まほろばblog

 「また鬼になる」

12月 9th, 2011

             
       
   工藤 光治 (白神山地マタギ)
        
    『致知』2012年1月号
      特集「生涯修業」より

 http://www.chichi.co.jp/monthly/201201_pickup.html#pick4

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(マタギは)一人前になるまでは時間がかかるんですよ。
五年、十年なんてものじゃないです。
先輩たちの後を付いて歩いて、山を歩く技術を見て習う。
長い時間がかかるのですが、
そうやって身についたものは一生離れません。

そうすると自然と一体となれるんです。
すると、何でも採り過ぎず、
次の世代へまた次の世代にも残すような
採り方ができるようになります

それは言い詰めれば自己規制であり、足るを知る生き方です。

そこには山の神様の信仰があるわけです。
白神の山にあるものはすべて山の神様からの授かり物だと。

ですから、たくさんある場所に行って、
誰も見ていないからといって、
それを採り尽くすようなまねをしても
神は絶対に見ていると。きっと罰が下るから、
そういうことはするなと教えられてきました。
だから、白神山地の恵みは
いまも尽きることなく山の宝となっています。

         (略)

ハンターは獲れる時はいくらでも撃つわけです。
しかも、まずそうな肉はそのへんに捨てていったりする。
マタギは自分たちが担いで帰れるぐらいのものをいただいたら、
そこでお終いなんです。決して欲張ることはない

私たちマタギに撃たれた熊は心臓一撃で一瞬で死ぬんです。
だからほとんど出血はない

どういうことかといえば、ハンターの人たちは、
もしかしたら当たるかもしれないという
生半可な思いで銃を撃ちますが、
我われは熊が憎いから撃つんじゃない。
生きていくために熊が必要だから撃つのです

熊が苦しむことなく一瞬であの世にいけるよう、
必ず一発命中で即死させられる確信がなければ撃たないわけです

憎くもない動物を殺すためには
鬼のような心になって、一瞬で相手を殺す。
ですから、動物を殺すたびに鬼になる。
マタギとは「又鬼」なのだと教わりました。
http://www.chichi.co.jp/monthly/201201_pickup.html#pick4

「苦悩は人生の肥やしとなる」

12月 7th, 2011

       
       
    福島 智 (東京大学先端科学技術研究センター教授)
        
      『致知』2012年1月号
        特集「生涯修業」より
  

http://www.chichi.co.jp/monthly/201201_pickup.html#pick6

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【記者:ご自身では障害や苦悩の意味を
    どのように捉えていますか】

障害を持ったことで、私は障害者のことを
少しは考えるようになりました。

やはり何がしかの関係を持ったこと、
広い意味での当事者になったことが
その大きなきっかけになりました。

また、自分にとっての苦悩は他者との
コミュニケーションが断絶されることでしたが、
これも実際に体験してみて初めて分かったことでした。

苦悩を体験することの凄さは、
苦悩の一つのパターンが理屈抜きに分かること。
もう一つは、苦悩する人たちが抱えているものを
想像しやすくなるということですね。

挫折や失敗をすることはしんどいし、
できるだけ避けたいけれど、
おそらくほとんどの人が人生のどこかでそれを経験する。

いくら避けようとしても必ず何がしかのものはやってくる。
だから来た時にね、

“これはこれで肥やしになる”

と思えばいいんですよ。

私が子供の時代には、まだ日本にも
たくさんあった肥溜めは、
臭いし皆が避けちゃうけれど、
それが肥やしとなって作物を育てた。

一見無駄なものや嫌われているものが、
実は凄く大切なことに繋がるということでしょう。
これは自然界の一つの法則だと思います。

       * *

同じようなことをアウシュビッツの収容所を生き抜いた
フランクルが述べています。

彼はいつ死ぬかも分からないという極限状況の中でも、
苦悩には意味があると感じていたようですが、
それは彼一人だけの思いではなかった。

あの過酷な状況下で、自分以外の他者のために
心を砕く人がいたように、ぎりぎりの局面で
人間の本質の美しさが現れてくる時がある。

もちろんその逆に、本質的な残酷さや醜さを
見せることもありますが、
人間はその両方を持っているわけですよね。

おそらく彼は苦悩をどう受け止めるかというところに、
人の真価、人間としての本当の価値が
試されていると考えたんじゃないかと思うんです。

苦悩というフィルターをかけることで、
その人の本質が見えてくると。

フランクルの主張で最も共感を覚えるのは、
その人が何かを発明したり、
能力が優れているから価値があるということよりも、
その人が生きる上でどんな対応をするか

苦悩や死やその他諸々の困難に
毅然と立ち向かうことが最高度の価値を持つ、
といった趣旨のことを述べている点です。

したがって、障害を持ったことや病気をしたこと自体に
意味があるのではなく、それをどう捉えるかということ。

身体的な機能不全を経験することも、
それ自体に大きな意味があるんじゃなく、
それを通してその人が自分自身や他者、
あるいは社会、あるいは生きるということを
どのように見るかが問われているのだと思います。
http://www.chichi.co.jp/monthly/201201_pickup.html#pick6

「93歳現役画家の流儀」

12月 7th, 2011

             
       
 堀 文子 (日本画家)
        
   『致知』2012年1月号
    特集「生涯修業」より
      

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【記者:堀さんの絵が世間で評価され始めたのはいつ頃からですか】

評価されたかは知りませんが、女子美術専門学校を出てからまもなく、
出品した絵が賞を受けて騒がれた時期もありました。

その時に、自分が若い女だから騒ぐので、
こんな言葉に乗っていたら大変だ。
ある時期を過ぎたら誰も振り向かなくなる
という自覚がありました。

大抵は若い時ちやほやされて、ダメにされるんです。

自分を堕落させるのもよくするのも自分なんだ、
と考えていますから。

誰かにすがっていたら、その人の言うなりじゃないですか。
人それぞれ姿形が違うように、運命も皆違うのですから、
誰もしないことを開拓しなければダメだと思っています。

ですから安全な道はなるべく通らない。
不安な道や未知の道を通っていくとか、獣道を選ぶとか。
大通りはつまらないと思っている人間で、
それがいまでも続いています。

そういう性質ですから、画家としては
食べることができませんので、
絵本を描いたりして生業を繋いできた。

ただ、それもやってるうちにちやほやされて、
児童の教育委員会などに出されることになってきました。
だから「これはいけない」と思って絵本の仕事はやめました。

そうやって、どこへ行ってもちやほやされないように、
上手にその道を避けて生きてきたわけです。

【記者:絵の腕はどのようにして磨いてこられたのですか?】

磨いてなんかいません。それはいい絵を描きたいですが、
いい絵を描こうといってできるものじゃない。
感覚というものは努力したってダメなんです。

絵は他の人から学ぶことはできない。
ただ、自分のだらしなさが直に現れます。
ですから自分がいつも未知の谷に飛び込むこと。
不安の中に身を投げていなければダメだと思っております。
いつも不安の中に身を置いて、
昨日をぶち壊していくということです。

ですから学ぶよりも「壊す」というのが私のやり方です。
そして、過ぎたことを忘れることです。

きょう出品したものはお葬式が済んだ後ですから、
もう一度はやれません。やれば悪くなるに決まっています。

人は「もう一度あの絵を描いてください」と言いますが、
慣れると確かにうまく見えますが、それはコピーです。
描いた本人には気が抜けていて、
魂が入っていないのが分かる。
同じ感動は繰り返せないということです。

もしかしたら私の中に、
まだ芽を吹かないものがあるかもしれない、
ひょっとしたら、まだ思いがけないものが潜んでやしないかと、
いまだにそんなことを考えています。

そのためにはいつも自分を空っぽにしておかないと
新しい水は入ってこないんです。
私に勉強の仕方があるとすれば、
いつも自分を空っぽにしておくということです。

心に響く言葉

12月 5th, 2011

 特集「生涯修業」より、
  http://www.chichi.co.jp/monthly/201201_words.html

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     ● 田中 宰

(松下電器産業元副社長・阪神高速道路前CEO兼会長)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  

  時代の先を読む先見性、洞察力、そしてそれに基づく
 「変化への対応」「日に新た」の実践、
  これはあらゆる経営者にとって欠くことのできない素養である。

  国といえ、事業といえ、このことを忘れた時、
  必ずその組織は衰退し滅亡する。

 
  
  
  ●  工藤 光治 (白神山地マタギ)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   昔からこの山で暮らしてきた人たちの思想は、
   山の恵みに生かされているという思いなんです。
   すべて山のものを頂いて、生かされているのです。

   また、マタギの世界では事故で血を流すのはいいけれども、
   人と争って血を流すのは一番の恥とされました。

寺田 一清  (不尽叢書刊行会代表)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   「つねに腰骨をシャンと立てること――
    これ人間に性根の入る極秘伝なり」

    私が今日あるのは森信三先生に立腰、腰骨を
    立てることの大切さを教えていただいたおかげです。

    森先生は、人間として大事なことの一つは、
    いったん決心したら、石にかじりついても
    必ずやり遂げる人間になることだとされ、
    その秘訣として常に腰骨を立てている
    人間になることを説かれています。

荒井 桂 (郷学研修所 安岡正篤記念館副理事長兼所長)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   安岡正篤先生による「知識、見識、胆識」
   という有名な教えがあります。

   知識がいかにあってもさほど意味はない。
   人間はどんな志を持ち、何を目指して
   この二度とない一生を全うするかという観点に立つ時、
   知識が見識になる。

   しかしその見識は、実践して生かしていかなければ
   意味がなく、そのためには勇気と決断がいる。
   それを伴った見識が胆識であると。

やんじー復興支援「お礼炊き出し」

12月 4th, 2011

この「年末大売出し」の3日4日の2日間、

本店と厚別店において、やんじーの「お礼炊き出し」が行われた。

雨・雪の降りしきる大変な状況の中での奉仕にお礼申し上げます。

3:11からの東日本復興支援活動に対しまして、皆様から

多大なるご援助を頂きまして、誠にありがとうございました。

この場を借りまして、感謝申し上げます。

私達も、ヤンジーの現場を初めて見て、そのご苦労が忍ばれます。

またこの7日には、東北に向けて出発します。

この年末を迎え、寒さが一段と厳しくなるこの季節、

どうぞ、安生に乗り切りますように祈ります。

また、皆様と伴に、応援しましょう。

「記憶術のすすめ」

12月 4th, 2011

  
                   
        友寄 英哲 (ともより・ひであき
       円周率暗唱の元ギネス記録保持者)

  『致知』2006年4月号
       「致知随想」より

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 私の脳はごく普通だと思います。
 特に暗記が得意だったということもありません。
 
 子どもの頃はもっぱら丸暗記でしたが、
 二十歳ぐらいになるとそれもままならず、
 学生時代、シェークスピアの長台詞を覚える宿題が
 なかなかできず弱りました。

 ある日、黒板に書いた数字を暗記してみせる
 老大道芸人に出会いました。
 
 飛びついて買った十ページほどのガリ版刷りの冊子には、
 連想を使った暗記法が書いてありました。
 こういう方法もあるんだとすっかり記憶術に魅せられました。
 これがそもそもの始まりです。

 大学を出て、ソニーに入社しました。
 海外と折衝する営業が仕事でした。
 
 面白半分に一千桁の円周率を三年かかって覚え、
 やっと暗記できたのは三十歳。
 これは仕事に役立ちました。

 宴会芸で披露すると結構受けて、人脈も広がり
 商談も進むのです。

 四十五歳の時でした。
 
 
 「カナダの若者が円周率八千七百五十桁を暗誦し、
  ギネスブックに申請」
  
  
 という記事を読んだのです。
 
 こんな世界記録があるんだと知り、
 自分にもできそうだと挑戦することにしました。
 
 一万五千百五十一桁を暗誦して
 世界記録を立てたのは翌年のことです。

 ところが、世界には強豪がいて
 次々とギネス記録を塗り替えます。
 
 それならとさらに挑戦し、シーソーゲームを繰り返して、
 円周率四万桁暗誦の世界記録を立てたのは五十四歳の時でした。
 これは八年間ギネスブックに記載されました。
 
 いまのギネス記録は原口證さんという方の
 八万三千四百三十一桁です。
 人間の記憶力は底知れません。
 近い将来十万桁、二十万桁を超えるのも
 夢ではないと思っています。

 暗記の方法は紙幅に限りがあるので、
 宣伝めいて恐縮ですが、詳しくは
 私の本を読んでもらうことにしましょう。
 
 近著には『脳を鍛える記憶術』(主婦の友社)があります。
 要はイメージを結合させたり、
 馴染み深いものを活用して連想をふくらませ、
 ストーリー仕立てにして覚えていくのです。
 これは経験豊富な高齢者に有利な記憶法です。

 人間には記憶に適したリズムがあります。
 
 三秒間です。
 三秒間に収まるフレーズはすうっと頭に入ります。
 だから三秒間に収まるようにフレーズを切り、
 その三秒間に集中するのです。

「一一九二」を「いい国」として覚える
 日本に古来伝わる語呂合わせは
 数字の記憶法として非常に優れたものです。
 
 私はこれを補足発展させ、
 「友寄式――仮名置換法」を作りました。
 
 これを円周率暗誦の過程で何度も練り直した結果、
 大勢の人が楽に数字を記憶できる実践的なものになりました。

 それにしても、人間の脳は忘れるように
 できているのだとつくづく思います。
 でも、忘れるままにしておいては記憶はできません。
 
 本当に記憶したいものはタイミングを見計らって
 復習する必要があります。
 ちょっと忘れかけた頃覚え直すことがコツです。
 
 覚える内容により異なりますが、最初は五分後、
 次は一時間後かもしれません。
 試していくと、自分にぴったりの復習のタイミングがつかめます。

 おまえは仕事をしないで円周率の暗記を
 やっていたのかと言われそうですが、
 私は真面目なサラリーマンで、
 仕事はきちんとやっていました。
 
 暗記に使ったのは片道一時間半、
 往復三時間の通勤時間です。
 
 コースを細かく区切り、あの電柱までに十桁、
 八百屋さんの前までに十桁、
 電車に乗れば次の駅までに十桁、
 というふうにして覚えていくのです。
 
 覚えていなければそこで立ち止まり、
 覚えるまで先へ進みません。
 会社は遅刻できないから懸命です。
 集中するには細切れの時間がいいのです。

 円周率を暗記して何の役に立つのだ、
 馬鹿馬鹿しくないのか、とよく言われました。
 
 人に言われている分にはどうということもないのですが、
 私自身が自分で馬鹿馬鹿しくなってしまって、
 一か月ほどやめたことがあります。
 
 だが、やめてほかに役に立つことができた
 というわけではありません。
 通勤の三時間は無意味に過ぎただけでした。

 いいことがいっぱいあったことに気づきました。
 
 まず健康になりました
 私は低血圧で、八時間寝ても
 しばらくはボーッとしていたのですが、
 昼間円周率の記憶で脳をフル回転しているため
 熟睡するせいか、六~七時間の睡眠ですっきり目覚め、
 活気に満ちて一日を過ごすことができるのです。
 
 人脈が広がった のも記憶術をやったおかげです。
 集中力も持続力もつきました。
 それに使命感と言えば大げさになりますが、
 
 「世の中の役に立つ記憶術を生み出したい」
 
 と燃えるものが湧き起こってきました。

 円周率を暗記するのは馬鹿馬鹿しいことではないと
 心底から納得できた時、私は変わりました。
 何事にも前向きになり、朝が待ち遠しく、
 毎日が楽しくてならなくなりました。

 それでも壁に突き当たります。
 円周率四万桁を一応覚えた頃、
 実際に暗誦してみると約三十か所間違えました。
 
 そこを覚えなおし再挑戦してみると
 今度は別な場所を三十箇所間違えます。
 約一年半この傾向が続き人間の弱さを思い知りました。
 
 それでもめげずに続けていたら
 間違える箇所が激減し
 本番では何とか間違えなく暗誦できました。
 
 「継続は力なり」という言葉は
 本当の本当だと身をもって知りました。

 人間の脳は加齢と共に衰えるといいます。
 
 しかし、これは迷信だと思います
 私は七十三歳になりますが、若かった頃に
 なかなか覚えられなかったものが、
 いまはすんなり頭に入ってきます。
 
 人間の脳は加齢で衰えるのではなく、
 使わないから衰えるのではないでしょうか。

 年間五千人の脳を診ているという
 お医者さんが私の脳を調べ、
 二十歳の脳だと太鼓判を押してくれました
 
 脳は使えば発達するという私の実感は、
 真理なのだと思います。

 私は「七十歳代で、円周率五万桁をどの桁からでも暗誦可能」
 を目指し日々特訓をしています。
 
 
 
 「人間の脳の力に限界はない。
  あるとしたらそれは自分があきらめた時」。
  
  
  必ずできると信じています。

心に響く言葉

12月 3rd, 2011

特集「生涯修業」より、
 
………………………………………………………………………………

● 鈴木 章 (ノーベル化学賞受賞者・北海道大学名誉教授)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   

  チャンスを生かすには、注意深い心、
  一所懸命にやろうとする精神、
  それから謙虚であることが大切です。

    何か結果が出て、それを自分の偏った見方で
    捻じ曲げたりせず、正直に見ること。
    そういう積み重ねがあって初めて何%かの確率で、
    幸運の女神が微笑んでくれる機会に恵まれるかどうか、
    というのが我われの世界です。

 
  
  
● ドナルド・キーン (日本文学研究者)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   人生に大切なことは、私の場合は
   やはり有意義な仕事をすることでしょうね。
      私は自分の仕事をとおして外国人の日本に対する理解が
      深くなったことが一番の誇りであり、喜びなんです。

●福島智(東京大学先端科学技術研究センター教授)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   

   人間の理解の及ばない何ものかが生命の種をもたらし
   我われがここに生きているとすれば、
   この苦悩、私の目が見えなくなり、
   耳が聞こえなくなるという特殊な状況に
   置かれたことには何かしらの意味があると思いたい。

●堀文子(93歳の日本画家)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   絵は他の人から学ぶことはできない。
   ただ、自分のだらしなさが直に現れます。

      ですから自分がいつも未知の谷に飛び込むこと。
      不安の中に身を投げていなければダメだと思っております。
      いつも不安の中に身を置いて、
      昨日をぶち壊していくということです。

被災者の自殺…孤立防ぐ対策を

12月 3rd, 2011

住職、作家・玄侑宗久さんインタビュー全文(上)

 東京電力福島第一原発の事故はいつ収束し、いつふるさとに戻れるのか。先の見えないストレスを抱える福島の被災者の心境を、福聚(ふくじゅう)寺(福島県三春町)住職で芥川賞作家の玄侑宗久さんに聞きました。(佐藤光展)

 ――東日本大震災を境に、福島の人たちはどう変わりましたか。

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 「深刻な心の分裂が起こっています。例えば、飯舘村は津波や地震でやられたわけじゃない。高い放射線量のために、住民は避難したのです。だから今も『除染後、必ず村に帰る』という思いが強い」

 「しかし、心の中では『戻れないかもしれない』とも感じている。そのため誰かが、『戻れるはずはない』と言うと過剰に反発します。心に封じ込めた不安を口にする人が許せないんですね。だからこそ国は、土壌が汚染されたすべての町の徹底的な除染と共に、戻れなかった時のための代替地を早急に確保しなければいけない。分裂した心には、両方が同時に必要なのです」

 ――震災の影響で、檀家(だんか)からも自殺者が出たと聞きました。どのような原因ですか。

 「ある男性は、福島県内のタバコの作付け中止が発表された翌日に、命を絶ちました。うつ病を患い、長く働けなかったのですが、親戚のタバコの作付けだけは手伝っていた。それが奪われてしまったのです。自分の家のお墓が地震で壊滅的に壊れたことにショックを受け、自殺した若い女性もいます」

 ――周囲から見れば、それほど深刻に思えないことでも、自殺の引き金になるのでしょうか。

 「自殺は竜巻のようなものだと思います。竜巻を人工的に起こす装置を見たことがあるのですが、四方向から風を送って発生させていました。自殺も最低、四つくらいの原因が絡んで起こるのではないでしょうか。亡くなった二人は、持病や震災の影響などで、既に三つの深刻な原因を抱えていたのだと思います。追い込まれている被災者はほかにも多く、仮設住宅での生活が四つ目の原因とならないように、孤立を防ぐ対策など十分な支援が必要です」

2011年12月1日 読売新聞)

玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)
 1956年、福島県生まれ。慶応大学中国文学科卒。様々な職業を経て京都天龍寺専門道場に入門。現在は福島県三春町の福聚寺住職。2001年、「中陰の花」で芥川賞を受賞。東日本大震災復興構想会議のメンバー。

歳末大感謝祭!!

12月 2nd, 2011

遂に、2011年、最後の大売出しが今日から始まりました。

20%offが750品目以上、店内ALL10%OFF!!!

朝から、店内は大混乱状態です!!!!!

目当ての品物が無くならない内に、お越し下さいね。

明日本店、明後日厚別と、あの「チームやんじー隊」が

炊き出し部隊として、まほろばに登場。

限定150杯の「豚汁」が無料で配られます。

東日本大震災へのご支援を戴いたお返しです。

ありがとうございました!!!!!

EVENTは、

暖房機器のゼンケンさん、オンカオイルのアルコイリスさん、

味の母の味の一さん、鍋の素の富貴食研さん、鶏肉・缶詰の千葉産直さん、

ジョイソンティーのイオスコーポレーションから田頭さんがいらして、

店内で試食販売しております。

皆様、是非試食しながらお聞き下さい。

お待ち申し上げております。

 「人間の悲しい性」

12月 2nd, 2011

       
       
  三浦 綾子 (作家)

    『人間学入門』より
   http://www.chichi.co.jp/book/ningengaku_guide.html
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 これは時折、講演で話すんですが、

  「泥棒と悪口を言うのと、どちらが悪いか」。

 私の教会の牧師は「悪口のほうが罪が深い」と言われました。

 大事にしていたものや、高価なものを取られても、
 生活を根底から覆(くつがえ)されるような被害でない限り、
 いつかは忘れます。
 少しは傷つくかもしれませんが、泥棒に入られたために
 自殺した話はあまり聞かない。

 だけど、人に悪口を言われて死んだ老人の話や
 少年少女の話は、時折、聞きます。

 「うちのおばあさんたら、食いしんぼうで、あんな年をしてても
  三杯も食べるのよ」と陰で言った嫁の悪口に憤慨(ふんがい)し、
 その後一切、食べ物を拒否して死んだ、という話があります。

 それと、精神薄弱児の三割は妊婦が三か月以内に
 強烈なショックを受けた時に生まれる確率が高いと聞いたことがありますが、
 ある妻は小姑(こじゅうと)に夫の独身時代の素行を聞き、
 さらに現在愛人のいることを知らされた。

 それは幸せいっぱいの兄嫁への嫉妬から、そういうことを言ったのです。
 この小姑の話にちょうど妊娠したばかりの妻は大きなショックを受け、
 生まれたのは精神薄弱児だったそうです。

 恐ろしい話です。私たちの何気なく言う悪口は人を死に追いやり、
 生まれてくる子を精神薄弱児にする力がある。
 泥棒のような単純な罪とは違うんです。
 
 それなのに、私たちはいとも楽しげに人の悪口を言い、
 また、聞いています。そしてああきょうは楽しかった、と帰っていく。
 人の悪口が楽しい。これが人間の悲しい性(さが)です。
 
 もし自分が悪口を言われたら夜も眠れないくらい、
 怒ったり、くやしがったり、泣いたりする。
 自分の陰口をきいた人を憎み、顔を合わせても口を
 きかなくなるのではないでしょうか。 

 自分がそれほど腹が立つことなら、他の人も同様に腹が立つはずです。
 そのはずなのに、それほど人を傷つける噂話をいとも楽しげに語る。

 私たちは自分を罪人だとは思っていない。
 罪深いなどと考えたりしない。

 「私は、人さまに指一本さされることもしていません」。

 私たちはたいていそう思っています。
 それは私たちは常に、二つの尺度を持っているからです。
 「人のすることは大変悪い」「自分のすることはそう悪くない」。
 自分の過失を咎(とが)める尺度と、
 自分以外の人の過失を咎める尺度とはまったく違うのです。
  
 
 一つの例を言いますとね、ある人の隣家の妻が生命保険の
 セールスマンと浮気をした。彼女は、「いやらしい。さかりのついた猫みたい」
 と眉をひそめ、その隣家の夫に同情した。

  何年か後に彼女もまた他の男と通じてしまった。だが彼女は言った。

 「私、生まれて初めて、素晴らしい恋愛をしたの。恋愛って美しいものねぇ」

 私たちはこの人を笑うことはできません。
 私たちは自分の罪が分からないということでは、この人とまったく同じだと思います。

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『人間学入門』より、三浦綾子氏の名言
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  九つまで満ち足りていて、
  
  十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、
  
  人間はまずその不満を真っ先に口から出し、
  
  文句をいいつづけるものなのだ。
  
  自分を顧みてつくづくそう思う。

  なぜわたしたちは不満を後まわしにし、
 
  感謝すべきことを先に言わないのだろう。

                             三浦綾子