まほろばblog

トマト狂想曲 フードファティズム

2月 27th, 2012

先日の卸市場で、トマトの競値が、何と1箱15.000円に跳ね上がった!!!

せいぜい2,000~,3.000円のものが、5~7倍というから驚くというか、呆れる。

「アホか」と捨て台詞をみな方々で吐いていたが、まことに「大馬鹿」というより他はない。

1個小さいトマトが600円の原価で、どうやって値を付け、どうやって買うというのだろうか。

テレビで、000の大学の先生が、メタボにトマトが言い、といったばっかりに、トマト大ブレーク。

この冬に、どうして高いトマトを10個も食えるというのだろう。

買うのも買うほうだが、言うのも言う方だと思うのだ。

トマトぐらいで、云々言うなよ、というのは、八百屋のブーイングなのだ。

それほど、末端では迷惑している。

兎に角、高くて店頭に、トマトが置けないのだから・・・・・・・・。

食品の効果を過大に信奉することを「フードファティズム」という。

=これさえ食べれば大丈夫。

「ファド(fad)」とは「一時的流行、熱中」の意。

「ファシズム」=「全体主義」=これにすがれば大丈夫。

主体性のない日本人には、ほとほと参ってしまうのは、私だけではないだろう。

こっちが良いと言えばこっち、あっちが良いと言えばあっち・・・・・・。

いい加減に、子供じゃないんだから、大人になれよ、と言いたいだろう。

でも、見方によれば、こんな遊び心、児戯、アホさ加減が、

世の中を活性化しているのかもしれない。

のんべんだらりとマンネリズムで、日常飽き飽きするより、こんな刺激で目を覚ます。

まほろばは、何が何だか分からないが、毎日コテコテのテンコ盛りで、

今にも爆発しそうだが、そのスリリングな何でもありの仕事が面白いし、

お客様をして、惹き付ける大きな原動力になっているのだろう。

とにかく、やるべき仕事があり過ぎて、目を回しているまほろばであります。

アグネス宣言

2月 27th, 2012

 

アグネス宣言
木と共に 水と共に 土と共に もりと共に生きる あらゆるいのちと共に生きる。

発酵革命!

リオplus20の市民団体に日本の声が届けられるそうです。

「興亜観音から平和の祈りを」

2月 26th, 2012

 伊丹 妙浄 (礼拝山興亜観音住職)

  『致知』2012年3月号「致知随想」
    ※肩書きは『致知』掲載当時のものです
              …………………………………………………………

 ここ熱海にある「興亜観音(こうあかんのん)」は昭和十五年、
 支那事変での日中両軍の戦没者を等しく供養するため、
 陸軍大将・松井石根閣下のご発願により建立されました。

 観音像は激戦地だった大場鎮・南京地域の
 戦場の土を取り寄せ、陶工師と彫塑家の協力を得て
 制作されたものです。
 
 七十年余の風雨に耐えてこられた
 観音様の慈しみの眼差しは、
 遙か中国へと向けられているそうです。

 松井閣下は当初、建立するだけで、
 慰霊する僧侶を置くつもりはなかったようですが、
 参詣なさるごとに、実際には存在しないものが
 目に映って仕方がないと言われるのです。


 
 手のない者、脚のない者……、
 あぁ、これは建立するだけでなく、
 慰霊する僧侶が必要だ――。
 
 そうお感じになり、新潟の本成寺で
 執事をしていた私の父が命を受け、
 英霊位の慰霊僧侶として参った次第でした。

 閣下は昭和二十一年に巣鴨へ出頭される際、
 私どものあばら家までわざわざおいでになり、

 「水もない、電気もない不自由な生活だが、
  どうかこの英霊位の供養を頼む」

  
 と私の両親に懇願なされたようです。
 
 そのお言葉が父母の心に深く染み入り、
 生涯、興亜観音を守るという決意を通してまいりました。

 昭和二十四年には広田弘毅氏のご子息や
 東条英機氏のご夫人らが訪れ
 
 
 「知り合いの遺骨ですが、時期のくるまで
  誰にも知られぬよう秘蔵してもらいたい」
  
  
 と申し出られたそうです。
 
 私の父は、A級戦犯として処刑された
 英霊七方のご遺骨と直感し、快諾したものの、
 さてそれからが誠に大変であったようです。

 我が子にも気づかれぬよう、
 深夜にこっそり起き出して
 題目塔の後ろに穴を掘って、埋め隠す。
 雑草を茂らせ、誰にも察知されないようにする。
 
 ところが種々の流言を耳にすれば、
 やはり不安が過ってしまう。
 
 そこである時は観音像の裏、ある時は本堂裏に
 埋蔵場所を変えるなど、大変苦労したようでした。

 昭和二十六年のサンフランシスコ講和条約調印以後、
 米軍の監視は緩められ、七方のご遺骨のあることも
 次第に世間に知られてくるようになりました。
 
 そのご遺骨を弔う人も多くなり、
 昭和三十四年、ようやく「七士の碑」が建立され、
 ご遺骨を納めることができました。

 しかしこの間、両親の嘗めてきた苦労は
 ひと通りではありません。
 
 戦後のことゆえ寺務だけでは生活が成り立たず、
 父は遺族名簿を頼りに頼まれもしない家を
 一軒一軒回ってお経をあげさせていただくなどしていました。
 
 朝日が昇るとともに家を出て、帰宅するのは夜も更けてから。
 私も奨学金を二か所からいただきながら高校へ通いましたが、
 父が常々申していたのは
 
 
 「兵隊さんの苦労を偲べば何の苦労もない」
 
 「英霊七方のご丹精があったればこそ今日の日本がある」
 

 という言葉でした。
 ところが昭和四十六年、その七士の碑が
 赤軍派によって爆破されるという
 ショッキングな事件が起こります。
 
 十二月十二日の午後十時頃、
 これまで聞いたことのない爆音がし、
 父が見に行きますと七士の石碑が割れており、
 腰が抜けるほどに驚いたといいます。
 
 すぐ警察へ届け出たところ七士の碑から
 興亜観音まですべてにわたって
 爆薬が仕掛けられていたそうです。

 七士の碑の左隣には、金色でお題目が刻まれた
 大東亜戦争殉国刑死千六十八柱霊位の碑があります。
 
 そのお題目の一部が少し焦げたものの、
 途中で電気関係がショートし、
 七士の碑以外のところは難を逃れました。

 警察の話によりますと
 
 
 「ああいう連中はよほど綿密な計画を練ったはずで、
  全部爆破されなかったのが不思議なくらいだ」
  
  
 ということでした。霊感の鋭い方は、
 英霊七方が霊魂となられたその時までも、
 必死になって導火線の火を食い止められたのだと言われます。

 他にも不思議なことは尽きません。
 私は高校卒業後、すぐ勤めに出ましたが、
 退職してまもない平成十二年、
 急性骨髄性白血病M3に罹り、
 九か月間に及ぶ入院生活を余儀なくされました。
 
 やがて寝ることも起きることもできなくなり、
 回診のたびにただ苦しい苦しいと訴えるだけ。
 
 介護をしてくれた寺の執事は主治医から
 
 
 「もってあと一週間の命です」
 
 
 との宣告も受けたようです。
 
 しかしながら、現代医療の偉大な力、
 お医者様のなんとか命を救ってやりたいというお心、
 周囲の方々の献身的な介護、
 そして何よりも目に見えない何ものかからの
 
 
 「おまえのような者でも、
  まだ果たさなければならぬことがある」
 
 
 というお計らいがあったのか、
 五十九歳になる今日まで生かさせていただいております。

 こんな因縁深いお話もございます。
 
 七方二年目のご祥月ご命日である
 昭和二十五年十二月二十三日、
 東京裁判の七士処刑の責任者ヘンリー・ウォーカー中将は、
 自らが運転していたジープの操縦を誤り、事故死してしまいます。
 
 その日が英霊七方死刑執行の同日同時刻であったことから、
 さすがに因縁めいたものをお感じになり、
 中将の副官が興亜観音へ訪ねてこられました。
 
 話を聞いた父は「怨親平等」という心のもと、
 露仏像の脇に菩提の碑を建てました。

「世の人に残さばやと思う 自他平等の誠の心」。

 刑死の直前、松井閣下がお残しになった辞世の句ですが、
 私はここに閣下の生涯を貫いたご心願が
 表れているように思うのです。

 私は興亜観音を平和を祈る原点と考えていますが、
 参詣なさる方の数は年々少なくなり、
 戦争という言葉自体が風化されつつあります。
 
 しかしながら現在、私たちの幸せあるはご先祖様のお陰、
 戦没者の方々の尊い犠牲の上に成り立つことを噛み締め、
 毎日毎日がご祥月ご命日と心得て、
 観音の法灯を絶やさぬよう
 身体の続く限り努めてまいりたいと存じております。

江差追分が聞こえるフグ!

2月 26th, 2012

江差追分でお馴染みの道南・江差町で50年も料理人をしている十河数男さんが、

精魂傾けて作った「真フグ」の加工品をお届けします。

フグは、コラーゲン一杯で、女性に人気です。

江差の前浜で獲れた真フグは鮮度抜群、コリコリして美味しい!

でもフグは毒で有名ですね。

あの名歌舞伎役者、坂東三津五郎さんは、あっけなくフグ毒で逝ってしまいました。

飯寿しなどは、しっかり水で晒し、酢で〆め、野菜を盛り込み、

21日間重しをして、天地返しして漬け上がります。

各名品をご堪能下さい。 さらに、ふぐのスリミが出ますよ。

① ふぐ飯寿し 200g  ¥1365 

    檜山沖で獲れたフグを米麹や野菜などを使って本漬け飯寿しを作りました。

② ふぐの一夜干し 200g ¥840 

    乙部沖で獲れたフグを水素水に浸し、モンゴル塩で一夜干しにしたものです。

③ ふぐ切込み  150g ¥840 

    江差の浜で獲れたフグを麹や唐辛子で漬けた塩辛です。

三友さんのチーズ

2月 25th, 2012

以前から、小泉先生に、中標津の三友さんのチーズの素晴らしさを聞かされていた。

縁というものは、なかなかつかないもので、先日来店の際、

再びおっしゃったので、ようやく取り寄せてみた。

→毎日新聞・味覚人飛行物体「美味巡礼の旅」より抜粋

『・・・アルプスの山岳チーズをモデルにした 硬質タイプの「山のチーズ」は、本場の香味をも 凌ぐものとして今や伝説的なチーズになっている。
この硬質チーズの色は神秘的で、白みがかった 琥珀色の中に薄く鶯色を帯びてそれを切って 口の中に入れて噛むと、チーズからとても濃厚な うま味がトロリと溶け出してきて、上品なコク味とマイルド感があり、絶妙なのである・・・』

一片、口に運ぶと、珠玉の味わいが拡がり、事務所のみんなで唸った。

山のチーズは中々のもので、18ヶ月は絶品。

ことにダブルクリームチーズには参った。

夏の青草のみを食べた乳を使うので、製造は夏のみで、あるとか。

そして一人奥様の手による、純一な透明感に、清冽な志を感じる。

大きくせず、一人身の丈を全うするその気概に打たれた。

だから、卸は出来ない、と断られた言に、気持ちよく肯いた。

是非、皆さんも、お一人でお取り寄せ下さい。

期待を裏切る事はないでしょう。

http://www.goto-chi.com/seisansya/mitomo.htm

http://mitomo-cheese.com/

まほろば無添加「いくら」

2月 25th, 2012

ある会社からの依頼で、「まほろばオリジナルいくら」を完成させた。

「桃の節句」のちらしの上に載せるいくらを是非作って欲しいということだった。

時期的には、生はなく生冷凍しかない。

冷凍物は一旦細胞が壊れているので、タレの吸い込みが悪い。

理想的には、漁獲の時期に仕込むべきものなのだが。

しかし、挑戦するのも良いだろう。

ヤマヒサさんの「薄口醤油」と「三河白だし」、そしてまんさくの花の「百年前」。

毎年何十t とイクラを漬け込む、懇意にしている社長に頼んで、何とか完成。

恐る恐る、今朝入荷したばかりのまほろばイクラのお味はいかが?

これが、不安をよそに、ベリー・グーでした。

久し振りに美味しいイクラにありつけました。

お値段のほうは、昨年は鮭の不漁で原価が響いています。

でも、残したくないので、安くさせてもらいました。

1p 100g ¥980

つくばで専務の講演会

2月 24th, 2012

・・・・・癒しのサロン ふっとmomさんから・・・・・・・・

2/26(日)

「まほろばの食養思想」

       10:00-12:00

       吾妻交流センター大会議室(つくばセンタービル4階)
 
 講師:宮下 洋子氏 (まほろば専務)


  高校生にしてジョージ・オオサワ(桜沢如一)に師事、

 30余年前札幌に自然食品店まほろばを開業し、

 多くの人の食事指導をしてきました。

 現在まほろば農園責任者として8町歩の畑を切り盛りし、

 無農薬野菜を作っています。


 毎月東京のタカコ・ナカムラ ホールフードスクールで

 「インテグレートマクロビオティック」の講師をされています。

 玄米菜食はカラダにいいの?

 動物性食品は摂ってもいいの?

 全体食は正しいの?

 摂ってもいい砂糖や油は?


 今の時代に合った健康食の在り方を学びます。
 
       受講料 2000円

菊池治巳の農活日記 3

2月 24th, 2012

鹿肉フェアー&「スロウ」&新聞に

2月 24th, 2012

 今、エゾシカブームが到来している。

農園の松本君が、鹿ハンターを志し、新生の芽生えが春と共に訪れた。

来る3月2,3日に、両店舗で無料試食会を開く。

我満さんが当日、みなさんの目の前で、冬鹿の醍醐味を披瀝する。

どうぞ、ぞの旨味を堪能して下さい。

そんな折、道新でエゾシカ活用の記事が掲載された。

次第に市民に浸透するエゾシカ、そして、今日送られて来た環境生活雑誌「スロウ」。

何とエゾシカ特集で、販売店としてまほろばも紹介されていた。

実に行き届いた編集で、よくぞ、まとめましたという内容!!

狩りから屠殺、加工、料理、販売店、レストラン等々余すところなく網羅している。

是非、ご興味のある方は、ご一読のほどを。

(まほろば扱い、¥880)

清新な書

2月 23rd, 2012

「平清盛」が始まった頃、誰がこの題字を書いたのだろうか。

女流で聞いたことがないなー、と思っていた所、今朝の道新であの方かと感心した。

以前、ドキュメントで翔子さんを拝見した事があり、お母さんの泰子さんが、

江戸時代から四代続く書家、謹厳な楷書を専門とされる故柳田泰雲師のお弟子さんであった。

そのお子様・翔子さんにも、みっちりと基本の基本を叩き込んだのだろうと思う。

平の縦に屹立して浮かび上がり、横にひっさく一線が印象的だ。

清も同じように、横一文字が平と重なって抜くところが、少し気になるところだ。

盛は、まるで王羲之の「蘭亭之序」の生き写しのようで、

若い女の子にして、既に風格あって、よく練られているな、と感心。

ご病気を克服というより、生来持っていらした才能の華が

固い土壌の伸び難きを押して芽が出て来たという感じで、

その生き生きした逞しさは、常人の及ぶところではない。

まだ20代、これから益々精進され、誰もが到達し得なかった

境地の書を書かれることを望むや、切なり。