まほろばblog

Archive for 12月 24th, 2012

サンタケーキ!!

月曜日, 12月 24th, 2012

今、日がたっぷり暮れて、雪がシンシンと降っています。

正に、聖夜ですね。

クリスマスケーキの台、2台分残ったので、急遽今作ったそうです。

やっと店売りが叶いました。

でも、後時間は、僅かに残されただけで、間に合いますか。

サンタさんの陶器入り、1個¥350です。

これも可愛いですね。

子供さん、大喜びですね!!

まほケーキ、出来ました!

月曜日, 12月 24th, 2012

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今日は、「クリスマス・イブ」。

今晩、皆さんの家庭で楽しみにしているパーティー。

今年も、まほろばでは、オリジナルケーキの予約を承りました。

金曜日から、ソフテリアで「クリスマス・ケーキ」作りが始まりました。

大和さんと加藤さんは、早朝から晩遅くまで、一心にケーキに取り組んでいます。

残念ながら、予約のみで、店頭売りはないのですが、

材料の質や技術の高さを知って頂きたく思います。

とにかく、素晴らしい仕上がりと味は、絶妙です。

そして、いのちの角度「五芒星」を象っています。

オーガニックJAS薄力粉、オーガニックココア、オーガニック抹茶、オーガニックバニラエッセンス、

一二三糖、有精卵、よつば生クリーム・牛乳、無塩醗酵バター、さちのか苺などなどが原材料です。

この冬場、ほぼ同じ材料で、ショートケーキが販売されますので、お楽しみに。

フランスのオーガニック・コニャクの会社が倒産したため、全くブランデーが入荷しなくなりました。

ところが、イタリアのオーガニックで透明な「グラッパ」(45%アルコール)が年末入荷予定です。

次回から、これを使って行きたいと思います。

隣の焼き釜の部屋では、宮本さんが黙々とチーズパンを作っておりました。

真っ暗闇の早朝から一人、コツコツと頑張ってきています。

彼と小島さん、西巻さんのお蔭で、美味しいパンが食べられます。

改めて、ありがとう!!

全国から、引き合いが沢山来るほど、ファンが多いです。

午後には売り切れ状態が続いています。

大きくしようとは思いませんが、万度に当たるように精一杯努力しています。

益々応援のほどをお願いいたします。

クリスマスパンも、今日明日出ていますよ。

http://ameblo.jp/newsofte/

奇跡の「オーロラ・ヴォイス」

月曜日, 12月 24th, 2012

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過日、まほろばにピアニストのウォンさんご夫妻とご一緒に来店されたのが、

十勝在住の吉野大地さんだった。

その時初対面で、何をされる方なのか、全く知らされていなかった。

ウォンさんとコラボでCDを出され、ガイアシンフォニーのエンディングテーマを唄われたとか。

(左から2番目が吉野さん)

その後、ご紹介して下さった緒方紀子さんから大地さんのご紹介とCDが届いたのだ。

それを聴いて、その歌声の裏にある魂の響きに、圧倒されるほど驚愕したのだった。

それは、多分にインドのバジャン(讃美歌)に私も、

ある種の懐かしさ、「霊の郷愁」を感じさせる深さだったからに違いない。

その後、どういう訳か、店内のバック音楽が、いつも大地さんの歌声が鳴り続けた。

それは事務所の女性陣が皆魅せられて、いつも何度も繰り返しかけるからだった。

ある日、フト気付くと、カフェ・ソフテリアで、昼時になると必ずと言っていいほど、

珈琲とパンを注文して、しばらく休んでいらっしゃる女性がいた。

その方は、私の自宅近くの小柴さんだった。

来る日も、来る日も、じっと窓の外を眺めながら静かにされている。

それで、ようやく気付いたことがあった。

それはその際、必ず大地さんの音楽が店内に流れていたことだった。

何故、毎日いらっしゃるのか、その理由をお尋ねした。

すると、「この音楽で、私は癒されているの」と語り始めた。

聞くと、昨年夏、12時間にわたる大手術を行い、2日間人事不省で昏睡状態だったという。

その間、何があったか、その消息はつまびらかでないが、

人生観を大転換する何かが起こった。

その後、まほろばに通い、大地さんのCDを聴くようになってから、

「生きている歓び、生かされている尊さ」を、魂の奥底より感じられるようになったという。

それで、知人にこのCDを贈り、自分も厭かず、聞き続けた。

すると、体調がどんどん良くなって見違えるように元気になられたのだ。

この日、札幌の2箇所で、大地さんのコンサートがあり、その合間をぬって、

まほろばへボランティアということで、特別出演して下さったのだ。

唄う環境は全く整えられてなく、マイクもなし、

ゆかりちゃんの電子ピアノを借りてのお粗末な舞台ながら、

その生声にみな魅せられ感動してしまった。

カウンターテナーは、女性声部のソプラノやアルトなどを男性が歌うのだが、

吉野さんのハイトーンは、「オーロラボイス」といわれる特殊な声質なのだ。

コンサートで聴いた、数々の曲は、みな心を洗い清め、清浄な世界に誘うものだ。

最後の『とびら』の曲などは、次代を開くかのような霊感あふれる旋律で感極まった。

中ほどで聴いたバジャンの「シュリ・クリシュナ・・・・・・」の朗詠は、

紛れもない神を讃える内容で、その古典音楽の真髄に触れた思いだった。

まるで本場インドの聖廟で聴くかのような昇天する高揚感であった。

そして、彼の存在が、国内外でもっともっと知れ渡る日も近かろうと感じたのだ。

先頃、上村松園女史のことを書いたが、その志は、

『彩管報国』「絵筆を以て、人を救う」であった。

これと同じく、大地さんの歌声を以て、人を救うということは、大それたことではない。

党利党略の政治では世は救えない。

心の光明でしか人は救えないのだろう。

きっとそのような命を受けて生れてこられた、稀有の方だと信じる。

http://www.turiya-music.com/ (オフィシャルサイト)

「聖なる空間」:¥2.950

銀河の歌声(オーロラ・ヴォイス)吉野大地の待望のアルバム第二弾。

アメージンググレース、アヴェマリア、シュリクリシュナ、即興など、珠玉の全10曲収録。

Sacred Space いつもそこにつながっていたい …
Sacred Space 自分の中に 生まれる前から ずっとある場所 …
〜ライナーノーツより〜

「バジャン 印度讃美歌集」¥2.700

インドでは神様に捧げられた歌をバジャンと言います。

初めて聞いたときから、バジャンは私にとっては特別なものでした。

その歌の持つ神聖なエネルギーに惹かれ、バジャンに出会ってから約10年バジャンを歌ってきました。

このCDはそんなバジャンを吉野大地の歌でお届けします。

(・・・・すみません。・・・・

動画の中で、寄付金箱のお金が気になられる方がいらっしゃるかもしれません。

それは、「東日本大震災支援」と「興農ファーム再建」に対するものです。

改めてこの場を借りて、感謝申し上げます。ありがとうございました。  )

「天何をか言うや、四時行われ百物生ず」

月曜日, 12月 24th, 2012

 安岡 定子 (安岡活学塾 銀座・寺子屋こども論語塾専任講師)

          『致知』2012年12月号
           連載「子供に語り継ぎたい『論語』の言葉」より

└─────────────────────────────────┘

今回は、私が大好きな章句を取り上げたいと思います。

 子曰わく、予(われ)言うこと無からんと欲す。

 子貢曰わく、子如(も)し言わずんば、則ち少子何をか述べん。

 子曰わく、天何をか言うや、

 四時(しじ)行われ百物(ひゃくぶつ)生ず。

 天何をか言うや。

孔子はある時、「私はもう何も語るまいと思う」とおっしゃいました。
これに対して弟子の子貢が

「先生がもし何もおっしゃらなければ、
 私どもはどうして先生の教えを学び、
 伝えることができるでしょうか」

と質問します。

すると孔子は

「天は私たちに何を言っているか考えてみなさい。
 春夏秋冬の四季は巡っているし、
 万物は自ら成長しているではないか。
 天は私たちに何を言っているだろうか」

と応じるのです。

   (略)

頭脳明晰で雄弁家の子貢は孔子を唯一の師と仰ぎ、
教えを聴き、それを分かりやすく噛み砕きながら
若い弟子たちに伝えていたことでしょう。

それだけに「私はもう何も語るまいと思う」という一言には
大いに驚き、困惑したに違いありません。

そういう子貢の心を既にお見通しだった孔子は

「自分が何かを語らなくても、
 自然は変わることなく四季は巡ってくる。
 天は何を言おうとしているのか考えてみなさい」

と投げ掛けたのだと思います。

二宮尊徳翁の道歌に

「音もなく香(か)もなく常に天地(あめつち)は 
 かかざる経をくりかへしつつ」

とあるように、大自然は無言のまま私たちに
多くの教えを授けてくれています。

孔子もまた,優秀で頭でっかちな子貢に、
たとえ言葉はなくても見る目さえあれば
真理はいくらでも発見、吸収できることを伝えようとされたのです。

もう一つ、別の観点から捉えれば
「私をもっとよく観察してごらん」
という孔子のメッセージと受け取ることができます。

自分がどういう思いでこの言葉を発しているか、
こういう行動をとったのか、
優秀な子貢なら察することができるはずだよ、
という弟子の成長を願う孔子ならではの
深い思いやりだったのかもしれません。

自分の考えを熱く語る一方で、
弟子との間でこのような情緒的なやりとりを
さりげなく行っているところ。

これもまた孔子の魅力の一つです。