まほろばblog

森のコーヒー

4月 25th, 2013

もりのこーひー

「森のコーヒー」           200g   ¥ 798
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「森のコーヒー」ドリップフィルター 8g×16袋  ¥ 1344

 

 

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モリノコーヒー

「草むしりを天職に生きる」

4月 25th, 2013
  宮本 成人(株式会社 草むしり社長)

              『致知』2013年5月号
               致知随想より

└─────────────────────────────────┘

私が群馬県高崎市に株式会社草むしりを立ち上げたのは
二〇〇九年、四十四歳の時でした。

当時、周りからは

「いまさら独立?」
「なんで草むしり?」
「そんなことで生計が成り立つのか?」

と反対されました。ノウハウも人脈もないゼロからのスタート。
それでも私が起業した理由はただ一つ。

何をしたらいいのか分からない、
本当にやりたい仕事が見つからない……。
そういう方々に草むしりという
一見なんでもないようなことでも
職業としてやっていけるということを伝えたい。
その一念でした。

かくいう私自身、これまでに八回も転職を繰り返し、
二十年以上悶々とした辛い時期を過ごしてきました。
大学卒業後、地元の大企業に就職したものの、
没個性に陥ってしまうことが耐えられず二年で退職。

その後、大学時代に日本拳法で全国一位になった経験から、
日本拳法協会海外指導普及員として二年間カナダに勤務。
帰国後は知人の紹介で、
長野オリンピックの招致の仕事にも携わりました。

そして二十六歳の時、
ケンタッキーフライドチキンのフランチャイズに入社。

そこで接客のいろはを一から叩き込まれ、
数年後には店舗のマネジメントを任されるようにまでなりました。

そんな私に転機が訪れたのは三十七歳の時。

ケンタッキーが一年間で最も忙しいのは
十二月二十三~二十五日のクリスマス期間。
その三日間の売り上げで、全国約一千ある店舗のうち、
私が店長を務める店舗が日本一を成し遂げたのです。

その後もいくつかの店舗で好成績を叩き出した私は
独立しようと思い立ち、翌年三月にケンタッキーを退職。
貯金をはたいてフランチャイズの加盟金を支払い、
店舗立ち上げに向けて勇んでいました。

ところが、です。

物件探しに不動産屋さんを回っても、
肩書も何もない無職のド素人に何ができるんだ、
と白い眼で見られ全然相手にしてもらえない。

周りからも「どうするんだ」と急き立てられ、
揚げ句の果てには自分には無理……と、
何もせずギブアップしてしまったのです。

売り上げ日本一になれたのは自分の力ではない。
ケンタッキーというブランドや周りの社員や
アルバイトさんが支えてくれたからに他ならない。

伸び切っていた天狗の鼻をへし折られた瞬間でした。
人と話すことも儘ならず、呼吸をするのがやっとの状態。
半年ほど引きこもり生活が続き、
ようやく働き始めたものの、またしても職を転々とする日々。

そんな時、友人から突然電話がかかってきました。

「宮本、ちょっとアルバイトしない?」。

それは植木屋さんでのアルバイトでした。
最初は全く乗り気ではなかったのですが、
親方の言われるがままに作業をしていると、
庭は綺麗になる、お客様からは喜んで感謝していただける、
自分は汗をかいて清々しい。

なんと素晴らしい仕事だろうか。
これこそ自分にとっての天職だ!
と感動が込み上げてきました。

「じゃあ、草むしりを仕事にしてみたら」。

友人のこの言葉に触発され、起業を決意。
八回もの転職を繰り返した果てにようやく掴んだ天職  。
 しかし、見込みのない収入、増える負債、孤独な毎日……。
起業はまさに自分との闘いでした。

自然分娩の奇跡

4月 25th, 2013

岡野さん 1

 

岡野さん 2

 

佐々木造園園主!佐々木信豪く~ん!!!

4月 25th, 2013

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まほろば本店で活躍していた佐々木信豪くん。

このたび、佐々木造園、園主としてデビューしました。

庭園造りから、庭木のお手入れ、管理全般にわたってお手伝いいたします。

お気軽に、お声をおかけください。

佐々木造園 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛の音叉

4月 25th, 2013

人間の身体の全細胞60〜70%は水でできていますが、

音を響かせるということは、小さな石が大きな池に細かい波紋を広げていくように、

全細胞は、音に非常に敏感に共鳴し、音が細胞内液を細やかに震わせることが、

新陳代謝や精神状態に大きく影響を及ぼすと言われています。

歌うことは、体そのものを楽器とすることでもあります。

愛の波動を高め、洗脳からの開放や、DNAの修復力を高める528Hz音叉や、

宇宙の深奥の音、オームの音叉などを響かせながら、

コロコロ棒を使って無理のない本当の声をスムーズに出せる画期的な発声法で、

ご自分の真の声で歌っていくワークを、どうぞお楽しみください。

☆愛と感謝を込めて☆松本愛子☆

音叉

左から
・ アース、ゾリアック、ムーン、ロゥのカラーの4本セット、オームユニゾン2本セット
(スペースシップのテクノロジーで作られている。FBAの基準を突破している)
・ オーム(ヘビータイプ)
・ 528Hzの音叉と531Hzの音叉の2本(両方、合わせて使う)
・ New!! ローオーム(ヘビーフォークタイプ)

「笑顔は最高の教養」

4月 22nd, 2013
   小菅 美惠子(笑顔塾社長)

              『致知』2013年5月号
               致知随想より

└─────────────────────────────────┘

小さい頃、手相を見てもらった時、
「あなたは長生きをしますよ」と言われました。
しかし、どうやらこの見立ては当たらないようです。
いま、私は末期がんに侵されています。

一昨年、大腸がんの摘出手術を行った際、
お医者様には「余命三か月から六か月」と宣告を受けました。
それから今年五月で丸二年。

科学的な見地から言えば、いま私は
「余命ゼロ時間」を生きていることになるでしょう。

もちろん最初は驚き、なんでこんなことにと嘆きました。
しかし、これまでの人生を振り返ると、
二度の結婚と離婚、五十歳でのリストラと起業、
そしてがん……。

人よりちょっと波瀾万丈ですが、様々な人と出会い、
ご縁をいただき支えられ、きょうまで本当に楽しく生きてきました。

その代償ではないですが、病も含めてそれが自分の人生ならば、
すべてを受け入れよう。いま、私はそんな心境なのです。

四十代後半、某研修会社の札幌支店に営業職で採用されました。
子供も中学に入ったばかり。

これから最低六年間は女手一つで育てていかなければならない
という意気込みでの入社でした。

ところが、五十歳でまさかのリストラ……。
ショックで涙も出ませんでした。

しかし、生活がかかっています。
事態を知り、声をかけてくださった企業で
半年ほど営業の仕事をしましたが、
支社長との考え方が合わず退社。

かくなる上は自分でやるしかないと覚悟を決めました。

幸い営業時代に多くの企業様を訪問させていただいたご縁で、
「うちの社員を教育してくれないだろうか」との
ご依頼をいただきました。

札幌市内の小さなお店で、対象は二人の若い女子社員。
始業前の八時から九時までの一時間を週三日、
挨拶や言葉遣い、歩き方など、基本的な態度教育を行いました。

しばらくすると、二人から少しずつ変化が見え始め、
感想文を書いてもらうとその意識の変わりようは明らかでした。
私は単純に彼女たちの成長が嬉しかったのです。

感想文を鞄に入れて持ち歩き、
たまたま知人とお茶を飲んでいた時、
「いま、研修をやっているんだけれどね」と、
彼女たちの感想文を渡しました。

目を通した知人は、それならうちも研修を頼みたい、
というのです。

その方は事務機の販売会社の社長の奥様で、
専務のお立場でした。

電話応対などは外部の一日研修などに参加させても、
数日後には元に戻ってしまう。
身につくまで研修をしてくれないかと言うのです。

研修は朝七時から八時まで、
週一回の一時間。基本態度の研修と並行して、
日常業務では電話機の前に鏡を置き、
受話器を取る前に笑顔をつくってから
応対するよう指導しました。

確かに電話の向こう側に笑顔は見えません。
しかし、必ずその雰囲気は伝わると思ったのです。

するとどうでしょう。お客様と電話でやり取りするうちに
「そういえばこの商品も必要だった」と
プラスアルファの商品の受注が増え、
売り上げが増大したといいます。

大変感謝され、お取り引き先企業を紹介していただくなどして、
次第に仕事は軌道に乗っていきました。

そして会社を起こす時、私の中にあったキーワードは、
やはり「笑顔」でした。

北海道は長く不況が続いています。
いま日本で一番笑顔が必要なのは道産子。
つらい時こそ笑顔で行動しましょうという思いを込め、
社名を「笑顔塾」としました。

ちょうどその頃だったと思います。
解剖学者の養老孟司先生の講演を聞く機会がありましたが、
先生は「教養とは相手の心が分かる心」とおっしゃいました。
あんなに頭のいい方が教養とは知識ではなく、
慮りの心だと言います。

そして私は、ならば笑顔こそが最高の教養だと思ったのです。

「能力の限界は、イマジネーションの限界」

4月 20th, 2013
  久瑠 あさ美(メンタルトレーナー)

                『致知』2013年4月号
                 連載「読者の集い講演録」より

└─────────────────────────────────┘

過去、現在、未来という時間の流れがあります。
この捉え方をきょうここで塗り替えていただければと思います。

大抵の人は、自分は現在に生きていると思い込んでいますけど、
ほぼ過去に生きているんですね。

というのは、いまこうしている瞬間は、
一秒経てば過去になります。
時間はどんどん流れていて、
それも前から後ろにしか流れないんです。

にもかかわらず、普段私たちが認識するのは
これまでどうだったかということ。
一年前がこうだったからこんな計画を立てましょうと。
それは悪いことではありません。

でも、そこに安心していると
痛い目に遭う時代がやってきたわけですね。

「一時間先の未来っていうのは、
 一時間経ったらいまになるんだ」

このイメージをずっと持っていけば、
なぜ自分はいままで過去にこだわっていたのだろう、
というマインドになります。

頭の回転が速い人や機転の利く人は
たいてい未来をイメージできている人です。

野球で言えば、ボールが飛んでくる瞬間に
ファインプレーを目指している選手です。
そうでないと人は感動しない。
これは野球だけに限らず、あらゆる仕事に当てはまると思います。

「へうげ味噌」「へうげ醤」由来記

4月 17th, 2013

 

自然医学 表紙 2013

「森下自然医学」5月号が届きました。

「求道貫徹(徐福)・眷属安住(始皇帝)」と題しての連載『徐福伝説(其10)』。

河北省塩山県千童鎮には、今もなお『信子節』なるお祭りが伝承されているとか。

それは2200年前に、吾が子や同僚を東方の島に送り、帰郷を待ち侘びる催し物である。

自然医学 巻頭言 2013

河北省滄州市千童鎮のシンポジウムに参加したのは平成9年5月でした。千童鎮は北京から約200キロ。車で4時間のところにあり、天津市の南にあります。滄州市は、古来「武術の郷」として有名で、太極拳はじめ武術の達人が多く、武術学校が数百もあります。

 千童鎮については、こう伝えられています。紀元前209年、徐福は秦始皇帝の命を受け饟安邑に城を築きました。「童男童女」、技術者を募って城に置き、衣服、食料、船舶などを準備。訓練を行った後、無隷川を経て、黄河河口から日本へ向け出港しました。このときから人々は饟安邑を、千童城とか童子城と呼び始め、今の千童鎮の地名の由来となったといいます。
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 シンポジウムに合わせて「千童祠城」の落成記念として信子節(しんしせつ)がありました。信子節とは、幼い子どもが東渡したものの帰国することはなく、故郷の人々は、遠くに去ったこの子どもたちを懐かしむため毎年旧暦3月28日、山に登り、戻ってくるのを祈りました。この風習は、次第に先祖をまつる行事として民間に広まりました。

 本来の信子節は、60年に1回(申子年)開かれ、12台の山車が出ます。地方史によると漢時代からずっと行われてきたといわれています。このとき私が目にしたのは、4台の山車でした。それぞれ「饟安で徴募」「波をせめて東渡」「扶桑に芸を授ける」「東を望んで帰りを待つ」と書かれていました。

 山車のスピーカーからは信子節の解説と音楽が流れ、その音色は、祭りによくある華やいだムードとは無縁で何とも物悲しいものでした。金立神社の50年に1度の大祭と何か共通点を感じさせたのは、私だけの思いでしょうか。(県徐福の会会員)

【写真】記念シンポジウムに合わせて特別に4台の山車が繰り出し、信子節の雰囲気を味わった=北省滄州市千童鎮、平成9年5月撮影

 

自然医学 不食 2013

 

前回に引き続いて、一日青汁一杯の不食の人、森美智代さんとの鼎談。

今回も興味深い内容で引き込まれます。

脳波がθ波であると食欲をあまり感じなくなり、

しかも普通人には出ない尿中に「ケトン体」が出ているということです。

糖質がない時、代用として脂肪やアミノ酸が代謝して出る物質で、

飢餓中や糖尿病のときに増加するそうです。

人類は何万年も飢餓状態で居た訳ですから、先祖帰りした体質なのでしょう。

睡眠時間は3時間だそうです。

自然医学 田中 2013.

田中愛子先生の連載『食養を極める』7回目。

お父様の田中甚吉氏は、マッカーサー元帥と懇意の仲だったそうです。

当時、中国人を軽蔑していた日本人の中にあって、

お父さんは、ある日毅然として歩む中国人を見て、

「あれが本当の人間だ」と決して差別しなかった姿が心に焼きついたということです。

また、男爵芋の由来となった函館の川田男爵との関係もあったとか。

また古賀政男さんとの交友もあり、その幅広い人脈には驚くばかりです。

 

自然医学 増川 2013

あのテクノAOの増川いづみさんが甲府に移り住んで、本格的なセミナーを開催されています。

水や電磁波などなど生命エネルギーに関しての見識は当代随一。

その中でも、最近は音に対しての啓蒙活動を盛んにされておられ、

癒しの528Hzの周波数による振動治療を行っており、注目されております。

編集部の山司氏や上記の田中先生も感銘を受けられたとか。

今後が楽しみですね。

自然医学 倭詩 2013

今月号は、来月新発売になる「へうげ醤/ひょうげびしお」に関する記事。

5年前の「へうげみそ」に続き、同じ材料による醤油版が完成しました。

昨日、ラベルを送り、これから瓶詰めとラベル貼り、そして発送となります。

販売は、来月の「感謝デー」になると思います。

その詳しい由来記をこれから書きます。

大変な難関と幸運に恵まれた「へうげ醤」の船出です。

今後とも、ご愛顧のほどよろしくお願い致します。

 

「学級崩壊したクラスには、こう手を打つ」

4月 17th, 2013
  菊池 省三(北九州市立小倉中央小学校教諭)

              『致知』2013年5月号
               特集「知好楽」より

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プラスの面を大きく価値づける
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そうした状況(学級崩壊したクラス)を変えるためには、
正しい考え方と行動の基準を教え、
それに基づく体験の機会を増やしていく以外にない。

私が望むのは、子供たちに言葉遣いや
立ち居振る舞いなどの一般性を身につけさせ、
公に通用するように育てることだが、実はそうした一面が、
彼らの無意識の行動の中に表れることがある。

例えば配布されたプリントを片づける時、
上下の角と角を几帳面に合わせて鞄にしまう子がいる。
この行為に見られる丁寧さは、
人が育つ上での重要なポイントなので

「君はその力をちゃんと身につけている。
 大変素晴らしいことだ」

と言葉を掛けてあげる。

さらに

「今後君は大きく成長していくだろうし、
 そういう力を持った君と出会えたことを大変嬉しく思う。
 期待しているよ」

と大きく価値づけし、プラスの面を
さらに伸ばしていくよう働き掛けるのである。

もちろんダメなところはダメと注意するが、
端から叱りつけては衝突するだけなので、
まずほめて不要な警戒心を取り除くのである。

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「価値のある言葉」を与える
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私は年度初めから子供たちに
いろいろなものを書かせるようにしているが、
四月の時点ではまだ自分の非を認めず、
文章で私を攻撃してこようとする。

それが徐々に変化してきて、一か月が経つと

「校長先生に暴言を吐いたことがある」
「先生に物をぶつけてわざと叱られたことがある」

といったように、過去の過ちを省みるようになる。

さらに半年ほど経つと、自分の思いどおりにならない時に
よく見せていた不貞腐れた態度がなくなる。

これは自問自答ができるようになったことの表れで、
その子の中にプラスの考え方や行動に繋がる
「価値のある言葉」が入ってきたからといえるだろう。

では価値ある言葉とはどんなものだろうか。

アシリ・レラさんから

4月 16th, 2013

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平取町で山道『職業訓練校』を主催されているアシリ・レラさんから

日ごろの学習訓練の賜物をお披露目する『展示会』のお知らせがありました。

今月22日から25日までです。会場は、苫小牧駒澤大学内です。

アイヌ文化の振興と学びの良き機会です。

是非ご参加ください。

 

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