こころの友
火曜日, 9月 24th, 2013
神戸の鳥本さんが送ってくださった切り抜き。
その中に、日本キリスト教団から出ている「こころの友」という新聞。
そのトップに新得の宮嶋さんの弟さん信さんが出ている。
白髪なので、兄さんかお父さんかと見間違えるほどだった。
望さんとは2歳ほど下だが、お父さんと信州の共働学舎を築き上げた方だ。
そこの山の中は車も入らない所で、映画「楢山節考」の舞台になった秘境でもある。
相当なる苦労に苦労を重ねて、今なお大変な日々を重ねていると聞く。
でも記事を読むと、一番応えたのは、息子さんの死であったという。
かの『神の慮り』の一説を聞くようで、その箴言を身を以て魂に刻み付けられた。
半ば、都会生活を送っている我々の身と心の軽さを思わずにはいられない一文であった。
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まず、いい脳をつくるには、
やっぱりいい顔、楽しい顔をすること、
その根本はホラを吹くということです。
先ほども申したように、




ある書道の時間のことです。
教壇から見ていると、筆の持ち方が
おかしい女子生徒がいました。
傍に寄って「その持ち方は違うよ」と言おうとした私は
咄嗟にその言葉を呑み込みました。
彼女の右手は義手だったのです。
「大変だろうけど頑張ってね」と
自然に言葉を変えた私に
「はい、ありがどうございます」
と明るく爽やかな答えを返してくれました。
彼女は湯島今日子(仮名)といいます。
ハンディがあることを感じさせないくらい
勉強もスポーツも掃除も見事にこなす子でした。
もちろん、書道の腕前もなかなかのものでした。
三年生の時の運動会で、彼女は皆と一緒に
ダンスに出場していました。
一メートルほどの青い布を
左右の手に巧みに持ち替えながら、
音楽に合わせて踊る姿に感動を抑えられなかった私は、
彼女に手紙を書きました。
「きょうのダンスは一際見事だった。
校長先生もいたく感動していた。
私たちが知らないところでどんな苦労があったのか、
あの布捌きの秘密を私たちに教えてほしい」
という内容です。
四日後、彼女から便箋十七枚にも及ぶ手紙が届きました。
ダンスの布については義手の親指と人差し指の間に
両面テープを張って持ち替えていたとのことで、
「先生のところまでは届かなかったかもしれませんが、
テープから布が離れる時、ジュッという音がしていました。
その音は私にしか聞こえない寂しい音です」
と書かれてありました。
「寂しい音」。
この言葉に私は心の奥に秘めた
人に言えない彼女の苦しみを見た思いがしました。
十七枚の便箋に書かれてあったのは
それだけではありません。
そこには生まれてから今日まで
彼女が生きてきた道が綿々と綴られていました。
彼女が右手を失ったのは三歳の時でした。
家族が目を離した隙に囲炉裏に落ちて
手が焼けてしまったのです。
切断手術をする度に腕が短くなり、
最後に肘と肩の中間の位置くらいから
義手を取り付けなくてはならなくなりました。
彼女は、小学校入学までの三年間、
事故や病気で体が不自由になった
子供たちの施設に預けられることになりました。
「友達と仲良くするんだよ」と言って去った
両親の後ろ姿をニコニコと笑顔で見送った後、
施設の中で三日間泣き通したといいます。
しかし、それ以降は一度も泣くことなく、
仲間とともに三年間を過ごすのです。
そして、いよいよ施設を出る時、
庭の隅にある大きな銀杏の木にぽっかり空いた洞の中で、
園長先生が彼女を膝に乗せてこのような話をされました。
「今日子ちゃんがここに来てからもう三年になるね。
明日家に帰るけれども、帰って少しすると
今度は小学校に入学する。
でも今日子ちゃんは三年もここに来ていたから
知らないお友達ばかりだと思うの。
そうするとね、同じ年の子供たちが周りに集まってきて、
今日子ちゃんの手は一つしかないの?
なにその手?
と不思議がるかもしれない。
だけどその時に怒ったり泣いたり隠れたりしては駄目。
その時は辛いだろうけど笑顔で
お手々を見せてあげてちょうだい。
そして




私の場合は日々生きていること自体に勇気が必要です。
見えなくて、聞こえない世界にいるので、
未知の惑星にいるようなものでいつ何が起こるか分からない。
ただそうした道を歩んでくる中で、
自分が盲ろうになった時、
到達した一つの思いがあるんです。
十八歳の一月から三か月間で、
全く聞こえなくなっていくわけですが、
その過程で、自分は目が見えないのに、
その上どうして、さらに耳までが
聞こえなくなるんだろうかと考えました。
運命の理不尽さについて、
あるいは僕が何か罪を犯したんだろうか、
何か悪いことをしたんだろうか、
なぜ自分はこんな状況になっているんだろうか
などといろいろ考えたんです。
そして最終的に私が思い至ったのは
こんな考えでした。


