まほろばblog

キーンさんと日本文化

11月 8th, 2011

先日の文化の日、D・キーンさんの対談があった。

キーンさんといえば、川端康成や三島由紀夫の活躍の頃、しばしば文壇に登場していた。

「源氏物語」などの『もののあはれ』を解する稀有な親日家で、あのラフカデオ・ハーン以来の方ではないか。

日本籍も取得して、日本人として生を終えようとするその潔さに感心しながら、今の現代日本人は、

氏の万分の一も日本を解していないかもしれない。

余りの無知加減さに、私などは赤面するばかりだ。

外国へ行っても、向うで尊重されるのは、自国の文化を熟知して披瀝出来る内在力で、決して外国語ではないという。

そんなキーンさんが、あの余りにも有名な芭蕉の名句を見事に解説してくれた。

永遠と瞬間、彼岸と此岸・・・・・何か、無限心庵の解説のようになるが、

宇宙や自然の成り立ちを、五七五の中に凝縮させる俳句のスゴさ。

しかも、観念でなく情緒の彩りで、根底から歌い上げる日本語の深さ!

私達は、もっともっと祖先の遺産を学び、受け継がねばなりませんね。

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キーン : 俳句の面白さも、書かれていないものにあります。

たとえぱ、.とても有名な俳句ですが、

『古池や蛙飛び込む水の音』

つい見過ごしてしまいますが、ここに多くの含みがあります。

たとえば、古池という言葉は、芭蕉の前にあったかどうか疑問です。

おそらく「古池」とは芭蕉の造語でしょう。

考えてみれぱ、池はどんな池でも古いものです。

どうして、限られた17字に「古」という字を入れたのか。

ここでは古池」が永遠に流れる時を意味し、

「蛙飛び込む」が瞬間を意味します。

つまり「永遠」と「瞬間」という両極端の世界が、

対時した刹那が表現されているのです。

幾何学的に見て「古池」が横、「蛙」が縦

その瞬間恒生ずる水の音…。

素晴らしい。

あの俳句は、見事なものです。

全部言ってしまつたら、それ以上想像できない。

しかし、十分な目印を見付けられたら、

それまで感じられなかった喜びを感じることができます。

中山 : 語り尽くさないことで、自分が参加していける喜びがある。

世阿弥の風姿花伝にある『秘すれば花』という美学にも通じます。

 「信用は使ってはならない」

11月 8th, 2011

       
       
 黒田 しょう之助 (コクヨ会長)
        
    『致知』1999年11月号
  特集「本物は続く、続けると本物になる」より
            

         ※肩書きは掲載当時です。

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人の信を得るということ、
つまり信用を築き上げるということは
一朝一夕にできないことは皆さんよくご存じです。

創業して間もない企業や中小企業は、
何とかして信用のある企業といわれるようになりたいと、
トップから一般社員まで大変な努力を続けておられると思います。

こうして真剣な努力を続けていると
その成果が上がってきて、
信用のある会社だといわれるようになります。

間題はその後です。

ある程度信用ができてくると、それを使い始める。

会社や社員の姿勢がだんだん高くなってくるわけです。

つまり「君、それくらいのことは何とかできんのか」
ということで、無理を言うことが起こってくる。
こちらが無理を言わなくても、先方から
「支払いはそんなに早くしてもらわなくても」
と言ってくれるようになる。

納期が多少無理でも、
徹夜してでも間に合わせてくれるようになる。

しかしそれに甘えて信用を使い出すと、
長い年月をかけ、血のにじむような努力によって
蓄積してきた信用が取り崩されてしまう。

先代はこのことを戒めて、次のように言いました。

「信用は世間からもらった切符や。
  十枚あっても、一枚使えば九枚になり、
 また一枚使えば八枚、といった具合に減ってしまう。
 
 気を許すと、あっという間に信用がなくなってしまう。
 特に、“上が行えば下これを習う”で、
 上に立つ者ほど注意しなければいけない」 と。
 
 
金は使ったら減るのはわかるが、
信用というのは目に見えないだけに
減ることがわからない。

先代はさらに

「信用は使ってはならない、
 使わなければどんどん増えていく」

とも言っていました。

(記者:使えば減るというのは当たり前ですが、
    つい忘れてしまいがちなことですね)

そうなんです。当たり前のことなのにできない。
事業をやるからにはどなたも最初はわかっていると思います。
要はそれを続けるかどうかです。

創業者の時代は見事にできていたものが、
年を経てくると信用よりも銭金の方が大事、
あるいは建物が立派な方が大事、という具合に
価値そのものが変わってくる。

幸せなことに私どもは大事なことが変わらなかった。

なにも人様の前へ出て話すようなことではないんです。
もう本当に三度三度のおまんま食べるぐらいの
当たり前のことばっかりなんですが、
当たり前のことがなかなか続かないんですね。

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「孔子の人間学」より

11月 7th, 2011

●北尾吉孝(SBIホールディングスCEO)
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  「徳は孤ならず。必ず隣あり」
   あらゆる事業は自分一人でできるわけではなく、
   その人のもとに様々な人の力が加わって結実する。

   徳を持っていることがそのための大きな原動力となることを、
   私は『論語』を通じて学んだ。
 
  

  
●瀬戸謙介(空手とともに『論語』の指導を行う瀬戸塾塾長)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   教育はレベルを落としてはいけないんです。
   子供を子供扱いすると必ず見抜きます。
   自分たちを一人前に扱ってくれているんだという思いがあると、
   子供のほうも頑張るんですよ。

●阿部一郎(福島の桃源郷といわれる「花見山公園」所有主)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   私は畑が自分の勉強の場だと思っています。
   二宮金次郎さんは
  「音もなく香もなく常に天地はかかざる経を繰りかへしつつ」
   と歌っているでしょう。

   自然は書かざる経を繰り返しているんですよ。
   そこに私は学んでいるんです。

●桜井章一(二十年間無敗の伝説を持つ“雀鬼”)
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   準備、実行、後始末

「自分を待ってくれている人たち」

11月 6th, 2011

        
       
      佐伯 輝子

      (寿町勤労者福祉協会診療所長、医学博士)

        
     『致知』2006年2月号より

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「五年も前から先生を探してるんですが、
 一向に決まらなくて困ってるんです」

自宅の医院と市内の診療所を掛け持ちし、
多忙な日々を送っていた私の元へ横浜市から
電話があったのは二十五年前。

五十歳を目前にした日のことでした。

現在、日本の三大ドヤ街の一つとして知られる
寿町(ことぶきちょう)も、当時は世間に知られておらず、
私自身もそこがどんな町であるか、見当もつきませんでした。

実際、それまでも何人かの先生に依頼したそうですが、
駅を降り、診療所に行き着くまでに誰もが引き返してしまう、
それほど異様な雰囲気の町だというのです。

夫は

「そんな危ない場所へ女が行くことはない」


断固として反対。それでも市と医師会からは

「何とか一年だけでもお願いします」

とたびたび電話がかかってきます。
そんな時、私たち夫婦の会話を
そばで聞いていた息子がこう言いました。

「ママを待ってくれている人がいる限り、
  それを断っちゃいけないんじゃない?」

てっきり反対されるものと思っていた
息子の一言には驚きましたが、
あれだけ反対していた主人までが
「それじゃあやってみるか」と言い出したのです。

この時、女学校時代に担任の先生から聞いた

「いいかい、人間の意見は二人は複数じゃないの。
 三人以上の意見があって
 それがまとまった時にうまくいくのよ」
 
 
という言葉を何十年も経ってから実感しました。

初めての診察日、自動車で診療所前まで来ると、
木立ちで用を足している男性がいます。
仕方なく車の中で待っていると、
私の気配に気付いた彼が逆上し、
車におしっこを撒き散らしてきたのです。

木で車体を叩きつけられ、
怒鳴り散らしながら去っていった姿を見ながら、
これは大変な所へ来たと思いました。

診察に訪れる方は、泥だらけだったり、シラミがいたり、
下着も穿いていない、健康保険に入れない方など様々です。

しばらくすると、当初二十名程度の見込みだった患者数が
連日倍の数、多い時で九十名を超え、
待合室の廊下には人が溢れました。

「うるせぇ」「てめぇ、このヤロー」といった怒号が
わんわん飛び交い、落ち着いて診察もできません。

一度、待ち時間の長いことに腹を立てた男性が、
刃物を忍ばせて私に襲いかかってきたこともあり、
その後しばらくは恐怖心が拭えませんでした。

患者に首を絞められ、危うく死にそうになったこともあります。
入り口付近にいた男性が近づいてきて、
肩をつかまれたかと思うと「久々に女に触れた」という興奮からか、
私の首を絞めたまま痙攣状態になり、激しく震え出したのです。

専任のガードマンと職員が四人がかりで引き離してくれましたが、
腰が抜け、どっとその場にへたれ込んでしまいました。
私は寿町で死んでしまうかもしれない。
その思いはいまでもあります。

当時、診療所に訪れる人たちの中には、
逃亡中の身の上や、家を出て行方知らずになっている人も
珍しくありませんでした。

住人たちは寿町に身を潜めるように暮らしていましたが、
それでは悪の温床になってしまう、
なるべく明るみに出したほうがよいと思い、
講演活動などの際に、私はこの町の存在を
勇気を出して話してきました。

ただ、初めの頃は、皆のために
ここへ来たと思っていた私ですが、
いまになって、自分のためにここへ来たんだなと
思うことが少なくありません。

いまから十五年前、診療所での活動を評価され、
吉川英治文化賞の受賞が決まった前の晩のことです。
馴染みの患者から自宅に電話がかかってきました。

「先生、いつも賞を受ける時、私一人の力じゃありません。
 スタッフ皆でいただいた賞です、って言うだろ。
 分かんねぇのかよ。
 俺たちもいままで“協力”してきたんだぜぇ」

確かに医者とスタッフだけいても仕事にならない。
患者さんも含めての受賞。
二十代からずっと医療に携わってきた私も
この言葉には目から鱗が落ちる思いでした。

診察をする上で、私は患者の方と目線を合わせる、
ということを常に心がけています。

だから「どこが悪いの」ではなしに、
「きょうはどうしたの」と尋ねる。

具合が悪いと聞けば、

「私は医者でたまたま治し方を知っている。
 だから一緒に治してみる?」
 

と持ちかけます。そして時には、
一人の人間として声を荒げることもあります。

ある日、「ビール瓶で怪我をした」という男性が
診察室にやってきました。

巻かれてあったタオルを取ると、薬指はブラブラで、
皮一枚でついています。隣の小指はすでにありません。
すぐに手術をしようという私に、男性は

「指なんていらねぇから取ってくれ。
 男の約束は、女には分かんねぇんだよ」
 
 
と言ってふてくされています。私はこう言いました。

「お母さんがあんたを産んだ時に、
 この指がなくてもいいと思ったと思うの。
 五体満足で生まれてくれて、あぁよかったと思うのが
 女が赤ん坊を産んだ時の気持ちなんだよ。
 
 それを尊重せずに自分だけの命だ、
 指なんていらないなんて言ったら、
 金輪際、女である私が許さないよ」

手術台のベッドで大泣きし始めた男性は、後日
「人に初めて怒ってもらえて、すごく嬉しかったんだ」
と教えてくれました。

休診の張り紙を出すと、いくら理由を言っても
「先生、やめるんじゃないだろうな」
「先生やめたら俺たち死んじゃうよ」と、
駄々っ子のようにごねる寿町の住人たち。

自分を待っている人がいる限り、
それを断ってはいけない――
二十五年前、息子から言われた言葉を噛み締めながら、
この生かされし命の使い道を考えるきょうこの頃です。

洋子オーナー生出演in三角山放送局 

11月 5th, 2011

 「まほろば自然農園」社長、宮下洋子が11月1日、三角山放送局に生出演しました。
(USTREAMで動画ですが、声が出ない時は、音楽が流れている無声状態です。)

しばし、お聞き下さいね。

農園を一人で始めた15年ほど前の若き日(?!)の洋子さん)

「安田善次郎が貫いた人生信条」

11月 5th, 2011

            
       
  安田 弘 (安田不動産顧問)
        
      『致知』2009年4月号
      特集「いまをどう生きるのか」より
            

                  ※肩書きは掲載当時です。

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(曾祖父の)安田善次郎は生前、処世に関する
様々な本を書いています。
その中で彼は、自分がお金持ちになれた理由を
次のように述べています。

どんな仕事をするにせよ、自分でこうしようと決めたことを、
コツコツコツコツやっていく、
その「意志の力」ほど大切なものはないのだ、と。

本当は誰にでもできることなのに、意志の力が弱いために、
途中で迷ったり、せっかく貯めようとしていたお金を無駄遣いして、
結局目的を達せられずに終わってしまう。

毎日毎日自分で決めたことをしっかりと積み重ねていけば、
凡夫でも必ずお金持ちになれる。
驚くような仕掛けも何もない。

一歩一歩、目標に向かって着実に歩んでいくのが
最も大切なことなのだと。

また善次郎は、巨万の富を築いた後も
「勤倹貯蓄」の精神を貫いた人でした。
私が生まれたのは、曾祖父の死から十二年後のことですが、
安田家の食事は一汁一菜の非常に質素なものでした。

何にせよ、贅沢をしてはいけないという考え方で、
衣服にしても、善次郎はいつも
木綿の粗末な着物を着ていたそうです。

旅行をしていると
「へぇ、あの人が有名な大金持ちの安田善次郎さんかぁ…」
と皆から驚かれたと聞いています。

要するに、お金持ちになるには
一歩一歩堅実に歩んでいく以外にはないこと、
また無駄なことにお金を使っていては
いけないということでしょう。

そうやって善次郎は江戸へ出てきてから
僅か七、八年の間に定めた目標どおり
「千両分限者」になったのです。

また善次郎は、二十七歳で独立をするにあたり、
次の三つの誓いを自らに立てています。

「一、独力独行で世を渡る。女遊びをせず一所懸命に働く」

「二、嘘をいわず、正直に道を踏む。
   どんな誘惑があっても決して横道に逸れない」

「三、生活費は収入の八割以内にし、二割は貯蓄する、
   住居のために財産の一割以上の支出はしない」

ある日善次郎が町を歩いていると、
非常によい物件が見つかりました。
地主にいくらかと尋ねると、
いまの資産の一割以上オーバーしている。

その時、彼はその家が欲しくて堪らなかったにもかかわらず、
自分で誓いを立てた以上は破るわけには
いかないとして購入を諦めるのです。

しかしその二年後にまた同じ場所へ行ってみると、
幸運にも家は売れずに残っていた。

その頃にはすでに家を買っても資産の一割以内で
収まるほどに儲けていたため、
ここで初めて善次郎は購入しようと決めたのです。

普通であれば
「一割を少し超えてしまうけれども、まぁいいか」などと
考えてしまいそうなものですが、
善次郎はそうしたことを絶対にしない人でした。
これも彼の持つ、意志の力といえるでしょう。

        (中略)

善次郎は最晩年
「この二十年間守り通した処世の信条は?」という
雑誌社の質問に対し、

「勤倹、克己、一にもってこれを貫く」、

また別のところで

「人生は克己の二字にある。
 これを実行するところに成功があり、
 これを忘れるところに失敗がある」

 
 
と答えています。

現代人には、自分のいまあるがままの姿を
認めてもらいたいといった風潮が見受けられますが、
立派な人間になったり、成功したりするためには、
自分に打ち克つという意志の力を
持たなければいけないということを、
善次郎の生き方は立証していると思います。

地球村通信 GNHとTPP

11月 4th, 2011

 11月号の「地球村通信」は、ブータン報告とGNH。

GNP(国民総生産)よりGNH(国民総幸福)を選ぶブータン。

果たしてあなたは・・・・・。

そして、今物議を醸すTPP問題。

あなたは、どちらを選ぶか・・・・・・。

民(タミィ)さんの・・・・

11月 4th, 2011

養護学校祭!!

11月 4th, 2011

 

11月17、18日に、手稲にある

北海道高等養護学校の学校祭が開かれます。

テーマは「ドリームフューチャー ~希望に向かって飛び立とう~」

みなそれぞれに木工、園芸、農業、陶芸などなどに頑張って、

社会に問いかけをしています。その応答があれば、嬉しいです。

この10月の1週間、西村和優君が、まほろば本店で実習しました。

バックヤード、ソフテリア、農園と新しい体験に刺激を受けたようです。

ハニカミヤさんの彼が、最後には明るい笑顔で戻りました。

まほろばでの経験が、よい実を結びますように・・・・・・・。

西村君の仲間たちが、日々の活動の成果を問うバザー、

是非、近隣関係者の方々はお誘い合わせの上、ご参加されてください。

学校祭リーフレット表側

学校祭リーフレット裏側

新月の木のはなし

11月 4th, 2011

NPO「新月の木国際協会」が2011年の研究発表会を行います。

物の本質を踏まえた品質を如何に見抜き、

それが月のリズムとどのように関わっているか、の研究発表会を行います。

豊かな森林が稲田を生かすー実践編を厚真で20haをやっている本田さんが、

講演してくれます。本田さんは、自分の森林を管理しながら、稲作に役立てています。

サホロリゾートで、高原の木々を見ながらの懇談会となります。

どうぞ、ご参集ください。

                                  宮嶋 望