まほろばblog

Archive for 1月 31st, 2015

「銀河観音」登場!

土曜日, 1月 31st, 2015

観音さん抱擁

 

https://www.mahoroba-jp.net/newblog/?p=13083

横浜より、「銀河観音」さまを描かれます高杉嵯知さんがお越しになられました。

座られるや、前にある「平安朝木彫り菩薩像」を抱きかかえて、しばし瞑目。

本物を目敏く見出す心眼に、まず驚かされました。

そして別れ際、山田成子ちゃんの苦しかった半生を聞き、

しっかり抱き締められた、その姿態は仏様のそれと同じでした。

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慈愛の方なんですね。

その満面の笑みから、緒方さんは「活ける観音様」とおっしゃいました。

同心相通じるがゆえに、銀河観音様が示現されて、仏画を描かされたのでしょう。

とても尊いことだと信じます。

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地下洞「無限心」で、滝澤正子さんが歌謡奉納されたその曲は、

嵯知尼に降りて来た聖楽だったのです。

深く、柔らかく、静かに唄い貫かれるそれに、

「これぞ心の唄!」という感動を戴きました。

ありがとうございました。

次回いらっしゃる時は、『銀河観音展』を開催する予定です。

お楽しみに、お待ちください。

 

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「銀河の彼方より」

         作詞作曲:高杉嵯知

1 銀河の彼方より みつめるまなざし

   いつも いつも どんな時も

  宇宙のゆりかごの 花びらのような 

   あなたを そっと見守る

2 銀河の彼方より 御詞ささやく

   いつも いつも どんな時も

  まっかな命の 花びら寄せて

   あなた 独りじゃないよね

3 銀河の彼方より 御仏ほほえむ

   いつも いつも どんな時も

  今・ここ・自在を わかちあい歩む

 

   あなたに 逢えて嬉しい

   あなたに 逢えて嬉しい

 

 

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「麻の服」販売会&セミナー6.7.8.9日

土曜日, 1月 31st, 2015

ついに、待望の麻布の衣服販売を開始します。

「ASAFUKU」の北村代表とは、中国・巴馬地方へ麻視察旅行の際、

上海北の麻繊維会社で戴いたご縁で、今回の機会が生まれました。

古くして新しい素材が、今後社会の大きな光明になりますよう祈ります。

2月の感謝デーに、本店2Fで販売会が開催され、

9日(月)には、セミナーが開かれる予定です。

お土産もご用意しております、振ってご参加ください。

 

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 もう一つの「倭詩」

土曜日, 1月 31st, 2015
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(2015年初場所千秋楽、白鳳土俵入り。新記録33回目の優勝)

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小学生の頃、田舎に、若き日の大鵬関が中学校の相撲場に地方巡業でやって来た。

今も市の郷土史記念写真に、おばあちゃんと小さい私が、横に立って映っている。

それと、札幌の母の実家が大の相撲好きで、北海道出身の北ノ洋の後援会をしていた。

札幌場所には、おじさんに連れられて行ったり、いつも関取が実家を訪問したり、

恵庭の我が家にも若秩父関が来たりしていたのを思い出す。

戦後の娯楽が少なかった国民にとって、相撲の一勝一敗に一喜一憂していたものだった。

 

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小学校入る前、鏡里、千代の山、大内山・・・・の活躍を、

ラジオに耳をそばだてて聞いていた。

そんなセピア色の相撲なんて、知る人も少なくなった。

それからTVが開局されて、栃若時代がしばらく続いた。

栃錦と白熱した贔屓の若乃花の対戦、

小学生ながら、神棚に祈っては、手に汗水握って応援した。

ところが、初代若乃花が引退した時から、急に相撲熱が褪めて、興味が失せたのだ。

長島が引退したとき、それ以来好きな野球にも、全く関心がなくなってしまった。

もうかれこれ50年も前になるだろうか。

それくらい、大相撲とは、随分縁が遠のいていた。

 

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相撲王国、北海道。

大鵬、北の湖、千代の富士・・・・・

連峰のように聳え立っていたが、今は見る影も無い。

さらに、日本全土がモンゴル勢に席捲せられた。

相撲に、何の興味も無い今回、後藤翁からお声がかかった。

別段、相撲が取り立てて観たいとは思わなかった。

むしろ、「日韓友好海苔」販売の現場視察が目的だった。

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ところが、両国蔵前に着くや街に漂う、その何とも言えない江戸情緒に、

昔の自分が、引っ張り出されたような気がした。

何か50年前の興奮が、胸のうちから滾るように覚えたのだ。

不思議だ。

何ともワクワクする自分に、むしろ自分自身驚いてしまった。

国技館の内戸を開くと、その観客の熱気と小さく見える相撲土俵が、

館内一体になって、溶け込んでいる様子に、ある懐かしさが甦ったのだ。

これが、日本!

 

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(三役の四股で〆る)

 

熱心な相撲観戦者には、何を今更と思うだろうが、

こうも時を離れて、再び自分に再会するということは、人生めったに無い。

TVの小さな画面に収まっているのが相撲ではなかった。

大衆と一体になっている力士の一つの観劇がそこにあって、

うねりのような声援と興奮の波が、打っては返し襲ってくる。

まるで、一幕の歌舞伎を観ているかのようだった。

力士が一人で稽古し取り組みを為しているのではなく、

観客に押し出され、励まされ、慰められている

人情味が何とも言えなく心地よかった。

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この舞台裏には、言葉では語り尽くせない人生劇場があろうが、

しかし、延々と連綿として続いて来た日本の国技が、

かようにして今尚続いてきたことに、敬意を表する。

若い連中も、伝統的なしきたりや様式を学び、

何とか一人前になるべく精進しているさまは、見ていて嬉しい。

呼び出しや行司、小さい時から鍛えられて一生を土俵と共に生きる。

力士ばかりではない。

また、横綱や幕内は一握りに過ぎない。

昔から、どれほどの子が入門して去ったことだろう。

この土俵には、笑いの数より悲しみの別れの涙の方が圧倒的に多いだろう。

この頂点のスターを支えるための底辺には、どれだけの人々がうごめき、

或いは食べている人々が多いことだろう。

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世界の縮図でもある、この相撲界にも危機が何度か訪れたが、

それは野見宿禰(のみのすくね)神のご加護か、何とか営々として伝統行事を持ち応えてくれた。

戦後、経済成長で豊かになった家庭では、餓え渇するハングリーな子供が居なくなった。

どうしても、是が非でも、という切羽詰った生き方が国民全体から失われたのだろう。

国技として、力強い日本人の若者が、次々と輩出してくれることを願いたい。

鬢付け油の匂う相撲が、末永く続くことを祈らずには居られなかった。

 

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(初場所所千秋楽、三横綱、大関の取り組み)