まほろばblog

Archive for 1月 22nd, 2013

全国発酵食品サミットin神崎 開催!

火曜日, 1月 22nd, 2013

 

 

発酵サミット 1

20日(日)、21日(月)両日にわたって行われた「全国発酵食品サミット」が、千葉県神崎町にて行われた。

寺田本家のある神埼(こうざき)町は、元より酒蔵が何十軒と並び、

野田醤油に代表せられるように消費地江戸を控えた発酵の県、醸造の街だった。

ところが、戦前戦後にわたり、往時の盛隆は蔭を潜め、廃業する蔵が後を絶たなかった。

それは、醸造業界の大企業化で、科学的手法が先鋭化して小さいな蔵元は存立出来なかった。

完全に疲弊化した醸造業界は、ほんの数年前までは未来に希望を持てるものではなかった。

それに、火をつけたのが、寺田本家の故寺田啓佐さんだった。

その「自然発酵」の思想と実践は、沈滞した発酵業界に新風を送り込んだ。

その成果が、今日の「全国サミット」を開くまでに、復興したのだ。

これは、日本の片隅の街で起こった奇跡の物語である。 

発酵サミット 2

 当日、神崎文化センターで開かれたおまつりは、全国発酵食品会会長を務められる

小泉武夫農大名誉教授の基調講演を皮切りに始まった。

全国に点在する発酵の街のパネリストをお招きしてのパネルデスカッション。

そして、館内には所狭しと神埼や他府県の発酵ブースでごった返し、発酵ブームに沸いたのだ。

かくセクションでのセミナーやデスカッションも盛んで、私は同行した

エッセンチアの篠原さん、アグネスこと酵母狂(失礼)の山口ゆりさんとで、

植田家の「cobo」のセミナーを受講した。

そこで、自然発酵させるのに、みなエリクサー水を使っているとのこと。

これまで、いろいろな水で試したが、これほど活性化する水はなかったと語られ、

エリクサー水で発酵させたパンや粉酵母、浸漬した野菜、果物、海藻などのエキスを試飲試食。

その余りにも豊かで深い味わいにみな感嘆した。

このセミナー、まほろばでも開講する予定です。 

 

発酵サミット 3

 

翌日、近所の「鍋店/なべだな」と「寺田本家」の酒造元に見学会。

今沸いている諸味酒の生酒を大樽から掬いだして試飲。

その余りの旨さに、下戸の私は朝からグイグイ呑んでしまったほど、感動してしまった。

生れて初めて、酒の醍醐味というものを知った。

これでこそ、酒!というものだった。

これは、言葉を尽くしても伝わりません。

日本の発酵文化の粋を見た思いで、その奥底の凄さに畏れた

極めて貴重な発酵サミットであった。

さらなる日本文化に火が燎原のように広がらんことを・・・。

3日間連続「東京講座」、終了

火曜日, 1月 22nd, 2013

専務による、3日連続東京講演会を、無事終えることが出来ました。

ありがとうございました。

JWTのつくばの田頭純子さまより、写真とともに報告がありましたので、掲載いたします。

__ (1)

いつもありがとうございます。

本日、宮下専務の講演会が大成功に終わりました。

初参加の方が多かったのですが、分かりやすい説明のお蔭で、皆さん勉強になったと喜んで帰られました。

まほろば食養思想がこの3日間連続の講演会で多くの方々のお役に立てることでしょう。

また機会ありましたら、講演会を宜しくお願い申し上げます。

写真を一枚ずつ、三枚送らせて頂きます。

__0001(懇親会にて)

まほろばブログを見て来てくれた方も2人いらっしゃいました。

お一人は宮下専務紹介でお茶を飲むそうです。

また試飲会のお手伝いで伺いたいです。

札幌は寒さが厳しいでしょうが、くれぐれもご自愛下さいませ。
                       田頭純子

 

__0003

「ジャンプする時は深くしゃがむこと」

火曜日, 1月 22nd, 2013

 吉元 由美 (作詞家・作家)

                『致知』2013年2月号
                 連載「第一線で活躍する女性」より

└─────────────────────────────────┘

私は子供の頃から、人はなんのために生きるんだろうと
ずっと考えていました。

そして人にはそれぞれ才能があって、
それを活かして生きることが幸せに繋がるのだろうと。
だから自分にも絶対なんらかの才能があるって信じていたんです。

そういう意味では信じる力は強かったのですが(笑)、
中学、高校、大学でもこれといった才能を
見つけられませんでした。

いよいよ就職活動となった時、
自分自身が一番生かされる道はなんなのか
分からなかったんですね。

そこで知り合いが通っていた、算命占星術の
高尾義政先生をお訪ねしたんです。
受けようとしている業種をいくつか出した時、

「あなたはものを表現するお仕事が合っています」

と、広告代理店を第一志望にするよう
言ってくださったんです。

そして

「二十四歳で本当の仕事に出合います」

「二十六歳で一人暮らしをしてください」

「三十歳で自分の会社を持ってください」

と。

【記者:そんな先のことまで】

私、就職先も決まっていない大学生ですよ。

「ええ!?」って驚きましたが、もしも私に
そういう運気があるならそれにかけてみようと、
広告代理店に入りました。

そこでクリエイティブの先輩に
「作詞家になったら」と言われ、
「どうしたらなれますか」と聞いたら
「勉強すればいいんじゃない?」って。
その日から仕事が終わったら
ピューッと家に帰って猛勉強しました(笑)。

【記者:どういう勉強をなさったのですか?】

既にある歌に違う歌詞をつけるとか、
私は写経と呼んでいるのですが、
本を大量に読んでいいなと思った表現を
何度もひたすらノートに書いていくと(笑)。
そういうことを二年間やり続けました。

ただその間、突然の異動で
総務部の配属になった時期がありました。

すぐに高尾先生のところに行って

「私は総務部とは合いません。
  辞めてアルバイトをしながら
  詞の勉強をしようと思います」

と言うと、先生はこうおっしゃいました。

「辞めてはいけません。
  ジャンプする時はしゃがみますよね。
  いましっかりしゃがんでください。

  自分の好きなことばかりやって、
  いい運を掴もうというのは甘いです。
 嫌なこともやってください」

この言葉はいまでもちょっと辛いなと思う時、
思い出しますよね。

高尾先生からこの言葉をいただいていなかったら
傲慢な生き方をしていたかもしれないし、
忍耐力も持てず、作詞家にもなれなかったかもしれません。

【記者:その後、どのようにして作詞家への道を
    切り拓かれましたか?】

私、人生って一瞬で変わるんだなって思ったんですけれど、
二年後、知り合いの方からサンミュージックの方を
紹介されたんです。

※その後、吉元さんの人生はどう変わったのか。
 1000曲以上の作詞を手掛けてきた人気作詞家の原点を
・・・・・・・・・・・・・・・

「さようなら」の意味は?

火曜日, 1月 22nd, 2013

  『日本のこころの教育』より

                境野 勝悟 (東洋思想家)

└─────────────────────────────────┘

わたくしが勤めさせていただいた「栄光学園」という高等学校は、
ミッション・スクールでした。

校長はドイツ人のグスタフ・フォスという神父さんでした。
いつも青い目が美しく輝く、肩の張った逞しい校長先生でした。

その校長先生が、ある卒業式の日に、
長い訓話の最後にこんな話をしたのです。

「きょうは、諸君たちと、お別れしなくてはならない。
 だから、さようならと言わなければならないが、
 さようなら、といいたくない。

 なぜかというと、『さようなら』という意味が、
 はっきりわからない。

 わたくしは、もう、三十年も日本に滞在しています。
 日本に来たときから、さようならの意味を知りたくて、
 たくさんの日本人に、この意味をきいたのですが、
 だれ一人として、この意味を教えてくれません。

 お父さんやお母さん、中学や高等学校の先生方にも
 お尋ねしたのですが、だれも、答えてくれませんでした。

 そこで、きみたちとの大事なお別れに、
 意味のわからない『さようなら』をいっては、
 無礼になるんじゃないのか、と思って、
 今日はさようならの代わりに、
 『グッド・バイ』という別れの言葉を差し上げましょう。
 『グッド・バイ』とは、もとは『ゴッド・バイ』です。
 『ゴッド』とは神様で、『バイ』はそばにという意味です。

神様よ、諸君のそばにいて、諸君たちをよく守ってくれますように、
『グッド・バイ』……。そして、もう一つ
『シー、ユー、アゲイン』また会いましょう」

校長先生はこういう話を力強くされて、両手を高くかかげ、
壇上から降りたのです。

そのとき。わたくしは胸の中で、

「さよならの意味か? 俺もわからないなあ」と思っていました。

が、話がこれだけで終われば、なんの問題もなかったのです。
事件は、このあとの先生方のパーティーの席上で起こりました。

(続く)