医師、頭山満翁、賀川豊彦先生など・・・・が登場され、

会う人、為す事のスケールの大きさに驚愕、さすがその資質の違いを垣間見ました。

食養によって起死回生の健康を得られた家族の奇跡は、先生を更なる高みに引き上げます。

ドラマを観るようで、興味が尽きません。

今回の「倭詩」は、『うーさんと衣道』と題して、「うさと」のことを書きました。

10月に行われた京都のお祭に触発されて、うさぶろうさんの志を綴ってみました。

遅まきながら、その仕事の深さ、大きさに気付いたのです。

勿論、健康と直結する皮膚と超脈についてのことにも及んでいます。

まほろばでは、来年から厚別店でも開催予定で、両店とも回数が増えます。

これからも、うさとを大いに楽しみ、その輪を拡げましょう。