3月 4th, 2013
中村 久子
致知』2012年11月号
特集「総リード」より
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その少女の足に突然の激痛が走ったのは3歳の冬である。
病院での診断は突発性脱疽。肉が焼け骨が腐る難病で、
切断しないと命が危ないという。
診断通りだった。
それから間もなく、少女の左手が5本の指をつけたまま、
手首からボロっともげ落ちた。
悲嘆の底で両親は手術を決意する。
少女は両腕を肘の関節から、両足を膝の関節から切り落とされた。
少女は達磨娘と言われるようになった。
少女7歳の時に父が死亡。
そして9歳になった頃、
それまで少女を舐めるように可愛がっていた母が一変する。
猛烈な訓練を始めるのだ。
手足のない少女に着物を与え、
「ほどいてみよ」
「鋏の使い方を考えよ」
「針に糸を通してみよ」。
できないとご飯を食べさせてもらえない。
少女は必死だった。
小刀を口にくわえて鉛筆を削る。
口で字を書く。
歯と唇を動かし肘から先がない腕に挟んだ針に糸を通す。
その糸を舌でクルッと回し玉結びにする。
文字通りの血が滲む努力。
それができるようになったのは12歳の終わり頃だった。
ある時、近所の幼友達に人形の着物を縫ってやった。
その着物は唾でベトベトだった。
それでも幼友達は大喜びだったが、
その母親は「汚い」と川に放り捨てた。
それを聞いた少女は、
「いつかは濡れていない着物を縫ってみせる」と奮い立った。
少女が濡れていない単衣一枚を仕立て上げたのは、15歳の時だった。
この一念が、その後の少女の人生を拓く基になったのである。
その人の名は中村久子。
後年、彼女はこう述べている。
「両手両足を切り落とされたこの体こそが、
人間としてどう生きるかを教えてくれた
最高最大の先生であった」
そしてこう断言する。
「人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はない」
折しも弊社から『日本の偉人100人』(上下)が出版された。
登場する百人はいずれも、一念、道を拓いてきた人たちである。
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3月 4th, 2013
「うさと展」を手伝ってくださった阿寒の郷右近さん姉弟と
ヤンジー、アグネスが昨日、まほろば本店に立ち寄られました。
地下洞で、郷右近さんとアグネス二人でムックリを奏でてくださいました。
見事な演奏、お聴きください。

郷右近富貴子さんは、阿寒湖畔のアイヌコタンにある喫茶ポロンノを切り盛りしています。
幼い頃から、コタンで育ち、歌や踊り、儀式などアイヌ文化の中で育ってきた彼女は、
ムックリ演奏、唄、踊り、手仕事など幅広く受け継いでいる若い世代のアイヌ女性の1人。
ムックリは、口琴大会で海外に遠征するほどの口前?(腕前?)。
コタンに暮らす彼女は、阿寒湖のアイヌシアターや、阿寒湖遊覧船での語りなどにも出演しています。
関東で長くアイヌの唄い手として活躍している姉の床エミさんとの姉妹ユニット、
kapiw & appapo (カピウ & アパッポ)としての活動もしており、
まほろばでもライブの計画が進行中。 (by 大井わこ)
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3月 3rd, 2013

今日は、桃の節句。
女の子にとって、皇女さまの日ですね。
まほろばでは、ひな祭りセット「三人官女」を提供させて頂きました。
「さくらあんぱん」宮本シェフ、「華ちらし寿司」は加藤さん、「発酵ロールケーキ」は大和さん。
ソフテリア三人の合作です、パチパチ、夜遅く、朝早くから良くやりました。

素敵ですね。
みな仲良く、力を合わせて作ってくれたこと、何より嬉しく思います。
そして、それ以上にお客さまに喜んで戴けて嬉しく思います。
ありがとうございました。
女の子のスクスクと成長して、よきお母さんになられますことを祈ります。

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3月 3rd, 2013
大井さんからのシェア映像。
人間のビックリする可能性に、拍手をしてしまいました。
facebookで24000人のシェア、6000人のいいね。
なるほどです。
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3月 3rd, 2013

いよいよ、自民党がTPP参加を表明しましたね。
「倭詩」でも『TPPとGNH』で訴えていますが、近き未来に国土は焦燥と化すでしょう。
その時、参考意見として読んだ経済評論家の内橋氏の良心に心打たれた覚えがありました。
再びと論争が激しくなって来た昨今、氏の意見に耳を傾けるべきと考えます。
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3月 3rd, 2013
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3月 2nd, 2013

木曜日から始まった「うさと展」inまほろば厚別店。
今日2日(土)が最終日で、明日はありません。
広いスペースに沢山のうさとが並んでいて壮観ですよ。
今、ヤンジー&アグネスさんの助っ人が阿寒湖からいらしています。
旧姓床(とこ)さん、郷右近(ごううこん)富貴子さんです。
「阿寒の吉永小百合」と言われています(私が言いました)。
![img[1]](https://www.mahoroba-jp.net/newblog/wp-content/uploads/2013/03/img1.jpg)
今、近代美術館で「アイヌアート展」が開催されていますが、
そこに出品されているあの床ヌプリさんとは親戚で、やはり芸術の家系なのでしょうか、
お姉さんとデュオを組んで音楽活動をされています。
ちなみに、彼女は阿寒湖で「アイヌ料理の店 喫茶 『ポロンノ』」を
ご主人と一緒に開かれています。
http://www.poronno.com/
是非、お立ち寄りください。
初日、訪ねた時、ムックリを演奏してくださいました。
それは見事なもので、「これが、本当のムックリか!」と心底驚いてしまいました。
そこには倍音がはっきりと聴き取れ、通奏低音と旋律が二重に、
明らかに鳴っているではありませんか。
単純な一本の竹細工で、これほど高度な技法と音楽性が
発揮できるとは、民族音楽は素晴らしいですね。
是非、厚別店二階にお越しください。
また、来月はお姉さんが本店二階でお手伝いしてくださいます。
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3月 2nd, 2013
山崎 比紗子(ヒサコヤマサキ ネイルスクール学院長)
『致知』2013年3月号
連載「第一線で活躍する女性」より
└─────────────────────────────────┘
三菱銀行を結婚退職し、
一児の母として普通の主婦をしていました。
ところが二十六歳になる直前のこと、夜中に倒れ、
朝まで意識不明のまま。夫が起きてきて私を見つけ、
救急車で運ばれたのですが、私がそこで少し気がついたのか、
お医者様の声がかすかに耳に入ってきたんです。
「あなたはもう棺桶に足を半分突っ込んでいます。
助かるかどうかは気力だけですね」と。
子宮外妊娠だったんですが、当時は発見が遅れて、
二人に一人は出血多量で死亡していたんです。
私は危機一髪、運よく輸血が間に合い手術も成功し、
助けていただきました。
ただその後が大変でした。
何かの瞬間ふっとお医者様の声が耳に蘇る。
すると急に体が硬直したり目まいがしたり
震えが止まらなかったりするんです。
それから二年間は病院通いの毎日でした。
いろいろな症状が出るので苦しくて心配になり、
あちこちの病院に行っては薬を貰い、
いいと言われる健康食品を買い込む。
なんの希望もなく、ほとんど家の中で
寝たり起きたりの状態でした。
* *
ある日突然見知らぬご婦人二人が
我が家の玄関に立たれました。
そしてそれぞれの方が一枚ずつ、
白い紙をそっと玄関先に置いていかれたんです。
お二人はご近所の方々で、病気で寝込んでいる
私のことを知り、わざわざお見舞いに来てくださったんです。
紙の一枚にはこう書かれてありました。
「明日のことを思いわずらうな
明日は明日自身が思いわずらうであろう
今日の苦労は今日一日で十分である」。
そしてもう一枚は
「心を尽くし精神を尽くし
力を尽くし思いを尽 くして
主なるあなたの神を愛せよ
また自分を愛するように
あなたの隣人を愛せよ」。
その二つの聖句を見た時、
涙がとめどもなく溢れ出ました。
一体今日まで何をクヨクヨと思い悩んでいたのだろう。
私はただ治りたい、元気になりたいと
自分のことばかり考え、家族や周囲の人たちに
迷惑や心配をかけていたのに全く感謝もせず、
その上自分の不幸を嘆き悲しんでばかりいた。
そんな自分がとても情けなく、
恥ずかしくてたまりませんでした。
今日のことは今日生きているだけで十分なのに、
なぜ明日のことまで思い煩うのか。
今日一日精いっぱい生きなくてはいけないのに、
なぜ明日具合が悪くなったらどうしよう、
死んだらどうしようなんて考えるのか……。
私はなんて馬鹿な生き方をしてきたんだろうと
猛烈に反省しました。
当時は老婆みたいにガリガリに痩せていましたが、
こんな私だけど力いっぱい生きよう、
とにかく今自分が変わらないといけない。
そんなことを思いながら、
その場にへたり込んで号泣しました。
あの時に病気も洗い流されていったのかもしれませんね。
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3月 1st, 2013

今日から、3月の「感謝デー」。
「ひなの市」「弥生市」と名付けた今月はいかが。
今月のたより、「森下自然医学」の連載『倭詩』、寺田本家の発酵のことを取り上げました。
丁度今朝、千葉からは寺田新社長と先代の雅代奥様がいらして、宣伝販売をして頂きました。
当主自ら、ありがたく思います。
昨年、啓佐氏が逝去され、その悲しみが未だ止まない今も、
その遺業を継がれてゆく姿勢は尊くも、美しくあります。
「五人娘」や「むすひ」は、益々の人気。
末永きお取引を願うや切なるものがあります。
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2月 28th, 2013

9日(土)、富士吉田小明見で開催された『第一回 富士徐福祭』。
参加予定でしたが、急用のため取り止めで、次回に見送ることになりました。
しかし、森下自然医学の山司氏、CI顧問の田中愛子先生、声楽家の松本愛子さん、
そして、甲府からは増川女史等が参加されて、場を盛り上げて頂きました。

山司氏より沢山の資料を贈って頂き、大変勉強になりました。
本場中国は元より韓国の研究者が多数本を出版しております。
また国内でも各地で多くの研究家や研究発表があることに驚きます。
実際、松本女史から戴いた、中国から見た日本地図。
全く逆さになっていますが、反って渡航する必然性や可能性が見えてきます。
逆転の発想、たしかに逆転地図で新たなる発想が沸いて来るから不思議です。

縄文から弥生への移行、稲作文化を開いた先人の遺功。
日本の大恩人なのですが、日本史では認めていません。
日本人の血の中にも彼の血が流れていると思うのですが。
これを機に、日中友好の架け橋になって
両国の良き関係を築いてくれればよいのですが。

福岡正信翁は、徐福の子孫という話をしましたが、
以前、翁を招いて、徐福のオペラを上演したそうです。
徐福が夢見た蓬莱の国・日本。
その「蓬莱の国」という題名で、翁が歌詞をつけて、無為自然の歌を作っています。
ご紹介します。
【蓬莱の国】(原詩:福岡正信)
(時)
川は流れて人去り来たる会うは別れのはじめとか
時は流れも進みもしない始め終わりはなきものを
出会った今が久遠のときか過去も未来も夢の夢
森の泉は枯れはせぬもの二人の愛はいつまでもアイヨーツ!一
ヤッコラサエンコラサヤッコラサエンコラサ(くり返し)
おまえ百までわしゃ九十九までともに自然にかえるまでここが蓬莱めでたやな
(空)
雲は流れて青空たかい人の運命は風まかせ
空は広くも小さくもならぬ西や東はなきものを
胸をあわせぱ心もひとつあなた私の国じゃない
育てるものはただひとつだけ扶桑の森よ天にまでアイヨーツ!
ヤッコラサエンコラサヤッコラサエンコラサ(くり返し)
天にそびえる扶桑の木々が世界の国の橋渡しここが蓬莱めでたやな
(色)
夢をさがして旅には出たがどこへ行こうかいずこにや
あなた運んだ五穀の種が瑞穂の国のわが命
豊年万作お天道まかせ私あなたの胸まかせ
自然にかえる全てを捨ててここはこの世の桃源郷アイヨーツ1
ヤッコラサエンコラサヤッコラサエンコラサ(くり返し)
野菜花咲き木の実もたたわ五穀豊穣時知らず
ここが蓬莱めでたやな
(無)
浜の足跡どこまで続く波にあらわれ消えてゆ<
浜の千烏に尋ねてみたらわたしゃ知らぬと鳴くばかり
愛はひとすじ変わらぬものよ寄せてはかえす波の音
潮の流れに運ばれてゆく粘土団子の芽吹くところよ大自然アイヨーツ!
ヤッコラサエンコラサヤッコラサエンコラサ(くり返し)
何もないのだすべてがあって世界ひとつと歌いあうここが蓬莱めでたやな

Posted by mahoroba,
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