まほろばblog

Archive for the ‘歴史’ Category

宮古島の神唄の世界への誘い

月曜日, 5月 13th, 2013

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「韓国人の本質」出版記念!

水曜日, 5月 8th, 2013

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さる3日(金)、東京銀座で韓国在住の後藤吉助翁を祝う素晴らしい式典が開かれました。

向いは、銀座三越、服部時計店、鳩居堂に囲まれたサッポロビル。

1月には88歳の米寿記念式、そして今回、3年前に設立した㈱極味創業と出版記念。

日韓友好海苔のご縁からわずか3年間ですが、親子の契りを交したほどの仲になりました。

 

韓国人の本質 本

 

その後藤翁、書かれた原稿の2/3を削って、「死ぬ前に伝えておきたい『韓国人の本質』」との

タイトルを付け、ご自分の経歴や会社のことをカットして、本筋の韓国への提言を、

命がけで書かれ、出版しました。

韓国人の本質 親子写真

 

ご自分の韓国(奥様が在日二世)の親族のことから赤裸々に切り出し、

そこに韓国人の本質を露わにした訴えの内容に驚きました。

韓国をこよなく愛するがゆえに、自分のイノチと刺し違えて、

韓国が国際的に通じる人間性を養うことを力説しています。

ことに、何事にも「ケンチャナヨ」つまり「大丈夫、大丈夫!」と言って、

物事をなおざりにしたり、ごまかすという国民性。

「その言葉を封印しなさい!」と、日本人が決して言えない事をあえて言ったのです。

 

SONY DSC(真中は札幌の近藤ブライダル社長、左はプレマの岸記者)

 

日本国内で、韓国人の悪口・批判は出来ます。

しかし、現地に住んで、それはなかなか出来るものではありません。

いつどんな目に遭うかも知れません。

それが出来るのは、正しいことを言っているという信念と

韓国と日本への深き愛国心から来ています。

まさに無私の精神で訴えている憂国の士なのです。

韓国は、隣国の兄弟です。

本当に、当日会場にいらした皆様は感動されました。

私とは年が離れていますが、本当の知己を得て、感慨深いものがあります。

このご縁に感謝です。

まほろば関係の近藤、岸、菅原、本木、山口、山司、田中さんなども参加され、歓びを共有しました。

「韓国人の本質」はまほろばでも取り扱っております。(定価:¥1400)

是非、ご一読されてください。

 

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聖堂完成!おめでとうございます!!

火曜日, 4月 30th, 2013

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積年の念願だったザビエル記念聖堂がついに完成されました。

㈱レジナの土田社長のご尊父・充義氏の立志とご努力により、

ついに再生の偉業が宗像市において10年の歳月をかけて達成されました。

まほろばでは、幾度か途中報告をして来ましたが、おかげさまで

皆様のご支援を得て、消滅する運命にあった文化財にイノチを繋ぐことができました。

先生に代りまして、この場を借りてお礼申し上げます。

ありがとうございました。

http://www.mahoroba-jp.net/blog/2010/11/post_817.html

http://www.mahoroba-jp.net/blog/2010/11/post_812.html

http://www.mahoroba-jp.net/blog/2011/05/post_1035.html

アシリ・レラさんから

火曜日, 4月 16th, 2013

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平取町で山道『職業訓練校』を主催されているアシリ・レラさんから

日ごろの学習訓練の賜物をお披露目する『展示会』のお知らせがありました。

今月22日から25日までです。会場は、苫小牧駒澤大学内です。

アイヌ文化の振興と学びの良き機会です。

是非ご参加ください。

 

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ボブ・サム氏セレモニー@まほろば地下『無限心庵』

木曜日, 4月 11th, 2013

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                                                                                                            by  大井和佳子

 

無限心庵に初めて来たとき「ここは特別な場所」と言っていたボブ・サム氏。

今回、北海道にお招きする際、できればまた寄せて戴きたいとの本人の意向。

「あそこの空間に英語はそぐわない。」と言い、

クリンギット語でセレモニーをしたいと。

 

全体の日程を調整し、セレモニーとして決まった日は図らずもお花祭り。

当日、身動き取れないほどたくさんお集まりの皆さんと共に、

無限心庵から立ち昇るAncient Energy(太古のエネルギー)と

私たち現代に生きる人間がふたたびしっかりと繋がれるよう、

ボブさんはチャント(祝詞のようなもの)を唱え、祈りを捧げていきました。

地上への出入り口は閉じられた無限心庵の中、わずかに灯された明りの下、

ボブのあの独特の優しい中に大きな響きを備えた声が床面を伝い、

空間を伝い私たちの中へ入ってくるようでした。

 

 

ボブはこのような事を言っていたように思います。

現代に生きる私たちは、

まるで深い霧の中をどこに進んでいるのかもわからず歩いている。

その霧を払い、古のスピリットととのつながりを取り戻しましょう。

そして、この場所からそのエネルギーが溢れだすことができるように、と。

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ツタンカーメン豆

火曜日, 3月 12th, 2013

ツタンカーメン 1

 ツタンカーメン 復元

昨秋、福田君がまほろば農園で栽培収穫した珍しい豆。

その名も「ツタンカーメン豆」。

最近、王の顔が復元されたニュースもありましたね。

この豆で、今冬仕込むまほろばオリジナル醤油の原材料に使います。

その他、珍しいところでは羊羹材料の高級豆『銀手亡』、

そして『黒小豆』と言ったところです。

先の『ツタンカーメン豆』について解説します。 

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【ツタンカーメンのエンドウ】

ツタンカーメンのエンドウ豆は、発掘された副葬品の中から発見された。

古代エジプト人が食べたであろうエンドウ豆を持ち帰ったカーター氏は、発芽、栽培に成功した。

その後、数国にわたり、栽培が続けられた。
日本には1956年、米国から水戸に送られてきた。

その後、古代ロマンの夢を託したエンドウは、

主として小学校、教育センターを介して広がった。

毎年、ワインレッドの花を愛で、エンドウ赤飯を味わいつつ、各地にロマンの輪を広げてきた。

endou.jpg (8949 バイト)

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ツタンカーメンのエンドウは、日本で栽培されている種とは異なり、

古代エジプト産で、エンドウの原種と思われる。

背丈、茎、葉、豆の形、色は、普通種と同じである。

花の色は、ワインレッドでたとえようもなく美しい。

さやの色は紫で、花、さやの形は、普通種と同じである。

エンドウご飯を炊くと、はじめは普通のエンドウご飯と変わらないが、保温すると、

あら不思議、徐々に赤飯に変わるのである。

味は、普通のエンドウご飯と変わらなく美味しいが、色の変化がロマンを醸しだすロマン味である。

ワインレッドの花、さやの紫、エンドウご飯の不思議さは、古代ロマンにひたることができる。

古代エジプトから時空を越えて現代に伝えてくれた人々に感謝し、

古代ロマンの輪を広げたいものである。

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                    「銀手亡」

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                   「黒小豆」

寺田さんありがとうございます

金曜日, 3月 1st, 2013

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今日から、3月の「感謝デー」。

「ひなの市」「弥生市」と名付けた今月はいかが。

今月のたより、「森下自然医学」の連載『倭詩』、寺田本家の発酵のことを取り上げました。

丁度今朝、千葉からは寺田新社長と先代の雅代奥様がいらして、宣伝販売をして頂きました。

当主自ら、ありがたく思います。

昨年、啓佐氏が逝去され、その悲しみが未だ止まない今も、

その遺業を継がれてゆく姿勢は尊くも、美しくあります。

「五人娘」や「むすひ」は、益々の人気。

末永きお取引を願うや切なるものがあります。

「徐福祭」と「蓬莱の国」

木曜日, 2月 28th, 2013

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9日(土)、富士吉田小明見で開催された『第一回 富士徐福祭』。

参加予定でしたが、急用のため取り止めで、次回に見送ることになりました。

しかし、森下自然医学の山司氏、CI顧問の田中愛子先生、声楽家の松本愛子さん、

そして、甲府からは増川女史等が参加されて、場を盛り上げて頂きました。 

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山司氏より沢山の資料を贈って頂き、大変勉強になりました。

本場中国は元より韓国の研究者が多数本を出版しております。

また国内でも各地で多くの研究家や研究発表があることに驚きます。

実際、松本女史から戴いた、中国から見た日本地図。

全く逆さになっていますが、反って渡航する必然性や可能性が見えてきます。

逆転の発想、たしかに逆転地図で新たなる発想が沸いて来るから不思議です。

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縄文から弥生への移行、稲作文化を開いた先人の遺功。

日本の大恩人なのですが、日本史では認めていません。

日本人の血の中にも彼の血が流れていると思うのですが。

これを機に、日中友好の架け橋になって

両国の良き関係を築いてくれればよいのですが。

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 福岡正信翁は、徐福の子孫という話をしましたが、

以前、翁を招いて、徐福のオペラを上演したそうです。

徐福が夢見た蓬莱の国・日本。

その「蓬莱の国」という題名で、翁が歌詞をつけて、無為自然の歌を作っています。

ご紹介します。

【蓬莱の国】(原詩:福岡正信)


(時)
川は流れて人去り来たる会うは別れのはじめとか
時は流れも進みもしない始め終わりはなきものを
出会った今が久遠のときか過去も未来も夢の夢
森の泉は枯れはせぬもの二人の愛はいつまでもアイヨーツ!一
ヤッコラサエンコラサヤッコラサエンコラサ(くり返し)
おまえ百までわしゃ九十九までともに自然にかえるまでここが蓬莱めでたやな


(空)
雲は流れて青空たかい人の運命は風まかせ
空は広くも小さくもならぬ西や東はなきものを
胸をあわせぱ心もひとつあなた私の国じゃない
育てるものはただひとつだけ扶桑の森よ天にまでアイヨーツ!
ヤッコラサエンコラサヤッコラサエンコラサ(くり返し)
天にそびえる扶桑の木々が世界の国の橋渡しここが蓬莱めでたやな


(色)
夢をさがして旅には出たがどこへ行こうかいずこにや
あなた運んだ五穀の種が瑞穂の国のわが命
豊年万作お天道まかせ私あなたの胸まかせ
自然にかえる全てを捨ててここはこの世の桃源郷アイヨーツ1
ヤッコラサエンコラサヤッコラサエンコラサ(くり返し)
野菜花咲き木の実もたたわ五穀豊穣時知らず
ここが蓬莱めでたやな


(無)
浜の足跡どこまで続く波にあらわれ消えてゆ<
浜の千烏に尋ねてみたらわたしゃ知らぬと鳴くばかり
愛はひとすじ変わらぬものよ寄せてはかえす波の音
潮の流れに運ばれてゆく粘土団子の芽吹くところよ大自然アイヨーツ!
ヤッコラサエンコラサヤッコラサエンコラサ(くり返し)
何もないのだすべてがあって世界ひとつと歌いあうここが蓬莱めでたやな 

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つばらつばら・・・・・・

水曜日, 2月 27th, 2013

業者の方から戴いた銘菓が、

何とも床しいので、そのしおり書きを添えますね。

京都の鶴屋さんのその名も「つばらつばら」。

しみじみと・・・・・・という意味合いだそうですが、いいですね。

大伴旅人の歌ということ、そのふるさとを思う

「ふりにしさと」という語感、

「思(も)へば」と「思ほゆるかも」の畳みかけ、

そして「つばらつばら」の聞きなれなくも、聞いたことのあるような、

そんな懐かしさがいっそう、この歌を遠くにはこびます・・・。

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浅茅原(あさぢはら)つぶらつぶらにもの思(も)へば

      故(ふ)りにし郷(さと)し思ほゆるかも

                  大伴旅人 (万葉集 巻三)

 万葉歌人大伴旅人が、大宰府長官として九州に

赴任したとき、「つぶらつぶら」すなわち、しみじみと

物思いをしていると、故郷の都のことがあれこれと

心に浮かんでくると詠んだ歌です。

「つぶらつぶら」は、しみじみと、心ゆくままに、

あれこれと、という意味の万葉の言葉。

銘菓「つぶらつぶら」は、その心を汲みまして材料を

吟味し、丹精をこめて謹製いたしました。

                        鶴屋吉信

吉助とーうーさーんー!!!

火曜日, 2月 19th, 2013

 

先日11日の建国記念日に、あの「日韓友好海苔」の後藤吉助翁の

八十八米寿のお祝いの式が、銀座服部時計・鳩居堂前のサッポロビルで行われた。

参加予定が、あいにくの急用で叶わず、札幌の近藤社長にメッセージを託しました。

その一文を載せ、今もめている日韓関係を少しでも改善出来ますよう民間で努力して参りましょう。

春には、「倭詩」と同じ出版社IDPから、翁の本が出ます、それも自作自演のCD入りですよ。

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後藤 吉助 さま

 

米寿、八十八歳のお祝い、おめでとうございます。

折角、参加できる予定だったのが、よんどころない用事でお祝いに駆けつけられず、残念でなりません。

「江差追分」を唄って、北海道を思い出して頂こうと思っていたのに、とても悔しい気持ちです。

 でも、さすが男、後藤さんです。

米寿記念を、銀座のど真ん中で開くとは・・・・。

日本の中心で、「私は八十八になった後藤吉助なるぞー!!」と宣言したようなものですね。

誰もが、成し得ないことで、日韓に橋をかける人は、心意気が違います。

 

 後藤さんとのお付き合いは、札幌のブライダル愛の社長・近藤さんから韓国海苔のご紹介を受けてからで、

5年ほど前のことでしょうか。

お会いしたその日から、何か懐かしい親父のような感じを受け、

心の中で、義理の親子の契りを結んだ訳です。

 

森下自然医学の海外特別会員として、毎月送られて来る月刊誌に目を通うされ、

連載されている私の『倭詩/やまとうた』を読まれた感想を、

お電話で必ず語ってくださいます。

その義理堅さには頭が下がります。

そして、いつぞやかお招きに預かって、

隅田川の屋形船で江戸情緒をともに味わった印象は、今もって忘れられません。

 

道東阿寒の寒空のもとで過ごした開拓団で苦労された少年時代。

逃げて来た朝鮮の強制労働者を匿って、官警の手から逃がしてやったご両親の姿が、

瞼に焼き付いたのです。

「神仏の前に、人は平等で差別なし」という無言で説く正義の教えを、心に刻まれたのでした。

それが今日、韓国に住まわれて両国友好の橋に自らがなろうとした種火でした。

吉助少年の胸にご両親が灯されたのです。

 

先日、電話越しに、自ら作詞作曲して唄う『母を慕い、讃える歌』に、

不覚にも涙を流してしまいました。

私は、中学生で母を亡くしましたが、未だに母への想いは断ち切れず、

我が家内の子供を案ずるその心が二重写しで迫って来て、

母の有難さが胸に込み上げて来て泣いてしまいました。

八十八になっても、なおも母の恩、母の愛を思える至純でやさしいお心に感銘したのです。

 

1、   聖なるいのち授かりぬ 手塩にかけて育みつ

 両手を合わせ初詣で 行く末祈る母心

2、   清く正しくたくましく 泣いたら負けよ人生は

 骨身削って汗流せ 人の鏡が母心

3、   聞こえて来るよ 幼な時に 歌ってくれた子守唄

 優しい声が今もなお 瞼に浮かぶ母心

4、   海より深く山よりも 高く尊い親の恩

 導きたりし人の道 ああ・・讃えなん母心

      お母さん・・・・・・。

 

名詞名曲ですね。だれか有名演歌歌手が歌ってくれないでしょうか。

世を清める一服の清涼剤となるでしょう。

 

飛行機の中でも、日韓友好のハッピを着て、人類みな兄弟なることを訴えています。

そして首からはご両親の写真をぶら下げながら、

片時も親を忘れまいとする姿は尊くあります。

これが、言葉が違えども、肌が異なるも、親子の愛は変わらず、

親思いの心こそ、世界平和の絆、人類友好の礎なのです。

 それを、実践している後藤翁こそ、われわれの先達であり、鑑であり、目指す人なのです。

 

ありがとうございます、後藤さん。

感謝します。後藤さん。

あなたがいらっしゃることで、どんなにか生きることに勇気付けられ、

世の中の誠を知り、人の世に希望を抱くことが出来たでしょうか。

 

ありがとうございます。

これからも、そのお丈夫な体で、卆寿、白寿、天寿(120歳)・・・

まだまだ、まだまだまだ・・・生きて、私たちの灯台となってください。

煌々と照らして、世を導いてください。

 がんばれ!!!吉助とーうーさーんー!!!!!!

 

                     

              札幌 株式会社 まほろば

                     宮下 周平 記す

 2013.2.11.

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