まほろばblog

「人は感謝するから幸せになる」

11月 11th, 2012

        鎌田 善政 (鎌田建設社長)

                『致知』2012年11月号
                       致知随想より

└─────────────────────────────────┘

鹿児島県霧島市にある鎌田建設の敷地内に
「凡事徹底」の文字が刻まれた石碑ができたのは、
二〇〇二年九月。

以前から経営者としての指針となる言葉を
刻んだ碑が欲しいと念願していた私は、
師と仰ぐイエローハット創業者・鍵山秀三郎先生にお願いして
その座右の銘であるこの言葉を揮毫していただきたいと考えました。

幸い鍵山先生にも快諾いただき、上京してお借りした書は、
亡きお兄様の筆によるものとのことでした。

碑が無事完成し、私は入魂式を行うために
友人の僧侶を招きました。

すると彼は石碑を眺めながら

「理由は分からないが、この文字の力に体が思わず反応する」

と言うのです。

不思議に思った彼は、書の達人として
有名な堀智範大僧正(京都・元仁和寺門跡)に
碑の写真を送って鑑定を依頼。

間もなく書を讃える内容の返事が届きました。

「凡の字はバランスを取るのが難しく、
 どうしても縦長になりがちです。

 ところがこの凡の字は横にどっしりと広がっています。
 この字を書いたのはおそらく商売をなさっている方でしょう。
 商売が末広がりであるように祈りを込められたのだと思います」

私は早速鍵山先生にお電話をして、このことをお伝えしました。
すると先生は喜ばれ、あの訥々とした口調で
お兄様の思い出を語り始められました。

その話を聞きながら、私は感動のあまり受話器を握る手が震え、
堀和尚の言葉の意味が心に深く浸透していくのを感じたのです。

先生のお兄様は学校の教師をされていました。
長屋のようなところで、生涯を慎ましく生きられたそうです。

先生の事業がまだ軌道に乗る前、資金繰りに困って
お父様の遺産を処分しなくてはならない事態が起きた時、
「父の遺産を秀三郎に」という一言で、
きょうだいを納得させられたのがお兄様でした。

イエローハットが増資する時には僅かな給料の中から出資し、
他界された時には手持ちの株は
二十数億円の価値になっていたといいます。

しかし、お兄様の息子さんは

「これは秀三郎からの預かりものだ、
 というのが父の口癖でしたから」

と一円も受け取らず、すべての株券を鍵山先生に渡されたのです。

兄はそれくらい私に愛情を注ぎ、
仕事を心配してくれていたのですね」と、
感慨深そうに電話での話を結ばれました。

凡事徹底という四文字には、
弟の成功と幸せを願う兄の無心の祈りが込められていたのです。

当社にとってこの石碑は単なる石碑に止まらない
守り神そのものであり、私もこの碑を拝んでは
お客様や社員の幸せを願い、経営者の誓いを
新たにするのを日課にしています。

いまから四十五年前、小さなガソリンスタンドから出発した当社は
現在、建設会社のほか、住宅会社、石油販売、カー用品店、
福祉施設など十一法人、従業員数四百名からなる
企業グループに成長を遂げました。

もちろん、私一人の力ではありません。
人との縁が思わぬ縁を招いて少しずつ業容が拡大し、
気がつくと、今日まで歩んできていたというのが偽らざる実感です。

この間、実に多くの方に支えていただきましたが、
最も影響を受けたのはやはり鍵山先生でした。

十九年前に先生とご縁をいただくまで、
恥ずかしながら私は目の前の利益を追い求めてばかりいました。

しかし、大企業のトップでありながら、
作業服姿で黙々と道端の草を取り、便器を磨き続ける
先生の風貌に接した途端、価値観は百八十度転換しました。

「こんな方がこの世の中にいたのか」と。
先生は無言のまま私という人間を変えてしまわれたのです。

私はすぐに鍵山先生が主宰される「掃除に学ぶ会」に入会し、
社にも取り入れました。その効果はてきめんでした。

日々、ともに掃除に汗する中で社員間のコミュニケーションが深まり、
人間関係は円滑になり、仕事のトラブルも少なくなりました。
さらによき縁が次々に舞い込み、今日のグループ経営が
できあがっていったように思います。

鍵山先生へのご恩を思う時、私の胸には
亡き父の思い出が鮮烈に甦ってきます。

父は特攻隊を志願した一人でした。

ある時、二人の戦友が

「もし君が生き残ったら、両親のことを頼む」

と父に言い残して基地のある鹿児島の出水を飛び立ち、
沖縄の地で果てました。
飛び立った僅か六時間後に戦争が終わるとも知らずに……。

父は二人との約束を果たすために戦後、
老人福祉施設を建設しました。

父の施設運営に懸ける思いは尋常ではなく、
身内がいない入所者は理事長の父自ら保証人となり、
施設で亡くなった後は自ら骨を拾い、
墓を建てるほどの熱の入れようでした。

そこには損得勘定を抜きにお年寄りの幸せに
人生を捧げる父の姿がありました。

「あの世の極楽より、この世の極楽を実現したい」

というのが父の一貫した思いで、
その根底にあったのは亡き戦友の願いに応えたいという
一念だったに違いありません。

施設運営は私が引き継ぎましたが、
その父が生前いつも私に話していたのが

「人間は感謝するから幸せなんだぞ。
 幸せだから感謝するんじゃないぞ」

という言葉でした。
この言葉はいまも人生の支えです。

他の幸せを願い、懸命に人生を歩まれた鍵山先生と我が父。
これからも二人の教えを胸に、企業活動を通して
社会に貢献していきたいと思います。

ムソー「お節試食予約会」

11月 10th, 2012

昨日から始まったムソーさんの「お節試食予約会」。

例年になく味付けが一段と飛躍、なかなかのものです。

関東風、関西風の味も異なり、試食された方々からも好評の声。

大阪・「㈱大松食品」の清水部長さんが、わざわざこの日の為に、来道されています。

その熱意のほどが伺えます。

今会期中、ご予約の方には、5%割引きの特典つきです。

この期間に、どうぞご予約のほどを。

明日は、厚別店です。

千野米穀店さんがNHKに

11月 10th, 2012

まほろばとお取引きのある「千野米穀店」さんが、

明日、NHKの「サキどり」の番組に出演されます。

徳永社長よりお知らせがありましたので、ぜひご覧になってください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

各位

日ごろから皆様には大変お世話になっております。
突然のメールで恐縮ですが、お知らせさせていただきます。

11月11日(日)
NHK総合 あさ8:25~8:57の番組~「サキどり」~
で千野米穀店が番組に登場する予定です。
全国放送ですので、本州の皆様にもご案内させていただきます。
ぜひ番組をご覧ください。どうぞよろしくお願いいたします。
http://www.nhk.or.jp/sakidori/
——————————————————————————————-
11月11日放送 激震!新ブランド米登場★コメ市場を未来予想?

米の世界に異変!?

そう、長らくコシヒカリやあきたこまちなどいくつかの銘柄が定番だったこの市場に、

新たなブランド米が参入。

食味ランキングで次々と「特A」を獲得した

北海道や山形・九州勢が攻勢を掛けているというのです。

抱腹絶倒経済情報番組「サキどり」では、

北海道の「ゆめぴりか」と山形の「つや姫」の市場獲得戦略に密着。

そして迎え撃つ「お米県秋田」のあっと驚く逆襲とは?

 そのヒントは、萌えェ~コメェ~!?
——————————————————————————————-
※上記、番組ホームページより

一年で一番忙しい12月が間近に迫ってきました。
師走商戦の準備は万全でしょうか?
景気下降なんて言葉に惑わされず、全力で仕事に取り組みたいと思います。
みなさまも健康に留意し、ご自愛を。

徳永善也 拝
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
株式会社 千野米穀店,有限会社みんなの食品
http://www.chino-grain.co.jp/

語り×波紋音「平家物語」

11月 10th, 2012

波紋音の永田さんからおたよりです。

金子あいさんとの「平家物語」語りのコラボ、大変興味深いものです。

でも、東京なので、残念。関東近辺の方、必見です。

 

永田砂知子です。

BCCメールで失礼いたします。 

このメールは関東の方だけでなく、

遠方のかたも近況として送信させていただいています。

チラシ画像の下に公演概要があります。


4月に座・高円寺で上演し、10月に千葉・多古町の歴史ある日本寺でも好評だった、

「平家物語 語りと波紋音」を12月に上演します。

金子あい「語り」×永田砂知子「波紋音」

語りと波紋音は別々にやるのではなく、語りと音で平家の世界を表現します。

<今回上演する演目について>

まず「祇園精舎」祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり・・・

おごれるものも久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

次が「足摺」。流罪された俊寛が一人だけ罪を放免されず、

赤ん坊のように浜辺で一人悔しがって足をじたばたする

(これを足摺という)とてもわかりやすいお話しで、歌舞伎や能の演目にもなっています。

「千手の前」源氏に捕らわれの身となってしまった、

平家の重衡を千手の前という女人がお風呂に付き添ったり、

琴や琵琶を演奏したりして、おもてなしする。ほのかな恋のお話しです。

女性のお話しなので、舞いや、今様(当時のはやり歌)なども出てきそうで、

優雅に楽しめる場面だと思います。

最後が「入道死去」(入道とは清盛のことです)

栄華を極めた清盛も、最後は、熱にうなされ地獄の苦しみを経て、あっけなく死にます。

敵の頼朝を殺さなかったことを悔やみ、頼朝の首をとってこいといって壮絶な死を迎えます。

出演者は、金子あい、と永田砂知子2人、そこにトクマスヒロミの美術、

横原由祐の照明が加わり、古典の世界を生き生きと現代に蘇えらせた舞台を創ります。

どうぞご期待ください。

こちらに制作過程がわかる「平家物語」専用ブログがありますので、どうぞご覧ください。

http://heikemono.blogspot.com/

語りと波紋音「平家物語」

演目・祇園精舎・足摺・千手前・入道死去

12月6日(木)昼の部 14:00開演 

       夜の部 19:00開演

出演・金子あい(語り) 永田砂知子(波紋音)

美術・トクマスヒロミ 照明・横原由祐 音響・黒沢靖博 舞台監督・寅川栄司+鴉屋

会場・座・高円寺2(JR高円寺駅北口より徒歩5分)

杉並区高円寺北2-1-2 TEL03-3223-7500

こちらに地図があります。http://za-koenji.jp/guide/index.html#link2

入場料・全席自由 3700円(前売り) 

4000円(当日)高校生以下1000円

このメールに返信で、ご連絡いただきましたら、お席おとりしておきます。

長文メールに最後までおつきあいしていただき、有難うございました。

「失明を乗り越え、初の金メダルへ」

11月 10th, 2012

        浦田 理恵 (ゴールボール女子日本代表)

              『致知』2012年12月号
               特集「大人の幸福論」より
        http://www.chichi.co.jp/monthly/201212_pickup.html

└─────────────────────────────────┘

私の場合は徐々に徐々に、じゃなくて、
20歳の頃にガクンと来たんですね。
左の目が急に見えなくなって、すぐに右の目、
とスピードが早かった。

小学校の先生になるための専門学校に通っていた時で、
卒業を間近に控えた3か月前の出来事でした。

これまでできていたことができなくなるのが本当に怖かったです。

1年半くらいは一人暮らしのアパートから出られず、
両親にも友達にも打ち明けられないままでした。
目が見えなくなってきたことが、
最初は受け入れられませんでした。

もう本当に凄くきつくて、お先真っ暗で、
見えないのなら何もできないし、
できないんだったら別に自分がいる意味なんてないと
考えたりもしました。

22歳のお正月の頃、
もう自分ではどうにも抱えきれなくなって、
このまま死んでしまうぐらいなら
親に言おうと思ったんです。

その決心がようやくできて、
福岡から久しぶりに熊本へ帰りました。

熊本へは電車で帰ったのですが、
全く見えないわけではないので、
こう行けばそこに改札があったなといった
記憶も辿りながら、駅のホームに降りて、
改札口のほうへ向かいました。

すると、すでに母が迎えに来てくれていたようで、

「はよこっちおいで。何、てれてれ歩きよると?」

と声がしました。

あぁ、お母さんや、と思って改札のほうへ向かったんですが、
母の声はするんですけど、顔が全然見えなくって……。

その時に、あぁ、私、親の顔を見たのは
いつやったかな、親の顔も見えなくなったんだということで、
自分の目がもう見えなくなったことを凄く痛感させられた。

改札のほうへも、さっさとは歩けないので
ちょっとずつ歩いたのですが、
母は私がふざけていると思ったそうです。

改札をやっと通り抜けて母の元へ行き、

「私……、お母さんの顔も見えんくなったんよね……」

と言ったら、母は

「ほーら、また冗談言って。これ何本?」

って指を出されたんですが、その数も全然分からなくて、
母の手を触って確認しようとした。

その瞬間、母はもう本当に、改札の真ん前だったんですけど、
ワーッとメチャクチャに泣き崩れて……。

それを見てる私も、自分は何をやってるんだろう、
とやるせない気持ちになったんですが、
でもこれまでずっと自分一人で抱えてきたものを伝えられたと、
肩の荷がちょっと下りた気持ちでした。

それと、親がしばらくして
「何か自分ができることを探さんとね」と声を掛けてくれた。
その時に、あぁ自分がたとえどんな状態になっても
親は絶対見捨てないでいてくれるなと実感できたんです。

それまでは家族の存在も、まるで空気のように
当たり前に感じていたのですが、
いてくれることのありがたさというのが
初めて身に染みて感じられました。

そしてこれだけ応援してくれたり、
励まして支えてくれる人がいるんだから、
自分も何かをやらないと、とそれまで後ろ向きだった気持ちが、
少しずつプラスに変化していきました。

一語一得 その1

11月 9th, 2012

先日の、致知・札幌木鶏会の25周年記念会で、

「食事道」を提唱されている「玄米酵素」の岩崎輝明会長の講演があり、

また数冊本が売られていた。

その中に「一語一得」と題された日めくりがあった。

玄米菜食の氏とは道が違えども、含蓄ある言葉にしばし唸った。

① 病は全知識                                          釈尊

② 一病を持たざる者、正法を得ず。病を得て、真理に至る      日蓮宗々祖 日蓮

③ は長く、勤めは堅く、色うすく、食細うして、心広かれ  長命百歳 大僧正 天海

④ 医事、自然に如かず                      現代医学の祖 杉田玄白

⑤ 食は命なり。食正しくして健康なり。食は運命なり          易聖 水野南北

後日、あとを続けたい。

「うさと」秋展

11月 9th, 2012

すっかりお馴染みになりました「うさと展」。

昨日から始まった「うさと」も、午前中から大賑わい。

一日目にして大台に達する人気は相変わらず。

まさに服飾革命が、そこまで来ている。

その先鞭が「うさと」であろう。

これから、世界のアパレル業界の潮流が変わってゆくに違いない。

エスニックからユニバーサルへ、そしてエスニックへと。

まほろばの「小国寡民」は、もっと地場に体重を乗せた文化を取り戻さねばならないと言うだろう。

衣服も、また重要な生活のファクターだ。

そのあたりの消息を、来月号の「倭詩」で語っています。

11日〈日)最終時まで、どうぞ駆けつけてください。

北海能と能面

11月 9th, 2012

昨日は、札幌市教育文化会館で、新しい能舞台を設え、

北海道に因んだアイヌとの関わりを織り込んだ新作能「沙院」の発表がありました。

北海道とは馴染みの深い観世流シテ方、永島忠侈師の自作自演でした。

その案内をご紹介します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この度、能楽観世流シテ方、私こと永島忠侈は、

初めて北海道を題材にした新作能「沙院」(仮題)を書き上げ、

来る11月7日(水)、札幌市教育文化会館で私が会主をつとめる

「能の会」主催でお披露目いたす運びとなりました。

現行曲約200曲の能には、北は青森県までございますが、

北海道を舞台にした能は残念ながらございません。

いつか北海道を舞台にした新作能を作り上げたいと、考えておりました。

新作は江戸時代の北海道の歴史をひもとき、能特有の世界で表現したものです。

また、北海道の地で、初演できますことも喜びでございます。

多くの皆様にお楽しみいただけたら幸いです。

(実際の円空仏)

これは、歴史上、記念すべきことで、ことにアイヌのシャクシャインを

題材に取り入れ、戦いに没した御霊を鎮魂する儀式として、

この上ない供養になったのではないかと感じ入りました。

アイヌと和人の友好友和の証として、今回の会はすこぶる意義あり、

と認識して、参加出来たことを光栄に思ったほどでした。

これが、幾百年の歴史の淘汰によって、

さらに後代に引き継がれますよう祈るばかりです。

同じく観劇にいらした、名寄の松本冬水さんは3年ぶりの再会でしょうか。

懐かしくも、お元気そうで何よりです。

写真は、彼が面打ちした「小面」の花だそうです。

永島師に見せますと、絶賛されたということです。

本当に、そう思います。

実際に拝見して、魂が乗り移ったかのような衝撃的な対面、劇的な感銘でした。

これぞ、芸術品と言われるものの真骨頂であったような気がしました。

北辺の地にかような素晴らしい魂の面打ち師がいたのですね。

我が郷土の誇りにしたいと思います。

来年、再びと「松本冬水師の面と仏像と写真展」を企画したいと思います。

小さな観音、地蔵様もまた良いと聞きます。

また最近凝りだしました写真の自然風景も楽しみです。

彼のことです、とことん突き詰めたところまで追求することでしょう。

大国の脅しに屈することなく戦った若き指導者・北条時宗

11月 9th, 2012

◆  
 いまから800年ほど昔、
 日本への侵略を目論む超大国・蒙古のおどしに対して、
 毅然とした態度で立ち向かった若き指導者がいました。
 その若者の名は北条時宗、まだ17歳の青年でした。

 明治期に詠まれた元寇の和歌に次のようなものがあります。

  寇船(あだふね)を覆(かへ)しし風は武士(もののふ)の
  猛(たけ)き心のうちよりぞ吹く

 本日は『致知』12月号のインタビュー記事でも取り上げられた
『日本の偉人100人』の中から、
 元寇という未曾有の国難から日本を救った
 若き指導者・北条時宗の話をご紹介させていただきます。

    *     * 

「蒙古来襲の国難に立ち向かった鎌倉幕府の執権」 
 北条時宗(1251~1284年)

◎文永の役
 文永五年(1268)、
 蒙古(もうこ ※元)の国書を携えた高麗(こうらい)の使いが大宰府に現れます。
 既に中国北部と朝鮮半島の高麗を支配下においていた元は、
 表向きは友好を求めますが、
 その使者の来訪は明らかに我が国への軍事的恫喝(どうかつ)でした。
 18歳の時宗が執権職に就いたのは正にこの年です。

 使いはその後もたびたび来訪し、朝廷、幕府はそのつど評定を重ねましたが、
 あえて返書を送らぬまま、
 九州に所領のある御家人(ごけにん)たちに異国警護を急がせます。
 そして遂に文永11年10月、高麗軍と合わせて3万人の元軍は、
 900艘(そう)の船に分乗してまず対馬(つしま)を襲いました。
 
 対馬の守護代である宗助国(そうすけくに)は68歳の老将ですが、
 直ちに大宰府と壱岐に急使を送った後、80騎余りで大軍に立ち向かいました。
 昔も今も国境最前線のこの島で、
 最後の1騎まで奮戦しましたが半日持ちこたえるのが精一杯でした。

 上陸した元の兵たちは
「民家を焼き略奪殺戮(さつりく)を恣(ほしいまま)にし、
 婦女子を捕えて掌(て)に穴を穿(うが)ち、
 その穴を綱で貫いて船べりに数珠(じゅず)つなぎにした」
 と彼らの記録(『元史』)に記しています。

 続いて壱岐(いき)が攻撃されました。
 ここの守護代の平景隆(たいらのかげたか)は、
 対馬からの一報を得て大宰府へ援軍を要請し、
 100騎ほどで島内の樋詰(ひづめ)城に立て籠もって防戦しました。
 島民も続々と籠城に加わり一晩は凌(しの)ぎますが、
 やがて全滅してしまいました。

 こうしていよいよ10月20日(新暦の11月26日)に、
 元軍は博多湾西部から上陸し、
 先陣が博多に向かって赤坂(現在の福岡城址)まで迫って来ました。

 この合戦の様子は『蒙古襲来(もうこしゅうらい)絵詞(えことば)』に活写されています。
 その『絵詞』によると、
 御家人たちは大宰少弐(だざいのしょうに)の武藤景資(むとうかげすけ)を大将として
 博多の海辺側に集結し、
 景資は元軍がさらに博多に攻め寄せるのを待って迎え撃つようにと命令を下しました。
 
 この戦況は近年の研究で明らかになって来ました。
 それによると、10月20日中に少なくとも2度の合戦が行われ、
 日本軍が元軍を撃退し、百道(ももち)の海(博多湾)に追い落としたとのことです。
 大宰府攻略という目標は達せず、
「味方の体制が整わず、又矢が尽きた」(『元史』)ため船に戻った元軍は、
 その夜半に吹き荒れた暴風に押し流され一斉に退却してしまいます。

◎弘安の役
 文永(ぶんえい)の役の翌年に、
 鎌倉にやって来た元の使いを時宗は斬首(ざんしゅ)に処しました。
 そして再び来寇(らいこう)するに違いない元軍に備えて水軍を整備し、
 九州沿岸の防備を固めました。
 特に博多湾岸沿いに石築地(いしついじ)を築いた「元寇防塁(ぼうるい)」は、
 今日まで一部を留めて往時を偲ぶことが出来ます。

 やがて弘安(こうあん)4年(1281)、
 元の皇帝フビライは元軍、旧南宋軍、高麗軍合わせて4400艘、
 14万人の大軍を二手に分けて送り込んで来ました。
 弘安の役です。

 そのうち東路軍は志賀島(しかのしま)に上陸し、
 我が軍と激戦を繰り広げます。
 その後、長崎県鷹島(たかしま)に待機中だった江南軍と合流して
 総攻撃の機会を窺ううちに、
 閏(うるう)7月1日(新暦の8月23日)の大型台風によって
 壊滅的な打撃を受けてしまいます。

 二次にわたる元寇は、
 鎌倉幕府の政治、外交姿勢と九州御家人たちの奮戦に加え、
 暴風雨や台風という自然現象の後押しもあってはねのけることが出来ました。
 そしてこの自然現象はやがて「神風(かみかぜ)」と呼ばれるようになります。

◎時宗の人となり
 このように2度の国難を打破した鎌倉幕府の最高リーダーが時宗ですが、
 その事績を伝える資料は驚くほど少なく、本人の言葉もあまり残っていません。
 弘安の役後3年足らず、34歳の若さで急死しており、
 正に元寇撃退のために生を享(う)けたかの如(ごと)くです。

 元を迎え撃つ弘安4年の正月に、
 禅の師無学(むがく)祖元(そげん)が書して渡したという
「煩悩する莫(なか)れ」(一説では「妄想する莫れ」)はよく知られていますが、
 その祖元が時宗の葬儀で語った法語の一部を、次に掲げておきましょう。

【偉人をしのぶ言葉】
 訳――
 母に孝養を尽し、
 君に忠節を尽し、
 民には恵みの心を以って治め、
 参禅して深く悟る処がある。
 20年間天下の権を握っても
 喜怒を表に出すことが無くいつも沈着である。
 元寇を瞬(またた)く間に追い払ってもそれを自慢する様子もない
 (『仏光国師語録』四より)

 ――『日本の偉人100人(下)』より
 

明日から秋11月感謝デー!

11月 8th, 2012

明日から11月の感謝デー「ありがとうの日」です。

今月は、お正月用品・お歳暮ギフトの案内・申し込み用紙配布のため1週間遅れです。

今回も目白押しで、説明でき尽くせませんーーーー。

ムソーさんからはこの「お正月料理」の試食・予約会があります。

(9、10日本店、11日厚別店)

ニセコグリーンファームさんの野菜、献上昆布試食会、

日本創健馬油、ゼンケンさんが店内でお目にかかれます。

その他、各種盛り沢山、「七五三もち」「農園豆大福」が季節柄入荷します。

本店二階では、ヤンジーの「うさと展」が開催されており、今日から大賑わいです。

20~30%は月並みで、中には50、70%と、とんでもない割引もあります。

とにかくビックリ、楽しい、嬉しい3日間です。

オリジナルケーキの作りたても出ますよ!!