まほろばblog

まほろばのみなさまへ

2月 2nd, 2012

一昨日は、恵方巻で橋本くん、チョコで大和さん、

お香立てで堀内さんと、かつてのソフテの仲間が、何の予告もなく来てしまった。

そうすると、今度は、湘南の「cafe girino」の 玉生君からおたよりがあり、みなビックリ!!

こんな事って、あるんですね。

シンクロの不思議な働きには、本当に驚きました。

玉生君のメッセージをお読みください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

お元気ですか。

新しい年が始まり、はや2月。

2012年の売り出しも二回目を迎えるわけですね。

いつも様々な商品と、楽しいお便りをありがとうございます。
我々ジリーノも、心新たに、そして真摯に日々取り組んでいくのみです。
今年は、さらにいろいろな企画がもちあがっています。
葉山の神社で開催される朝市に出店したり、三回目となるアーユルベーダの講習会、

ギャニオンさんのメイプルの会、落語と落語にまつわるお話を、

江の島にちなんで名付けた「弁天寄席」なるかたちで一席。
なんだか、面白くなりそうです。
それから、堀内さんには器を注文しようかと思っています。
春には北海道へ移住する友達もいたりで、北海道・札幌とのご縁はずうっと続きそうです。
これからも、よろしくお願いいたします。

連日の寒波・大雪、どうぞみなさまお体大切になさってください。
cafe girino 玉生
追伸・ はっしーの恵方巻!

懐かしいですね。食べたいなぁ!

「現場力の高め方」

2月 2nd, 2012

      
       
  遠藤 功 (早稲田大学ビジネススクール教授、
        ローランド・ベルガー会長)

     『致知』2012年2月号
       特集「一途一心」より
         

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現場力を高めるにはどうすればいいのか――。
経営者にとって痛切な願いであり、永遠の課題であるに違いない。

しかし、それは社長が現場に出ていって
「おまえたち、もっとしっかりしろ」と檄を飛ばすことではない。
現場力というボトムアップの動きは、
実はトップダウンからしか生まれない。

重要なのは、経営者が現場に対してことあるごとに

「君たちが会社のエンジンなんだぞ」

と働きかけ、モチベーションを高めること。

現場の仕事をよく見て、

「この前のあの改善、よかったな」

と褒めること。

そして貢献した人物を正しく評価して登用していくことである。
経営者がこの努力を怠っては現場力の向上はあり得ない。

そもそも現場には慣性の法則が流れている。
現状のまま、決められたことを繰り返していることが
現場にとって一番楽である。
しかし、それでは現場は進化しない。

私がコンサルタントとして企業に入り、
まず着手することは、自分たちがいかに惰性に流され、
言われたことしかやっていないのかを気づかせ、
目を覚まさせることである。

それには「あなたたち、ダメですよ」と叱っても意味がない。
よいお手本、よい事例を実際に見せることが最も効果的である。

そこで私の顧問先で現場力の優れた他企業に連れていき、
見学をし、社員の話を聞いてもらう。

例えば、トヨタ自動車の生産現場に連れていき、
働いている人の話を聞かせると、
やはり皆「すごい」と驚く。

トヨタでは、年間約六十万件の改善提案が出て、
その九十%は実行されている。

当然品質もよくなり、コストダウンもできる。

見学に訪れた一人の社員が、トヨタの社員に

「どうしてこれだけの改善ができるのですか?」

と質問したことがある。

うちの会社はできないのに、なぜできるのか、
という素朴な疑問である。

それに対し、トヨタの社員は

「なぜできないのですか?」

と逆に質問していた。

これが現場力の決定的な違いだ。

トヨタでは自分たちの業務を改善するのが
当たり前だという企業風土が根づいている。
一方、現場力の弱い企業には改善するという風土がない。

この事例からも分かるように、
現場力は一朝一夕に高まるものではなく、
時間をかけてつくっていく組織能力である。

一年やそこらの取り組みで、簡単に手に入るものではなく、
五年、十年かけて根づかせていくもの。
倦まず弛まず現場力の重要性を説き続け、
その仕組みをつくり、根づかせるのが経営者の仕事といえる。

「無限ハート・お香立て皿」販売

2月 1st, 2012

https://www.mahoroba-jp.net/newblog/?p=1917#comment-167

昨夜、堀内洋子さんが、出来立ての作品を持って来られた。

「無限ハート・インセント・プレート(お香立て皿)」。

あの織部焼き、濃緑の釉薬など、さまざまな意匠は変化に富んで美しくも愉しい。

4mm、2mmと大小の線香の太さに応じられるよう、また灰が中心に落ちるよう工夫されている。

女性作家の感性だろうか、店でも女の人が「かわいいー」と歓声を上げている。

初心者にしては、中々のもの。

まほろばからデビューしたのもまた嬉しい。

これから、少しづつ数を増やしてゆく予定です。

中皿 ¥2.500   小皿 ¥2.100

わこチャン報告

2月 1st, 2012
2012.01.30 Monday
ボブ・サムも2/11!
 
 
大切な友人でもあり、通訳をさせて頂いたこともあるアラスカ、
クリンギット族の語り部ボブ・サム氏。

先日久しぶりに電話で話した時は、電話口に出るなり語り部の時のようなゆ~っくりした低い声で

「オ~ハ~ヨ~ゴ~ザ~イマ~ス」と相変わらずの茶目っ気ぶり(^^)

ボブ・サム今来日の初回イベントは2/11☆
昨年に続き、今年も奈良さんと日本を巡るようです。

偶然にも私の朗読会も、私にとって大切な人たちのイベントも2/11。

宮田雪監督追悼会@神戸、アルカトラズ島のサンライズセレモニー、そして更にボブまで!

ボブのサポートブログよりご紹介します。関東の方おすすめです☆

ともしびの巡礼2012 ボブ・サム&奈良裕之 in 東京

その昔、人が旅をするとき、荒野を安全に渡るためには自然に頼るしかありませんでした。

道しるべとしての太陽、月、星、それと自然についての智慧が、人間にとって最も大切なものでした。
自然と調和して生きることは、次世代の未来が安心であることを約束することでした。
旅の安全のために、シャーマンたちは祈り、歌い、感謝の気持ちを示して厄難を除けます。
目的地に近づくと、地平線上にはしばしばともしびが見られました。ともしびは旅人にとって、
その土地に食べ物と寝る場所があり、その地が安全があることの象徴でした。
今日では私たちの魂が、私たちが誰で、どこから来たのかを思い出させてくれるともしびの役割を果たしてくれます。
この先私たちが自然と調和して生きていけるように、私たちは音霊と神話をともに分かち合い、
これからも食べ物と寝る場所を求めて、安全を求めて、旅を続けていくのです。
ボブ・サム

■日時
2012年2月11日(土) 17:30開場 18:00開演

■場所
マスミ東京 スペースMURO
東京都豊島区巣鴨4-5-2
本社TEL 03-3918-5401
ショールーム直通 03-3915-4100
http://www.masumi-j.com/

■会費
5000円(定員50名・要予約)

■お申し込み・お問い合わせ
ワタリガラスの会
080-3501-5150
ravenfoundation@hotmail.co.jp

この<ともしび巡礼>昨夏はまほろばにも来ましたよ。地下の『無限心庵』が会場でした。

ボブが物語を語り、奈良さんが音を紡ぐ。2人の深いコラボが別世界へと誘いました。

まほろばの地下『無限心庵』を「最も素晴らしい場」と語ったボブ。
昨年の震災を日本で経験したボブは、東日本の被災者や被災地したのみならず、
母なる地球の汚染(海や大気、動植物)などにも心を痛めており、
語りの後クリンギット語で祈りを捧げていました。

実は、事前にボブから知らされていた日程は、

ちょうど私が札幌を留守にする期間だったのでボブとの再会を諦めていたのです。
ところが札幌に戻りまほろばを訪れた日が、
何と急きょ決まったまほろばでのボブと奈良さんの公演日!
「いや~さすがだね(^^)」と社長はじめ事務所の方に言われながら、
その日の予定を変更して参加する事に。

ボブ一行が到着し再会を喜んでいたら、ボブサイドから通訳を依頼して下さり

、これまた急きょ私が通訳担当に(^^)!

直前の依頼だったので、ほぼぶっつけ本番でした(^◇^;)

 ボブの通訳は以前にも経験があるので、大急ぎでザッと内容を確認!

でも、ボブのシンプルな魂の語りはスルリと私の中を通り抜けていくのです。

彼の思いを感じ、言葉をとらえ、来場されたかたの心と魂に向けて差し出す。

そんな作業なんです。
ボブの通訳。

大好きなんです。

心から。


(写真:先住民族サミット2010 WINアイヌ・愛知県立大共催 にて)

話がそれたついでにもう1つお話します。
実は、私が朗読を始めたのはボブの通訳をしたのがきっかけです。

ボブは物語を語るとき、先ず通訳担当者に日本語に翻訳された物語を読んでもらいます。
その後、ボブ本人が英語で語りだすのです。

数年前、友人の結城幸司さんが尊敬する語り部ボブを北海道に招きました。

その時、「通訳わこにやってほしいんだよね」と言ってくれたんです。

うれしかった

いろんな意味で本当にうれしかった

ボブとは初対面でしたが、2週間ほど同行して通訳や案内をしました。

クリンギット族のこと、物語のこと、ボブのこと、アイヌに対する思いや先住民族としてのいろいろ、
魂の話など、ボブは色々シェアしてくれました。
しっかりしたバックグラウンドがあってこそ、良い通訳が叶う事を彼は知っているのでしょう。

物語の翻訳をボブに先立ち朗読するにあたり、「棒読みは避けたいな」と強く思いました。

だって、彼の素晴らしい語り口、時に身振り手振りも入るあの臨場感あふれる魂の語りを何とかそのまま手渡したい!

その思いから、ボブに「私なりに感情をこめて読んでも良い?」と問うと

「わこの好きにやったら良いよ」との答え。

本番、ボブの語りを心に描きながら、日本語の翻訳文を読みました。

事前に書き込んだ句読点などを追いながら。ボブの語りの世界を追いました。

私の中にも響きわたる声が心地よく、朗読が好きになりました。

初回の後、ボブの世界観をなるべく伝えられたかな?と思っていた私に、

ボブは「君も語り部だね(^^)」と笑顔で言ってくれました。
そして、彼がかつて学んだという発声方法を教えてもくれました。

いつか、また何か心が震えるような物を朗読したい!そう思ったのです。

それから1~2年でしょうか。
あったのです。
心がぐいっと鷲掴みにされた本が。

それが今朗読している『生命の始まりから浄化の日まで~ホピ物語~』です。

冒頭にも書きましたが、私の今年初の朗読会と同日に、

私を朗読に導いてくれたボブ・サムの今年初語りの会があるなんて!

他にも深い繋がりのあるイベントが2/11にあります。

それについては、1/18のブログ2/11 神戸 札幌 アルカトラス島をご覧ください(^^)

「“現場”はコストではなく、バリューである」

2月 1st, 2012

      
       
 遠藤 功 (早稲田大学ビジネススクール教授、
        ローランド・ベルガー会長)

   『致知』2012年2月号
              特集「一途一心」より
       ────────────────────────────

私たちの周りにはたくさんの「現場」がある。
飲食店やコンビニ、スーパーなどの店舗、ホテルや病院など、
日常何気なく接しているところが、
企業の側からすると紛れもなく「現場」なのである。

この現場に内在する現場力こそが企業の実力であり、
現場力が強い企業ほど景気に関係なく成長・発展を遂げている。

ここで私が言っている現場力とは
「私たちは現場で一所懸命真面目に働いています」
というレベルの話ではない。

その定義は、欧米と比較するとより明確になるだろう。
欧米のマネジメントでは、現場は上から指示されたことさえやれば
それ以上は求められないし、下手をすると、
それ以上やるのはよくないこととされる。

日本企業は違う。

天然資源に恵まれない日本がここまで経済成長を遂げたのも、
現場の一人ひとりが自らの担当する仕事を
「もっとよくしよう」と自発的に知恵を出し、
改善・改良をしてきたからである。

それは製造業でもサービス業でもすべて同じであり、
現場の人材の質こそが日本の競争力のベースであった。

ところが最近、様相が変わってきた。
バブル崩壊以後、「失われた二十年」といわれるが、
何を失ったかといえば、現場力を失ったに他ならない。

なぜ現場力が失われたのか。

それは一言でいえば、現場を
「コスト」として考えるようになってしまったのである。

現場を単純にコストと捉えれば、
正社員ではなく非正規社員を増やすほうが安上がりだし、
外に出せる業務はアウトソーシングしたほうがいい。

そういう流れの中に、アメリカ的な管理思想も入り、
コンプライアンスを含め、企業の管理強化がなされた。

「現場が自発的に動いて、企業責任を問われるような
 失敗をされたら困る」

というわけだ。

そうして正社員が減った代わりにパート、アルバイトを雇い、
「マニュアルどおりにやってくれればいい」と考える。
九〇年代以降、こういう企業が増えたのである。

もともと日本は現場をコストセンターではなく
「バリューセンター」と位置づけてきた。

企業の価値を生み出すのは役員や本社ではなく、現場である。
であるならば、少しくらいコストが高くても、
それを上回る価値を生み出せばいいのだ。

その昔、日本は「資本主義」ではなく「人本主義」といわれた。
企業活動の中心には常に人があり、
人の能力を最大限に活かすことが日本経営の大きな特徴であった。

だからこそ懸命に社員教育を行ったし、終身雇用を約束した。
それに応えるように、現場の社員は会社にコミットし、
「自分の会社」として必死に働いたのである。

いつ首を切られるか分からないという状況で、
使命感や責任感をもって会社にコミットする人が生まれるだろうか。

人材はコストではなく、バリューである。
この原点に戻ることが、現場力を高めるための第一歩である。

恵方巻と橋本シェフ

1月 31st, 2012

この節分、「恵方巻」ばかりでなく

ハッシーこと、橋本君が帰って来た。

いわば、実家に帰省したようなもので、変わらない彼のヤル気が頼もしい。

ソフテでは、何時も創意工夫を重ねて、どんどん面白い企画を立てて、

みんなを喜ばせてくれた日が懐かしい。

今回、節分の2月3日に向けて、今朝から仕込みに入った。

急に、厨房が色めきたって、設備たちも嬉しそうにざわめいている。

今回既に、100個以上の注文が舞い込んで、彼の一時帰国を笑顔で迎えている。

きっと心からのラブコールなんだろう、嬉しいことだ。

そんなこんなで、何本作って皆さんを楽しませくてれるか、ワクワクしながら、

売り出し初日を迎えたい。

出来れば、彼に忙しい合間を縫って、これから季節の食報を伝えてほしい。

冬うさと展

1月 30th, 2012

(ヤンジーからの案内)

「笑いは神様がくれた最終兵器」

1月 30th, 2012

 中島 英雄

 (中央群馬脳神経外科病院理事長)
        
 『致知』2008年1月号
  特集「健体康心」より
       ─────────────────────

例えば残虐な事件に出くわしたとします。

すると非常に不快な気持ちになった後、
大きな不安が襲ってくる。
その行き着くところは恐怖です。
恐怖の根源には死、つまり自分自身の滅亡がある。

それをどう解決するかという時に、戦う、
または徹底的に逃げるといった選択肢が出てくる。

そして死に物狂いで戦ったり逃げたりする際に
アドレナリンやドーパミンといった
ストレス対抗ホルモンが猛烈に出るのです。
その対象物が大きくて強いほど多量に出る。

しかしその危険が去った後、このストレス対抗ホルモンが
体内に残ると猛毒と化してしまう。

ストレス対抗ホルモンは
ストレスに対抗している時には必要なのですが、
その状態から回避された時、
体内に残ってもらっていては困るのです。

これを消去するために癒やしのホルモンが出るのですが、
このホルモンは作用が弱く、かなりの量を放出しても、
ストレス対抗ホルモンをつぶしていくのにはとても追い着かない。

だからそういう時に笑うんです、人間は

あるいは大泣きをすることで、
固体だったホルモンが一瞬にして気体となって
バッと昇華してしまう

ある人はこれを
「余剰エネルギーの昇華」
という言い方をしています。

おなかがすいて泣いていた赤ちゃんが、
おっぱいを飲むとニコッと笑う。

別に笑う必要はないんですよ。

満足したならそのまま寝てしまえばいい。
だけど人間は、笑うというある意味で
「無駄」な行為をする。

なぜか? 

母親への「ありがとう」という気持ちを伝えるためです。

そしてその笑顔を見た母親も
「あぁ、この笑顔がまた見たいなぁ」と感じる。
だからまたおなかがすいた時におっぱいをやろうと思う。
親子のやりとりはその繰り返しなんですね。

           * *

先日もテレビでこんな番組を見ました。
ある幼い女の子が小脳欠損症で
歩けない体であるにもかかわらず、
ちゃんと笑っているんです。

親の影響ですよ。

笑顔のお父さん、お母さんにつられてその子も笑うんです。
それを見た両親もその子のためにまた一所懸命になる。

恐ろしい力ですよ、笑顔というのは。
大の大人を二人動かしてしまうんですから。

笑いは神様が人類に与えてくれた
最終兵器ではないでしょうか

慰安旅行&新年会

1月 29th, 2012

年に一度の慰安の旅。

とはいっても、一泊近隣の温泉宿。

24日夕刻より、小樽の名宿「ふる川」さんへ。

新生さんの三輪社長の朋友でもある古川社長には、大変お世話になっている。

定山渓、虎杖浜、そして小樽、それぞれに趣があって甲乙付け難い。

北一ガラスなどの連立する運河沿いにある「ふる川」さんは始めての投宿。

そして、感銘。ことに雪積もる温泉は、陰影暗く、日本情緒が北国でここまで堪能出来るとは。

谷崎潤一郎の「陰影礼賛」を思い出す。

本州の方々、是非小樽散策の際は、是非「ふる川」さんへ。

全国の旅館サービスコンテストで、堂々一位の意味が分かります。

http://www.otaru-furukawa.com/

湯に浸かりながら、一年の疲れを癒す、いいじゃありませんか。

ヨモギサウナもこれまた、発汗が良く、すっきりしてお膳に臨める。

また、食事がことのほか際立つ。

海浜の街に相応しく、海産のお膳は鮮度この上なく、

魚介を毎朝扱っている私をして唸らせるほど素材が上物。

きっと、この膳を前に、誰もが肯くであろう。

第一等の料理長が、これを仕切っておられるとか。

みな満足すること、並にあらず。

雪景色の外海と街並を下に見やりつつ、寝床に着く。

明治・大正ロマネスクに満ちて懐憶の情にそそられる。

朝食の質も並ならず、手の込んで心満足せしめ、

さらに焼き立てのパンには、歓喜の声を上げた。

次から次へとお代わりする皆の衆。

我輩としては恥ずかしくもあるが、そう言う私も何回か通うに見苦しく、反省しきり。

それほど美味なるは、さすがスイス仕込みのクロワッサンとかや。

そんなこんなに湯船を惜しみつつ、次なる会場、

小泉武夫先生お馴染みの、皆の待つ佐藤水産直営「まるだい亭」へ直行。

あの最後の一風呂が誤った。

皆遅れることしばし、渋滞を抜け、ようやく着くと、みなすでに待ちに待つ。

晴れやかにも、燦然と輝ける如く、皆の喜色満面として迎えを受ける。

年に二回の慰労会。これで、50回以上を越えている。

何時になっても、和やかな会合はいいものだ。

http://www.sato-suisan.co.jp/restaurant/marudaitei.html

隔月に小泉先生の講演会と宴会会場ともなるここや、直営「ジュノー」さん。

初めての懐石を食す子もいて、感慨も一入。

皆の挨拶も程よく、穂積君の司会進行も堂に入って妙味あり。

大橋、島田の老練の語りも唸らせ、絶叫する一場面もあった(笑い)。

1時間余りで、中標津の興農ファームでのシンポジウムに向かうべく中途で専務、福田と退席。

これから雪道8時間余りを走らねばならず。

後は、みなくじ引きで、半年貯めた景品に一喜一憂、大盛況だったであろう。

そのあと歌に遊戯に、一年のストレスと疲れを発散して、また明日からの英気を養ってもらいたい。

少なくも短い慰労に、報いること申し訳なく、だが、これほどまでに続く絆に感謝するばかりだ。

また、夏の場面に一皮も二皮も剥けて弾けた皆を、見てみたい。

「3は数の王様」

1月 29th, 2012

    澤田 則幸

(BRK経営計画コンサルティング事務所代表)

  『致知』2000年3月号「致知随想」
   ※肩書きは『致知』掲載当時のものです

…………………………………………………………………………

経営コンサルタントとしてこの20年以上に、
およそ20の業界に関わらせていただいたが、
その現場トップの考え方から私は最近、
3という数字の偉大さを思わずにはいられない。

「『1』は、数字のなかで最も大切である。
  なぜなら1は、すべての始めであり、
  1がなければなにもスタートしない」

これは尊敬する数学者・岡潔博士の言葉である。

私はここ20年来、岡博士の著書などから先生の思想哲学を
ビジネスに応用・実践できないものだろうかと考えてきた一人である。

俳優の津川稚彦さんは、動物の縫いぐるみを商品化した。
これは、岡博士の著書『春宵十話』に詳しい情緒哲学を
応用して開発したと聞いた。

「2」の数字は、なぜか難しい数であるという。
二枚舌、二重人格、二枚腰などどれをとっても、
どこか二クセありそうである。

会社のナンバー2は、組織上、たいへんな役目を担うことが多い。
それは職名でなく、2の数字の因果性に由来しているのではないか。
組織はナンバー2がしっかりしていなければ成長は難しい。

それは家も同様で、一般的に家庭のナンバー2は妻である。
しかし主婦が「主夫」である場合、男性がナンバー2の
役目を担うことになる。

つまり、2の数字は、必ずしも女性を意味しないのだ。
江戸後期の、国語辞書に「女男(めを)」とあるのは、
男女が順位のすべてではない。

つまり、わが国でも、2を女性と決めている訳ではないのである。

「3」は「数の王様」だ。その例を並べてみる。

・原則 例外 特殊(法律)

・目的 目標 手段(計画)

・短期 中期 長期(目標)

・ヒト モノ カネ(手段)

・戦争 中立 平和(政治)

・企画 提案 実践(仕事)

そのどれもがよく分かるのである。

すなわち、2つでもなく、4つでもない。
必ず3つである。

結婚式の三々九度は、この三を3度繰り返す。

3つの概念を並べると「全体」を示して
このように、1つのテーマを3つで表現すると、
過不足がない。

つまり、世界のあらゆることは、
3つの概念で成立しているのではないか。

私たちは、立体すなわち三次元の世界までは認識でき、
四次元の世界を認識できないことと同意なのだろう。

小樽の米沢印刷・米沢正社長からは「経営実学」を
手を取るようにご指導いただいた。

ある日、経営のコツを質問すると米沢社長は
三つの概念でキッチリと答えられた。

1、集金に行くこと。
2、社員の給料を払うこと。
3、仕入代金を期日に払うこと。

の三つ他は無し、と。

そしてこのことに、学歴や新知識が必要か、と付け加えた。
その米沢社長から、手ぬぐい一本から財閥を
つくり上げたという財界人自筆の巻紙「商人の道」の
実物をいただいた。

これは私の事務所に掲げ、いまも勇気の拠り所として大切にしている。
これと同じ巻紙のことを、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊会長は
『商いの道』に書いておられた。
氏も会長室に掲げておられるという。

秋田の第一水産・上村治輔会長は
「商い」を知る優れた経営者である。

ある日、上村会長は水産現場の作業服のままで、
てっきり近くの支店にでもいくものとばかり思っていたが、
着いた所は羽後銀行(現北都銀行)の本店頭取室であった。

上村会長は、鈴木頭取と随分親しそうに30分程話された。

私は、頭取との交渉事はこのような話し方をするものなのかと
思いながら同席していた。
会長は無言であったが「商い教育」のため、
私を同席させたのだった。

帰路、会長は、次のようにやはり「3つ」の概念で語られた。

1、銀行に使われるな。
2、銀行を使える者になれ。
3、商は人・物、そして金、と。

北海道庁の元公営企業管理者の浅井理一郎さんは、
地方財政のエキスパートであった。
しかも、政治力もあり、上司にも部下にも信頼の厚い人で
「浅井学校」と畏敬されていた。

そこには秘密があった。
私が組織の人間関係でどうしようもなく悩んでいたとき、
教えを請うたことがある。

すると、やはり次のごとく「3つ」で答えられた。

1、人の悪口は、絶対にいわないこと。
2、褒めるときは、直接は駄目。陰でのみ褒めること。
3、仲間が、悪口を話し始めたときは、口をつぐむこと。

なぜなら、両方とも本人の耳へ、必ず届くものだから、と。

浅井さんは、簡単なようでいて哲人的なこの手法を、
厳しく実践していたのである。
長い年月ご指導を受けたが、確かに他人の悪口を
一度も浅井さんから聞いたことがない。

私には現代の『論語』ではなかったかと思えるのだ。

私は、その二十年の“研究成果”を、
このほど『経営の現場から「考え方」の研究』という
一冊の本にまとめ、これまでお世話になった方々に
謹呈しているところだ。