まほろばblog

Archive for 7月 10th, 2013

へうげ醤、『マガジン762』に

水曜日, 7月 10th, 2013

 

へうげ醤 記事 三角山

三角山放送局の情報誌『マガジン762』に、「へうげ醤」が掲載されました。

地元から愛される醤油になりたいものですね。

ものは、行くべきところに行く

水曜日, 7月 10th, 2013

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6月24日に清水町の「あやの里」で行われた『わいわいまつり』。

私は、残念ながら中国で行かれず、小原君が張り切って荷物を沢山つんで、いざ!!

ところが、途中、高速でバンがストップ。

ミッションの不具合で立ち往生、止む無くレッカーで・・・・・。

という訳で、今回は参加できませんでした。

ごめんなさい。

やんじー 旗

 

 

先日、山口県の吉松さんから戴いた東北の心・大漁旗が「あやの里」の森に、

このように見事、大きく掲げられました。

ここでこそ、光りますね。

意義あるヤンジーのところでこそ、この旗は嬉しそうですね。

吉松さん、ありがとうございます。

 

 

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ヤマヒサさん来店

水曜日, 7月 10th, 2013

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先日、ひょっこり、小豆島のヤマヒサさんの次男・植松隆次郎夫妻が来店されました。

お友達の結婚式の帰りだそうです。

彼は、麦と大豆の麹造り担当責任者なので、現場の話を聞くことが出来ました。

今回の「へうげ醤」の古式醸造のDVDを見て、

今全国的にみてもここまで古いのは無いのではと、語っていました。

それにしてもまほろばの棚を見て、本州では、

このように醤油の一升瓶を並べて売っている所は珍しいのだそうです。

それを聞いて、こちらがビックリ!

ほとんどが5合瓶や300mlの小瓶が主流だそうです。

北国だから、1升瓶でも常温で持つのですね。

一年中、変化があり過ごしやすい北海道を有り難く思います。

「天皇陛下献上『村一メロン』」15日頃から

水曜日, 7月 10th, 2013

村一メロン

 

いよいよ、メロンの最盛期ですね。

あの「天皇陛下献上」の村一さんメロンが15日頃から出荷されます。

もう25年以上のお付き合いで、まほろばと歩みを同じくしています。

今年もよろしくお願いします。

 

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寺田当主、かく語りき

水曜日, 7月 10th, 2013

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寺田優当主が、6日(土)にわざわざ千葉神崎から

29周年展示即売会のために、お越し戴きました。

その朝、ミーティングで唄ってもらった「酒造り唄」。

ブログを見た方々から大反響で、とても良かったとの感動の声を戴きました。

そんな現場の空気を伝えて頂き、従業員もピシャリと背筋が引き締まりました。

今、「マイグルト」が大人気で、お年寄りから赤ちゃんまで、一緒に飲める健康飲料。

寺田さんとは、何か不思議な昔からの絆を感じますね。

 

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ツキを呼ぶ魔法のことば

水曜日, 7月 10th, 2013

久しぶりの五日市さんの講演です。

長く続いていますね。

やはり、続くものでないと本物でないのでしょう。

 

五日市 講座

「健康の三原則」

水曜日, 7月 10th, 2013
   『致知』2013年7月号
           特集「その生を楽しみ その寿を保つ」総リードより

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その生を楽しみその寿を保つ――
本誌にゆかりの深い新井正明氏はこの言葉を好まれ、
よく口にされた。

その生を楽しむとは自分の生業を楽しむということ。
仕事を楽しむことができれば、
自ずとその寿を保って長生きができる。

新井氏は言葉の意味をそう説明されていた。
事実、氏はこの言葉どおりの人生を生きられた。

二十六歳の時、ノモンハン事件で負傷、
右脚切断、隻脚の身となられた。

「人より遅く来て早く帰ってよろしい」
という上司の言葉を有り難く受け止めながらも、
人より早く出社し、人よりも遅くまで働き、
社長、会長としてすぐれたリーダーシップを発揮、
社を業界上位に躍進させ、数え九十二歳までその寿を保たれた。

その新井氏が生涯の心訓とされたのが安岡正篤師の
「健康の三原則」である。

曰く、

   一、心中常に喜神を含む――

     どんなことにあっても心の奥深いところに
     いつも喜ぶ心を持つ

   二、心中絶えず感謝の念を含む


   三、常に陰徳を志す


「その生を楽しみその寿を保つ」ために
忘れてはならない三原則といえよう。

この六文字について、新井氏には思い出がある。

氏が静岡支社長の時期、安岡師に二人の弟子がいた。

一人は農業をしている人。
日本は敗戦で混乱状態になったが、
こういう時だからこそ安岡師の教えを広めなければと、
自分も学び、人にも熱心に説いて回った。

もう一人は金物屋さん。