「母を思う歌」道新に!
金曜日, 3月 18th, 2016北海道新聞・論説委員(社説などを書かれる方)の森川純氏が、
後藤吉助氏を取材して、
16日(水)夕刊の一面「今日の話題」に『母を思う歌』と題して掲載された。
後藤翁、おめでとうございます!!!
良かったですね!!
大変、うれしく思います!
「母を思う歌」
卒寿を迎える道東育ちの男性が作詞作曲したCDが先月、全国発売された。
高齢で挑戦する姿と、歌に込められた母への思いが共感を呼んでいる。
11曲を収録した「母ごころ」を作ったのは、
東京在住で韓国ノリの輸入を手がける89歳の後藤吉助さん。
幼少期に背中で聞いた子守歌の記憶や教わった人生訓、
母を慕う心を表現した。
2年前に本人が歌ったCDを出したところ、
感動した札幌の経営者仲間らが広めようと支援。
インターナショナルミュージック(横浜)が発売元となって
女性歌手を登用し、本格的に売り出された。
吉助さんは7人兄弟の次男として福島県で生まれた。
昭和恐慌で牛乳配達など両親の仕事が切迫し
1935年(昭和10年)、今の釧路市阿寒町の舌辛村に移住した。
母ミツさんの在りし日の姿は鮮明だ。
イモや大豆を植えた畑で幼子を背負って働き、
子供たちに善悪を厳しく教えた。
近くの炭鉱から逃亡した朝鮮人労働者を自宅でかくまい、
食事と風呂を提供したことがある。
その姿から慈悲の心を学んだという。
古里を長く離れていた吉助さんは73年、
やせ細って床に伏せるミツさんと最後の対面をした。
「おまえにあげる」と巾着袋から取り出しのは、
小さく折った1枚の千円札。
数日後、ミツさんは81歳で死去した。
「子を思い、分け隔てなく人を助けた母でした」。
吉助さんの使命は、母の心の伝承だという。
虐待をはじめ親子の事件が絶えない今、
「母ごころ」は大切なことを教えてくれる。
(森川 純)
¥1.389+税 (まほろば両店舗扱い中)
Posted by mahoroba,
in 「倭詩/やまとうた」, 音楽
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