まほろばblog

放蕩息子

11月 3rd, 2011

今朝の朝日新聞に、京都の柿本商事さんが全国に募る「恋文大賞」が掲載された。

その初めに「決意の日」と題した札幌の角谷さんの文・・・・身に詰まされた。

聖書や法華経にある「放蕩息子」を思い出したからだ。

行った子は、何時かわが許に戻る、その悲哀が綴られている。

心当たりの方も多かろうと思う。

実は、宗教説話は、深い意味を秘めている。

阿弥陀如来や天の父から離れた衆生を親子関係と見る。

現代では、宇宙や自然から離れた私達人類は、親心子知らずで、

自然を傷付け、兄弟争いに明け暮れて、一向に親の愛に気付かない。

そろそろ、路頭に迷う我ら放蕩息子は、親孝行の時を知るべきと思うのだ。

 「成長の種はコミュニケーション」

11月 3rd, 2011

       
       
   石渡 美奈 (ホッピービバレッジ取締役副社長)

        
     『致知』2007年11月号より

       ※肩書きは掲載当時です

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東京赤坂で祖父がラムネの製造を始め、
第二次世界大戦後に「ホッピー」が誕生したのが
昭和二十三年のこと。

以来、祖父、父と受け継がれてきた
ホッピービバレッジの三代目となるべく、
全国を東奔西走する毎日を送っています。

ホッピーは、麦芽を使った低アルコール飲料として、
サラリーマンを中心に多くの方々に親しまれてきました。

現在私は副社長として雑誌やラジオなどに出演させていただいたり、
インターネットで日記を公開したりして、
ホッピーを広くご紹介しています。

おかげさまで平成十四年に八億円弱だった年商を、
五年間で三倍の約二十三億円まで伸ばすことができました。

ホッピーに入社するまで、私はいわゆるのん気なお嬢様でした。
一人娘で経済的に恵まれた環境に育ち、
大学卒業後、結婚までの腰掛けのつもりで大手企業に入社。

三年後に無事寿退社しますが、
「ホッピーの跡取りを見つけるため」という動機での
結婚はうまくいくはずもなく、半年で離婚。
その時初めて、自分の人生について真剣に考えました。

これからどう生きていこうかと暗中模索し、
最後にたどり着いたのがホッピーでした。

反対する父を一年がかりで説得し、
いざ入社してみると思いがけない試練の連続でした。

入社当時、社内は派閥争いで真っ二つに分かれていました。
社員の意識はバラバラでやる気が感じられません。

後輩に仕事をとられることを恐れた上司が部下に仕事を教えず、
いつまでたっても若手が育ちませんでした。
さらに赤坂にある本社と調布の製造工場とは交流がほとんどなく、
組織全体に情報が行き届かず、
血が通っていないという壊死寸前の状態です。

希望と期待をもって入社したものの、
旧態依然とした社内で思うように動けない鬱憤から、
私は次第に青年会議所の活動に没頭していきました。

平成十五年の取締役副社長就任時、
父である社長から実質の経営を任されました。
実践的経営セミナーで定評のある小山昇氏に
出会ったのはそんな時です。

たまたま出かけた講演会で小山さんの話を聞き、
「この人だ」とすぐにぴんときました。
繰り返し勉強会に参加し、社内改革のために
その教えを会社に取り入れていきました。

早朝勉強会を始めたり、ボイスメールという
新しい手段を使って社内の連絡を密にしたりと
様々なことを試してきましたが、
一向に効果は上がりません。

後で気づいたのですが、十分な説明もないまま
小山さんからの教えを急進的に取り入れたことで
社員たちは動揺し、次第に社内の雰囲気は
険悪になっていったのです。

「大事な話があります」

嫌な予感は的中しました。
神妙な面持ちでやってきた工場長と社員二人の胸ポケットには、
「辞表」と書かれた白い封筒が入っていました。
聞けば、工場で働く社員全員が辞意を表しているといいます。

私は頭の中が真っ白になりました。

すがるような思いで小山さんに連絡すると、
すぐに駆けつけてくださり、
工場長に向かってこう切り出されました。

「工場長、この子がいきなり始めたことについていけず、
 反旗を翻したあなたが正しい」
 
 
私はこの言葉に耳を疑いました。

さらに小山さんは父に

「社長、この子はまだひよっ子だから、
 手は離してもいいけど目は離さないでください。
 でも一番悪いのはこの子に様々なことを教えた
 この私なんです」
 
 
と言葉を続けられました。
工場長、社長、そして私の三者の立場を汲んだ
判断をしてくださったのです。

その瞬間、工場長は涙を流して

「本当は協力したい。
 ただもっと話してほしいだけなんです」
 

と本音を打ち明け、社長は安堵し、私は救われました。

経営とは人の心理を無視してやってはいけない、
何より社員とのコミュニケーションが大切なんだと
目が覚めました。

それぞれの立場の人間の気持ちを大切にしながら、
一つひとつ問題を解決していく。
いきなり多くを変えようとするのではなく、
焦らず小さな一歩一歩を積み重ねることで、
いつか大きな実を結ぶのだと気づいたのです。

コミュニケーションの大切さを身をもって実感した私は、
経営者と幹部が同じ価値観を持って
一つの目標に向かうため、幹部とともに
小山さんの実践塾に参加しました。

塾では「企業発展の原点は環境整備にある」という教えのもと、
全社あげての調布工場のトイレ掃除や廃棄物処理などを行いました。
すると不思議なことに、回を重ねるごとに
いままでにはない連帯感や濃密なコミュニケーションが生まれ、
仲間意識が芽生えたのです。

また、社員の誕生日にはおめでとうを伝えたり、
小さな貢献に気がつくと、そのたびに感謝の気持ちを
自筆の葉書で表すようにしています。

それを手渡しではなく自宅に送ることによって、
経営者から高く評価されていることを家族が理解し、
家族間のコミュニケーションの手助けにもなるのです。

いまでも業務の合間を縫ってコツコツと
月に五十通以上送っています。

それからというもの

「ミーナさんからの葉書が励みになって頑張れました」

などの声を聞くことができ、私の元気の源にもなっています。

平成二十二年、わが社は創業百周年を迎えます。
これからもお客様に安心して飲んでいただける
ホッピーを提供し続けるため、
誰にでもできることを積み重ねて、
小さくてもきらっと光るような会社にしていきたいと思っています。

「企業業績と経営者の全人格はイコールだ」

11月 2nd, 2011

「企業業績と経営者の全人格はイコールだ」
       
       
  伊藤 謙介 (京セラ相談役)
        
     『致知』2011年11月号
      特集「人生は心一つの置きどころ」より
  http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html#pick2

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全従業員の意識の集約したものが会社というものであり、
それを少しでも高い次元のものとするためには、
まずその会社を率いるリーダーの人間性を
高めなければなりません。

リーダー=フィロソフィという意識を
持たなければならないと思います。

そのことに関連して、社長時代に
強く印象に残っていることがあります。

バブル崩壊による不況の時に、
なかなか思うように業績が伸びずに、
稲盛に相談に行ったことがありました。

そうしたら稲盛に、

「企業業績と経営者の全人格はイコールだ。
  会社の業績はあなたの全人格の
  それ以上でもそれ以下でもない」

と諭されました。

厳しい言葉でしたが、改めて己を振り返ってみると、
なるほどなぁと納得できました。

本当に社員を魅了するような魅力が自分にあったか、
自分を尊敬してついてきてくれる社員がどれだけいたか。
自分はまだまだだったなぁと。

それが業績に影響していたのかもしれません。

ただ、自分の器量をいかに大きくするかという課題に、
これだという解はありません。
やはり日々真剣に生きる以外にない。
自分の生き方そのものが立派でなければ
社員はついてきてくれません。

指針となったのはやはり京セラフィロソフィでしたが、
中でも特に心掛けてきたのが、
努力、忍耐、執念、そして闘争心に関わる教えでした。

そんなものはいらない、企業経営というものは
もっと論理的なものだという人もいますが、
実際に創業時を体験し、様々な試練の中で
経営に邁進してきた私の実感として、
やはり経営はそうした心の持ち方に
留意せずには成り立たないと思います。
 

※成長のベースとなった京セラフィロソフィ。
 そのエッセンスともいえる
 「稲盛経営12ヵ条」をご紹介します。

(※『致知』11月号にも全文を掲載しています)

………………………………………………………………………
       ● [稲盛経営12ヵ条]
………………………………………………………………………

1.事業の目的、意義を明確にする
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    公明正大で大義名分のある高い目的を立てる。

2.具体的な目標を立てる
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
     立てた目標は常に社員と共有する。

3.強烈な願望を心に抱く
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望を持つこと。 
 
4.誰にも負けない努力をする
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    地味な仕事を一歩一歩堅実に、弛まぬ努力を続ける。

5.売上を最大限に伸ばし、経費を最小限に抑える
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    入るを量って、出ずるを制する。利益を追うのではない。
    利益は後からついてくる。

6.値決めは経営
~~~~~~~~~~~~~~~~~
    値決めはトップの仕事。お客様も喜び、
    自分も儲かるポイントは一点である。

7.経営は強い意志で決まる
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    経営には岩をもうがつ強い意志が必要。

8.燃える闘魂
~~~~~~~~~~~~~~~
    経営にはいかなる格闘技にもまさる激しい闘争心が必要。

9.勇気をもって事に当たる
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    卑怯な振る舞いがあってはならない。

10.常に創造的な仕事をする
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    今日よりは明日、明日よりは明後日と、
    常に改良改善を絶え間なく続ける。
    創意工夫を重ねる。

11.思いやりの心で誠実に
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    商いには相手がある。
    相手を含めて、ハッピーであること。皆が喜ぶこと。
 
 
 
12.常に明るく前向きに、夢と希望を抱いて素直な心で
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「原発の要らない社会を目指して」のDVD

11月 1st, 2011

阿部一理先生からの伝言です。

略・・・・・・・・・・・・・・・取材を受けていた、この講演会では、

田中優さんが「原発の要らない社会を目指して」の講演の中で、

易しく電力会社の料金の仕組みを解説しています。

例えば、

● 事業者の電気料金は使えば使うほど安くなる仕組みで、家庭のように使えば使うほど高くなる仕組みとは違っている。

● 電気は貯めておくことができないので、予想される消費電力のピークに合わせて作られている。

ところが、足りないとされるピークは年間でたったの10時間だそうです。

もちろん事業者の電気使用量の方がはるかに多いです。

この10時間のために、次々と発電所が作られている。

 などなど、常識では考えられない実態を知ることができます。

 また、私も原発事故後、聞き及んだ多方面からの情報を、いつもの「食が命なり」と合わせて話しています。

  どちらも、テレビ放送には、少々流れにくい内容の講演会でした。

 それが、テレビで少しでも流れるのかと私も期待しておりました。

 お返事をいただいた方に少しこの話をすると、この講演会のDVDはないのか?と言われ、主催者に問い合わせをしましたら、

2時間57分に及ぶ当日の全てを収録したDVDが500円で販売されているようですので、

ご希望の方は下記連絡先から入手してご覧頂きたいと思います。

横田亘さん
07069214271
towataruyokota@yahoo.co.jp  

 複数枚の注文OKです〓

【24時間・緊急署名】

10月 31st, 2011

私たちは、原発輸出を促進する日越合意に反対します

福島の原発事故は未だ収束せず、日本の大地、自然、海にいまも放射能物
物質が降り注いでいます。福島をはじめとして、多くの人達が、放射能汚染の
危機にさらされ、生活を破壊され、苦しんでいます。事故の原因さえ、究明さ
れていません。

そんな中、原発輸出をまた一歩前進させる日越政府合意が行われようとして
います。

現在、ベトナムでは、日本の税金によってニントゥアン省の原発建設に向け
た実行可能性調査が実施されています。しかしこの調査の結果は、ベトナム
の住民や日本の納税者に公開される保証もありません。

ベトナムの建設予定地は、風光明媚な自然が広がり、住民たちは漁業や農
業、観光などでくらしをたてています。原発建設はこのような住民の生活を脅
かすものです。

さらにひとたび事故が起これば、放射能汚染はタイ、カンボジア、ラオスなど
のベトナムの近隣国にも広がります。ベトナム政府は、自国民に対する説明
責任を果たしていないのと同様、これらの国々の住民にも一切の説明責任を
果たしていません。

私たち、経済産業省前に集った北海道から九州までの女たち、そして原発輸
出に懸念を有する市民たちは、日本政府の原発輸出に強く反対します。輸出
すべきは、福島の痛みによって得られた貴重な経験であり、断じて原発では
ありません。

以上を踏まえ、私たちは日越両政府に対して、以下を要請します。

・日本政府は、原発輸出を行わない方針を明確に打ち出すこと
・日本政府は、原発輸出に向け、これ以上無駄な税金を使わないこと
・日越両政府は、現在実施されている実行可能性調査を打ち切ること。
・日越両政府は、ベトナム国民、ベトナム近隣国の住民に対する説明責任を
果たすこと。

以上

呼びかけ団体:原発いらない全国の女たちアクション

ヘルプページ:   http://help.yahoo.co.jp/help/jp/groups/
グループページ: http://groups.yahoo.co.jp/group/datugenpatu-hokkaido/
グループ管理者: mailto:datugenpatu-hokkaido-owner@yahoogroups.jp

「幼児教育こそ国をつくる力」

10月 31st, 2011

加藤 積一

(学校法人みんなのひろば・ふじようちえん園長)
『致知』2011年11月号より
http://ameblo.jp/otegami-fan/day-20111030.html

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「遊びと学びと建物が一体となった
世界的にユニークな建物」

このような評価をいただき、昨年、
私が園長を務めるふじようちえんは
OECD(経済協力開発機構)が主催する
学校施設の好事例最優秀賞に選ばれました。

二〇〇七年に園舎全体をリニューアルした当園は、
広い芝生の園庭を囲むように建てられた
ドーナツ型の平屋の園舎に、約六百名の園児たちが
思い思いに遊んでいます。

一九七一年に父が始めた幼稚園を私が引き継いだのは
一九九四年のこと。園舎は次第に老朽化し、
築三十年を経過した頃から雨漏りもしてきました。

そのような状況下で、二〇〇四年に
新潟県中越地震が発生しました。
そのニュースをテレビで見ていた時、
「子どもたちに万が一のことがあったら……」
という不安が私の危機感を煽り、園舎改築を決めたのです。

さっそく知り合いの建築関係者に設計を依頼したのですが、
私にはどうしてもしっくりきませんでした。
私の考えていた「素朴で本物」
「自然を感じ、自然とともに成長する」という
コンセプトが感じられなかったのです。
結局、折り合いがつかず断念しました。

旧園舎は、武蔵野の面影を色濃く残す豊かな自然に包まれ、
どことなく懐かしい、あたたかな空気が流れていました。
そんな雰囲気を気に入ってくださって、
入園を決める親御さんも多かったのです。
だからこそ、目に見えない大切な空気を残しつつ、
これからの時代に子どもたちが育つ環境へ
より良く変化していきたいという思いが胸の内にありました。

そんな時、偶然出会ったのが
ホンダ・ステップワゴンのCMや
SMAPのCDジャケット等のデザインを手掛けた
アートディレクターの佐藤可士和さんでした。

可士和さんの、

「幼稚園や病院という“デザイン”の概念が
まだ入っていない世界をデザインしたい」

との言葉に、私たちはすぐに意気投合。
建築家の手塚貴晴・由比ご夫妻の協力もいただき、
改築プロジェクトは始まりました。

「子どもは遊びが仕事、遊びが学び」という観点で、
私が溢れんばかりの想いを伝える。
それを可士和さんが整理して必要な情報を抽出し、
手塚さんが形にしていく。

そのように三位一体で進めていった結果、
「園舎そのものが巨大な遊具」という
ユニークな園舎が完成しました。

園舎には子どもが育つための様々な仕掛けが
施されていますが、中でも皆さんが注目されるのは、
園舎の屋根の上が円形の運動場になっていることです。

ある時、可士和さんが旧園舎を眺めながら、

「あの屋根の上を子どもたちが走ったら気持ちいいでしょうね」

と言いました。

「いや、危なくてそんなことはさせられませんよ」

と私はすぐに否定したものの、
よく考えてみると自分の小さな頃は、
しょっちゅう木登りをしたり、
近所の家の屋根で遊んだりしたものでした。

手塚さんは当園のコンセプトを
「ノスタルジックフューチャー(懐かしい未来)」
表現していますが、私が育ってきた昭和四十年代の
古きよき日本の姿を、安全性を確保した形で
現代流にアレンジした一例が、「走れる屋根の上」です。

子どもたちは、この屋根の上で全力疾走をしたり、
鬼ごっこをするなど、とにかく元気いっぱいに走り回ります。
一周は約百八十メートル、円形なので行き止まりがありません。
そこを一日に三十周したという園児もいるほどで、
三十周では五キロ以上にもなります。

ある大学生が、サッカー教室も行っている
都内の幼稚園児と当園の子どもたちとの
一日の運動量・歩数を比較したところ、
驚くことに当園のほうが三倍も多かったという
報告もなされています。

大人からの強制も特別な遊具もなく、
子どもたちが自分の意思で
これほど走り回りたくなる環境は、
いまの都会の生活には存在しないのではないでしょうか。

私たちは高度経済成長期以降、便利さを追求し
オートマティックな社会を築いてきました。

手を出せば水が流れ、部屋に入れば電気がつく。
自ら身体を動かし筋肉を使わなくとも、
自動で何でもしてくれる世の中です。

果たしてそれは本当に便利な社会といえるのか――。
よく考えてみると、いまの社会は子どもが育つには
とても「不自由」な環境だと思うのです。

自然の中に身を置き、本物の土や木、水や空気、
一面に広がる空や風を感じながら、
石に躓(つまづ)き転んだり、カブトムシを触って噛まれたりする。
そうした実体験を通して、子どもは育っていくものだと
私は考えています。

私たちのミッションは「幸せな未来をつくること」です。
いまここに通っている子どもたちには
将来、新しい世界を築いていってほしい。
幼児教育はそのための土台づくりの場です。

私は常日頃から、

「“How to”で生きるより
“To do”で生きる子どもを育てよう」

と話しています。

子どもには、処世の術を教えるよりも、
自分は何をしたいのかという意志を持たせることが
大切だと思うのです。

私は幼児教育には国をつくる力があり、
世界を形成する力もあると考えています。

いまはまだ小さな力でしかないかもしれませんが、
ゆくゆくは社会を変革する大きなエネルギーになると信じて、
子どもたちの育ちに役立つ「道具」のような存在として
生きていきたいと思います。

■「ふじようちえん」の園舎の様子を
写真をたくさん交えてご紹介しています。
ぜひアクセスしてみてください。
http://ameblo.jp/otegami-fan/day-20111030.html

「親父の小言」

10月 29th, 2011

       
       
    青田 暁知 (大聖寺住職)
        
     『致知』2003年10月号
      特集「人生を支えた言葉」より
            

     ※肩書きは掲載当時です。

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「親父の小言」をご存じでしょうか。

ご存じない方でも、
「火は粗末にするな」「朝きげんよくしろ」
「神仏をよく拝ませ」「人には腹を立てるな」
「人に馬鹿にされていよ」 「家業は精を出せ」
「年寄りをいたわれ」

……これらの言葉が全国の土産物の壁掛けや
温泉場の手ぬぐいなどに書かれ、
売られているのを見た人は多いと思います。

実はこのもとになったのが私が住職を務める福島県浪江町、
大聖寺の庫裡に掲げられた「親父の小言」の四十五の文章です。

私の父・青田暁仙が昭和三年、三十三歳の時に書いたもので、
私が物心ついた時にはすでに庫裡に掲げられていました。
私にとってはいずれも親しみのある言葉ばかりです。

ただ、私は十一歳で父と死別しましたので、
この小言について父に深く聞くことは、ついにできないままでした。

ですから、父がどういう思いを込めて
これらの言葉をしたためたのか、
小言を言った親父とは、父の父である青田八郎のことなのか、
それとも自分の思いを架空の小言親父に託したのか。
はっきりしたことは分かりません。

ただ、小言の為書には
「親父生前中の小言を思い出して書きました。
 今にして考えればなるほどと思うことばかりです」
の一文があります。

青田八郎の言葉であることを裏付けているかのようですが、
父は石田梅岩の石門心学について
熱心に勉強していたことなどを考え合わせると、
あるいはその影響もあるのでは、とも考えられます。

実際、「家業は精を出せ」「たんと儲けてつかへ」など
小言には梅岩の思想と共通する言葉も盛り込まれています。

昭和三十年代の半ば、この小言を町内の商店が
商品にして売り出したのをきっかけに、
評判が評判を呼んで全国に広がりました。

途中、新たな語句が加わったり、
逆に本来の言葉が削られたりと、
父のオリジナルとは随分異なるものになってしまいましたが、
小言が広がったのは、何か人々の琴線に触れるものが
あったからでしょう。

     (後略。以下に45の文章をご紹介します) 

● 火は粗末にするな

● 朝きげんよくしろ

● 神仏をよく拝ませ

● 不浄を見るな

● 人には腹を立てるな

 身の出世を願へ

 人に馬鹿にされていよ

● 年寄りをいたわれ

● 恩は遠くから隠せ

● 万事油断するな

● 女房のいうこと半分

● 子のいうこと八九はきくな

● 家業は精を出せ

 何事もかまわずしろ

 たんと儲けてつかへ

● 借りては使うな

 人には貸してやれ

 女郎を買うな

● 女房を早く持て

 難渋な人にほどこせ

 生き物を殺すな

● 年忌法事をしろ

● 義理は必ず欠くな

● ばくちは決して打つな

● 大酒は呑むな

● 大めしを喰うな

 判事はきつく断れ

● 世話焼になるな

 貧乏を苦にするな

● 火事の覚悟をしておけ

● 風吹きに遠出するな

 水はたやさぬようにしろ

 塩もたやすな

● 戸締まりに気をつけろ

 怪我と災は恥と思へ

 物を拾わば身につけるな

 小商ものを値切るな

 何事も身分相応にしろ

● 産前産後を大切に

 小便は小便所へしろ

 泣きごとは必ず云うな

 病気は仰山にしろ

 人の苦労を助けてやれ

 不吉は云うべからず

 家内は笑ふて暮らせ

如皋、第6番目「世界長寿郷」に認定!

10月 28th, 2011

10月26「如皋市が、6番目の『世界長寿郷』に認定!」との

報道が世界に配信された。

9月に同行した「森下世界長寿郷調査団」の探査の結果、

あの北京人民大会堂において、授与式が行われ、

森下敬一自然医学会会長が認定書を如皋首長に手渡した。

その報告は来月15日に発刊される『森下自然医学』に詳しい。

私も連載に今日投稿し、一部その顛末を述べた。

WHO(世界保健機構)の認定より、森下認定を重しとする中国

これを以て、日中友好の相互理解が深まることを、祈りたい。

http://japanese.cri.cn/1061/2011/10/27/161s182066.htm#comment

http://leaders.people.com.cn/GB/70158/80046/16022518.html

コルマン・インデックス 28日、世の終わりか!?

10月 28th, 2011

「2011年10月28日、マヤ暦終了!」。

コルマン・インデックスでは、以前からこの日が「人類の意識進化が完成する日」とされているらしい。

とすれば、今日であり、日本時間では明日となるのか?

どうも、私見ではそれらしい感じはないのだが。

またもや、思い出すのが1999年の世の終わり、2000年問題だ。

コルマン博士によれば、「意識の共鳴により、人類が統合され、一種のグローバルブレインが形成される」のだという。

エゴが強い今までの人類の時代は終わり、新しい人類の世界が始まるという。

しかし、それはまだまだ遠い先のように思うのだが。

故岡潔博士に依れば、およそ人類が仏陀のように覚醒するには、

単細胞から現人類の進化の2倍はかかるという数学的計算で予測された。

それだと、その見解は夢物語のような話しで、到底人類はまだまだのように感じるは私一人ではあるまい。

世界各地で起こっている闘争を見て、暗澹たる絶望的様相に、

人類の先は遠い、されど今の一歩しかない、と思うしかないのではないか。

気の遠くなるような歴史の果てに、夢の世界が開かれるのだろう。

ただそれが、長いと感じるか短いと感ずるかは、それぞれであろう。

億万年も、弾指の間であるから、そこには時間がない。

まあ、今年や来年のものではない事は確かだ。

虚言に惑わされず、今を生きるしかない。

「日本人を見習いたい」 

10月 28th, 2011

被災者らが助け合い 略奪も発生せず

2011.10.26 09:55 [中東・アフリカ
25日、トルコ東部エルジシュで「日本人を見習いたい」と話すイザット・アカーンさん(共同)
(25日、トルコ東部エルジシュで「日本人を見習いたい」と話すイザット・アカーンさん(共同))

多数の死傷者を出したトルコ東部の地震被災地では避難生活を送る人々がお互いに助け合い、

落ち着いた行動を呼び掛け合っている。

「日本人を見習いたい」。

東日本大震災で注目された日本人の忍耐強さ、秩序を守る姿勢が教訓となっている。

 多くの建物が倒壊、損壊するなど大きな被害が出たエルジシュ。

千人を超す被災者がテント生活を送る競技場では、食料配給を求める人々が整然と列をつくっていた。

割り込む人はおらず、妊婦に先を譲る姿も。

物資が不足しているとされる被災地のワンでも商店で略奪などは発生していない。

 「昨晩、みんなで震災後の日本人の姿勢を見習わなければいけないと話していたんだ」。

25日午後、エルジシュの競技場で、一家7人でテント生活を強いられている被災者の一人、

イザット・アカーンさん(46)が打ち明けた。(共同)