まほろばblog

「誰しもが自分の中のエベレストを登っている」

2月 6th, 2012

      
       
   栗城 史多 (登山家)

             『致知』2012年3月号
              特集「常に前進」より
         ─────────────────────────────

マッキンリーを登頂してからは、
とにかく無我夢中で世界の最高峰を登り続けました。

ただ、その中で感じたのは、
登山がいかに孤独な世界であるかということでした。

頂に立った時の感動や山で得た学びを、
帰国後友人に伝えようとしても、
まったく理解してもらえなかったんです。

だからよく登山は観客なきスポーツとか
非生産的行為といわれるんですが、
やっぱりこの感動を多くの人と共有したい。

どうにか伝えられる方法はないかなと思っていた時に、
偶然、あるテレビ局から
「インターネットの動画配信をやりませんか」
というお話をいただいたんです。

2007年、世界第6位の高峰、
ヒマラヤのチョ・オユーを登る時でした。
ただ、一つ問題があって、番組のタイトルが
「ニートのアルピニスト 初めてのヒマラヤ」
という名前だったんです(笑)。

それで、日本全国のニートや引きこもりの方から
たくさんメッセージをいただきました。

「おまえには登れない」とか、中には
「死んじゃえ」とかですね。
そういう悪いメッセージばかり。

それでも1か月以上かけて登っていきました。
しかし、頂上付近で天気が悪くなってガスがかかってしまい、
断念せざるを得なかったんです。

それで一回、5,300メートル地点にある
ベースキャンプまで下りていきました。

するとまた、誹謗中傷の嵐です。
「ああ、やっぱりダメだった」
「夢って叶わないんですね」と。

いったん8,000メートルまで行くと、
もの凄く体が衰弱するんです。
酸素が3分の1なので、気圧も3分の1になり、
体の水分がどんどん外に抜けてしまう。

そのため脂肪だけでなく筋肉まで落ちて、
全然力が入らなくなるんです。

ただ、このまま終わるのはどうしても悔しかった。
私は3日だけ休養を取り、再アタックしました。

そして、5日間かけて頂上につくことができたんです。

すると、それを見ていた人たちの言葉が
180度変わりました。

それもただ、「栗城は凄い」とかではなく、
「僕も本当は夢があって、諦めていたけど、
  もう一回やろうと思いました」とか
「私も何か始めようと思いました」と。

で、その時に思ったんです。

「ああ、自分だけが山に登っているんじゃない。
 皆それぞれ、見えない山を登っているんだな」
 
 
って。

講演会をしていても、
「この間の試験受かりました」
「夢叶えました」と、
私のところに報告に来てくれる人が多いんです。

先日も、41歳でようやく教員試験に受かって
先生になれたという方が報告にきてくださったりしました。

その人にとっては教員試験が見えない山であり、
エベレストです。

そして、誰しもが自分の中のエベレストを登っているわけです。
勿論、中には挫折してしまった人もいるでしょうが、
私はそういう人たちと夢を共有して、

「自分はできない」「無理だ」

と思っている心の壁を取っ払いたい。
見えない山に挑戦し、ともに成長していきたい。
それが私の目指す登山なんです。

自然食品の裾野を拡げよう!

2月 5th, 2012

『万歳市』3日目、昨日まで好調な客足。

寒さにも関わらずありがたいことです。

二階の「うさと展」も引きも切らさず、賑わっています。

口コミで、随分客数が増えたという事です。

明後日から、ヤンジーチームは、再びと東北支援に旅立ちます。

明日、エリクサー水を18Lポリで50ほど積んで行きます。

本店では、㈱食ライフの峯社長さん三人が無肥料・無農薬原料の

お米や大豆などで作ったポン菓子やオコシ、お茶、黄粉などを即売されました。

こういう催し物は、初めてとのこと、お客様と対面して、手応えがあったそうです。

良かったですね、次は厚別店ですね。

大和さんが、様子を見て、その場でシュークリームを作り始める。

カスタードクリームの一杯入った中味と味の濃いシューに感動!

明日から「サラ」のチョコレート作りに入ります。

完成が、また楽しみですね。

毎月、東京からムソーの小林さんが助っ人に来て下さいます。

何時も、皆様に品物をお安く提供出来るのも、卸会社さんの御蔭です。

この場を借りて、厚く感謝申し上げます。

こうした地道な積み重ねが、自然食品を市民に広く拡げています。

今や、自然食品は高い、という既成概念は壊れつつあります。

少しでも市民感覚に近付くように双方努力して行きたいと思います。

どうぞ、これからも見守って頂けますよう、よろしくお願い申し上げます。

 「未来は歴史の上にある」

2月 5th, 2012

   唐澤 るり子 (唐澤博物館代表)

    『致知』2011年10月号「致知随想」
     ※肩書きは『致知』掲載当時のものです

…………………………………………………………………

 東京練馬の閑静な住宅街の一角に、
 江戸から昭和にかけての教育資料を展示する
 唐澤博物館があります。
 
 当館は私の父、教育史研究家・唐澤富太郎が
 長い歳月をかけて収集した数万点におよぶ研究資料の中から、
 特に選りすぐった七千点余りを展示しています。

 日本で最初に使われた国語教科書や第一号の卒業証書、
 時代を映す通知簿、児童作品、玩具など、
 当時実際に使われていた実物の資料がぎっしりと並んでいます。

 驚くべきことに、これらの夥しい資料は、
 富太郎が五十歳を過ぎてから個人で全国各地を巡り
 収集したものです。
 
 そして平成五(一九九三)年、富太郎八十二歳の時、
 自宅収蔵庫を改築して唐澤博物館を開館。
 
 晩年、「これらのものは執念で集めた」と語ったように、
 富太郎は教育史研究という一点に人生を懸けた人物でした。

 
     * *

 唐澤富太郎は明治四十四(一九一一)年、
 新潟の出雲崎に生まれます。
 生来、探求心が旺盛で、学業・操行ともに優秀だった富太郎は、
 小学生時代すでに「将来は必ず博士になる」と志を抱いていました。
 
 その後十四歳で上京し、師範学校で研究に没頭。
 更に学位論文で中世仏教教育を研究したことで
 仏教観が身体に沁みこみ、その後の研究姿勢に大きな影響を与えます。

 唐の禅僧・百丈懐海の言葉

 「一日不作一日不食」(一日作さざれば一日食らわず)
 
 
 を自ら揮毫し、仕事部屋に掲げ、研究に没頭していました。
 給料はすべて研究に費やし、貧しかったためスーツは一着だけ、
 破れるまで新しいものは買わないほどの徹底ぶりでした。

 また、研究生活には盆も正月もなく、
 いつも「引っかかったら鬼だぞ」と言って
 仕事場に籠もるのです。
 
 取り掛かったら一心不乱、研究に専念する。
 まさに、自他ともに認める「研究の鬼」でした。

 戦後、日本教育史に携わるようになった富太郎は、
 昭和三十年から三十一年にかけて
 『教師の歴史』『学生の歴史』『教科書の歴史』の
 近代教育史三部作を出版し、脚光を浴びます。
 
 その後、世界の教科書に目を向け、
 五十四か国の教科書を収集し、
 三十六年『世界の道徳教育』を発刊します。


 
 

 この本が世界から注目され、翌年ユネスコの招聘に応じて
 ドイツで講演を行っています。

 その折に欧米十六か国の教育現状を視察したのですが、
 最後に辿り着いたボストン美術館で衝撃を受けます。
 
 そこで日本庭園を背景に展示されていたのは
 江戸期の浮世絵や調度品で、西洋にはない
 日本独自の美の素晴らしさを再認識しました。
 
 同時に、日本の文化財が海外に流出し
 注目を集めているにもかかわらず、
 当の日本人が日本のよさをあまり理解していない
 愚かさに憤りを覚えるのです。

 ボストンから帰国した富太郎が
 戦後の教育史研究を改めて見て気づいたのは
 「児童が不在である」ということでした。
 当時は教育制度や法令といった
 上から目線の研究ばかりが為されていたのです。

 それに対して富太郎は、現実にその時代を生き、
 教育を受けた児童そのものに視点をあてた研究にこそ
 意味があると考えました。
 
 そして子供たちが実際に使ったノート、筆箱、
 ランドセル、教材、教具など、
 児童を取り巻くありとあらゆるモノを通して、
 その実態に迫ろうとしたのです。

 ここから全国各地を巡り教育資料を収集するという
 新たな研究生活が始まります。

 当時の日本は、終戦によって価値観が一変し、
 新しいものばかりが追求された時代です。
 
 一度は捨てられ埃にまみれたような教育資料を
 宝の如く大事に両手で抱え、自宅に持ち帰る日々が続きました。

 前例のない型破りな研究に、同業者からは
 冷淡な目で見られることもあったようです。
 それでも富太郎は資料保存の意義を熱心に語り、
 全国の教え子や教育関係者を巻き込んで収集にあたったのです。

 富太郎は
 
 
 「モノにはそれをつくった人、使った人、
  大事にとっていた先人の知恵や心がこもっている。
  それを感じ取ることが大切である」
  
  
 と常日頃から口にしていました。
 百万言を費やしても、実物の持つ情報量には
 敵わないというのです。
 
 そのため、新しいものばかり取り入れ、
 古いものは捨てるという当時の軽薄な風潮が
 許せなかったのでしょう。
 
 そして常人には理解し難いような収集活動に奔走することで、
 高度経済成長で商業主義に蝕まれる危険性に
 警鐘を鳴らそうとしたのでした。

 唐澤コレクションの中には、
 戦前どこの小学校にもあった奉安殿
 (教育勅語や御真影を納めるため学校の敷地内に造られた施設)や
 教育内容の一変を象徴する墨塗りの教科書もあります。

 GHQの占領政策によって戦前の教育が否定されて以来、
 当の日本人が自らの教育の実態を省みることが
 少なかったのではないでしょうか。
 
 歴史の真実を物語るこれらの資料を遺した功績は
 大変意義深いものだと感じます。

 生前、富太郎はよく
 
 
 「未来は歴史の上にある。
  過去を知らずして未来はつくれない」
  
  
 と申しておりました。
 
 父・富太郎が自らの命のすべてを懸けて
 後世に遺してくれたものを、
 一人でも多くの方々に伝えることが私の役目であり、
 使命であると感じています。

ミニ豚運動会?!in興農ファーム

2月 4th, 2012

1月25,26日と、中標津の興農ファームで、「知床新農業フォーラム」が開かれた。

26日はあいにくまほろばの新年会で、中途退席して1時に向かった。

雪道を延々と約8時間、着く頃は暗闇の中から国後島や羅臼岳が青白く浮き出ていた。

このような厳寒の中を35年もの間、戦い続けて来たのか、という感慨が沸いた。

本田代表の壮絶な有畜農産業への挑戦は、漸く曙光と共に実を結ぼうとしているのだ。

その発表の場である両日の意味は重くして重い。

報告は後日に譲るが、この概要は今月の「まほろばだより」を読まれたい。

甲子園の15面もある壮大な酪農地に、完全放牧された野生化した逞しい牛達の生き抜く力と、

豚たちの元気の良さにほっとする。

自由に走り回れる豚の本来の健康さというものを見せてもらった。

そして、次代の農業の在り方を示して頂いた。

万歳市!!!

2月 4th, 2012

2月の「ありがとう市」『万歳市』は、只今雪と寒気の中、

沢山の方々にお越し戴いております。

暦の上では、立春ですが、例年にない厳しい寒さ。

ムソーの小林さんが、昨夜千歳空港に降り立った時、

-18℃だったとか。

そんな中めげずに、皆様にご来店頂き、感謝の気持ちで一杯です。

上では、ヤンジー&アグネスご夫婦が「うさと展」で頑張っています。

次から次へとお客様が2階に上がり、うさとファンの多さにビックリです。

一度着ると、体も心も楽になって、手放せなくなるようです。

そういう私も、勇気を出して着ています。

てらいがあって、気恥ずかしく、小心者なんですね。

売上金の一部が、東日本支援にも繋がっています。

今月のまほろばたよりには、『福島の奇跡、奇跡の福島』と

題した一文の報告がありますので、お読みください。

「自ら習い、盗まなければ身につかない」

2月 4th, 2012

 
  一龍斎 貞水 (講談師、人間国宝)

      『致知』2009年4月号
          特集「いまをどう生きるのか」より

───────────────────────────────

最近の若い人はよく、
「教えてくれないからできない」なんて言うけれども、
そういう人間は教えたってダメですよ。

カメラだって、シャッターを押せば
写真を写すことはできる。
けれども、カメラ、写真の神髄は、教えようがない。
つまり、教えてくれないんじゃなくて、
自分が何を受け止め、感じるかでしょう。

だから伝統芸というのは上の人が後に続く人に、
ついてこいというものではない。
後に続く者が先人の芸、技を盗み、
自分の中に取り込んで練り上げてゆく。
それが伝統を守ることに繋がってゆくのだと思います。

僕はたまに

「貞水さんはあまり後輩にものを教えませんね」

って言われるけど、僕らは教えるんじゃなくて
伝える役なんです。
伝えるということは、それを受け取ろう、
自分の身に先人の技を刻み込もうとするから
伝わっていくもの。

教えてくれなきゃできないって言ってる人間には、
教えたってできませんよ。

実は我々も若い頃、自分の技の拙いのは
先輩が教えないからだって
愚痴っていたことがありました。
そうしたら師匠に言われましたよ。

「おまえたちは、日頃いかにも弟子だという顔をして
 俺の身の回りの世話をしているくせに、
 俺が高座に上がっている時、
 それを聴こう、盗もうって気がちっともない。
 ホッとして遊んでる。
 
 俺が高座に上がっている時は、
 どんなに体がきつかろうと、
 お金を払って見に来てくださっている
 お客様のために命懸けでしゃべってるんだ。
 
 その一番肝心な時に、聴いて自分から習おう、
 盗もうって気がないからうまくならないんだ」

2月の感謝祭!

2月 3rd, 2012

今日から、2月の感謝デー。

2・8は一年で最も暇な月ですが、何か爆発しそうな勢いのあるスタートの朝。

みんな、張り切ってお客様をお迎えします。

 

 3日の節分も重なって、「恵方巻」販売や「うさと展」なども同時開催、

「食」ライフさんの直売もありで、店内は、ごった返しています。

外は例年にない大寒で、これほどの寒さは経験ないほどです。

それでもめげずに、頑張っています。

光が強く射して来ましたので、今の内におこし下さいね。

『松下幸之助 成功の秘伝75』から

2月 3rd, 2012

『松下幸之助 成功の秘伝75』(渡部昇一・著)より
 

 幼い頃から松下幸之助を
 尊敬の念をもって見つめ続けてきたという著者は
 かつて松下氏の依頼を受けて伝記を執筆し、
 氏の晩年には月に一度、
 直接話を聞いてその教えに触れたといいます。

 本書は松下氏と親交のあった著者が、
 自身の体験に基づく深みのある解釈を
 織り交ぜながら、氏の歩んだ生涯をたどり、
 氏が体得し実践してきた成功の秘伝を
 75のテーマに厳選したものです。

    *     *

   松下さんは数多くの苦労をしてきたが、
   苦労話を偉そうに話していない。
   「いまから見れば大変なようだが、
    当時としてはそんなでもなかった」
   という見方ができるのは、
   自分を客観視できる“大人”の証拠である。
                 ―― 第一章 大をなす者の条件 より

   若さの特権とは、時として
   最も危険な要素を無視して
   決断を下すところにある。
   若さと蛮勇がない人は、
   一業を興す人にはなれないのである。
                 ―― 第二章 少青年期をいかに過ごすか より

   本物の商売人には
   お客さんを喜ばせたいという
   本能が備わっている。
   徹底的に相手側を喜ばせたいという気持ちが
   なければ、商売は絶対にうまくいかない。
                 ―― 第三章 商売の心得 より 

   どんな貴重なものでも量を多くすれば、
   ただに等しい価値をもって
   提供することができる。
   そうすれば貧乏から生ずるあらゆる悩みは
   除かれていく――これが松下さんの得た悟りであった。
                 ―― 第四章 経営とは何かより

  
   独立した商売人としての松下さんの最初の成功は、
   頑張りつつ柔軟に転換したというところに理由があった。
   事業家は頑張らなくてはいけない。
   しかし、固執してはいけないのである。
                 ―― 第五章 経営者の資質 より

    *     *

 人生の指針となるものから、
 事業経営に関する幅広いテーマについて、
 具体的なエピソードを紹介しながら、
 松下氏の生き方、考え方に迫っていきます。

 その中でも、氏が自転車で
 品物を運んでいた際に自動車に跳ね飛ばされ、
 走ってきた電車に危うく轢かれそうになる
 という大事故に遭ったときの話は印象的です。

 氏は命の危険にさらされながらも、
 大した怪我を負わなかったことから、
 かえって自分は強い運の持ち主であると
 信じるようになったといいます。

 また、松下氏が両親から受けた影響や
 丁稚小僧時代の実体験の数々は、
 その後の大経営者・松下幸之助の
 人生観、仕事観のベースを明らかにしており、
 一読の価値ありです。

 どのようにして「経営の神様」、
 松下幸之助は生まれたのか。
 
 本書には「成功するための秘伝」が
 多岐にわたって紹介され、
 人生や仕事に活かすヒントに溢れています。
 自信をもっておすすめする一冊です。

名碗を観る

2月 2nd, 2012

当代きっての目利きと言われている林屋晴三氏の近著「名碗を観る」を読んでみた。

陶芸家にとっての最終的難関は茶碗にあると言う。

確かに、一碗を一城と取り替えるという逸話があるように、

大名をして命をかけるほど魅惑せしめる何かが潜んでいるのだろう。

「一壺中に天外を観る」とは真実の話しなのだ。

半世紀以上、古今東西の茶碗を見続けて来た林屋氏にとって、

その心眼は、あらゆるものに通じる活眼となっていた。

長い文中、最後の対談で、チラリと本音を明かされた。

それは、私が常に抱いていた事でもあった。

前後は割愛させてもらったが、要は情緒と感覚の違いではないかと思う。

現代の何事でもいえることだが、ことに芸術においても、

目先の感覚や感性ばかり取り沙汰されて、依って来るところの心が見えなくなった、

とでも言えるのだろうか。

そんな意味でも、胸の閊えが取れた一瞬でもあった。

表現が先にあるのではなく、自ずと後に現れるものなのだ。

現代に求める茶碗とはどういうものですか?

長次郎でもなく、オブジェの前衛でもなく、今を生きる感覚を

持つものが存在するはずだということですか?

林屋…そうではなくてね。

若い人が最近やたらに茶碗を造っていますが、なにか表面的です。

前衛的な造形性を求めた浅い自己主張なんです。

碗をオブジェとして造っているのなら構わないけれど、茶碗として造っている

なら、一碗の茶を飲ませることへの愛情がほしいと思うんです。

茶碗というものは、人に一碗の茶を飲んでいただく

という思いの中から出ないとだめなので、心の豊かさから生まれたものでないと。

表現者としての白己主張を打ち出そうとする茶碗では、

濃茶を練ってみても、どうしてもおいしい茶が点たない。

茶碗においしい茶を点てさせるものがないのでは困るのです。

茶巾で拭いても、ざらざらして中側をまわらない。

自分の表現だけがあって、茶碗として成立するものを捨てていると思わざるを得ない。

みんな今に生きているんですが、理想の茶碗とは何ぞや

という点では何人もそこへ行つていない。

だから僕がやるより仕方ないと思うんだ。・・・・・・

まほろばバレンタインケーキ

2月 2nd, 2012

名パテシエの大和さんの再登場で、バレンタイン・ケーキが販売されます。

試食しましたが、正に絶品!!

やはり本物の原料と腕が、ものをいいますね。

きっと、彼のハートを射止めることでしょう!!!

限定品ですので、早目のご予約を。

3月には、お雛さまケーキも出す予定です。