まほろばblog

Archive for the ‘人生論’ Category

日本人礼賛論

火曜日, 1月 3rd, 2012

   ♪
黄 文雄

『世界から絶賛される日本人』(徳間書店)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 三重苦にとりつかれたヘレン・ケラーが、或る日本人のことを知って一念発起した。

彼女は秘書兼守り役の女性と指先だけで交信し、奇跡の業績をあげたことは有名だが、

彼女が尊敬した日本人とは誰だったのか?


 国学者だった塙保己一である。
塙保己一は七歳で盲目となり、十五歳で学問を志して江戸へでる。

針灸、浪曲、三味線、琴を吟じて生計を得ようとするも叶わず、絶望して自殺しようとした。

恩師が塙保己一の異様な学問の才能を見いだし、和歌、古典を学ばせる。かれは耳だけで古典を記憶していく。
それだけでも尋常な才能ではない。
塙保己一は耳だけで、国学、神道をまなび賀茂真淵に弟子入りし、

ついには生涯かけて『群書類従』を完成させた。
さらに和学学問所を開講、これは現在の東京大学史料編纂所である。

塙保己一のもとには平田厚胤、頼山陽らも駆けつけた。

清末の無秩序で争乱の巷と化した北京で民衆から神のごとく尊敬をあつめた日本軍人がいた。

五郎である。

かれは会津藩が戊辰戦争にやぶれて下北半島の貧困地域に強制移住させられたさきの、渓谷のボロ小屋に生まれた。

北京駐在の外国武官らは、芝の志気ぶりを驚嘆し、賞賛した。
辛亥革命にはせ参じて決起に参加し散華した多くの日本の志士がいた。
ビルマ独立運動もインドネシア、ベトナム独立運動も背後にあって軍事作戦を指導したのは日本の軍人だった。
台湾に上水道を整備した日本人技師がいた。

ダムをつかって豊饒な平野にかえた日本人技師がいた。

北朝鮮に巨大発電所をつくった日本人がいた。
こうして日本人が忘れてしまった歴史上の英傑や偉人を、じつは外国人が高く評価していた。
 本書はこうした歴史に埋もれた日本人の再発見であり、魂を揺さぶられる。

 「干支九星学でみる平成二十四年」

月曜日, 1月 2nd, 2012

  今年のあなたの運勢を占う
       
       
    井上 象英 (神宮館高島暦著者)
        
      『致知』2012年2月号より
 http://www.chichi.co.jp/news/topics/3259.html

────────────────────────────────────
+++++++++++++++++++++++++++
☆平成二十四年の言葉☆
+++++++++++++++++++++++++++

地震と津波で東北の歴史と文化の象徴がいくつも破壊。
正しく昨年は辛酸を嘗める経験をしました。

平成二十四年は壬辰・六白金星の星盤となります。
十干の「壬」は水路を正し収蔵の働きがありますが、
姙や孕むと同意義。

不安と同時に将来への期待もあります。

十二支の「辰」は、本来は龍をイメージしていますが、
震や振と同意義で新しい生命活動の象徴です。

『周易説卦伝』「万物震ニ出ズ」(第五章)がその元始。
九星の「六白」は金星で仁愛をもって尊厳を実行する大人の星。

従って、経済は復興支援から企業支援へ、
個人消費の流れも大きく変化し活気を取り戻す暗示。

しかし、政界は国政を忘れ、党内抗争に明け暮れる一年。
また、大国が一つの転機を迎えます。

自然界では猛暑、旱魃、水害、火災や噴火など、
すべての災害には「風」が影響、竜巻被害にも注意が必要です。

+++++++++++++++++++++++++++
☆平成二十四年の運勢☆
+++++++++++++++++++++++++++

ご自身がどの星に当たるかは、ホームページでご確認ください。
http://www.chichi.co.jp/news/topics/3259.html

+++++++++++++++
■一白水星
+++++++++++++++

自らの星が南の離宮に入り(吉神四体が同座)、
本宮には、勤勉性と致役(人のために役立つこと)を
象意とする二黒土星が巡ります。

今年は培ってきた力量・才能が大きく開花し、
重責を任されたり難しいテーマに取り組んだりと、
すべてに活気のある周期。
夢や希望が現実味を帯びてきます。

中でも学業や研究、芸能に従事する人には
スポットが当たる好機ですから、
少し高めの目標でも、やりたいことは即実行に移すこと。

(※続きは本誌P130にて)

+++++++++++++++
■二黒土星
+++++++++++++++

自らの星が北の坎宮に入り(吉神四体が同座)、
本宮には、夢や目標、発展向上を象意とする三碧木星が巡ります。

今年は、自分の意思で動きにくく、
家族や身内に関することで時間を取られ、
仲間から受け継ぐ仕事も増えそうです。

心身の疲れが事あるごとに影響し、
早とちりや空回りなどが多発の予感。
大事な場面で失敗しないよう、
細部へのチェックや再確認を
習慣づけるくらいの慎重さが肝要です。

(※続きは本誌P130にて)

+++++++++++++++
■三碧木星
+++++++++++++++

自らの星が南西の坤宮に入り(吉神なし)、
本宮には、社交や信頼関係、仕事や商売を象意とする
四緑木星が巡ります。

今年は、すべてが周囲とのバランス次第。
低迷ムードから脱却しつつありますが、
どう動くかが問われる時でもあります。

守りの姿勢はそのままでも、
運気が開ける来期に備え準備を整えておきましょう。
粘りと継続が今年のテーマといえます。

大きな飛躍を求めるよりも
コツコツ実績を積む姿勢が大切です。

(※続きは本誌P130にて)

+++++++++++++++
■四緑木星
+++++++++++++++

自らの星が東の震宮に入り(吉神一体が同座)、
本宮には、大自然のエネルギーを象徴する五黄土星が巡ります。

今年は、あなたの一挙一動が注目される時です。
未体験でもハードでも積極的に挑戦し、
自分の可能性をどこまで広げられるかの勝負時。

怠け心や仕事の好き嫌いは禁物です。
目標は常に高く持ち、好機と見れば即行動で
存在感をアピールすること。

オフの時間を割いてでも頑張る姿に
好感度・信用度も急上昇の予感。
苦手な上司や先輩も懐柔できそうです。

(※続きは本誌P131にて)

+++++++++++++++
■五黄土星
+++++++++++++++

自らの星が東南の巽宮に入り(吉神一体が同座)、
本宮には、強い意志と行動力や挑戦を象意とする
六白金星が巡ります。

今年は、努力するほどに
願望成就の機運は近づき
突然のチャンス到来もあり得る時。

頼まれ事や部下の尻拭いなど、
本来の仕事以外でも何かと忙しい暗示ですが、
重い責務はもちろん、地味な仕事・雑事も
進んで受けるサービス精神が
予想以上の高評価を得ることができそう。

損得勘定などはさらりと捨てて、
何事も真摯に取り組んでいけば結果は自ずとついてきます。

(※続きは本誌P131にて)

+++++++++++++++
■六白金星
+++++++++++++++

自らの星が中央の中宮に入り、
本宮には、対人交流と悦楽や順応性を象意とする
七赤金星が吉神ニ体と大凶神(暗剣殺)とともに回座しています。

今年は、自分の能力や限界を悟るべき周期であり、
忍耐力を養うよい機会。

去年のペースで飛ばしたいのに
残務整理や責任がらみで渋滞続きの気配があります。
焦れば空回りしがちで、うまく実績を上げるには
現状を的確に把握し、前向きかつ慎重に
事を進める冷静さが必要です。

(※続きは本誌P131にて)

+++++++++++++++
■七赤金星
+++++++++++++++

自らの星が西北の乾宮に入り(吉神ニ体と暗剣殺・歳破神が同座)、
本宮には、継承継続や変化改善を象意とする
八白土星が巡ります。

今年は、困難や試練の中に学ぶことの多い年。
完全主義のあなたにとって
自信喪失の場面があるかもしれません。

仕事や勉強でも段取りが狂い、パニックになる暗示も。
強力なライバルが出現したり、
味方の陣営に足を引っ張られたり。

予想外の展開が多発しそうで、
勢いのまま旗頭となって進むのは危険です。

(※続きは本誌P131にて)

+++++++++++++++
■八白土星
+++++++++++++++

自らの星が西の兌宮に入り(吉神二体同座)、
本宮には、知的情報や先見性を象意とする九紫火星が巡ります。

今年は、対人運が活発となり活躍の場も
広範囲におよんできます。

社内では上司や先輩、プライベートでも友人関係が好調で、
人脈が転機をもたらしてくれそうです。
人間味の豊かさと隠れた実績がクローズアップされ、
すべてがよい方向に動きます。

勉強会や研修会、セミナーなどには積極的に参加し、
やりたいことやオリジナル性の高い企画をPRしましょう。

(※続きは本誌P131にて)

+++++++++++++++
■九紫火星
+++++++++++++++

自らの星が東北の艮宮に入り(吉神三体が同座)、
本宮には、方円の器に従う順応や流動性を象意とする
一白水星が巡ります。

今年は、少しの野心と不注意で
思いがけない変転が起きやすい周期です。

一からの方針転換や順調だった
仕事の意外なところでの行き詰まりなど、
トラブル続きにストレスも溜まりがちです。

ただ、想定外の出来事が発生しても、
メンツの固執は百害あって一利なし。
原因をしっかりと調査、把握し問題解決に専念すること。

「命とは君たちが持っている時間である」

土曜日, 12月 31st, 2011

       
       
  日野原 重明 (聖路加国際病院名誉院長)
        
    『致知』2008年12月号
  特集「心願に生きる」より
      

───────────────────────────────

僕はいま人生において最も大切だと思うことを、
次の世代の人に伝えていく活動を続けているんです。

僕の話を聞いた若い人たちが何かを感じ取ってくれて、
僕たちの頭を乗り越えて前進してくれたらいいなと。

その一つとして僕は二年前から二週間に一回は
小学校に出向いて、十歳の子どもを相手に
四十五分間の授業をやっています。

最初に校歌を歌ってもらいます。
前奏が始まると子どもたちの間に入って、
僕がタクトを振るの。

すると子どもたちは外から来た年配の先生が
僕らの歌を指揮してくれたというので、
心が一体になるんですね。

僕が一貫してテーマとしているのは命の尊さです。
難しい問題だからなかなか分からないけれどもね。

でも「自分が生きていると思っている人は手を挙げてごらん」
と言ったら、全員が挙げるんです。

「では命はどこにあるの」って質問すると、
心臓に手を当てて「ここにあります」と答える子がいます。

僕は聴診器を渡して隣同士で心臓の音を聞いてもらって、
このように話を続けるんです。

「心臓は確かに大切な臓器だけれども、
 これは頭や手足に血液を送るポンプであり、命ではない。
 命とは感じるもので、目には見えないんだ。

 君たちね。
 目には見えないけれども大切なものを考えてごらん。

 空気見えるの? 酸素は? 風が見えるの? 

 でもその空気があるから僕たちは生きている。
 このように本当に大切なものは
 目には見えないんだよ」と。

それから僕が言うのは

「命はなぜ目に見えないか。
 それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。
 死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまう。

 どうか一度しかない自分の時間、命をどのように使うか
 しっかり考えながら生きていってほしい。

 さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために
 使うことを学んでほしい」

ということです。

僕の授業を聞いた小学生からある時、手紙が届きましてね。
そこには

「寿命という大きな空間の中に、
 自分の瞬間瞬間をどう入れるかが
 私たちの仕事ですね」

と書かれていた。
十歳の子どもというのは、もう大人なんですよ。
あらゆることをピーンと感じる感性を持っているんです。

僕自身のことを振り返っても、
十歳の時におばあちゃんの死に接して、
人間の死というものが分かりました。
子どもたちに命の大切さを語り続けたいと思うのもそのためです。

「小児がん病棟での慰問演奏」

金曜日, 12月 30th, 2011

  
       
  渕上 貴美子

(杉並学院中学高等学校合唱部指揮者)
        
  『致知』2009年3月号
                  特集「賜生(しせい)」より

─────────────────────────────────

【記者:20年間の合唱指導の中で、特に忘れられない
    出来事をお聞かせください】

 7年前、小児科の末期がん患者の病棟に
 演奏をしに行った時のことです。

 学校のある卒業生の方から

 「病院にいる子供たちに、あなたたちの
   天使の歌声を聴かせてあげてもらえないか」
 
 とお話があり、私も「ぜひ」と言って
 受けさせていただいたんです。

 病院には全員ブレザーを着ていったのですが、
 黒っぽい服では威圧感があるからと、
 その場で上着を脱がされて、全身に消毒液をかけられました。

 寒い時期だったんですが、扉を開けると、
 物凄く暑くて、狭い部屋だったんです。
 
 目の前には、本当にこの子がもうがんなんだろうか、
 と思うような赤ちゃんから、
 放射線で髪の毛がぼさぼさになってしまっている子、
 頬全体が陥没して顔が半分ない子だとか、
 もうそれは、見ただけでも
 体に震えがくるようなひどい状態の子たちがたくさん……。

 その子たちの前で、私たちは部屋の隅っこのほうに
 へばり付くように立ちました。
 
 敷かれたホットカーペットの上には、
 お母さん方も座っていたり、
 廊下にはドクターや看護師さんの姿も見えました。
 
 私は壁の一番端に行って、指揮棒を振ったんですが、
 もう涙が止まらなくて、本当に……。

 私の目の前で、お母さんが乳飲み子をギューッと抱えながら、
 涙をポロポロ零すんですよね。
 
 あぁ、自分の子はこんなに
 大きくまで育つことができないんだ、とか、
 いろいろ思われたんじゃないかと思うんですが、
 看護師さんもドクターも皆泣いていらして、
 泣いていなかったのは、当のがんの子供たちだけで。

 私も我慢しなくちゃ、と思うんですが、
 もう悲しくて悲しくて、
 生徒たちも涙をポロポロ零しながら、
 でも必死に笑顔をつくって、一所懸命歌って。
 
 そしたら歌が終わった後に、
 髪の毛のない子や顔の陥没した子たちが

 「お姉ちゃんたち、どうして泣いてるの」
 
 って言うんです。看護師さんが
 
 「あなたたちがあんまり一所懸命聴いてくれるから、
  お姉ちゃんたち感動しちゃったのよ。楽しかった?」
  
 と尋ねました。するとその中の一人が
 
 「凄く楽しかったぁ。
  大きくなったらお姉ちゃんと一緒に歌いたい」
  
 って、もう私、本当に胸が張り裂けそうで…。
 
 
 その時に、心から、あぁ歌は素晴らしいと思いましたし、
 いま生きていて、自分のできることを一所懸命やることが、
 どんなに大切なことかを凄く強く感じました。

 その帰りの電車の中で、ある生徒が
 
 
 「先生、あんなに皆を悲しませちゃって、
  私たちが合唱をしに行ったことは
  本当によかったんだろうか?」
  
 と言ったんです。何しろあの場にいた大人たちが
 あまりにも涙を流していましたから。

 その時に私は
 
 
 「うん、よかったんだよ。
  たぶん、お母さんも、病院の先生も、看護師さんも、
  皆悲しくて、もう泣きたくて、泣きたくてね。
  
  でも、いま一所懸命生きている子たちの前で
  泣けないでしょ? 
  
  それを、あなたたちの歌で感動したふりをしてね、
  思いっきり泣くことができたからよかったのよ。
  
  明日からまた笑顔で頑張っていけると思う」
  
 と言ったんです。すると生徒が
 
 
 「そうか。じゃあ私たちの歌で少しは楽になったのかな?」
 
 
 と言うから
 
 
 「そうよ。そして歌を聴いていた子たちが
 『お姉ちゃんと一緒に歌いたい』と言った。
  生きよう、って。
 
  いや、生きるということは分からないかもしれないし、
  もしかしたら一か月後には命がない体かもしれないけれど、
  少しでも希望を持って生きようとしたということは、
  素晴らしいことだから」
  
 
 と話して、お互いに感動しながら
 学校に戻ったことがあるんです。

 私は、生きているということは、
 自分一人がここに存在して、
 ただ呼吸をしているのではなく、
 いろいろな人と出会って、怒ったり、笑ったり、悲しんだり、
 苦しみを分かち合ったりして、
 相手の心や周りにいる人たちの心を、
 ちゃんと感じられることではないかと思うんです。

 私が慰問演奏に行った時に、
 「いまを大切に生きなければ」と強く思ったのは、
 幼くして亡くなってしまう子たちもいるんだから
 頑張って生きよう、という思いではなくて、
 あの時、あの部屋の中で、
 それぞれの人の心がうごめいていたんですね。

 無邪気に喜んでいる子供や、
 日頃泣けない家族の人たち……、
 そういう、たくさんの思いが
 満ち溢れている中に入ったから、
 あぁ、ちゃんと生きていかなくちゃ、
 神様から与えられたこの命を、
 大切にしなくちゃいけないと感じたのだと思うんです。

 谷川俊太郎さんの詩に
 
 
 「生きているということ
 
  いま生きているということ
 
  泣けるということ
 
  笑えるということ
 
  怒れるということ」
 
  
 という言葉がありますが、本当にそんな思いですね。
 
 そうやって、いろいろな人の思いを感じられることで、
 人間は生きている価値が生まれてくるものだと思います。

滅私救人 2

木曜日, 12月 29th, 2011

 「身を挺し研修生を救った木鶏の仲間」 

     
     櫻井 健悦

     (ケイ・エス代表取締役、石巻木鶏クラブ会員)

   『致知』2011年6月号
   「致知随想」より

…………………………………………………………………………………………………

                
 中国ではいま一人の日本人男性の命懸けの行為が
 国民の間で大きな感動を呼んでいます。
 
 宮城県女川町の佐藤水産専務・佐藤充さん。
 享年五十五歳。
 
 子供の頃から先輩として親しみ、
 石巻木鶏クラブの大切な仲間でもありました。

 二〇一一年三月十一日。
 東日本を巨大地震と大津波が襲ったこの日のことは
 私たちの記憶から一生消えることがないでしょう。
 
 
 佐藤さんはその時、港のすぐ傍にある会社で
 業務に当たっていました。
 
 佐藤水産は東京築地市場をはじめ、
 全国の主要都市に出荷を続ける生ウニの老舗で、
 佐藤さんはその営業責任者でした。

 近年では中国遼寧省の大連から研修生を受け入れており、
 三年という期限付きで二十人が加工や出荷に携わっていました。
 
 震災が起きたこの日も、いつもどおり
 冷たい水作業に手をかじかませながら
 和気藹々と仕事に勤しんでいたのです。
 
  午後二時四十六分、突然の激しい揺れが襲いました。
  驚いた研修生たちはすぐに寄宿舎の傍の
  小高い場所に避難しました。
 
  しかし彼女たちには津波に対する十分な知識がありません。
  佐藤さんは怯えながら寄り添う研修生の姿を発見するや
 
 
  「もうすぐ津波が来る。早く避難しなさい」
 
 
  と大声で伝え、高台にある神社まで連れて行きました。
 
  そして、残っている従業員や研修生はいないかと、
  自らの危険を省みることなく再び会社に戻ったのです。
 すでに津波は目前に迫っていました。
 
 水かさは一秒ごとに増していきます。
 佐藤さんは屋上に逃げたものの、
 高台にいる研修生の前でついに社屋ごと津波に呑まれ、
 そのまま行方が分からなくなりました。
 
 研修生たちはなすすべもなく、
 泣きながら見守ることしかできなかったといいます。

 大雪の中、帰る場所を失い途方に暮れる
 研修生たちを助けたのは、
 佐藤さんの兄で社長の仁さんでした。
 
 仁さんは悲嘆に暮れる間もなく、
 山手に住む知り合いに助けを求めて研修生の居場所を確保し、
 二十人全員を無事中国に帰国させたのです。

「あの時、もし佐藤専務に助けられなかったら、
  私たちは全員津波の犠牲になっていた」 
 
 
  研修生たちがそう涙ながらに語る姿を、
  中国のテレビや新聞は一斉に報じました。
 
  報道は国民に大きな反響を呼び、
  同国のポータルサイトには
 
 
  「彼は愛に国境がないことを教えてくれた」
 
  「彼の殺身成仁精神を中国人は決して忘れない」
 
 
  という声が殺到しました。
  私も佐藤さんをよく知る一人として、
  彼の犠牲的精神に心から敬意を表し、
  縁あってともに学び、語り合えたことを
  誇りに思わずにはいられません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この事を、3月30日のブログに書きました。

私の知人も、この故佐藤さんと友人だったのです。(下記参照)

http://www.mahoroba-jp.net/blog/2011/03/post_935.html

「一途一心」より

火曜日, 12月 27th, 2011

心に響く言葉の一部をご紹介します。
 

………………………………………………………………………………

●日野原重明(聖路加国際病院理事長・百歳の現役医師)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   

   運命は与えられるものではなく、
   自分から動いてデザインしていくものだというのが
   私の考え方です。

   そうやってあなたの生きる道を選び取り、
   つくり上げていきなさいというのが、
   いまの私から伝えたいことですね。

  
●都倉亮(スウェーデン社会研究所理事、がん闘病で生死の境を何度も彷徨う)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   カトリックの祈りに「いまと臨終の時を祈りたまえ」
   という一節があります。
   人間にとって確実なことは、いまという瞬間と、
   いつか訪れる臨終しかない。

   大切なのはいま自分のできることを一所懸命やること、
   一途に、一心に、自分の力を
   尽くしていくことなのだと思います。

●遠藤功(早稲田大学大学ビジネススクール教授)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   一つひとつの改善・改良は地味で小さいものかもしれない。
   しかしその蓄積がやがて大きな効果を生み出し、
   日本企業の飛躍発展に繋がった。

   現場力こそ競争力の根幹であり、
   これを失ったら日本企業は終わる。
   逆にもっと強く鍛えていけば、
   世界の中でも勝ち残っていけるはずである。

●鈴木誠(ナチュラルアート社長)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   ハッピーリタイアとかあり得ませんよ。
   それは使命感というよりも、
   単純にこの仕事が大好きなんです。

   それくらい一途になれる仕事に巡り合えたのは、
   本当に幸せだと思っています。

 「幸せの鐘を鳴らそうよ」

日曜日, 12月 25th, 2011

        
   大沼 えり子

      (作家、NPO法人ロージーベル理事長)

 『致知』2012年1月号
       「致知随想」より

────────────────────────────

 一人の少年のために、
 一人の少年のあの笑顔を取り戻すために、
 私は保護司(ほごし)になりました。

 あれは長男がまだ小学一年生の時でした。
 私は嫁ぎ先の割烹料理店の切り盛りに
 慌ただしい毎日を送っていましたが、
 鍵っ子だった自分と同じ寂しさを、
 我が子には味わわせたくないと思い、
 午後には一時帰宅し、おやつをつくって迎えていました。
 
 せっかくつくるのなら、と
 息子の友達にも振る舞うようになり、
 いつしか我が家は大勢の子供たちの
 賑やかな遊び場となりました。
 
 私は彼らが心底愛おしく、うちに来る子は
 すべて自分の子のつもりで接していました。

 その中に一人、他の子と遊ばず
 いつも私のそばから離れない少年がいました。
 
 母親が病のため愛情に飢えていたのでした。
 母親の温もりを知ってほしいと思い、
 とりわけ彼には愛情を注いでいました。

 そんなある日、事件が起きました。
 少年が息子と一緒に遊びに行った友達の家から、
 マスコット人形を盗ったというのです。
 
 友達の弟が大切にしていた人形だったため、
 母親まで巻き込んだ騒ぎになり、
 私のもとに相談に見えたのです。

 私は日頃から子供たちに、
 うちの子になるならルールを守ろうねと
 言い聞かせていました。
 
 嘘をつかない、人に迷惑をかけない等々、
 自分が親から言われてきたことばかりです。

「はい!」

 と元気に答える彼らの中でも、
 とりわけ嬉しそうに頷いていたのがその少年でした。

 それだけに、彼が人のものを盗ったとは
 信じられませんでした。
 
 しかしなくなった人形を少年の家で見た、
 と息子が言うのです。
 
 家庭の事情で玩具も満足に買ってもらえない少年。
 盗ったのではなく、きっと欲しかったのだ。
 私はそう考え、とにかく一緒に謝ろうと言いました。

 ところが彼はいくら言い聞かせても謝ろうとしません。
 裏切られた気持ちになった私は、
 もううちには二度と来ないで、
 と強い口調で言ってしまいました。

 二週間くらいたった頃、布団を干していると、
 門のあたりに小さな人影がありました。
 チャイムを押そうとしてためらい、
 行ったり来たりしているのはあの少年でした。
 
 彼がそうして毎日うちに立ち寄っていることを息子から聞き、
 私は思わず駆け寄って抱きしめました。
 
 少年が「ごめんね」と繰り返しながら漏らした言葉に、
 私は頭をぶたれたようなショックを受けました。

「あれは盗ったんじゃなくて、もらったんだ……」

 あの時、なぜもっと事情を聞いてあげなかったのだろう。
 大好きな人から謝罪を強要され、幼い少年の心は
 どんなに傷ついたことだろう……。

 その後、少年は再び我が家に
 遊びに来るようになりましたが、
 家庭のことで心を荒ませ、
 いつしか顔を見せなくなりました。
 
 中学へ進学してからは、家の前を通る度に
 髪の色や服装が奇抜になっていき、
 声をかけても返事すらこなくなりました。

 そしてとうとう鑑別所に送られる身となったのです。

 もちろん直接の原因ではありませんが、
 あの時、無垢な彼の心を傷つけた後悔の念は、
 私の中に燻り続けていました。
 
 彼に償いがしたい。
 もう一度彼の笑顔に会いたい――
 
 ずっとそう思い続けていたので、
 保護司のお話をいただいた時は
 二つ返事でお引き受けしたのです。

 その時からたくさんの少年たちに出会ってきました。
 心が痛むのは、彼らのほとんどが、
 生まれてこの方、腹から笑ったことがないという事実です。
 
 みんな幸せが欲しくて、欲しくて、
 懸命に手を伸ばしているのに、
 どこかで歯車が狂ってしまっている。
 彼らは自分のことをカスとかゴミだと言いますが、
 私は彼らを無条件で好きになります。

「君が大事なんだ。
 可愛くて、可愛くて仕方ないんだよ」

 と言うと、涙をポロポロ流します。
 
 非行を犯して一時的に愉快になっても、
 それは真意ではなく、その後ずっと罪の意識で
 ビクビクしながら過ごすことになる。
 人に感謝される行いを積み重ねてこそ、
 本当の幸せを手にできるといつも説いています。

 あの少年が保護観察になると聞いた時、
 私は観察官の方に頼んで彼を担当させてもらいました。
 
 嫌がっていた彼は、
 私が彼のために保護司になったと告げると、
 驚きの表情を浮かべました。

「もう一度君の笑顔を見たいんだよ。一緒に幸せを探そう」

 彼は声を上げて泣きました。
 
 いまは寿司職人として独立を目指して頑張っています。
 ようやく軍艦が握れるようになった頃、
 彼は私をお店に招待してくれました。
 
 カウンター越しに彼の笑顔を見た瞬間、
 私は思わず胸がいっぱいになりました。
 目頭を押さえながら食べた彼のお寿司は、
 世界一の味がしました。

 かかわった少年たちのことは、
 片時も頭から離れません。
 
 観察期間が過ぎても慕ってくる彼らから、
 私は与えた以上の喜びを与えられ、
 抱えきれないくらいの心の財産をいただいています。

 その後、家族がなかったり、家族崩壊の中、
 帰る家もなく希望を失った少年を
 「お帰り」と迎えてあげる家をつくりたいと考え、
 私は立ち直り支援の「少年の家」「ロージーベル」を
 立ち上げました。
 
 平成二十三年にNPO法人に認定。
 現在少年たちが日々笑いの中、生活をともにしています。

 人は誰でも心の中に幸せの鐘を持っています。
 一人がその鐘を鳴らすと、
 周りの鐘も共鳴して幸せ色に変わっていくのです。
 
 その鐘の音が共鳴し合い
 周りをどんどん幸せ色に変えてゆけるよう、
 今日も私は少年たちに、一緒に幸せの鐘を鳴らそうよ、
 と呼びかけ続けています。
 
 そう、人は幸せになるために
 生まれてきたのですから。

「松下幸之助翁の製品開発信条」

土曜日, 12月 24th, 2011

      
       
   北 康利 (作家)
        
   『致知』2011年12月

 連載「日本を創った男たち」より    

──────────────────────────

大正12(1923)年松下電器は大きな飛躍を遂げる。

それが従来の製品の十倍の耐久時間を持つ
「砲弾型電池式自転車ランプ」の開発であった。

彼が他の経営者と違っていたのは、
売れそうでも売り急がず、
慎重に商品改良を繰り返したことだ。

商売は儲けることが大事なのではない。
儲け続けることが大事なのだ。

幸之助の製品に対する考え方のよくわかるのが、
昭和17年10月30日、社主達示として出された
「製品劣化に関する注意」の冒頭の一節である。

<製品には親切味、情味、奥床しさ、ゆとり の
 多分に含まれたるものを製出し、
 需要者に喜ばれることを根本的の信念とすること>

製品の条件として、“親切味、情味、奥床しさ、ゆとり”を
挙げるメーカーなど聞いたことがない。

だが、こうした点にこそ、松下電器が消費者の心に届く製品を
つくり続けてきた秘密がある気がしてならない。

「運命は自分の言葉と行動で決まる」

金曜日, 12月 23rd, 2011

『中村天風に学ぶ成功哲学』

                                    渡部  昇一著

==================================
立派な書斎と池のある庭。

著者である渡部昇一氏は、
この二つを手にしたいという夢を実現しました。
そこには図らずも、
哲人・中村天風氏の教えの実践があったと振り返ります。

著者は本書の中で、天風氏の理論と、
自身が日本に紹介しベストセラーとなった、
マーフィーの成功法則が類似していることに着目。

    *     * 

たとえば・・・・・・

   マーフィーは、意識が比較的働かなくなったときに、
   いい夢を抱くことを勧めています
   すなわち寝入りばなということです。
   眠りに入るときに、自分の願望などを思い浮かべ、
   目の前に描くようにするのです。
    
   (中略)

   すると、知らず知らずのうちに、思い描いた願望が
   実現する方向に潜在意識が働くとマーフィーはいっています。
   彼は無数の実例を挙げて、これが本当であることを証明しようとしています。

   (中略)

   天風さんはこういいます。
   「寝つくまでのあいだ、たとえ昼間どんな場合があろうとも、
    それは寝床の中に持ち込まないこと。
    寝床の中はあとうかぎり積極的な心を堅持しなければ駄目ですよ。
    理想からいったらば、寝がけは何も考えないほうがいいんです

などの潜在意識のコントロールによって、
豊かな人生を築く術が説かれます。

また、前向きな言葉の習慣化によって夢を叶える方法も紹介されますが、
著者の実践に裏打ちされたものだけに説得力があります。

    *     * 

各章の終わりには、天風氏の言葉が紹介されるため、
天風哲学の要点を知ることができ、
これまで天風氏になじみのなかった方にも易しい一冊です。

  「あなた方の心のなかの考え方や思い方が、あなたたちを
   現在あるがごときあなた方にしてるんだ」

  「少しでも自分の心のなかに消極的なものを感じたならば、
    断然それを心のなかから追い出してしまわなければいけない。
   己の心のなかにあるものは、己の心を明るく、朗らかにするもののみ、
   という心がけが必要なんです」

  「自分の理想を現実化しようと思ったら、不平不満を抜きにして、
   すべてをありがたい方面から考えるようにしなさい、
   すべてをありがたい方面から」

  「生まれつき弱い人でも、
   積極的に訓練化という習慣をつけると
   強くなる。強く生まれた子でも、
   訓練で積極化しないとだめになっちまう」

    *     * 

本書で語られる天風氏の思想の要訣は
「人生は心一つの置きどころ」
であり、心の持ち方一つで人生が変わることです。

渡部昇一氏による中村天風論から、
人生を成功へと導く最上のエッセンスを掴んでください!

本書の帯にはあの日本電産社長・永守重信氏の
このような言葉が掲載されています。

 「『運命は自分の言葉と行動で決まる』
  これが天風哲学に学んだ私の人生訓です」

「教科書に載るような研究をしろ」

木曜日, 12月 22nd, 2011

              
                   
            鈴木 章 (ノーベル化学賞受賞者・北大名誉教授)
                       &
 數土 文夫 (JFEホールディングス相談役) 

        
      『致知』2012年1月号
        特集「生涯修業」より

     http://www.chichi.co.jp/monthly/201201_pickup.html

───────────────────────────────

數土 ブラウン先生(※)からは人格的な面での影響も受けましたか。

      ※ハーバート・ブラウン氏。ノーベル化学賞受賞者。
       パデュー大学にて鈴木章氏、根岸英一氏を教える。

鈴木 僕は既に日本に職があって助教授だということは知っていたから、
   帰国する時
   「他の人には言わないが、おまえは日本で
    ポジションがあるから学生を指導する方法を教える」
   と教えてくれました。 

   まず、学生が来たら三か月間はちゃんとよく見ておけと。
   別に何か注意したり、指導するとか、そういうことではなく、
   その人物がきちんとやっているかどうか見ておくように。

   それで、この学生は何も言わなくてもちゃんとやると分かれば、
   特に何も言わずに見守っていろ。しかし、そうでない場合は、
   横道に逸れないようちゃんと指導しなければならない、と。

數土 それは企業の人材育成でもまったく同じことです。

鈴木 僕自身もブラウン先生に
   「ああしろ、こうしろ」と言われたことはなかったですが、
   「教科書に載るような研究をしろ」ということは、
   何度も繰り返し言われたことですね。
   要するに誰もやっていない、新しい研究で有用な仕事をしろ
   ということです。

數土 以前、鈴木先生は
   「重箱の隅をつつくような研究はするな」
   と学生に指導しているとおっしゃっていましたが、
   通じるものがありますね。

鈴木 プロダクティブというか独創的というか、
   そういう仕事をしなさい、と。

   これは僕が化学屋だから言うんじゃなくて、
   独創的な仕事を目指すというのは
   他の仕事でも全部同じだと思います。

   商売をやっている人でも新聞をつくっている人でも、
   人の後追いをしていたんじゃ、いい仕事はできないでしょう。