4月 3rd, 2013
西水 美恵子(世界銀行元副総裁)
『致知』2013年4月号
連載「第一線で活躍する女性」より
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(国民総幸福量という言葉で知られるブータンは)
日本では長閑で幸せな国だと考えられているようですが、
実際はそんな生半可なものではありません。
ブータンは人口七十万にも満たないのに、
およそ十二の異民族を抱える多民族国家ですから、
国家経営を誤るようなことがあれば
隣国の中国やインドに潰されてしまうリスクが常にあります。
雷龍王四世はこの難題に本気で取り組んでおられました。
世界を見渡せば、どの国家にでもバラバラになる
リスクがある中で、雷龍王四世ほど
危機管理的な国家戦略を念頭に置くリーダーは、
私にとっては稀有な存在でした。
実際、出会いそのものからして異例でしたから。
初めてブータンを訪問したのは、
副総裁になってからのことでしたが、外交儀礼上、
総裁でもなければ陛下に謁見を賜りたいなどと、
言えません。
ですから国王にお会いするつもりなど毛頭なく、
これはどの国でも初訪問で必ずしていたことですけれど、
空港から寒村へ直行して、農家に滞在する
という旅程だったのです。
ところがブータンのパロ国際空港に出迎えてくれた
大蔵省次官が、おもむろに
「明日、陛下が謁見を賜るとのご命令だ」と……!
新任の副総裁が日本人で、そのうえ女性だから、
お珍しいのだろうというくらいに思っていたのです。
でも謁見後に大蔵大臣が教えてくれたのですが、
陛下は私の旅程を事前にご覧になって、
「この副総裁は、本気で我が民のために尽くすつもりだな」
とおっしゃったそうです。
初めて陛下にお会いした時、開口一番、
こう仰せられました。
「人の世に変わらぬものは変化のみ」。
絶対王制から民主制への政治改革を
先導しておられたのですが、国民は猛反対。
「無常」だからこそ改革は先取りするのが賢いと、
国民を説き回っておられたのです。
具体的な取り組みについてお話しくださったのですが、
私はその一所懸命さ、本気で国民のことを考えて
事をなさるお姿に胸打たれました。
そこにはご自身の地位への固執など微塵もありませんでした。
当時、世銀の組織文化を変える改革を始めたばかりで、
風当たりが強く、随分悩んでいたのですが、
陛下のそのお言葉がストンと心に落ちました。
どのような環境に置かれようとも、一所懸命に、
成長し続ける組織文化の種を一粒でも蒔けばいいのだと。
そうしたら急に心が軽くなって、無礼にも、
御前でクスクス笑い出してしまったのです。
陛下は、面白そうにご覧になっておられましたけれど(笑)。
それからのお付き合いです。
国王陛下は私にとってただ一人の「メンター」です。
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4月 2nd, 2013
池川 明(池川クリニック院長)
『致知』2013年4月号
連載「生命のメッセージ」より
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胎内記憶を語る子供たちの中には、例えば
「僕はさぁ、雲の上で見ててママのところにビューンて来たんだよ」と、
生命が宿る前の中間生や過去生の記憶まで出てくるケースもあるんです。
最初に気づいたのは、ある女の子が、女優さんになりたいから、
空の上から綺麗なお母さんを選んできたって
話しているのを聞いた時です。
調べて分かったのは、胎内に宿る前の記憶を持っている子が
二十%、五人に一人いたんです。
おなかの中の記憶以上に不思議な話ですから、
オカルトっぽいし、虐待や中絶をする親はどうなんだといった
疑問や反論も受けます。
わざわざそんな親を選んでくる子がいるのはおかしいと。
こういうことを言うと結構批判を受けるんですが、
これまで聞いた話から推測すると、どうもそういう子は、
敢えて虐待や中絶をされるために
その親を選んできているようなんです。
恨んでいる子は一人もいなくて、みんな
「お母さんありがとう」って言うんです。
赤ちゃんはお母さんを精いっぱい応援していますし、
命を懸けてお母さんを守ろうとしています。
そして長い目で見ると、中絶や虐待があったことによって、
お母さんや家族が愛情を取り戻したりすることがあるようなんです。
あるお母さんは義理のお父さんを恨んでいたそうなんですが、
赤ちゃんを流産した後、そのお義父さんが
「神様は絶対に悪いことをしないから」と
声をかけてくれたそうなんです。
実はそのお義父さんは、かつて病気で九死に一生を得た方でした。
お母さんはお義父さんの優しさを初めて実感して、
家庭が穏やかになったそうです。
それからあるお母さんは、自分が子供の頃に
虐待を受けて嫌な思いをしたのに、
今度は自分が我が子に虐待をしていた。
ある時我が子の写真を見たら、
目の奥に仏様の慈悲の心が見えてハッとしたそうなんです。
すぐ子供にそれまでのことを謝ったら、
その子は僅か五歳なんですが
「僕はお母さんが分かってくれるって信じていた。
だってお母さんがそうするのは
お祖母ちゃんからそうされたからだし、
お祖母ちゃんもそうされてたんだから誰も悪くない。
お母さんが気づいてやめてくれてよかった」
って言ったそうなんです。
【村上:考えさせられる話ですね。
その母親のように、自分が子供に選ばれたことを自覚すれば、
親子関係は随分変わるでしょう】
それは子供にも言えることで、
この母親を選んだと思うと親子関係はよくなります。
人生が辛かった人も豊かになるんです。
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4月 1st, 2013


秋田湯沢の「石孫本店」に行って参りました。
最終工程、諸味の「搾り」見学と取材、そして味のチェックです。
販売して戴く京都のTHDの青木社長もご同行。
隣町益田で製造している「へうげみそ」と同じ材料で作る醤油。
果たしてどうなりますやら、今月号の「森下自然医学」に由来記を掲載します。
また、販売に際して、詳しい経緯を綴りたいと思います。
完成まで、あと一歩。
ラベル作りも最終チェック、販売開始は来月売り出しの予定。
乞うご期待!!!

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4月 1st, 2013
大山 真弘(おおやま・しんこう=蓮華院誕生寺内観研修所所長)
『致知』2013年4月号
致知随想より
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してもらったこと。
お返しをしたこと。
迷惑をかけたこと。
この三つの問いかけを通じて人生を振り返り、
自分を深く見つめていくのが「内観」です。
日本で発祥したこの心理療法に私が出合ったのは、
いまから二十五年前のことでした。
かつて私は商社やメーカーに勤め、
社長賞をいただくほど熱心に仕事に励んでいました。
海外勤務の機会にも恵まれ、
充実したビジネス人生を送っていました。
母が重い病で入院したのは、
私がブラジルに出発する直前でした。
余計な心配をかけまいと、
父も母も私に本当の病名を伏せていました。
「しっかり仕事をするんだよ」
病院のベッドで送り出してくれた母の微笑みと手の温もりは、
いまも忘れられません。
危篤の報を受けたのはそれから一年後でした。
赴任先からようやく駆けつけた時、
母は既に息を引き取っていました。
大切な親の死に目にも会えないこの仕事にどんな意味があるのか。
父はなぜ本当のことを告げてくれなかったのか。
自分はこのままでいいのだろうか……。
激しい葛藤から私を解放してくれたのが内観でした。
幼い頃まで遡り、母にしてもらったことや、
迷惑をかけた記憶を思い起こすと涙が止めどなく溢れ、
ほとんどなんのお返しもできていなかったことに愕然としました。
同時に、父が息子の活躍を願ってあえて母の病名を隠した親心、
私を育てるためにかけた数々の苦労に思い至り、
わだかまりは氷解しました。
私は学生の頃から「人の役に立つ人間になりたい」と
いう思いを抱いていました。
内観の素晴らしさを実感した私は、会社を辞めて出家し、
内観指導の道を歩むことを決意したのです。
現在、指導を行っている熊本の蓮華院誕生寺には、
健常者ばかりでなく、摂食障害や鬱病、
アルコール依存症等々、様々な問題を抱えた方々も
お越しになります。
一週間も内観を続けると、それまで他者を非難し、
被害者意識に陥っていた方が、問題の原因が
実は自分にあることに思い至ります。
正しいと思い込んでいた自分が、
これまでいかに人に迷惑をかけてきたか、
にもかかわらず、いかに支えられて生きてきたかを悟り、
感謝の念を抱くことで、楽に、
明るく生きられるようになるのです。
夫婦や子供の問題に悩み、相手を変えたいと思っている方は、
まず自分が内観することで問題が大きく改善することに驚かれます。
こうした指導体験をもとに、私はこの程
『お母さんにしてもらったことは何ですか?』を
上梓しましたが、内観ではまず、
母親についての記憶を辿りながら、
冒頭の三つの問いかけをしていきます。
母親は自分を産んでくれた大切な人であり、
あらゆる手間をかけて自分を育ててくれた
最も身近で尊い存在だからです。
母親のいない人でも、それに代わる方はいるはずです。
一人静かに記憶を辿るうちに、不思議なもので、
心の奥にしまい込まれていた遠い日の思い出が
一つ、二つと甦ってきます。
母親との関係が良好ではない人も、
それまで思い至らなかった母親の心情を悟り、
憎しみが感謝の念に変わっていきます。
ある男性は、重度の認知症になった母親の介護に
葛藤を抱えていました。
意思の疎通もできなくなった親を
介護することにどんな意味があるのかと。
最初は内観にあまり乗り気ではありませんでしたが、
あるイメージが浮かんだことをきっかけに、
一気に内観が深まりました。
そのイメージとは、俵形の真っ黒なおにぎりでした。
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4月 1st, 2013
稲田 明(帝京豊郷台柔道館館長)
『致知』2013年4月号
特集「渾身満力」より
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私は福岡県警にいた二十七歳の時、
東福岡柔道教室を始めたんですが、
十年が経って全国少年大会にも出られるようになった
昭和五十八年に、彼女(谷亮子選手)は
お母さんに手を引かれて道場へ来ました。
当時七歳でしたが、まだ五つくらいかなと思うくらい
体が小さくて、柔道は全然やったことがないと。
三つ上のお兄ちゃんがいましたから
その見学に連れてこられたのだと思いますが、
柔道着を着せてみると、その着こなしが実にうまいんですね。
試しに受け身を教えてみたら非常にもの分かりがよく、
この子、何かあるかもな、と思いながら最初は見ていました。
私は子供が成長していく上で、
指導よりもアドバイスが大事だと思うんですが、
最初に言ったのは
「おまえは体が人一倍小さいのだから、
三倍の努力をしなさい」
ということでした。
二つ目は
「柔道に限らず、一度やろうと決めたら
最後までとことんやり通しなさい」
と。すると本人も聴く耳を持っているというか、
そういう器があったんでしょうね。のみ込みが早いんですよ。
学校へ行く前の朝練でも皆より一時間も前に道場に来て、
掃除をしたり、ゴムチューブを引いたりして
練習が始まるのを待っている。まだ小学校の二年生ですよ。
練習中も絶対に手を抜かないし、
小学生の部が終わった後も一人居残り練習をし、
高校生と同じように、夜十時半までトレーニングをして帰る。
それくらいの努力を小さな頃からしていました。
それでも、小学校の時はまだ体が小さくてもやれたんですが、
中学生になると体が小さ過ぎて団体戦には使えません。
そうすると、いままで一時間早く出てきていたのが
だんだん遅くなり、どうしたのかなと思って本人に尋ねました。
すると「ピアノと習字を習っている」と言ったもんだから、
「おまえ何を考えてるんや!
ピアノや習字には五輪はないんやぞ。
どれか一つにしろ。
でないと三つとも全部ダメになってしまう」
と言いました。
その日はもうポロポロ涙を流して帰りましたが、
明くる日にはケロッとした顔で一番に来て
「柔道を頑張ります」と言ってくれました。
Posted by mahoroba,
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