まほろばblog

絶好調!手塩紅鮭

12月 13th, 2011

市場で長年の付き合いのある加藤信也さん。

仲買会社の専務さんで、この道40年、鮭一筋に生きて来た。

カムチャッカ北洋、アラスカ、カナダを回っていた生き字引だ。

その彼が、様々な塩引きに関わって、最高の仕上がりとするのが『縦塩法』だ。

山漬けでも、寒風干しでも、塩水漬けでもなく『たて塩』を、「最高!」とする。

実際食べてみて、その甘口の旨味に唸った。

確かに鮭の生に近い旨味がじわっと出て、辛味好きの人には、醤油一さしで、

より一層の旨味が口に広がる。

まほろばとしても、思い切っての発注の数。

心配は杞憂に終わり、売れ行きは順調で、きっと来年も注文が舞い込むでしょう。

「百歳」から

12月 13th, 2011

あの『くじけないで』の柴田トヨさんが、

第二詩集『百歳』を出版された。

『挫けないで』が150万部突破のベストセラーとなり、

台湾、韓国、オランダで翻訳され、さらにイタリア、スペインでも刊行されるという。

世界中の人々の心を癒し始めた。

声高に絶叫する平和より、か細い声のささやきが心に伝わる。

かの老子は「大音は微声なり」と説いた。

百歳という年月の重み、捨てた軽みが、

読む人をしてホッとさせ、ポッと生きる灯を点す。

そんな中、震災の人々への寄せる詩が心を呼び起こす。

被災者の皆様に

あぁ なんという

ことでしょう

テレビを見ながら

唯 手をあわすばかりです

皆様の心の中は

今も余震がきて

傷痕がさらに

深くなっていると思います

その傷痕に

薬を塗ってあげたい

人間誰しもの気持です

私も出来る事は

ないだろうか?考えます

もうすぐ百歳になる私

天国に行く日も

近いでしょう

その時は 陽射しとなり

そよ風になって

皆様を応援します

これから 辛い日々が

続くでしょうが

朝はかならず やってきます

くじけないで!

雪のこえ・・・・・

12月 13th, 2011

今年も残すところ3週間。

まほろばでは、25日からの酉の市が最後の山場。

毎日みんな必死になって山積みの業務をこなしています。

まほろばのみんなは、本当に働き者。

何処に出しても恥ずかしくないほど働きに働きます。

そんなみんなに支えられて、この一年が過ぎ去ろうとしています。

そんな中で、ホットする光景。

島田編集長が、近所の発寒川に毎日昼ご飯をかねて写真撮りに出かけます。

そのハラハラと落ちて来る雪の一瞬を捉えた画。

何か「雪の声」が聴こえてきそうですね。

このように心を濯ぐように、爽やかに清らかに生きたいものです。

 「目から鱗が落ちた松下幸之助のスケールの大きさ」

12月 13th, 2011

      
       
      田中 宰
   (松下電器産業元副社長
   阪神高速道路前CEO兼会長)
        
    『致知』2012年1月号
      特集「生涯修業」より
      

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 私が幸之助創業者と初めて直に接したのは昭和四十年。
 創業者が山陰地方の販売店で構成する
 「山陰ナショナル協栄会」にご出席されるため、
 米子においでになった時だった。

 山陰は社員の人手も少なく、
 送り迎えも会場係もホテルでのお世話係も、
 全部新入社員の私が担当することとなった。
 私の人生で歴史的な出来事である。

 前日入りした創業者は東光園というホテルに宿泊され、
 その日の夕方は営業所長ご夫妻と販売店ご夫妻を招いて
 一緒に食事をされることになった。

 私は隣の部屋に控えていたが、
 その宴会を取り仕切っていた仲居頭さんが、
 会話の中継ぎの中でこんな話をされた。

「松下さんのような立派な会社の工場がこの地にあれば、
 私も息子と水入らずで生活できたのですが……。

 いつかぜひこの地にも工場をつくってください。
 地元の皆はどれほど喜ぶことでしょう」

 聞けば、女手一つで育ててこられたご子息は
 地元に職がなく離れて暮らしているという。

 数日後、創業者自ら山陰の出張所に電話が入った。
 「米子で工場建設の土地を探すように」と。

 後に分かったことだが、
 当時様々な地方自治体の首長が本社を訪ねてきては
 工場の誘致をしていた。
 しかし基本的にお断りしていたようである。
 それが仲居頭さんの一言で米子をはじめ、
 四十八都道府県「一県一工場」の工場展開に繋がったのである。

 この決断は当時、若い私には大きな疑問であった。
 大阪の門真に工場を集中させたほうが絶対に効率的なのに、
 なぜ地方に分散して非効率的なことをするのか。

 しかし後に文献を見て、
 創業者のスケールの大きさを目の当たりにするのであった。

 「自社の目先の利益も大事だが、
  雇用を生むことはそれ以上に大事である。

  松下の電化製品を各地に普及させていこうとするならば、
  各地域が栄えていないと、結果自分たちも栄えていかない」

 この人、ムチャムチャスケールのでかい人だ。
 目から鱗が落ちるような思いがした。

有機野菜をもっと身近に!

12月 12th, 2011

ワコちゃん第3弾。(今日に限って)

彼女は、まほろば以外にこんなお店にもあるバイトに行っているそうです。

オーナーはなんと25歳の女性だとか!頼もしい若者が増えているようで微笑ましい!

調味料・オーガニックビールなどは、まほろばから仕入れているそうです。

以下、粋ラボのサイトやブログより抜粋 http://ameblo.jp/ikilabo/ http://r.gnavi.co.jp/h323500/

私たちの命は、食べ物によってつくられ、維持されています。
その考え方に基づき、食べて元気で健康になるお料理を提供します。

北海道産の有機野菜を中心にした、創作料理が勢ぞろい。
旬の素材をまごころ込めてお出しします♪
農家さんや八百屋さんから仕入れる有機野菜やお豆腐、
生ビールはもちろん、オーガニックのお酒やビール、焼酎・日本酒・ワインなど各種揃えています。

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私たちは、生産者さんたちのオモイが詰まった素材を活かし、お料理と共に、
オモイをお客様に届ける事、より質の高いサービスを提供していけるよう、
スタッフ一同頑張ってまいります。

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旬彩酒話=しゅんさいさかば= 「粋Laboratory」(いきらぼ)
札幌市中央区南1条西5丁目7-1 敷島南一条ビル地下1F

011-211-6145 

昼 木~土 11時半~14時半
夜 月~土 18時~24時

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粋ラボの食べもの
○oo○oo 長岡式酵素玄米 ○oo○oo

玄米と小豆を特殊な炊き方で発酵させたご飯です。
酵素の働きによって免疫力が高まり、デトックス効果が期待できます。

通常の玄米を遥かに超えた栄養が含まれ、噛まずに飲み込んでも消化できるほど。
玄米=固くてパサパサの概念を覆すもっちもちの食感。ぜひ一度お試しください。

○oo○oo 重ね煮 ○oo○oo

素材を一定の順序で、層のようにお鍋に重ねていきます。

素材それぞれが持っているパワーがお互いに影響しあい、うまみをぐっと引出してくれます。

この方法だと、砂糖も化学調味料も必要なく、最小限の調味料で驚くほど美味しくなります。

粋ラボのメニューには様々な重ね煮を使用しています。
自然のおいしさをまるごといただける、調理法です♪

○oo○oo 発酵食品 ○oo○oo

お味噌、漬物、納豆、キムチ、かつお節、挙げればキリがないですが目に見えない微生物が、

食べ物をおいしく、栄養価の高い食品に変える発酵という現象はまさに神秘。
毎日食べ続ければ、美容や健康、ダイエットにも良いとされる発酵食品を粋ラボでは積極的に取り入れています。

発酵食品は腸内細菌のバランスを整えるともいわれています。
食べたら体内美人♪になる日もそう遠くない!(ハズ・・・)

 

水が輝いて見えます!

12月 12th, 2011

エリクサーを購入された方の感想です。

つい最近自分が化学物質過敏症であることがわかり、
よい浄水器を、と思い切って購入しました。
現在マクロビオティックをしていて、
宮下さんの奥様が桜沢先生に師事されたことや、
寺田本家でエリクサーが使われていることなどが大きな決め手になりました。

*湯沸かし器用のアダプターのつけ方が最初わからなくて、
使えないのかとがっかりしましたが大丈夫でした。
もっとわかりやすい説明書がついていると良いと思います。

まだ少ししか料理に使っていませんが水が輝いて見えます。
自然農法の玄米に初めて接した時のような、喜びが心の底からわきでてきます。
今後の変化に期待しています。
ありがとうございます。

~まほろば主人より~
感想のお葉書の「水が輝いて見える」ということば嬉しく拝見いたしました。
ご指摘いただいた説明書の件は、今後さらに工夫を重ね、
より一層わかりやすいものにしたいと思います。
ありがとうございました。

花火大会 2012年3月10日【天国にぶっ放せ】

12月 12th, 2011

これもワコちゃんからのお知らせです。

避難所から初老の女性を車に乗せて、私たちの倉庫にお連れした時の話です。
「主人とはケンカなんてしたことなかったの。」
「そうなんですか~。仲良しですね。」
「うん。本当の意味でのケンカはありますよ?議論みたいな。ちょっとした。それがなくなったら人はお終いでしょ?」
「はぁ。」
「でも、その日は、本当にくだらないことで意味のない感情上のケンカをしてしまったの。初めて。」
「はぁ。」
「彼は車で、すごいスピードで出て行っちゃって「行ってらっしゃい」も言わなかったし、行ってきますもなかった。そのままぶつかって死んじまえ!って思っちゃったの。」
「・・・。」
「そのまま、あの人は、津波で死んでしまったの。だからね、私の一番の後悔は、食料や水を蓄えておかなかったことじゃないの。懐中電灯もなにもいらない。もし運命で彼が死んでしまう事が避けられないにしても、愛していたって伝えたかったってことなのよ。」
「・・・。」
「あなたは、何でもしてくれる。本当にありがとう。」
「とんでもないです。」
「でもね、モノじゃないのよ?」
「分かります。分かってやってます。俺もそうだ。」
「私の想いを、いつか天国に届ける企画を立ててくれないかしら?」
「分かった。考えます。チカラもつけます。」
「その時は、私は元気だよって彼に伝えたい・・・。」

これが【天国へぶっ放せ】の始まりです。
お墓へのお菓子やお花。
お供えは、合理的に考えれば無駄な事かもしれません。
でも、人間だからやるのです。
感情があるから、そうするのです。

私達もいつか死ぬ。
その時、感情が残っているのであれば、私はお供えは嬉しいと感じるだろう。

今回の花火は、お供えです。
雲が邪魔をしても、雲の上まで飛ばせば花火は見える。
スッと生まれて、ドンとキレイな大輪を咲かせて、散る。
まるで人生のようです。

咲ききることが出来なかった方が大半です。
だから、ドンと咲かせよう。

人生のような花火を、一番感謝すべき日だった3月10日に。

僕はどうしてもあげたい。.


花火大会 2012年3月10日【天国へぶっ放せ】 ご協力のお願い

やるとはいったものの、すごくお金がいります。
現在、何発分貯まったのかは、このページの先頭に表示します。

■ご協賛・ご支援のお願い■
ご支援:
1.花火一発分という事であれば一口3000円。
2.goodsを購入頂ければそれも資金になります。
3.その他、従来通り金額関係ない支援金も引き続き受け付けております。

ご協賛:
1.一口 1万円
2.一口 5万円
3.一口 10万円     
4. ・・・ ∞(無限!!)

5.冠スポンサー様 ご相談ください。それと同時に、団長と副団長で土下座します。

ご支援、ご協賛のお申し出、お問い合せは貴企業名・貴団体名・お名前、ご住所、ご連絡先、ご協賛金額、協賛方法(現金、お振込)を明記の上、下記スコップ団事務局までお願い致します。
HP等への掲載を希望されない場合はその旨お知らせ下さい。

schop-dan_2011@mail.goo.ne.jp

■お振込先■
現時点では2ヵ所です。

●ゆうちょ銀行●
記号 18170
番号 8409961

他の金融機関
【店名】八一八(ハチイチハチ)
【店番】818
【預金種目】普通預金
【口座番号】0840996
【口座名】スコツプダン 

●七十七銀行(シチジユウシチギンコウ)●
【支店名】栗生支店(クリユウシテン)
【預金種目】普通
【口座番号】5044103
【口座名】スコツプダン
【SWIFT番号】BOSSJPJT

■ポスターのお渡しについて■
1.スコップ時にお渡しできますので、参加時にお申し出下さい。
2.スコップには参加できないという仙台近郊の方、青葉区中心部まで取りに来て頂ける方にお渡ししますので事務局まで連絡下さい。(場合によってはお持ちする事も可能ですのでご相談下さい。)
3.取りに来られない方、遠方にお住まいの方、送料着払いとなってしまいますがお送り致しますのでお名前、送り先、連絡先、必要枚数を明記の上、事務局まで連絡下さい。

schop-dan_2011@mail.goo.ne.jp

■拡散のお願い■
目標は2万発を打ち上げる事です。
まずは一人でも多くの方に知って頂きたい!
情報の拡散をお願い致します。

■その他■
スコップ団への支援としてイベント等で名前を使って頂く事は大歓迎です。
事前に申請等も必要ありません。
ただ、イベント等の開催についてご連絡頂けましたら事務局ブログ及びTwitterにて事前に告知致します。
その場合のみお知らせ頂ければと思います。

ご協力、応援の程、よろしくお願い致します。

グッズも、そういうのが得意な団長が色々考えて「稼ぐ!」方針です。
アイデアあったら教えて!

被災地へのアロマ支援 『香り宅配プロジェクト』

12月 12th, 2011

 ワコちゃんから、被災地支援のお知らせがありましたので紹介します。

宮城・福島・岩手へ、アロマオイルやそれを使ったスプレーをプレゼントし続けている人たちがいます。

うたたさんというセラピストさんで、被災し今は札幌と仙台を往復しながら活動を続けています。

私の地元は宮城県石巻市です。

今回の震災の被害は理解をはるかに超えていました。

私達、名もなきセラピストが集まり、出来る事は小さな小さな事かもしれません。

地元だからこそできるお手伝いをしていきます。

震災直後から現在まで、長い目でのご支援、本当にありがとうございます!

皆様のお心がいっぱい詰まったオイル達
感謝しながら使い倒しています!


香り宅配プロジェクト

現地の状態・ニーズに合わせたスプレーを作り宅配しています。

宮城・福島・岩手の避難所・学校・個人宅などに、11月現在9200本宅配

支援の輪・宅配の輪は広がり続けています!!

香りは心・身体・魂へと優しく働きかけてくれ沢山の被災者の皆さんを救ってくれています。

 

<物資ホ募集中>アロマスプレーを作るための材料です。

・YL社製オイル(眠っているオイルがあればお願いします)

・スプレーボトル(20~100ml)

・精製水・エタノール・グリセリン

http://ameblo.jp/isis-healing/

 

 「幻の養生書『病家須知』に迸る人間愛」

12月 11th, 2011

       
                   
              中村 節子 (看護史研究会会員、藤沢市立看護専門学校元校長)

        
               『致知』2007年6月号
                   「致知随想」より

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 江戸時代後期に、町医・平野重誠(じゅうせい)によって著され、
 それまでの看護法を集大成した
 日本初の看護書といわれる『病家須知(びょうかすち)』。
 
 貝原益軒の『養生訓』と並ぶ養生書の二大金字塔とされながら、
 その存在はほとんど知られていませんでした。

 書名が「病人のいる家」+「須く知るべし」
 から取られているように、内容は養生の心得に始まり、
 療養、介護、助産、さらには医者の選び方や
 終末期ケアについてなど多岐に亘ります

 昨年、看護史研究会が発足五十周年を迎えたのを機に
 「何か看護学生のために役立つものを」と考え、
 本書の現代語訳に取り組むことになりました。
 メンバーは二十代から七十代の専門家十数人です。

 現代語訳に取りかかる前に、
 私はまずこれを書いた平野重誠の人となりを知りたいと思い、
 図書館を訪ねてみました。
 
 しかし詳しい資料は見つかりません。
 方々を探し回った挙げ句、漢方の専門書に記されてあった
 名前だけを頼りに、歴史家の先生方七名に手紙を出しました。
 
 そうして、北里研究所東洋医学総合研究所の
 小曽戸洋先生から返信をいただけたことで、
 重誠の子孫の方とも連絡を取ることができ、
 埋もれていた歴史に一条の光が差し込んできました。

 著者・平野重誠の生年は一七九〇年。
 幼い頃から父親に医術を学び、
 徳川将軍家の主治医だった多紀元簡に師事するなど
 大変な秀才でしたが、官職には就かず、
 生涯を町医者として過ごしたといいます。

 一七一三年、『養生訓』の刊行を機に
 健康指南書が相次いで出されたものの、
 いつしか「医」は仁術から算術へと堕落し、
 人々の間にも健康はお金で買うもの、
 といった風潮が広まっていました。
 
 そうした世の流れに抗い、日本人が伝えてきた
 日常の心がけを基本に養生や看護の方法をまとめ、
 一八三二年に出されたのが『病家須知』でした。

 本書が他の養生書と異なるのは、
 重誠が実際に現場で行ってきた臨床体験や
 自らが試して効果を得たことを
 具体的に書き記していることです。
 
 大病後に夜寝つかれない人を眠らせる方法を
 挿絵入りで解説したり、産後の寝床の図を示したり……。

 医者は病気になった人を治療するのではなく、
 病人が回復に向かう過程を手助けしていくのが
 本来の役割であること。
 
 そして自分の健康を自ら維持し、
 未病で防ぐための養生法に、最も重点が置かれているのです。
 
 結果的にこれが最も医療費を安く済ませる手段に
 なるのではないでしょうか。

 中でも私が強く衝撃を受けたことが三つありました。
 
 
 一つは、およそ病気というものは、
 皆自分の不摂生や不注意が招くわざわいであること。
 
 
 二つ目は、摂養を怠らず、
 療薬を軽んじてはならないこと。
 
 
 三つ目は病人の回復は看病人の良し悪しで
 大きく変わる――「医者三分、看病七分」の考え方でした。
 
 これは私自身が老輩者を看護したり、
 家族の看護に十数年間携ったりした経験からも、
 実感としてありました。

 これまでの日本の近代看護は、ナイチンゲールをはじめ、
 欧米から移入されてきたことから教育が始まっていますが、
 『病家須知』の成立はそれから二十年を遡ります。
 
 人間が本来持つ自然治癒力を高め、
 それを引き出していくという日本独自の視点や
 看護の土壌が存在したのではないか、
 というのが私たち研究会の見方でした。

「日本を知ることは江戸を知ることである」と言われますが、
 江戸時代と現代とは共通する部分が数多くあります。

 重誠は薬の服用について
 「薬をみだりに飲んではいけない」、
 医者を選ぶ時は
 「常に勉強している先生を選ばなければならない」等と
 記述していますが、重誠自身がまさに
 そのように生きた人でありました。
 
 彼の生きた時代は、ちょうど和蘭から
 西洋医学が入ってきた頃でしたが、
 重誠は治療の役に立ちそうなことは何でも取り入れ、
 普段の治療に役立てています。

 その克己的な生き方は、医聖と呼ばれた
 ヒポクラテスの「医の倫理」にも通じるものがありますが、
 これを言行一致させ、その通りに生きていくのは
 並大抵のものではありません。
 
 重誠は自分がした辛い思いを子孫には
 させたくないとの考えからか、
 孫の代まで医者を継がせることはしませんでした。

『病家須知』には、先に述べた養生の心得などの他に、
 健康を保つための食事や病気をした時の食事療法、
 子どもを育てる心得、病気が伝染る理由、
 消化不良や吐き下し、吐血、ひきつけ、脳梗塞、
 動物から咬まれた時、切り傷など、
 日常生活で起こり得る病の対応、
 婦人病、懐妊時の心得から無事に子どもを産ませることまで、
 実に事細かに記されています。
 
 そして片目を失明していたにもかかわらず、
 各漢字の横には小さな小さな文字で、
 素人にも読めるよう意味振り仮名が打ってありました。

 重誠はそんな自身の生き方を
「世話焼き心で、いても立ってもおられない性格」
 と自嘲気味に語っていますが、その根本には、
 人々を何とかして救いたいという
 重誠の迸るような情熱と人間愛とがあったのでしょう。

 現代は簡単に自殺をしたり、
 人を殺めたりしてしまう時代です。
 
 私は助産師をしていたせいか、
 人間は一人ひとりが選ばれて
 この世に誕生しているわけですから、
 どんなに辛い思いをしても、
 人間として生きてこそ価値があると考えます。
 
 子どもたちには、踏まれても踏まれても
 強く生きていく雑草のような存在であってほしい。
 
 その逞しい元気な体と心をつくるのは、
 やはり大人の責任であると思うのです。

『病家須知』の現代語訳完成は、
 皆様の健康づくりのための
 一滴の雫のようなものかもしれません。
 
 しかし、それを読んだ人たちがいかに内容を吸収し、
 自分の中に広げていってくださるか――。
 それが私たちの願いであり、
 人々の健康と幸福を心から願った
 重誠の切なる祈りではないかと思うのです。

 「念々死を覚悟してはじめて真の生となる」

12月 10th, 2011

      
       
  寺田 一清 (不尽叢書刊行会代表)

     『致知』2012年1月号
      特集「生涯修業」より
      
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私ももう85歳でしてね。
人生のゴールが見え出してからというもの、
森先生の教えの根本真理ともいうべき、

「人生二度なし」

という言葉が一層心に染みてまいるようになりました。

先生の、

「念々死を覚悟してはじめて真の生となる」

という言葉など、最初はピンとこなかったんですが、
この頃はその凄さを感ぜざるを得ませんね。

それから、私が今日あるのは森先生に
立腰、腰骨を立てることの大切さを
教えていただいたおかげです。

22、3歳の頃は結核で寝ておった病弱な私が、
立腰によって85歳のいまも全国を
回って講演させていただいておりまして、
森先生への感謝の念から、
講演にお招きいただくと必ずこの立腰をお伝えするんです。

初めて自宅にお招きした時に、
急に立ち上がり対坐している
私の腰のあたりをグッと押されたんです。

普通に真っ直ぐ坐るのではないんですね。
椎の4番と5番を弓を張るように
キュッと締めなければならないんです

森先生は、人間として大事なことの一つは、
いったん決心したら、石にかじりついても
必ずやり遂げる人間になることだとされ、
その秘訣として常に腰骨を立てている
人間になることを説かれています。

森先生の教えの中で、
立腰が一番重要な位置を占めると私は思います。

85歳になったいま、いよいよこの立腰を究め、
広めたいというのが私の心願なのです。