まほろばblog

畦地さんや国松さんが・・・琴似に

11月 10th, 2013

さきほど、西区民センター館長で友人の藤垣さんよりメールがあり、3日間の展覧会を開催中とのこと。

後、明日1日しかありませんが、ご都合のよい方是非、お立ち寄りくださいませ。

 

琴似美術

 

 

「3日間だけの ことに美術館」にお越しいただきましてありがとうございます。

「ことに美術館」は、晩秋の3日間だけ区民センターを美術館に見立て、気軽に美術をお楽しみいただく開催するものです。

60年代は、戦後我が国の芸術が最も目覚ましい発展を遂げた代

です。本展では、60年代に制作された作品を中心に海外でも活躍

したオノサト・トシノブ、山岳版画家として多くのファンをもつ

地梅太郎、道内ゆかりの画家 田辺三重松、国松登、岩船修三、松島

正幸等13人の画家をとりあげ、全30点を紹介するものです。

3日間だけのささやかな開催ではありますが、琴似地区の新たな

魅力づくりに繋がることを願っております。

本展を開催するにあたり、多くの貴重な個人所蔵作品をお借りしました。心よりお礼申し上げます。

西区民センター館長
主催 西区民センター運営委員会・西区民センター運営協議会

発酵サミットin高島、まほろば参加

11月 8th, 2013

10月に発足した「発酵文化推進機構」の設立後、

初の「発酵サミット」が滋賀県高島市で12月7,8日に行われる。

「なれ寿司」などさまざまな醸造で有名な一帯。

地域・全国とネットワークよろしく日本から『発酵革命』の狼煙を上げよとするもの。

おりしも「森下自然医学誌」の来月号に、この経緯を掲載した次第。

まほろばも参加したい意向を示している。

 

発酵サミット 1

 

自然豊かな高島市は、年間を通じて湿度が高く昔から発酵に適した風土・気候でした。琵琶湖で獲れる湖魚をはじめ多種多様な農作物が栽培され、豊富な農水産物に恵まれてきました。また、京都と若狭を結ぶ街道沿いに位置していたことによる地理的・歴史的な要因からも今日まで多様な発酵食品が生まれ、それを育んできました。
 比良山系から流れる清らかな水は琵琶湖に流れ込み鮎や鮒など湖魚を育てます。また、その水が育むおいしい野菜や米、その米をもとに仕込む「地酒」や「酢」や「鮒寿し」・・・。まさにこの清らかな水が発酵食品の源だといえます。
 そのような恵まれた環境に加えて、発酵食品作りへの多くの作り手の熱意・創意工夫と、発酵食品を愛する人たちに支えられて高島の地域全体が「発酵するまち」となっていきました。ひとつの地域に「酒」「醤油」「酢」「味噌」「なれずし」など多様な食品があるのも珍しく、まさに「発酵するまち、高島。」ならではの特徴だといえます。

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http://www.takashima-syo.jp/hakkou/

発酵サミット 2各位

国発酵食品サミットinたかしま 実行委員会

実行委員長 左﨑 巖(公印省略)

 「全国発酵食品サミット2013inたかしま」の開催について

 

仲秋の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。

さて、私ども高島市は、日本最大の湖である琵琶湖の魚をはじめとする水産物や豊かな農産物を用いた発酵食品づくりが古くから盛んな地域であり、伝統食である鮒寿しをはじめ地酒、醤油、酢、味噌など多種多様な発酵食品文化を育んでまいりました。

本市では「発酵するまち、高島。」を合言葉に地域の発酵食品の販路開拓や情報発信に取組む一方で、「全国発酵のまちづくりネットワーク協議会」に参加し、全国各地で発酵に関連した地域振興に取組む自治体や団体等と交流を深めながら、発酵によるまちづくりを進めているところであります。

この度、発酵食品文化の振興と地域の活性化を図ることを目的として、全国発酵食品サミットを高島市で開催する運びとなりました。西日本では初めての開催であり、今後いっそう発酵食品を通したネットワークが拡大・発展するための契機となるよう努めて参りたい次第でございます。

つきましては、サミット開催の趣旨をご理解いただき、是非ご参加下さいますよう、お願い申し上げます。

なお本サミットにおきましては、シンポジウム、発酵ミュージアムに加えて、大規模な全国発酵食品物産展を開催いたしますので、関係各位への周知広報にもご配意いただけましたら幸いです。

末筆ながら、貴社・団体の益々のご発展をお祈り申し上げます。

 

第6回全国発酵食品サミットinたかしま開催要領

1.開催目的

豊かな自然に恵まれた高島市は、長い歴史の中で発酵食品という貴重な食文化を育んできました。発酵食品は、人間の暮らしにとって重要な健康・美容の促進に役立つだけでなく、地域や産業の振興にも大きな恩恵をもたらしてくれます。今回、発酵食文化が息づくまち・高島市で全国発酵食品サミットを開催することにより、発酵食文化の素晴らしさを全国に発信するとともに、地域の活性化に寄与することを目的とします。

2.開催テーマ

「美をかもす・味をかもす・心をかもす」~発酵食品は究極の美人食~

3.主催

  全国発酵食品サミットinたかしま実行委員会

4.共催  

高島市、高島市商工会、高島市産業連携推進協議会

5.後援

 近畿経済産業局、滋賀県、滋賀県商工会連合会、滋賀県中小企業団体中央会、公益社団法人びわこビジターズビューロー、JTB西日本大津支店、BBCびわ湖放送、KBS京都、FM滋賀、読売新聞大津支局、朝日新聞大津総局、毎日新聞大津支局、京都新聞滋賀本社・京都新聞COM、中日新聞社、産経新聞社、日本経済新聞社大津支局、滋賀県酒造組合、滋賀県醤油工業協同組合、滋賀県味噌工業協同組合、滋賀県水産加工組合

6.開催日

平成25年12月7日(土)・8日(日) 

7.会場 

(1)シンポジウム    …… 高島市民会館

(2)交流会       …… 可以登楼別館3階大宴会場

(3)発酵ミュージアム等 …… 今津東コミュニティーセンター

8.開催内容

(1)シンポジウム

・開会セレモニー   市長挨拶、来賓挨拶

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・基調講演Ⅰ 小泉武夫氏  (発酵学者/東京農業大学名誉教授)

・基調講演Ⅱ 室谷真由美氏(ビューティーフード研究家/女優・モデル)

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・パネルディスカッション

コーディネーター

室谷真由美氏(ビューティーフード研究家/女優・モデル)

パネラー

川島達郎氏(川島酒造株式会社/新旭)

三矢美保氏(カフェ・アリビオ/サロン・フェリエ/高島)

左嵜謙祐氏(有限会社魚治/湖里庵/マキノ)

八坂正博氏(株式会社ヤサカ/今津)

(2)発酵ミュージアムの開設

・発酵ミュージアム展示

・発酵アトラクション

・発酵食品料理教室

・発酵ゼミ

・発酵カフェ

・「もやしもん」ビデオ上映

(3)交流会

(4)発酵するまち高島ツアー

(5)発酵レシピコンテスト

 

9.関連イベント

(1)全国発酵食品物産展inたかしま

・開催日 ; 平成25年12月7日(土)・8日(日)

・会 場 ; 高島市民会館北イベント広場(大型テント)

・主 催 ; 高島市商工会

・内 容 ; 全国各地の発酵食品の展示即売、発酵レストラン他

(2)チャレンジ!発酵美女・健康美人

・開催日 ; 平成25年11月10日(日)

・会 場 ; 藤樹の里ふれあいセンター

・主 催 ; 高島市商工会女性部

・内 容 ; 商工会女性部が作成した発酵食レシピを若い人に配布し、

発酵食品の魅力をPR

 

全国発酵食品サミットinたかしま 2日目プログラム

発酵するまち高島ツアーのご案内

 

全国発酵食品サミット2日目に高島市の発酵食品を巡るツアーを開催いたします。ぜひご参加下さい。

日時 :平成25年12月8日(日) 9:00~14:00

コース :新旭周辺、高島・安曇川周辺、マキノ周辺の市内3エリアの発酵スポットを回るコース

募集人数 :各コース約20名

集合・解散:各コースとも高島市民会館前(JR近江今津駅徒歩5分)で集合・解散を行います。

最終見学先の発酵ミュージアムと全国発酵食品物産展は自由参加となります(入場無料)

コース概要

 A 新旭周辺コース

豊富な湧水を生活に利用する「川端(かばた)」が暮らしの中に息づく針江地区周辺で、豊かな水の恵みを活かした湖魚の加工品や豆腐づくり、お酒造りの現場を見学していただくコースです。

  見学先  針江生水の郷・かばた

       上原豆腐店

       おさかな旭

       川島酒造 清酒「松の花」

       発酵ミュージアム・全国発酵食品物産展

 

 B 高島・安曇川周辺コース

かつて城下町として栄えた勝野地区の伝統的な蔵元や滋賀県唯一の天然酢醸造所、3年の歳月をかけた再仕込み醤油で知られる安曇川の醤油醸造所を見学していただくコースです。

   見学先  岩佐商店(マルイ醤油)

       淡海酢

       福井弥平商店 清酒「萩乃露」

       発酵ミュージアム・全国発酵食品物産展

 

 C マキノ周辺コース

琵琶湖髄一の港町として栄えたマキノ町海津地区に残る伝統ある鮒寿しの老舗や蔵元、また、高原の豊かな自然の中で営まれるスモーク工房を見学していただくコースです。

  見学先  魚治

       吉田酒造 清酒「竹生嶋」

       手づくりスモーク工房杣人

       発酵ミュージアム・全国発酵食品物産展

 

 

 

 

ブラムリー&レラ りんご

11月 7th, 2013

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「ブラムリー」というりんごをご存知ですか?

おそらく、知る方は少なかろうと思います。

何せ、英国で1808年に発見され、今もなお林檎生産量の45%も占めるという。

それが、何故日本で栽培されなかったのか。

おそらく「クッキングアップル・料理用りんご」としての発想がまだ未成熟だったのだろう。

紅玉独り舞台だったが、これからこの「ブラムリー」が加わることになろう。

あの「栗菓子」で有名な長野の小布施で、この保存会が発足して普及活動を行っている。

北海道では林檎産地の増毛が、この役を担っている。

これからは、北海道でもブラムリー栽培農家も多くなるだろう。

早速、ソフテリアで「ブラムリージャム」を試作してみた。

酸味があり、独特な歯ざわりは、今までの林檎にはなかった世界である。

 

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昨年デビューで最人気だった長野の町田さんから「グラニースミス」が今年も届いた。

その中に9個、「レラ」という新種林檎が入っていた。

今、DNA同定で、登録申請中だとか。

富士の枝変わりか、グラニーとの自然交配かもしれない、と。

来年から、本格的収穫に入る、お楽しみに。

 

「うさと展in厚別店」今日から

11月 7th, 2013

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あいをよる おもいをつむぐ こころをむすぶ

ほんとうの自分は、自然そのもの、 いのちのかたまりなんです。

自然のエネルギーに満ちあふれているもの、 いのちが宿った服をまとえば、 からだも心も魂も自然な呼吸を取り戻します。

自然と共生し、地球と共鳴するのを体感できるようになる。

そうしたら、森羅万象を創った宇宙のエネルギーとも共振できるんです。

                      うさぶろう

 

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もう11月!1年は早いですねーー。
今年最後の札幌まほろば厚別店でのうさと展を開催します

とき 11月7日(木)~9日(土)
     ※まほろば厚別店は3日間、土曜日までの開催です。
      ご注意ください。

じかん 10時~19時(最終日は~16時)

場所  まほろば厚別店(厚別区厚別中央1-3)
      Tel 011-894-5551

8日~10日までは自然食品のまほろばさんのセール開催中!
今年最後のまほろば厚別店でのうさと展是非どうぞ!

「本当の自分は自然そのものいのちのかたまりなんです」

自然のエネルギーに満ち溢れているものいのちが宿った服を

 まとえば、からだも心も魂も自然な呼吸を取戻します。

うさとの服はタイやラオスの農村で織られています。
布を織る村の女性たちには生産ノルマも納期もありません。

織る人には布のデザインから縫う人には一着を最初から最後まで担当して作っています。

布は一反一反どれも違うし、誰が縫うかによって出来上がりも違います。

まずはじめに村の暮らしがあり、
そこで育まれた布にあわせて服を作るのが
うさとのものつくりの姿勢です。

~パンフレットより抜粋~

丹精こめて作られたいのちのかたまりのお洋服が手からテへ。

あなたを待っているお洋服がきっとあるはず。

いろんなデザインのカットソー、藍染めのお洋服、はおりもの、ショール
、ジャケット、コートなども。

やんじー、アグネスお待ちしてます。

自然素材のアクセサリーもありますよ。

うさと展イン札幌まほろば厚別店、ひばりヶ丘駅下車すぐ。
本日から9日〜16じまでー。
土曜日までですのでおまちがえなくーー。
ジャケット類、ボトム類結構ありますよー。
色鮮やかな藍染めのお洋服やシルク混コート、ジャケットも。 …
いろいろ合わせてみましょうね。
お待ちしてますー。

「ありがとうの日 11月」明日から 

11月 7th, 2013

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今年も残すことあと二ヶ月。

売り出しも2回。

明日から1週間遅れの11月セール。

お歳暮・お正月用品のパンフの一斉配布がありますので、

この機会をお見逃し無く。

目標を持っていないこと

11月 6th, 2013

「成功の反対は失敗ではない。
         目標を持っていないこと」

   鍵山 秀三郎
(イエローハット創業者・日本を美しくする会相談役)

※『致知』2013年12月号
特集「活路を見出すより

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掃除はいいことだとは誰もが知っているのです。
しかし、自分の手でやろうとする人はいない。
やるとしても、お金を払って人にやらせるのが普通です。

しかし私は人にやってもらうのと、
自らの手足、身体を使ってやるのとは
全く価値が違うと若い頃から思ってきました。

「カー用品の業界は汚いから
掃除によってきれいにしたい」

と言った時、
私も随分人から非難もされましたし、
中傷もされました。
絶対に不可能だとも言われました。

社員たちは掃除をする私の手の上を
またいで歩いていきました。
そこからのスタートです。

それでも続けてきたのは、
私は会社をよくし、
業界をよくするためには、
これが一番いい方法だと信じていました。
もし、これ以外に何か方法が
あるなら教えてほしいと。

しかし、誰も「こうしたらいい」と
言う人はいなかったですよ。
時間はかかる。
すぐに効果は出ないかもしれないが、
いま自分の取っている道を行くしかない
という思いでやってきたんですね。

(中略)

日本を美しくする会では、
新宿・歌舞伎町の清掃活動を行ってきました。
暴力団が経営するお店が多いですから、
日本で一番犯罪が多い街と言われていました。

最初は「掃除なんかしても意味がない」と
言われてきましたが、
10年続けると犯罪率が40%以上減りました。

また一部ですが、
自分たちで清掃しようというお店が現れ、
新宿東口などは毎日15分間、
街の人が一斉に清掃しています。

意味がない、不可能だと言われていたことも、
やり続けることで必ず結果は出てくるのです。

よく、「成功の反対は何か」と聞くと
皆さん「失敗」と言いますが、
私はそうじゃないと思っています。

成功の反対は目標を持っていないことです。

* * *

鍵山氏が80年の人生を通して
極められた実践哲学の神髄とはーー。

武田鉄矢さんとソマチット 

11月 5th, 2013

http://www.youtube.com/watch?v=tjlCiD3TMXI&desktop_uri=%2Fwatch%3Fv%3DtjlCiD3TMXI&app=desktop

「降りて行く生き方」の監督・森田貴英さんからメールがあって、

武田鉄矢さんが、面白いことを話していると紹介してくださいました。

あのガストンネサンのソマチットのことでした。

エリクサーブックレット『エリクサー水と宇宙銀河の相似象』で書いています。

Dr・シュバイツアーがガストンネサンのソマトスコープという顕微鏡で、

エリクサー水を映したものです。

ルルドの水やフンザの水のことも、武田さんが語っています。

面白いですね。

是非、お読みください。

エリクサー水と宇宙銀河

「ピンチの時こそ閃きは近い」

11月 4th, 2013

上田 正仁(東京大学大学院理学系研究科教授)

※『致知』2013年11月号
特集「道を深める」より

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大きな発見や画期的な研究成果を挙げる人は、
どちらかというと
成果に鈍感なタイプが多いように思えます。

トーマス・エジソンはまさにそうでした。

彼は子供の頃「1+1=1」と主張しました。
1つの粘土と1つの粘土をくっつけると1つ
だというわけです。

エジソンは幼少期から何にでも疑問を持ち、
納得いくまで教師に質問を続けた話は有名ですが、
それではなかなか先に進むことはできません。

それでも、成果を焦らず、
失敗を恐れず取り組んだからこそ、
大きな成功を手にしたのでしょう。

安易な成果を求めず、
自分の可能性を極限まで追求したいという
高い志を持って試行錯誤を続ける「諦めない人間力」は
学問やビジネスの世界だけでなく
人間のすべての営みに通じる創造力の源泉です。

いま社会は原発問題や財政・金融危機など
マニュアル力だけでは立ちゆかない
状況に追い詰められています。

ここで問われるのが、
まさに「自ら考え、創造する力」にほかなりません。

どうしても打ち破れない壁にぶつかった時に、
勇気を持って本来あるべき原点に立ち戻ることで、
新しい閃きが生まれる可能性が高まるのです。

ピンチの時こそ閃きは近い――。

これもまた学問やビジネスに
共通する人生の極意なのです。

* * *

「自ら考え、創造する力」は
どのようにして養い、高めていくのか。

その他、ノーベル賞を受賞した
小柴昌俊博士や益川敏英博士など、
成功者に共通するものとは。

おめでとう楽天、いがったね東北!

11月 4th, 2013

「癒したい」監督発言に「涙止まらない」 仮設住宅に与えた底力

 昨年7月には、日本製紙クリネックススタジアム宮城(Kスタ宮城)で開催された楽天対ソフトバンク戦で始球式を行うという大役を任された。今は良徳さんが監督を務める少年野球チームに所属し、「もっと練習してうまくなりたい」と目を輝かせる。良徳さんは「優勝といい、星野監督のインタビューといい、勇気をもらった。チームの子供たちにも『楽天に負けないようにがんばろう』と言いたい」と喜びかみしめた。

親族4人が震災で亡くなった同県東松島市大曲の中学1年、桜井悠君(12)も、震災の約1カ月後に選手の野球教室に参加した経験がある。嶋基宏捕手(28)からは「俺たちもがんばるから、お前たちもがんばれ」と声をかけられた。

3日の最終戦は自宅のテレビで観戦したが、「選手たちが避難所で言った言葉通りに最後まであきらめずに戦ってくれた」と感動した様子。桜井君は嶋捕手からもらった愛用のバットで素振りを繰り返しているといい、「今度は僕が成果を出したい」と力を込めた。

 

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野球を1回から最後まで観たというのは、小学校以来ではないか。

兎に角、巨人・長島狂いの野球少年だったが、彼が引退した途端、

憑き物が取れたように、全く野球には興味が無くなった。

それは大相撲も同じで、初代若乃花が引退した時もそうだった。

勝負の前は、家の神棚でお参りするぐらい熱心だったが、

それ以来、相撲は大鵬が活躍しても、動かなかった。

生来、勝負事自体、あまり好まぬためかもしれない。

それが、どういう訳か、昨晩は休みと言うこともあって観戦した。

楽天にも、全く関心が無かったが、マー君の偉業にも心惹かれたのか、

とにかく、被災地東北に勝ってもらいたかった。

結果は、接戦で貧国楽天が王国巨人を倒したのだから、大したものだ。

地鳴りの歓声は、勝敗を超えた全国からの応援の声に聞こえた。

巨人は、控えて貰って良かったのではないか。

それは、東北の長い歴史の裏で、虐げられた負の想いを思うのだ。

大和朝廷による東北征伐、蝦夷(えみし)やアテルイの悲劇、

近くは戊辰戦争の会津など、多くの震災被災の爪痕も集中する。

そんな不毛で不幸な歴史を背負った東北が喜ぶ姿は我が事のように嬉しい。

賢治のふるさと、津軽のりんご、民謡などなど、

まほろばにも馴染みが深く、醸造では、殊のほかお世話になっている。

その北海道と「北の兄弟」が勝った事が、日ハム以上に嬉しい気もする。

これで、日本が元気になれば、本当に彼らに感謝だ。

今回は、勝ち負けや贔屓を超えた盛り上がりに涙する一人の日本人であった。

 「非常識な監督」

11月 3rd, 2013

香田 誉士史
(駒澤大学附属苫小牧高等学校野球部元監督)

※『致知』2013年12月号 連載「致知随想」より

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白河の関を優勝旗は越えない。

そんな定説に支配されていた
高校野球の指導者として、
私が北海道の駒澤大学附属苫小牧高等学校に
赴任したのは
平成7年、24歳の時でした。

当時の駒大苫小牧の野球部は
地区大会の1、2回戦で敗退する弱小チーム。
私はこのチームを甲子園に連れて行き、
いずれ日本一にという目標を掲げて臨みました。

しかし、私の赴任前に
監督不在の時期が続いていたこともあり、
部員たちは当初不信感を募らせ、
なかなか心を開いてくれませんでした。

若さゆえにがむしゃらに
チームを引っ張ろうとする
私のやり方も空回りをし、
一時は練習をボイコットされる事態にも至りました。

各地に赴き、有望な中学生を勧誘して回っても、
弱いチームに選手はやれない、
と全く相手にしてもらえません。

「畜生!」
「ふざけんな!」

帰りの車の中では、
悔しさのあまりそんな叫び声が
何度も何度も口から迸り出ました。

いつか必ず、
駒大苫小牧で、この香田のもとで野球をやりたい、
とたくさんの子供たちから
言われる野球部にしてみせる。
そう心に誓い、
私は部員たちに自分のすべての
情熱、愛情を注ぎ込んだのでした。

そんな私たちに大きな壁となって
立ちはだかったのが、
北海道の冬でした。
授業が終わり、「さあ練習だ!」と外へ繰り出すと、
既に辺りは薄暗く、寒く、
グラウンドは雪で覆われており、
部員の士気は否応なく下がるのです。

この地域的なハンディにより、
北海道のチームは本州のチームには勝てない
という思い込みが浸透していました。

しかし、甲子園出場、
そして日本一という目標を実現するためには、
なんとしてもこの冬を克服しなければなりません。

強いチームをつくるためには、
ピッチングやバッティングなどの
個々の技術ばかりでなく、

様々なせめぎ合いの中で、
守備時には相手にホームを踏ませないための、
攻撃時には一つでも多くのホームを踏むための
様々な連携力を磨いていかなければなりません。

冬場に野球から遠ざかっていては、
大会本番までにとても間に合わないのです。

そこで私は、ブルドーザーを調達してきて
グラウンドの雪を取り除き、
冬場はまともに練習できないという常識に挑戦したのです。

当初、吹雪いている日に
「外で練習をやるぞ!」と言うと
部員たちも怖じ気づいていましたが、

続けるうちにそれが当たり前になり、
内心これは寒いだろうなと思う日でも
「きょうはどうだ?」と聞くと、
「大丈夫です!」と元気な声が
返ってくるようになりました。

人間、本気になればなんでもできるものです。

厳しい冬と懸命に闘ってきただけに、
雪解けを迎える喜びは格別でした。

気候に恵まれた地域の野球部には絶対に負けない。
それが私たちの合言葉でした。

* * *

どのようにして甲子園への切符を手にし、
さらには北海道に初めて優勝旗をもたらしたのか。

24連勝の田中投手を育てた香田監督が語る
「指導者の条件」「強いチームをつくる秘訣」とは。