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超小型人工衛星「ハヤト」に夢をのせて

月曜日, 12月 10th, 2012

 西尾 正則 (鹿児島大学大学院理工学研究科物理・宇宙専攻教授)

                『致知』2012年12月号
                       致知随想より

└─────────────────────────────────┘

二〇一〇年五月二十一日、午前六時五十八分。
鹿児島県の種子島宇宙センターから
H‐2(※正しくはローマ数字/以下同)Aロケット十七号機は
打ち上げられました。

このロケットには金星探査機「あかつき」とともに
三機の人工衛星も搭載されており、その一つが、
私がプロジェクトマネージャを務める研究グループの開発した
「KSAT」です。

KSATのミッションは、大気中の水蒸気の分布を解析し、
局地的な天気予報を行うこと。一辺僅か十センチの立方体で、
重さ約一・四キロという超小型の人工衛星です。

鹿児島はロケット打ち上げ基地を有する日本で唯一の県。
しかし、ここ鹿児島に、宇宙産業に携わる企業はあまりなく、
九州の研究施設としては初めて小型人工衛星の打ち上げに
漕ぎ着けることができました。

とはいえ、私はもともと宇宙工学に関しては全くの素人でした。
専門は電波天文学。人工衛星を使って天体観測に影響する
地球大気の様子を調べようというものです。

この成果を利用し、最近よく耳にする
ゲリラ豪雨や雷をもたらす雲の発生などを早く、
正確に捉えるべく、教え子である
鹿児島大学の学生たちとともに研究に励んでいました。

当初はアメリカの携帯電話衛星が出している電波を使って
観測していたのですが、衛星本来の目的と違った利用方法のため、
どんな強さの電波を出しているかなど、
大事な情報を提供してくれません。

「これでは観測に限界がある。
 ならば、いっそのこと、自前の衛星をつくろう」

それがすべての始まりでした。
ちょうどその頃、一辺十センチの超小型衛星でも
宇宙で動くという話を耳にした私は、

「小型衛星であれば地元の企業の協力を得て、
 自分たちで開発できるはずだ。
 これに挑戦し、成功させることで、
 誰も見たことがない世界を見てみたい」

と思い立ったのです。
さっそく地元の工業技術センターや企業が集まる
セミナーなどに足を運び、賛同者を募っていきました。

すると、渕上ミクロという電子部品メーカーの東郷会長や
当時工場長だった佐藤哲朗さんたちから、
「面白いね。一緒にやろうじゃないか」
と声を掛けていただきました。

それだけでなく、佐藤さんは親しくしている
関連企業の技術者を掻き集め、
とりまとめに奔走してくださったのです。

そうしてプロジェクトチームが始動したのは二〇〇五年。
しかし、集ったメンバーは衛星それ自体は
つくったことのない方ばかり。
まさにゼロからのスタートでした。

何から始めればいいのかも分からず、最初はああでもない、
こうでもないと徒らに話し合いを重ねていましたが、

「いや、話しているよりも、まずは一回つくってみよう」

ということで、アルミニウムの塊を切り出し、
実物を見ながら衛星をつくっていきました。

地元の小さな企業の技術者たちと学生たちが協力し、
試行錯誤を重ねた末にKSATは誕生。

二〇〇八年七月、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の
公募に合格し、H‐2(※)Aロケットへの
搭載が決定したのです。

ところが、それで完成ではありませんでした。
搭載が決まってからもJAXAの審査を何度も受けなければならず、
打ち上げまでの二年間は、改良に明け暮れました。

審査の一つに安全審査というものがあります。
これは、どんな状況にあっても、壊れたり、
爆発したりせず、親衛星に百%悪影響を
もたらさないことが求められるのですが、
すべて書面で証明しなければなりません。

実験を行い、データを抽出し、書面に書く。
ひたすら文字との格闘です。

そのような審査を経て、問題点を解消し、
精度の高い衛星に仕上げていきました。

打ち上げ当日は、大学の教室にスクリーンを設置し、
打ち上げイベントを実施。早朝にもかかわらず、
地元の小中学生が三百人も集まってくれました。

カウントダウンの前に命名式を行い、
当初のプロジェクト名だった「KSAT」に代わって
「ハヤト」という愛称がつけられました。

ハヤトはまさに我われプロジェクトチーム、
そして鹿児島県民の夢を託して、宇宙へと飛び立っていったのです。

打ち上げは成功。高度三百キロ地点で
ハヤトはH‐2(※)Aロケットから分離され、
地球周回軌道に入りました。

ところがその後、通信は途絶え、
行方不明になってしまったのです。

宇宙空間を彷徨うハヤトをなんとしても見つけ出そうと、
管制室から宇宙に向けてひたすらアンテナを向け続けました。
そして、十日目にしてようやく、
ハヤトからの電波を受信することができました。

「ハヤトは生きている」。

そして、いざ観測モードに切り替えようとした矢先に、
再び見失ってしまいました。
その後、ハヤトは大気圏に再突入し、
儚くも燃え尽きてしまったのです。

しかし、私たちのチャレンジはまだ終わっていません。
現在は二〇一三年の打ち上げに向けて、二号機を制作中。
次こそ観測を成功させ、どんな苦難でも
必ず乗り越えられることを伝えたいと思っています。

私はよく学生に
「宝くじは買わなければ当たらない」と言っています。

目の前にチャンスが訪れた時に、
「自分には身に余る」「失敗したらかっこ悪い」と躊躇し、
チャンスを自ら潰すことがあってはならない。

自分の可能性を信じて挑戦して初めて、
新しい世界が見えてくるのではないでしょうか。