まほろばblog

 「若い頃に仕事漬けの日々を送れ」

3月 24th, 2012

      
 道場 六三郎 (銀座ろくさん亭主人)

  『致知』2012年4月号
    特集「順逆をこえる」より
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僕は、先輩の料理やオヤジさんの仕事を細かく観察し、
ポイントになることや、自分の課題は何だということを
毎晩必ずノートに書くようにしていました。
書くことによって頭にも入りますから。

概して伸びる人というのは若い時の数年間に
仕事漬けの日々を送っているように思います。
これはどの世界でも同じだと思いますね。

仕事というのは、追われて追われて
その中でうまくなっていくものですからね。
仕事に追いまくられれば、逆に集中力が沸いてきて、
よし、ここで限界に挑戦してやろうという気持ちになります。

これは各人の性格にもよるかもしれませんが、
一気呵成に集中してダァーッとやったほうが
いい仕事ができるんですよ。
ダラダラやったものはダメですね。

当時はクーラーもない厨房で、
火を焚く時は四、五台のコンロを同時につける。

仕込みの時なんか、こっちでホウレンソウを茹でる、
ゴボウを茹でる、そっちで何々をするといったふうに
一挙に鍋をかけて、パッと火を落とすんです。
そうしないと館が暑くてたまらないですから。

日本料理の場合は特にうるさく言われるんですが、
そういう中で鍛えられてきたことが大変勉強になりました。

段取りというのは非常に重要で、冷蔵庫を開けなくても、
ひと目で何がどこに入っているかが
分かるようにしておけるような人は必ず伸びます。
一番ダメなのは、冷蔵庫に頭を突っ込んで冷やしている奴(笑)。

冷蔵庫の中を例えば六つに区切って、
どこに何が入っているかをメモし、扉に張っておく。
そしてちょっとでも量が少なくなったら
小さな容器に移し替え、冷蔵庫を
いつも広く使えるように心掛けました。

頭で思うんじゃなく、
物を見たら小さく入れ替えるというふうに、
身につかなきゃダメですね。
身につかなければ本物じゃない。

ワァー!木の砂場だーゾーー!!

3月 23rd, 2012

木育は北海道生まれ!こどもたちもお父さんも 一緒に木のぬくもりに親しんでみませんか ♪

土曜日は幼児の心ケアに繋がるキッズマッサージもお教えします。

ママだけではなくパパも ハンドケアもついてます。 

                                     担当 七戸

「ごめんなさいね おかあさん」

3月 23rd, 2012

       
  向野 幾世 (奈良大学講師)

   『致知』2002年9月号より

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 ごめんなさいね おかあさん

 ごめんなさいね おかあさん

 ぼくが生まれて ごめんなさい

 ぼくを背負う かあさんの

 細いうなじに ぼくはいう

 ぼくさえ 生まれなかったら

 かあさんの しらがもなかったろうね

 大きくなった このぼくを

 背負って歩く かなしさも

「かたわな子だね」とふりかえる

 つめたい視線に 泣くことも

 ぼくさえ 生まれなかったら

 ありがとう おかあさん

 ありがとう おかあさん

 おかあさんが いるかぎり

 ぼくは生きていくのです

 脳性マヒを 生きていく

 やさしさこそが 大切で
 
 悲しさこそが 美しい

 そんな 人の生き方を

 教えてくれた おかあさん

 おかあさん

 あなたがそこに いるかぎり

この詩は、いまから27年前、
15歳で亡くなった山田康文くん――
やっちゃんが作った詩です。

重度の脳性マヒで、全身が不自由、口も利けないやっちゃんが、
いのちのたけを託して作った詩です。

私が勤めていた奈良県立明日香養護学校に
やっちゃんが入学してきたのは昭和43年、
彼が8歳の時でした。

以来、担任として、学部主事として、
そして最後は言語訓練教師として
足かけ8年の付き合いでした。

この詩が生まれたのは、やっちゃんが亡くなる、
わずか2か月前のことでした。

当時私は、養護学校卒業後の障害者たちが集える
「たんぽぽの家」をつくろうと、障害児のお母さん方とともに、
「奈良たんぽぽの会」を結成していました。

この運動もいまではOLや学生など若者たちの支持を得て、
全国で4,000人の会員を擁する全国運動に盛り上がっています。

その活動の一環として、養護学校の生徒の詩に
フォーク好きの学生さんが曲をつけ、
奈良文化会館の大ホールで
コンサートをする企画が持ち上がったのです。

障害程度の軽い子は、自分で詩を書くことができます。
文字が書けない子でも、手足の指や口を使って
電動タイプを打つことができます。

しかし、やっちゃんのように重度の子の場合は、
先生である私が抱きしめて、全身で言葉を聞くのです。

私が言う言葉がやっちゃんの言いたい言葉だったら、
やっちゃんはウインクでイエスのサインを出します。

ノーのときは下を出す。脳性マヒの緊張や
アテノーゼ(不随意運動)さえも、
やっちゃんの発する意思表示です。

そうやって時間をかけてやっちゃんの言葉の世界に
近づいていく作業が始まりました。

言語訓練をしていた私の手元には、
一人ひとりの子どものノートがありました。

やっちゃんのノートには、どのページも

「ありがとう」

「おかあさん、ごめんね」

という2つの言葉で埋まっていました。

最初は『ごめんね おかあさん』
これを題にしようかと私が言うと、
“ノーノー、いやだ”と舌を出します。

それじゃ、男らしく
『ごめんよ かあさん』これはどう?と言うと、
またノーのサイン。

今度は上下を逆にして、
『かあさん ごめんよ』とやってみます。

どうもピッタリこないんだなあ、というやっちゃんの顔。

私の頭に浮かぶ限りの言葉の組み合わせの中から、
やっと、やっちゃんがウインクでイエスのサインを出したのは、

『ごめんなさいね おかあさん』

でした。

こうやって何か月もかけてやっと前半部分ができた時、
やっちゃんのお母さんに見てもらいました。

読み終えてもお母さんは無言でした。

ただ目頭を押さえて、立ちつくしていました。

「やっちゃんが、これを……」

と、かすかに言われたように思います。

そのせり上がる思いが私にも伝わってきました。

『わたしの息子よ』と呼びかけたお母さんの詩が
私の手元に届いたのは、すぐ次の日のことです。
今度は私が立ちつくしました。

 わたしの息子よ ゆるしてね

 わたしのむすこよ ゆるしてね

 このかあさんを ゆるしておくれ

 お前が 脳性マヒと知ったとき

 ああごめんなさいと 泣きました

 いっぱいいっぱい 泣きました

 いつまでたっても 歩けない

 お前を背負って歩くとき

 肩にくいこむ重さより

「歩きたかろうね」と 母心

“重くはない”と聞いている

 あなたの心が せつなくて
 
 

 私の息子よ ありがとう

 ありがとう 息子よ

 あなたのすがたを見守って

 お母さんは 生きていく

 悲しいまでの がんばりと

 人をいたわるほほえみの

 その笑顔で 生きている

 脳性マヒの わが息子

 そこに あなたがいるかぎり

 このお母さんの心を受け止めるようにしてやっちゃんは、
 後半の詩づくりにまた挑んだのです。
 
 やっちゃんが言う「ごめんなさいね」は、
 母へのいたわりと思いやりがあふれていました。

「本当はこんなに強かった日本の農業」

3月 22nd, 2012

       
  浅川 芳裕 (農業技術通信社専務)

             『致知』2012年3月号
              連載「意見・判断」より

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 2000年に農業技術通信社に転職した私が、
 初めに行ったのは農業の市場規模調査である。
 
 その結果分かったのは、
 日本は世界第5位の農業大国であること
 
 農業生産額は約8兆円で、これは
 中国、アメリカ、インド、ブラジルに次ぐ数字だった。

 日本の農業は衰退産業であるといわれて久しいが、
 これが実態と遊離していることはスーパーに行けば一目瞭然だ。
 店内には1年を通じて豊富な農産物の食材が並び、
 その多くは国産表示である。

 ではなぜ日本の農業がこれほど強くなれたのか。
 次の5つの観点から考えてみると分かりやすい。

●まず、国土が南北に長く、高低差に富み、
 四季折々の農産物を1年を通じてつくれること。

●次に、日本が先進国であること。
 
 法治国家で貨幣も安定し、物流等のインフラが整っているため、
 農産物の生産から販売までが混乱なく行える。
 
 鮮度を保てるクール宅配便や、
 カード決済の可能なネット通販が普及していることなども
 農家が自立できる一要因である。

●3つ目に、国民の購買力が高いこと。
 
 不況とはいえ日本人の所得は世界全体で見れば高水準。
 日本の生産量が世界トップレベルにある作物を見ると、
 イチゴやメロン、桃など単価の高い嗜好品が
 ウエイトを占めているのが特徴である。

●4つ目に、独自の食文化を持っていること。
 
 食生活がいくら洋風化したとはいえ、
 和食の地位は確固たるもので、
 特に米に対するこだわりは世界にも類を見ないほど。
 
 さらに、中華、イタリアン、フレンチなど、
 多様な食文化を取り入れる消費者のおかげで、
 農家もバリエーションに富んだ新食材をマーケットに導入できる。

●5つ目は、産業技術や農業技術のレベルが高いこと。
 
 日本には最新の機械工学やバイオテクノロジーなどが
 揃っており、車の開発技術をトラクターに応用したり、
 環境制御技術をビニールハウスに活用することもできる。

 中でも品種改良技術は世界トップクラスで、
 イチゴを例に挙げてみると、世界に約600ある登録品種のうち、
 180種以上は日本の保有で世界一。
 
 また、農業に関する研究も、各県に農業試験場や
 農業高校、国立大学に農業学部があるなど、
 世界における農業研究開発予算のうちの
 実に約3割を日本が占めているのである。

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 日本の農業には圧倒的な強みがありながら
 その正味の実力に多くの人が気づいていないのはなぜか?
「食料自給率40%前後」という数値のカラクリとは?

北海道ヘンプネット3.28札幌講演会のご案内

3月 21st, 2012

産業用大麻による新産業の創出と地域エネルギーの自給を考える

 

 

産業用大麻は、古くから衣服などの原料や食料として人類に利用されてきた伝統的な繊維・食用作物であるとともに、最近では、地球環境にやさしいバイオマス作物として世界的に注目されています。伝統的な繊維、食料利用の他、様々な工業製品が製造可能であることから、消費者のみならず繊維、建材、食品、エネルギー、医薬など多くの産業分野から国内生産を望む声が高まっています。特に大震災後は産業用大麻を活用した地域エネルギー自給システムや大麻の放射能除去能力への関心が高まっています。 

 今回は、中部大学教授で「大麻ヒステリー」著者の武田邦彦先生に「日本人と大麻と放射能」と題する基調講演をお願いしました。また、舟山秀太郎氏、赤星栄志氏、森山大樹氏には、企業家、研究者、弁護士の立場より、産業用大麻の可能性と課題、法的な問題と対策等についてご講演いただく予定です。

 

開催日時・場所

  2012328() 11001500 札幌市教育文化会館研修室

  060-0001 北海道札幌市中央区北1条西13丁目 011-271-5821

 

基調講演(11001200

武田邦彦先生(中部大学教授、「大麻ヒステリー」著者)

  「日本人と大麻と放射能」

 

 

話題提供(13001500

    1)舟山秀太郎氏(オホーツク麻プロジェクト代表、(株)香遊生活代表取締役) 

   「北海道の産業用大麻を利用した地域振興の可能性」

   2)赤星栄志氏(バイオマス産業社会ネットワーク理事、「ヘンプ読本」著者)

      「全国の産業用大麻の栽培状況と地域産業について」

 3)森山大樹氏(弁護士、中山大麻裁判の弁護人)

「産業用大麻を巡る法的諸問題と対応策について」

        座長 菊地治己(農業活性化研究所代表、北海道ヘンプネット世話人代表)

 

参加費 1,000円(会場費、講師謝礼)

 

事前の申し込みが必要です。326日まで、下記に申し込んでください。先着120名で定員となります。

連絡先 〒0798417 旭川市永山717丁目323

農業活性化研究所 菊地治己

電話:090-48740354  E-mail: kuchisaki@live.jp 

 

主 催 北海道産業用大麻(ヘンプ)普及推進ネットワーク(略称:北海道ヘンプネット)

「高い塔を建ててみなければ、新しい水平線は見えない」

3月 21st, 2012

    川口 淳一郎
 (宇宙航空研究開発機構「はやぶさ」プロジェクトマネージャ)

   『致知』2010年12月号
    特集「発心、決心、持続心」より
 

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「はやぶさ」プロジェクトは、
 確かに我々には大ジャンプでした。

 自然科学の分野に限らず、人文社会でも、
 そういうハイリスク・ハイリターンの計画は
 運に支配されるものだと思いますが、
 次の段階に進むためには同じことをなぞってばかりでなく
、大ジャンプをしてみなければダメですよね。

 そこで大事になるのは、やはり具体的で
 分かりやすい目標を共有していること。
 「はやぶさ」でいえば、
 「ゴールは地球へのサンプルリターン」
 ということを全員一致で理解していた。
 これが大きかったと思います。
 
 また、その上でどんな時でも
 私が最後まで目標をブレさずにいたのが良かったと思います。
 リーダーでしたからね。
 
 それは闇雲に妄信するということではなく、
 状況を客観視して打つべき手を打っていく。
 誰よりもです。
 
 だけどどんな状態であっても、
 「もうダメだ」とか「この辺で十分じゃないか」と思わず、
 最終ゴールを指し示すことが
 大事だったのではないかと思います。
 
 そして、いい意見であれば立場にとらわれず、
 積極的に採用する土壌がチーム内にあったことも、
 チームの強さに繋がったかなと感じています。
 
 
        (中略)
 
 
 私はよく
 
 
 「高い塔を建ててみなければ、新しい水平線は見えない」

 と申させていただくのですが、いまのレベルに安住して、
 足元を固めることばかりに一所懸命になっていたら、
 絶対にその先にある地平線は見えません。

 私たち「はやぶさ」プロジェクトも
 客観的に見れば成功するかどうかは未知数でした。
 まして途中ではいろんなトラブルがあって、
 帰って来られる可能性はものすごく低かったわけです。
 
 失敗するかもしれない。
 途中で壊れてしまうかもしれない。
 
 それでも前人未踏の境地に挑戦しようと発心し、
 一度やると決めたら挫けずに、ゴールを目指し続ける。
 それがこのプロジェクトを成し遂げられた
 要因ではないかと思います。
 
「未来」とは「未だ来ない」と書きます。
 未来は見えないわけです。
 その水平線の向こうの、見えないものを
 自分たちの手で見ようとする活動が未来をつくるのです。

 この「はやぶさ」の挑戦を通して、
 先人の後を追うだけでなく、
 誰も成しえなかったことに挑戦する世界があることを、
 日本の若い人たちに伝えられたらと思っています。

女人杜氏、登場!!

3月 19th, 2012

岩手県紫波町の「月の輪酒造店」さんから
「無農薬米純米酒『うすにごり 南部和蔵』が初入荷しました。
ここの4代目杜氏さんは、オーナーのお嬢さん横沢裕子さん。
伝統の血でしょうか、故郷に帰って、手造り仕事を終生の生業と心に定めた裕子さん。
これから、世の女性、男性の仕事場と限られていた所に進出して、
日本中に、大いに発酵時代を盛んならしめんことを。

若狭(現在の福井県)出身の横沢家初代は、
現在の地において麹屋を営んでおりましたが、
横沢家4代目の徳市が酒造りへの情熱に燃え、
酒造業を創業した1886年が月の輪の歴史の始まりです。
代々の当主は酒造りに携わっている事から平成3年より
現蔵元(横沢家7代目)の横沢大造が当主と杜氏を兼ねる
オーナー杜氏として酒造りの指揮を執っておりました。
平成17年11月1日に法人化した時点で
横沢裕子が杜氏となり新体制での酒造りをしております。
会社理念 「企業としてではなく 家業として」
法人化した現在でもこの理念を持ち続け、常に伝統の継承と技術の革新を目標に掲げ、
日本酒造りには不向きと言われるもち米を100%使用した純米酒の製造や、
原料の米を最大限に利用するしょうちゅうの製造にも取り組むなど
新しい事に挑戦し続けております。

http://www.tsukinowa-iwate.com/ 月の輪酒造HP

 酒を搾ると消えてしまうもろみの素晴らしい味と香り。
この香りを少しでも残そうと作られたのが「うすにごり 南部和蔵」です。
昔ながらの酒袋で、もろみを時間をかけて搾った、うすいにごりのあるお酒。
自然の重みで垂れ落ちる滴は、名残雪のようにほのかに淡く白く、
その濁りの部分はもろみの微粒子成分でなり、味・香りともにふくよかです。
是非とも、お試し下さい。

● 麹米・掛米/ひとめぼれ(無農薬)
● 精米歩合/65%
● アルコール度数/15,4%
● 日本酒度/+0~+3
● 酸度/1.5~1.8
● アミノ酸度/1.2~1.5

うすにごり南部和蔵(生酒) 1800L ¥2.750
                  720L ¥1.400

「営業の3つのポイント」

3月 19th, 2012

      
  津田 晃 (野村證券元専務)

    『致知』2012年4月号
   連載「二十代をどう生きるか」より

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 営業とは何だろうか。
 
 私は三つのポイントがあると考えている。

 まず押さえなければならないのは、
 給料についての認識である。
 
 辞書には事業主が使用人に対して払う報酬とあり、
 給料は会社からもらっているという認識が一般的だが、
 それは間違いである。
 
 給料はお客様からいただくものである。

 二つ目は、営業とは単に物を売りさばくことではない。

 お客様の問題を解決するソリューション・ビジネスで
 あることを心得なければならない。

 ドラッカーは企業の目的を顧客の創造と説いているが、
 これは営業にそのまま当てはまる定義である。
 駅前に立って一万円札を九千五百円で売ればどんどん売れるだろう。
 
 しかし一万円札を一万十円で売るのが営業である。
 そのためにはその価格に納得していただけるだけの付加価値を
 お客様に提供しなければならないのである。

 三つ目は継続力である。

 将棋で前人未踏の七冠を成し遂げた羽生善治氏は、
 「才能とは情熱や努力を継続できる力」とおっしゃっている。
 営業もコツコツと弛まぬ努力を続けた者こそが勝利を掴む。
 
 そこへプラス・ワンの努力を加えると、
 成功はより確かなものになる。

 例えばきょう予定していた十本の電話をかけ終え、
 さて帰ろうかという時に思い直してもう一本かけてみる。

 そのもう一本で注文がとれたりするものなのだ。
 一週間で五本、ひと月で二十本、
 プラス・ワンの努力の積み重ねは、
 いずれ大きな財産となって返ってくる。

 一所懸命努力していると、いろんな壁にもぶつかるだろう。
 しかしそこで立ち止まって悩んでいても物事は解決しない。
 行動してこそ物事は前へ動き出すものだ。
 
 そして迷ったらしんどいほうの道を選ぶこと。
 これを若い頃から鉄則としてきたことで、実力も養われ、
 運も味方にすることができた。

 全力疾走ができるのは若いうちだけ。
 このことを自覚して、とにかく自分の仕事に
 精一杯打ち込んでほしい。
 
 自分の入りたい会社に入れなくとも悩むことはない。
 実際、その会社が将来にわたって存続する保証は
 まったくないのだ。
 
 就社ではなく、本来の意味での就職へと頭を切り替え、
 縁あって入った会社で、与えられた職に全力を尽くし、
 その職においては一日も早くプロの域に達することである。

 私の義父は丁稚奉公からたたき上げて青果業で成功を収め、
 群馬県の業界理事長まで務めた人物だった。
 
 義父と酒を飲むと、いつも壊れたテープレコーダーのごとく
 
 
 「上見て励め、下見て暮らせ」
 
 
 と繰り返し言い聞かされた。
 
 理想を高く掲げ、辛い時には
 自分より苦しい立場の人を思って気持ちを切り替え、
 頑張ってほしいとの願いであった。
 
 その後決まって言われたのが次の言葉だった。

連載「倭詩/やまとうた」始まる 自然医学誌

3月 18th, 2012

「森下自然医学」4月号から、再びと連載が開始されました。

前「北の空から」から「倭詩」とタイトルを替えました。

北のローカルから発言しても、やはり言っていることは、

日本の事に尽きるな、と感じていました。

「まほろば」の店名も、「倭は国のまほろば・・・・」から来ていますし、

何よりも森下会長がおっしゃる呉越の地方が日本=倭の故郷で、

そこから大挙、先祖が日本に流入して来たことを如皋(ルーカオ)長寿視察で明かされました。

以前は、中国の属国としての「倭奴」と蔑称された「倭」のイメージがありますが、

倭を解字すると、「人は女性に委ねる」と書いて、

これからは、まほろばが説いて来た『母性の時代』を象徴する字なんですね。

正に『大和の和』は、『倭の精神』となります。

これからも、愛する日本のあれこれを綴って行きたいと思います。

昨年、世界第6長寿郷に認定された如皋。

新しいタイプの「都市型長寿郷」として、世界からも注目されつつあります。

この度、5・27から6・1にかけて「国際自然医学・海外大学講座」が如皋で開かれ、

研修参加者を募っております。

詳しくは、次号と言うことですが、お心にかけておいて下さい。

最後に、会長の「巻頭随想」。

普段の食医関係のことにあらずして、あの「リンゴの唄」の顛末を綴ったもの。

その厳しい背景にあって、断腸の想いで生れた唄であったことを初めて知る。

並木さんの哀しみを越えた歌声だったことも、改めて知り歴史の裏に感銘。

あらゆることに、語るに語れない事ごとがあるものと思った次第。

 「イチロー選手の目標設定術」

3月 18th, 2012

  奥村 幸治 
(NPO法人ベースボールスピリッツ理事長、宝塚ボーイズ監督)

   『致知』2010年6月号「致知随想」
   ※肩書きは『致知』掲載当時のものです

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オリックスで打撃投手を務めていた頃、
不調に陥った選手に

「投げましょうか?」

と声を掛けると、ほとんどの場合、

「頼む」

と答えが返ってきた。
練習することによって、少しでも不安を取り除きたい
と思うのが人情というものだろう。

そんな中、私の申し出に一人だけ
首を振った選手がいた。
当時20歳だったイチロー選手である。

試合後にその理由を尋ねてみたところ、彼は

「僕はこんな心境で試合に臨みたいんです」

と言う。

「どんなに好きな野球でも、毎日続けていると、
 もう疲れた、きょうは嫌だなと思う時ってないですか? 
 そうなっては、自分の能力って
 絶対に発揮できないですよ。
 バットが持ちたくて持ちたくてしょうがない。
 そういう心境で、僕は試合に臨みたいんです」

そして彼はこう後を続けた。

「初めてお父さんとキャッチボールした時、
 どんな気持ちになりましたか? 
 またやりたいなと思ったでしょ。
 その気持ちなんですよ。
 そういう気持ちが自分でしっかりつくれれば、
 絶対に技術って向上していくと思いますよ」

イチロー選手のプロ入り3年目の年、
彼の専属打撃投手となった私は、
寮生活で1年間寝食をともにし、
多くのことを教わった。

彼と初めて出会ったのは、
私が20歳、彼が19歳の時だった。

初めてそのバッティングを見た時、
年下にこんなに凄い選手がいるのかと舌を巻いたが、
最も驚いたのは、彼が一軍に上がってきてからのことだった。

キャンプ期間中、二軍でプレーしていたイチロー選手は、
夕方に練習を終えると、早々に眠りに就いた。
そして皆が寝静まる深夜にこっそり部屋を出ると、
室内練習場で数時間の特打ちをするのを日課としていた。

ところがシーズンが始まり、一軍入りを果たした彼は、
全くと言ってよいほど練習をしなくなってしまったのである。

不思議に思って尋ねてみたところ

「体が疲れ過ぎるとバットが振れなくなるから」

とのことだった。

一軍でまだ何の実績もない選手が、
自分のいまやるべきことは何かを
ちゃんと理解して行動している。

私の知り合いにもプロ入りした者が数名いたが、
彼の取る行動や言葉のすべては、
他とは一線を画すものだった。

例えばこんな調子である。

「奥村さん。“目標”って高くし過ぎると
 絶対にダメなんですよね。

 必死に頑張っても、その目標に
 届かなければどうなりますか?
 諦めたり、挫折感を味わうでしょう。

 それは、目標の設定ミスなんです。

 頑張れば何とか手が届くところに
 目標を設定すればずっと諦めないでいられる。
 そういう設定の仕方が一番大事だと僕は思います

 
二軍時代のイチロー選手は、
マシン相手に数時間の打撃練習をしていたが、
普通の選手に同じことをやれと言っても、
それだけの時間、集中してスイングすることはできない。

それがなぜ彼には可能なのかといえば、
私はこの「目標設定の仕方」に
あるのではないかという気がする。

イチロー選手には自分にとっての明確な目標があり、
その日にクリアしなければならない課題がある。

その手応えをしっかりと自分で掴むまで、
時間には関係なくやり続けるという練習のスタイルなのだ。

私が彼の基盤として考えるもう一つの要素は、
継続する力、つまりルーティンを
いかに大切にしているかということである。

ある時、イチロー選手に
こんな質問をしたことがあった。

「いままでに、これだけはやったな、
 と言える練習はある?」

彼の答えはこうだった。

「僕は高校生活の3年間、1日にたった10分ですが、
 寝る前に必ず素振りをしました。
 その10分の素振りを1年365日、3年間続けました。
 これが誰よりもやった練習です」

私は現在、少年野球チームの監督を務めているが、
それと比して考えてみると、
彼の資質がいかに特異なものであるかがよく分かる。

例えば野球の上手な子にアドバイスをすると
何をやってもすぐできるようになる。
下手な子はなかなか思うようにいかない。

ところが、できるようになったうまい子が、
いつの間にかその練習をやめてしまうのに対し、
下手な子は粘り強くそれを続け、
いつかはできるようになる。

そして継続することの大切さを知っている彼らは、
できるようになった後もなお練習を続けるため、
結局は前者よりも力をつけることが多いのである。

その点、イチロー選手は卓越したセンスを持ちながらも、
野球の下手な子と同じようなメンタリティを持ち、
ひたすら継続を重ねる。
私はこれこそが、
彼の最大の力になっている源ではないかと思う。

2000年に結成した私の少年野球チームは
当時9名の部員だったが、
現在100名を越える数になり、
その中から多くの甲子園球児が生まれていった。
現在、プロで活躍している
田中将大投手もその一人である。

彼らには自分がイチロー選手から学んだことを
折に触れては話し、野球に取り組む姿勢として
それを生かしてほしいと伝えてきた。

自分で目標を持ち、
それに向けての継続を怠らなければ、
必ず次の段階へと自分を
押し上げていくことができる。

そしてそれは、人生を生き抜く力にも
繋がっていることを、
野球を通して伝えていければと考えている。