まほろばblog

 「仕事は自ら探し出すもの」

3月 3rd, 2012

       
 桜井 正光 (リコー会長)

   『致知』2012年3月号
   連載「20代をどう生きるか」より
       ────────────────────────────────────

 私がリコーに就職したのは一九六六年。
 オリンピック景気を最後に日本の高度経済成長期が終わり、
 「証券不況」という大きな不況の真っ只中だった。

 そもそもなぜリコーを希望したかというと、
 私は小さい頃から「これはなぜ動くのか」とその構造が知りたくて、
 買ってもらったばかりのおもちゃの解体に
 熱中するような子供だった。
 
 その好奇心が高じて理工学部へ進学。
 そして学生時代に熱中したのはカメラだった。
 
 必然的に就職先は製造業で、
 特にカメラを製造している企業を希望して、
 リコーに行き着いたのだ。
 
 ところが、面接時に衝撃的なことを言われた。
 
 
「いまほとんどカメラはやっていないよ。
  いまのうちの主力は複写機(コピー機)だ」
 
 
「???」

 当時、複写といえばガリ版刷りで、
 私は複写機そのものがどんなものか分からなかったが、
 咄嗟に「複写機でもいいです」と答えた。
 
 さらに「なぜこの時期にリコーなんだ? うちは無配だよ」
  と言われた。その瞬間、「無配」が何かが思いつかず、
 「いや“無敗”は望むところです」と答えた。
 
 いま振り返ると、よく通ったものだと思う。

 
 そうして最初に配属されたのは原価管理課という部門だった。
 しかし、不況の真っ只中、会社も無配の状態である。
 上司に言われたのは「おまえたちにやる仕事はない」と
 いうことだった。
 
 最初こそ仕事がなくて楽だと思ったが、
 三か月も経つと何もする仕事がないというのは
 こんなにつらいものなのかと身に沁みて感じた。
 
 他の部署の人たちが仕事をしていることへの焦り。
 また、もっと本質的な部分で、
 自分は会社や社会に何も貢献できていないという
 「役割」のなさへの焦りがあった。
 後々振り返って、社会人のスタート段階で
 
 
 「仕事があるありがたさ」
 「する仕事のないつらさ」
 
 
 を体感できたのは幸せだったと思う。

       * *

 さて、そこで私は
 「こうなったら、自分で仕事を探そう」と決意した。
 原価管理課は、製品の原価を計算し、
 コストダウンを提案して実践する部署だった。
 
 提案は誰に対して行うのか、我われの提案を
 利用する人たちにとってそれは十分な情報かどうか、
 もっと欲しい情報はないのか、ヒアリングに向かったのである。
 
 提案の利用者は、開発、設計、生産部門だから、
 各部署を回ってみると次第に自分がすべき仕事が見えてきた。
 
 複写機を取ってみても、いくつもの製品があり、
 それぞれの製品間で部品が類似しながらも
 微妙に違うものを使っていることに気がついた。
 
 
 「本当に違う必要があるのか」
 
 「コストアップの原因になってはいないか」……。
 
 
 いまならコンピュータで類似部品一覧を管理しているだろうが、
 あの当時、技術や設計の人間は手間隙かかる
 類似部品のリスト化に手をつけていなかった。
 
 私は五か月間、倉庫にこもって部品図面を種類ごとに分類。
 材質や形状、原価などを加えたリストを作成し、設計部署に渡した。
 その後、改善したほうがいい部分を指摘してもらい、
 どんどんブラッシュアップしていった。
 
 すると、現場は「部品を探す手間が省けた」と
 重宝してくれる一方で、同じような形状であれば
 一番安い部品を選ぶようになり、
 大きなコストダウンに繋がったのである。
 この経験から私が若い人たちに伝えたいことは、
 
 
「仕事は上司から与えられるものではなく、
 自分で探し出すもの」

 ということだ。
 
 自分の仕事のアウトプットを利用するお客様は誰なのかを考え、
 その人たちの役に立つことを探して実行すれば、
 必ず成果となって現れる。

 すなわち、それは自主自立、自己責任の全うということであり、
 いま日本全体で最も求められていることではないだろうか。
 

3月「桃の市」!!

3月 2nd, 2012

早や3月の「感謝デー」!

今月は、盛り沢山な事、この上なし。

イヴェントも、目白押し。

玄関先で、ジュージュー、エゾシカのグリル焼き、クルクル回しながらの試食会。

報道関係も取材に来ます。

2階では、ドイツの驚異の掃除機「コーボルト」のデモがおこなわれます。

下ではギャニオンさんがカナダ、メープルシロップへの誘いをしてくれます。

明日は「桃の節句」、ソフテではそれは美味しい美味しいケーキが並んでいますよ。

今日は、天気も良好の「桃の市」「春の市」で~~~~~ す!!!!!

東海地震と浜岡原発〜今、私たちにできること〜

3月 2nd, 2012
皆さまへ
 
*このメールは、STOP!浜岡原発の電子署名をして下さった方に、
不定期でBCCでお送りしています。
STOP!浜岡原発からのメールがご迷惑になる場合は、
お手数ですがご連絡下さるようお願いいたします。
  
★STOP!浜岡原発の電子署名をして下さり、ありがとうございました。
  
★お知らせその(1)4/7シンポジウム東海地震と浜岡原発〜今、私たちにできること〜
★「東海地震と浜岡原発〜今、私たちにできること〜」 (静岡市)
                  ☆手話通訳、ネット中継、託児あり
                 ★日時:2012年4月7日(土)開演13:30〜16:00(開場13:00)
                  ☆会場:「グランシップ」11階 会議ホール「風」(JR東静岡南口徒歩3分)
 
冒頭スピーチ「物質文明から生命文明に転換」
 
                                                                                  環境考古学者  安田喜憲氏
                                                                          静岡県危機管理監 小林佐登志氏 
                                                                                       牧之原市長  西原茂樹氏
                    元東芝原子炉格納容器設計技師・沼津高専教授  渡辺敦雄氏 
                静岡大学防災総合センター・関西大学客員准 教授   林能成氏
                               市民パネリスト二名(浜岡原発20キロ圏内、母親の立場)
 
★パネリストへの事前質問受付中!
http://shizuokamirai.jimdo.com/ご質問-掲示板/
★定員:500名☆参加費:500円(一般予約不要)
聴覚障がい者席、託児(要予約)
 
申込方法:http://shizuokamirai.jimdo.com/参加方法/
☆主催:ふじのくに浜岡原発を考える会シンポジウム事務局
E-mail: shizuokamirai@gmail.com Tel: 090-4401-8774
 
★詳細・シンポジウムHP:http://shizuokamirai.jimdo.com/
★お知らせその(2)買って脱原発&福島支援★
「限られた資金」で継続的に活動をするために、STOP!
浜岡原発のHPのヘッダーとバナーの絵で
グッズ(Tシャツ、エコバッグなど)を制作し、販売しています。
収益金の一部は福島の子どもたちを支援する団体に寄付し、
残りの収益金は、STOP!浜岡原発の活動費として使用させていただきます。
 
詳細:http://stophamaokanuclearpp.com/?page_id=1530 
どうぞよろしくお願いいたします。
 
*******************************************************
 
戸倉由紀枝 Yukie Tokura
STOP!浜岡原発 
STOP! HAMAOKA Nuclear Power Plant
E-mail: stophamaokanuclearpp@gmail.com 
Tel: 090-4401-8774 
HP
日本語:http://stophamaokanuclearpp.com/ 
English: http://stophamaokanuclearpp.com/en 

産業用大麻の議論をもっと!

3月 1st, 2012

昨日、Lプラザで北海道における「産業用大麻普及推進ネットワーク」会議が行われた。

前上川農試場長の菊池治巳氏の呼びかけに応えるもので、世界的にも産業・医療用に

栽培され活用されている現状、日本においても古代から営々として使われてきた麻の効用と歴史、

社会的にTHC(覚醒作用)の大麻と混同され、誤解されて来た産業用大麻の復興に向けての

北海道における第一歩を踏んだ。

まほろばの呼びかけに、北見の「ふきのとう」の佐藤社長、室蘭の「アイ企画」の野崎社長、

当別の土井女史などが、遠路はるばる参加してくださった。

道内各地の農家の方々の参加が目立ち、道内での栽培普及に意気込む。

中でも、北見で道の栽培特区を得ている「香遊生活」の舟山秀太郎社長の働きは、

全国的にも影響力が大きく、舟山さんの縁故で、中京大のあの武田邦彦教授も、

今月27(旭川)、28日(札幌)に講演会を開く。詳しくは追って後日に。

「お母さん、ぼくは家に帰ってきたんか」

3月 1st, 2012

          
 上月 照宗 (曹洞宗大本山永平寺監院)
        
        『一流たちの金言2』
                        

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親と子といえば、私には
どうしても忘れられない逸話があるんです。

土井敏春という中尉の話です。

昭和16年の安慶の攻略線の際、土井中尉は
部下5人を連れて将校斥候に出たのですが、
敵の地雷に引っ掛かってしまった。

    (中略)

一瞬にして5人の部下が
即死してしまったのだから惨いことです。

助かったのは土井中尉一人。
しかし、彼自身も両足と片腕を吹き飛ばされ、
爆風で脳、眼、耳が完全にやられてしまった。

あまりの苦しさに舌を噛み切って自害するといわれますが、
土井中尉は上下の歯もガタガタになってしまった。
死ぬに死ねません。これほど悲惨なことはありません。

どこにいて、何をしているのかもわからない。
声だけは出るものですから、病院に担ぎこまれても、
ただ怒鳴り散らすばかりです。

まだ昭和16年のころでしたし、将校ですから、
病院や看護婦は至れり尽くせりの看護をしたのですが、
本人にしてみれば地獄です。

目は見えない、耳は聞こえない、自分で歩くことも、
物に触れることもできない。

食事も食べさせてもらうのはいいが、
しょっちゅう漏らして看護婦の世話になる。
ただ、怒鳴るだけしかできず、介護に反発しますから、
ついには病院中のだれにも嫌われてしまった。

それで内地送還になり、
最後は箱根の療養所に落ち着くのです。
その連絡がお母さんのところに届きます。

すでに、夫を亡くしていたお母さんは
その当時はみんなそうでしたが、
息子のために毎日毎日、陰膳を供えて
彼の無事な帰還を祈っていました。

ですから、息子が帰ってきたという知らせに
母は娘と夫の弟さんを連れて、取るものも取りあえず、
箱根に駆けつけたんですね。

療養所では面会謝絶です。院長にお願いしても、

「せっかく来られたのですが、
 息子さんにはとてもあなた方のことはわからないでしょう。
 今日はお帰りください」

と聞き入れてもらえない。

しかし、母にとっては待ちに待った息子の帰還です。
何とか一目でいいから会わせてほしいと懇願し、
やっとの思いで院長の許可を取ることができました。

病院に案内されると廊下の向こうから
「わぁー」という訳のわからない怒鳴り声が聞こえます。
どうもその声は、自分の息子らしい。
毎日陰膳を供えて息子の無事を祈っていた
自分の息子の声であったのです。

たまらなくなって、その怒鳴り声をたどって
足早に病室に飛び込みます。

するとそのベッドの上に置かれているのは、
手足を取られ、包帯の中から口だけがのぞいている“物体”。
息子の影すらありません。声だけが息子です。

「あぁー」と母は息子に飛び付いて、
「敏春!」「敏春!」と叫ぶのですが、
耳も目も聞こえない息子には通じません。

それどころか、「うるさい! 何するんだ!」といって、
残された片腕で母を払いのけようともがくのです。

何度呼んでも、体を揺すっても暴れるだけです。
妹さんが「兄さん!兄さん!」と抱きついても、
叔父さんがやっても全然、受け答えません。
三人はおいおい泣き、看護婦も、
たまらずもらい泣きしました。

何もわからない土井中尉はただわめき、
怒鳴っているばかりです。

こんな悲惨な光景はありますまい。
しばらくして、面会の時間を過ぎたことだし、

「またいいことがあるでしょう。今日はもう帰りましょう」

と院長が病室を出ると、妹さんと叔父さんも泣きながら、
それについて帰ります。

しかし、お母さんは動こうとしない。
どうするのか、見ていると、
彼女はそばにあった椅子を指して
看護婦にこういうのです。

「すみません。
 この椅子を吊ってくださいませんか」

そして、それをベッドに近寄せると
お母さんはその上に乗るや、もろ肌脱いでお乳を出し、
それをガバッと土井中尉の顔の
包帯の裂け目から出ているその口へ、
「敏春!」といって押しあてたのです。

その瞬間どうでしょう。

それまで、訳のわからないことを怒鳴っていた土井中尉は、
突然、ワーッと大声で泣き出してしまった。
そして、その残された右腕の人差し指で
しきりに母親の顔を撫で回して

「お母さん! お母さんだなあ、
 お母さん、ぼくは家に帰ってきたんか。
 家に帰ってきたんか」

と、むしゃぶりついて離さない。
母はもう口から出る言葉もありません。

時間です、母は土井中尉の腕をしっかり握って、
また来るよ、また来るよといって、帰っていきました。

すると、どうでしょう。
母と別れた土井中尉はそれからぴたりと怒鳴ることを
やめてしまいました。

その翌朝、看護婦がそばにいることがわかっていて、
彼は静かにいいました。

「ぼくは勝手なことばかりいって、申し訳なかった。
 これからは歌を作りたい。
 すまないが、それを書きとどめていただけますか」

その最初の歌が、

 見えざれば、母上の顔なでてみぬ
 頬やわらかに 笑みていませる

目が見えないので、お母さんの顔、
この二本の指でさすってみた、
そしたらお母さんの顔がやわらかで、
笑って見えるようであった。

土井中尉の心の眼、心眼には
母親の顔は豊かな、慈母観世音菩薩さまのように
映ったのに違いありません。

  (中略)

この話はその現場に立ち会っていた
相沢京子さんという看護婦から聞いたものなのですが、
その相沢さん自身も母親の姿を目の当たりにして、
患者の心になり切る看護というものに目覚めたということです。

道元禅師の言葉にこうあります。

「この法は、人々の分上に豊かにそなわれりといえども、
 未だ修せざるには現れず、証せざるには得ることなし」

「法」とは「仏性」のことです。
ですから、すべての生きとし生けるものには
みな仏性があると、根本信条を諭されます。

しかし、道元禅師は、それも修行して
磨きをかけないと本当の光が出てこない。

本当に磨きをかけることによって、
真実の父親、母親になれ、
その真実の人がそのものになり切ってこそ
偉大な力を発揮するということになるのです。

「人間に屑はない」

2月 29th, 2012

      
 東井 義雄 (教育者)

   『致知』1990年8月号
    特集「花は香り、人は人柄」より

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「人間に屑はない」を願い続けて教員生活五十五年、
そのうち十二年余りを小学校、中学校の校長を
務めさせていただきました。
私は大変幸せ者だったと思っております。

現役時代はよく、
「あなたの学校は素晴らしいですね」といわれました。
何のことかと尋ねると、例えば

「いつ電話しても心温まる受け答えをしてくださる。
 学校全体の温かい和やかな明るい雰囲気が
 伝わってくる感じなのです」

といってくださる。

私は特別、電話の応対について職員の皆さんに注意したり、
お願いしたこともありませんでしたが、
そうした職員一人ひとりのおかげで、
立派に務めさせていただくことができたわけで、
こんな幸せなことはないと思います。

五十五年にわたった教員生活の中で、
ずうっと願い続けてきたことは、

「人間に屑はない」

ということです。

どんなに名を知られていないような草花でも
花を咲かせるように、どんな子供たちにも、
一人ひとりが咲かせなければならない花があります。

ところが、今は何か子供の学習の点数というものに、
親も学校の先生も頭を縛られてしまって、
点数の低い子供はつまらない子供だと
考えてしまう傾向が強くなりました。

しかし、能力には高い、低いがありましても、
点数は低くても、その子供しか持っていない
光というものがあるのです。

ですから私はいつも、

「どの子も子供は星。
 みんなそれぞれが、それぞれの光をいただいて
 まばたきしている。
 僕の光を見てくださいとまばたきしてる。
 
 私の光も見てくださいとまばたきしている。
 光を見てやろう、
 まばたきに応えてやろう。
 
 光を見てもらえないと、子供の星は光を消す。
 まばたきをやめる。
 光を見てやろう。
 
 そして、
 
 やんちゃな子供からは、やんちゃな子供の光、

 おとなしい子供からはおとなしい子供の光、

 気の早い子供からは気の早い子供の光、

 ゆっくり屋さんからはゆっくり屋さんの光、

 男の子からは男の子の光、

 女の子からは女の子の光、

 天いっぱいに子供の星を輝かせよう」
 
 
そんなふうに言い続けてきたのです。

周禮と倭「自然医学」から

2月 28th, 2012

「森下自然医学 3月号」。

「巻頭随想」に周禮的食医の哲理について。

孔子の夢に何度も出て常に畏敬して措くあたわざるは、

その人、周公旦であった。その著書と謂われる『周禮』。

2000年を越えても、なおも人の心を穿つもの。

人類の岐路、ここに還るべきかもしれない。

現に医食をここを原点として、森下会長の柱とする。

論壇のテーマが「塩」。

呉越が倭人、すなわち日本人の祖先であると。

現在、呉越の戦いを描いた華流ドラマ「孫武(孫子)」を興味深く観ているが、

自分のDNAの一部を覗き見る思いである。

確かに如皋を訪れた時、その相貌の日本人によく似ているのに驚いた。

稲作伝来も、直線距離からしても、直下で九州に辿り着いた可能性は濃い。

その史実は、これから更に如皋との交流により、明らかになるであろう。

そんな折、来月発行の4月号から、再び連載に登壇することに。

題名を、「倭詩/やまとうた」とします。

多分に、上記の史実と店名のまほろばから来ています。

更に詳しくは、来月に。

ありがとうございました。

『鶴亀』純米大吟醸

2月 28th, 2012

 新潟の銘酒「鶴亀」入荷。

以下、店主の挨拶・案内文より・・

この度は、清酒「越後鶴亀」をご用命頂き誠に有難うございます。
当酒造場は、明治23年に上原武七(初代蔵元)によって創業されました。
武七は、幕末から明治にかけての大きな時代のうねりを敏感に感じ取り
つつ人々に喜ばれる美味しい酒造りを目指しました。銘も、わかりやすく、
おめでたい商標をと思い「鶴亀」という名を冠したそうです。
当社はお客様に満足いただける最高酒質を求め、敢えて小仕込にこだ
わります。
米の選定から適切な洗米条件、最適な吸水条件をその都度設定し、
熟練の技を駆使して原料米の特性を引き出しています。
また、酒造りは麹に始まり、麹に終わるといわれています。越後鶴亀の
麹造りは米の特性にこだわって「こうじ箱」を使用しています。これは
熟練した杜氏の技、感性を活かすことができ、きめ細やかな対応が可能
となり、豊かで力強い麹を造ることができます。こうして味わいが深く、
伸びやかな越後鶴亀をお客様に召し上がって頂く事ができるのです。
今後とも、清酒「越後鶴亀」を宜しくお願い致します。

 
 

 http://www.echigotsurukame.com/

新潟県を代表する酒造好適米「五百万石」と「こしいぶき」を

48%まで磨き上げ丹念に仕込みました。

優しい香りが広がり、舌の上で柔らかで繊細な旨みを感じさせます。

喉越し滑らか、心地よい余韻を残し次の盃をすすめます。

洗練されていながらも、ごくごくと飲める純米大吟醸です。

食中酒としてもお楽しみ頂けます。

 

 

原料米 五百万石・こしいぶき
精米歩合 48%
日本酒度 +4.0
酸度 1.5
アミノ酸度 1.3
アルコール度 15度以上16度未満
「純米大吟醸 越後『鶴亀』」
    
   

 

1,8L(化粧箱入) ¥5.250(税込)

    

一流たちの金言

2月 27th, 2012

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 福島 孝徳氏 (デューク大学教授)の言葉
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 結局のところ、どんな職業でも成功するのに一番必要なのは、
 努力なんですよ。一に努力、二に努力、三に努力、すべて努力で、
 努力がもう九十%じゃないでしょうか。

 五回やって覚えられないなら十回、十回でダメなら
 二十回やりなさいというぐらい、努力が一番大事ですね。

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 私が考える名医・良医の条件は、
 一に技術、二に知識、三に判断力なんです。
 まず技術がなければダメで、その技術を
 上手く采配する知識もなければダメ。
 またその判断が正しいということ。

………………………………………………………………………………………………

 人は私のことを「神の手を持つ男」なんて言いますが、
 本当は神様に助けられて生きている男なんです。
 「神のように病気を治す男」ではなく、
 神様に祈りながら必死で病気と闘っている男なんですね。

………………………………………………………………………………………………

 物事にはこれで極めたと思っても、必ずその上がある。
 進歩は現状を否定するところから始まります。
 人生にもideal(最高)という状態はありません。

 だからこそ我われは常に改革、常に挑戦の気概を持ち、
 無限の前進にかけていかなければならないんじゃないですか。

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      ●佐野 公俊氏 (総合新川橋病院副院長)の言葉
────────────────────────────────────

 世の中は常に少しずつ進歩していますから、
 その中でいかに最先端を走っていても、
 ある時点で止まると、ふと気づいた時には
 ずっと後ろになってしまっている。

 だから現状維持は言うまでもなく後退で、
 たとえ前進していても、世の中の流れと同じスピードでは停滞。
 世の中の流れよりも自分がさらに進んでいって、
 初めて前進と言えるのだと思います。

………………………………………………………………………………………………

 藤田の元総長である藤田啓介先生は
 「努力をする者にのみ神の啓示がある」とおっしゃいました。
 人は自分の生まれてきた使命を知るために、
 神の啓示を受ける。

 自分が信念を持って努力し続ける時、
 独創的な閃きが生まれるのかもしれません。

………………………………………………………………………………………………

 僕はきっと、神様が常に味方をしてくれるようなことを
 きちっとやっていれば、そんなふう(運が悪いよう)には
 ならないんじゃないかなと思うんですね。

 そういう意味では、病気には全身全霊で対処して、
 誠心誠意を持って患者さんに手を尽くす。
 弛まぬ前進を続ける。
 それが神様が見放さないでいてくれる
 最大のポイントじゃないでしょうか。

ともしびの巡礼 DVD

2月 27th, 2012

昨年の夏、アラスカ先住民クリンギット族の語り部ボブ・サムさんと

民族楽器の即興演奏家・奈良裕之さんとが行った

「ワタリガラスの神話と祈りの音」の『ともしびの巡礼』。

まほろば無限心庵でも行って頂きました。

http://www.mahoroba-jp.net/blog/2011/08/post_1205.html

そのDVDが完成されましたので、お知らせいたします。

購入は、下のお知らせをご覧下さい。