吉助とーうーさーんー!!!
2月 19th, 2013
先日11日の建国記念日に、あの「日韓友好海苔」の後藤吉助翁の
八十八米寿のお祝いの式が、銀座服部時計・鳩居堂前のサッポロビルで行われた。
参加予定が、あいにくの急用で叶わず、札幌の近藤社長にメッセージを託しました。
その一文を載せ、今もめている日韓関係を少しでも改善出来ますよう民間で努力して参りましょう。
春には、「倭詩」と同じ出版社IDPから、翁の本が出ます、それも自作自演のCD入りですよ。

後藤 吉助 さま
米寿、八十八歳のお祝い、おめでとうございます。
折角、参加できる予定だったのが、よんどころない用事でお祝いに駆けつけられず、残念でなりません。
「江差追分」を唄って、北海道を思い出して頂こうと思っていたのに、とても悔しい気持ちです。
でも、さすが男、後藤さんです。
米寿記念を、銀座のど真ん中で開くとは・・・・。
日本の中心で、「私は八十八になった後藤吉助なるぞー!!」と宣言したようなものですね。
誰もが、成し得ないことで、日韓に橋をかける人は、心意気が違います。
後藤さんとのお付き合いは、札幌のブライダル愛の社長・近藤さんから韓国海苔のご紹介を受けてからで、
5年ほど前のことでしょうか。
お会いしたその日から、何か懐かしい親父のような感じを受け、
心の中で、義理の親子の契りを結んだ訳です。
森下自然医学の海外特別会員として、毎月送られて来る月刊誌に目を通うされ、
連載されている私の『倭詩/やまとうた』を読まれた感想を、
お電話で必ず語ってくださいます。
その義理堅さには頭が下がります。
そして、いつぞやかお招きに預かって、
隅田川の屋形船で江戸情緒をともに味わった印象は、今もって忘れられません。
道東阿寒の寒空のもとで過ごした開拓団で苦労された少年時代。
逃げて来た朝鮮の強制労働者を匿って、官警の手から逃がしてやったご両親の姿が、
瞼に焼き付いたのです。
「神仏の前に、人は平等で差別なし」という無言で説く正義の教えを、心に刻まれたのでした。
それが今日、韓国に住まわれて両国友好の橋に自らがなろうとした種火でした。
吉助少年の胸にご両親が灯されたのです。
先日、電話越しに、自ら作詞作曲して唄う『母を慕い、讃える歌』に、
不覚にも涙を流してしまいました。
私は、中学生で母を亡くしましたが、未だに母への想いは断ち切れず、
我が家内の子供を案ずるその心が二重写しで迫って来て、
母の有難さが胸に込み上げて来て泣いてしまいました。
八十八になっても、なおも母の恩、母の愛を思える至純でやさしいお心に感銘したのです。
1、 聖なるいのち授かりぬ 手塩にかけて育みつ
両手を合わせ初詣で 行く末祈る母心
2、 清く正しくたくましく 泣いたら負けよ人生は
骨身削って汗流せ 人の鏡が母心
3、 聞こえて来るよ 幼な時に 歌ってくれた子守唄
優しい声が今もなお 瞼に浮かぶ母心
4、 海より深く山よりも 高く尊い親の恩
導きたりし人の道 ああ・・讃えなん母心
お母さん・・・・・・。
名詞名曲ですね。だれか有名演歌歌手が歌ってくれないでしょうか。
世を清める一服の清涼剤となるでしょう。
飛行機の中でも、日韓友好のハッピを着て、人類みな兄弟なることを訴えています。
そして首からはご両親の写真をぶら下げながら、
片時も親を忘れまいとする姿は尊くあります。
これが、言葉が違えども、肌が異なるも、親子の愛は変わらず、
親思いの心こそ、世界平和の絆、人類友好の礎なのです。
それを、実践している後藤翁こそ、われわれの先達であり、鑑であり、目指す人なのです。
ありがとうございます、後藤さん。
感謝します。後藤さん。
あなたがいらっしゃることで、どんなにか生きることに勇気付けられ、
世の中の誠を知り、人の世に希望を抱くことが出来たでしょうか。
ありがとうございます。
これからも、そのお丈夫な体で、卆寿、白寿、天寿(120歳)・・・
まだまだ、まだまだまだ・・・生きて、私たちの灯台となってください。
煌々と照らして、世を導いてください。
がんばれ!!!吉助とーうーさーんー!!!!!!
札幌 株式会社 まほろば
宮下 周平 記す
2013.2.11.

意外に思われるかもしれないが、いまダチョウが
「人類を救う鳥」として注目されている。
ダチョウの抗体が花粉症やノロウイルス、
新型インフルエンザ、アトピーなどを撃退する
働きがあると分かってきたからだ。
私がダチョウの研究を始めたのは約十五年前。
物心ついた時から「鳥少年」で、
家ではずっと鳥を飼い続けてきた。
鳥好きが高じて大学は獣医学科に進み、
大学院で博士課程を修了。
そのまま大学教員に就任、
研究テーマを探しているところだった。
神戸にダチョウを飼っている牧場がある、という話を聞き、
私は少なからず興奮を覚えた。
初めて動物園でダチョウを見たのは小学生の時。
「こんな大きな鳥はマンションでは飼えないなぁ」と思い、
手の届かない遠い存在だと思っていたからだ。
「牧場は儲かっていないみたいだから、
もうすぐ閉めるかもしれない」
という話を聞き、私は翌日から牧場通いを始めた。
鳥は人生最大の趣味とはいえ、私も研究者だ。
ダチョウの行動を観察し、いままで誰も気づかなかった
規則性を発見して、論文にまとめようと考えていた。
ところが、である。
ダチョウはそれまでの私の鳥に対する知見を覆す
常識破りの鳥だった。
そもそも彼らに規則性はない。
いつも何も考えず右へ左へ動き回っている。
いきなり崖の頂上へ駆け上がったかと思うと、
パニックになり、足がすくんで動けなくなる。
そんなダチョウを何羽助けたか分からない。
また、一般的に鳥はきれい好きである。
毎日せっせと毛づくろいをし、
寝る前に水浴びをする鳥も多い。
体を清潔に保つことが、
病原菌から身を守ることを知っているのだと思う。
ところが、ダチョウは違う。
体の汚れは全く気にしない。
汚れたら汚れっ放し。
糞を付けたまま走り回っていることもある。
しかしそれでもダチョウの平均寿命は六十年。
破格の生命力である。
彼らは暇になると隣のダチョウの羽をむしりとるが、
そこにもなんの意味もない。
されているダチョウも何も気にせず餌を食べ続けている。
そこに血の匂いを嗅ぎつけたカラスが現れ、
餌だと思い、ダチョウの肉を喰い千切る。
獣医として縫合手術が必要だと思うくらいの重傷でも、
消毒をすれば三日後には皮下組織が復活し、
一か月後には新しい皮膚が再生する。
私はダチョウの傷口の組織を大学に持ち帰り、
顕微鏡で調べてみた。
なるほど、他の動物よりも細胞の動きが速かった。
また傷口から感染症になることがないのだから
免疫力も相当強いのだろう――。
ここで私は研究の方針を大転換した。
行動生物学的な成果よりも、
ダチョウの抗体を利用できないかと思ったのである
(そこに至るまでに実に五年の歳月を費やしたのだが……)。
原始的な生物から人間を含む哺乳類まで、
体の中に異物が入ると、これを除去しようとする
タンパク質の分子をつくる。これを「抗体」という。
一方、異物のことは「抗原」と呼ぶ。
当初、ダチョウからこの抗体を取り出すために、
実験の都度ダチョウ一羽の命をいただくなど相当苦心した。
そして、ある時から卵に着目し始めた。
仮にインフルエンザの抗体をつくりたいとしよう。















