「怒涛の人生 ~かく乗り越えん~」
日曜日, 8月 4th, 2013尾車 浩一(日本相撲協会巡業部部長・理事) 『致知』2013年9月号 特集「心の持ち方」より http://www.chichi.co.jp/monthly/201309_pickup.html#pick2【記者:十年前にもご登場いただきましたが、 大変お元気な印象が強かっただけに、 昨年、脊髄損傷で四肢麻痺になられたという 報道を聞いて大変驚きました】 私、昨年の二月に相撲協会内の巡業部長に就任したんです。 平成六年から巡業部に籍を置き、 自分なりに改革する点がいっぱいあるなと思ってきました。 三月の本場所を終え、部長として初めて四月に巡業を迎えました。 スタートの四月一日は伊勢でした。 神宮に集まった全力士の前で巡業の責任者として 私なりの決意を述べました。 相撲界は不祥事やらいろいろあったと。 だからお客さんは本当に相撲界が変わったのか、 変わっていないのか、ちゃんと見ている。 俺も精いっぱい頑張るから、みんな一緒についてきてくれ。 とにかく真剣な取り組みを見せようと。 奈良を経て、四月三日と四日は 福井県小浜で二日間の興行でした。 市内の体育会に養生用のブルーシートを張って、 そこに土俵を設置して開催したのです。 そして二日目の出来事でした。 きょうも巡業がうまくいってほしい。 そんな思いで会場内を歩いて視察していたんです。 ふと、土俵のほうが気になったんですね。 ひょいっと、土俵のほうを見ながら 前方を確認せずに歩いていたのが災いしました。 足がブルーシートのつなぎ目に引っかかって、 バターンと。 どんなふうに倒れたのか自分では覚えていないけれども、 転倒して、気づいたら床に仰向けになっていました。 ああ、転んでしまった。 立ち上がろう、と思っても、体に力が入らないんですよ。 あれ? 動かないと。 周囲の人たちに上体を起こしてもらいながら、 手足に「動け、動け」と指令を出したけれども、 残念ながらピクリともしなかった。 「あぁ、これはえらいことになったな」と思いました。 【記者:その時、既に起こった事の重大さに気づいていらしたのですね】 これは後から分かることですが、この時、 私は首を強打して脊髄を損傷してしまったんです。 四肢麻痺状態で動かない体を救急車に乗せられて、 小浜市内の病院へ。 そうして検査、検査が続いて、 MRIの狭い箱の中に入れられた時、涙が出てきました。 どういう涙と言ったらいいのかな……。 情けないのか、悲しいのか、よく分からないけれど、 天井を見ながら涙がポロポロと出てきたことは覚えています。 翌朝、ヘリの手配がつかず、 民間の救急車でストレッチャーに寝たまま 東京の慶應病院へと向かいました。 駆けつけた女房と、小浜の病院の先生が 同乗してくれていましたが、 聞けば到着まで八時間もかかったといいます。 その間、私は「なんで自分がこんなことに」 という情けない思いと、ただただ女房に 「すまない」という、それだけでしたね。 ※尾車氏はいかにこの苦境を乗り越え、 奇跡といわれる回復を果たしたのか? 詳しくは、まもなくお手元に届く 『致知』9月号(P26~30)をご覧ください。 http://www.chichi.co.jp/monthly/201309_pickup.html#pick2
【記者:十年前にもご登場いただきましたが、
大変お元気な印象が強かっただけに、
昨年、脊髄損傷で四肢麻痺になられたという
報道を聞いて大変驚きました】
私、昨年の二月に相撲協会内の巡業部長に就任したんです。
平成六年から巡業部に籍を置き、
自分なりに改革する点がいっぱいあるなと思ってきました。
三月の本場所を終え、部長として初めて四月に巡業を迎えました。
スタートの四月一日は伊勢でした。
神宮に集まった全力士の前で巡業の責任者として
私なりの決意を述べました。
相撲界は不祥事やらいろいろあったと。
だからお客さんは本当に相撲界が変わったのか、
変わっていないのか、ちゃんと見ている。
俺も精いっぱい頑張るから、みんな一緒についてきてくれ。
とにかく真剣な取り組みを見せようと。
奈良を経て、四月三日と四日は
福井県小浜で二日間の興行でした。
市内の体育会に養生用のブルーシートを張って、
そこに土俵を設置して開催したのです。
そして二日目の出来事でした。
きょうも巡業がうまくいってほしい。
そんな思いで会場内を歩いて視察していたんです。
ふと、土俵のほうが気になったんですね。
ひょいっと、土俵のほうを見ながら
前方を確認せずに歩いていたのが災いしました。
足がブルーシートのつなぎ目に引っかかって、
バターンと。
どんなふうに倒れたのか自分では覚えていないけれども、
転倒して、気づいたら床に仰向けになっていました。
ああ、転んでしまった。
立ち上がろう、と思っても、体に力が入らないんですよ。
あれ? 動かないと。
周囲の人たちに上体を起こしてもらいながら、
手足に「動け、動け」と指令を出したけれども、
残念ながらピクリともしなかった。
「あぁ、これはえらいことになったな」と思いました。
【記者:その時、既に起こった事の重大さに気づいていらしたのですね】
これは後から分かることですが、この時、
私は首を強打して脊髄を損傷してしまったんです。
四肢麻痺状態で動かない体を救急車に乗せられて、
小浜市内の病院へ。
そうして検査、検査が続いて、
MRIの狭い箱の中に入れられた時、涙が出てきました。
どういう涙と言ったらいいのかな……。
情けないのか、悲しいのか、よく分からないけれど、
天井を見ながら涙がポロポロと出てきたことは覚えています。
翌朝、ヘリの手配がつかず、
民間の救急車でストレッチャーに寝たまま
東京の慶應病院へと向かいました。
駆けつけた女房と、小浜の病院の先生が
同乗してくれていましたが、
聞けば到着まで八時間もかかったといいます。
その間、私は「なんで自分がこんなことに」
という情けない思いと、ただただ女房に
「すまない」という、それだけでしたね。
※尾車氏はいかにこの苦境を乗り越え、
奇跡といわれる回復を果たしたのか?
詳しくは、まもなくお手元に届く
『致知』9月号(P26~30)をご覧ください。
ドイツの哲学者カントは、
馬の蹄鉄(ていてつ)屋の子に生まれた。
生まれつきのくる病であった。
背中に瘤があり、乳と乳の間は僅か二インチ半、
脈拍は絶えず百二十~百三十、喘息で、
いつも苦しげに喘いでいた。
ある時、町に巡回医師がやってきた。
少しでも苦しみを和らげられたら、と
父はカントを連れて診せに行った。
診てもらってもどうにもならないことは、
カント自身も分かっていた。
そんなカントの顔を見ながら、医師は言った。
その言葉がカントを大哲学者にするきっかけとなったのである。


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講演会参加者はジェイソン・ティー愛飲者が中心ですが、
今回は前回講演会からのリピーターが大半を占めました。
宮下専務の理にかなった説明に納得し、まほろば食養思想をもっと詳しく勉強したい!
と言う想いが皆さんから伝わって来ました。
私も一年前、まほろば食養思想を初めて聴いて驚愕し、食事内容を変えました。
ヘンプオイルやグリーンナッツオイルにシフトし、ご飯の量を減らして、
野菜・果物やお肉を意識的に摂るよう心掛けています。
主食が少ない分、おかずばかり食べてしまいますが、今のところ調子良好です。
今回、動物性タンパク質がまだまだ足りない事が分かりもっと増やすつもりです。
講演会の後は、いつもながら茶葉料理つきの懇親会があります。
七五三塩、ひふみ糖、ジェイソン・ティーを用いて、
まほろば食養思想に基づき野菜と動物性タンパク質を多めにした茶葉料理は
『美味しい!』と好評でした。
これからしばらく農園の方が忙しく、なかなか上京出来ないと伺いました。
農閑期になりましたら、また東京講演を宜しくお願い致します。
ありがとうございました。
今日は神崎神社周辺のお祭りに初めて行って来ました。
寺田本家さん、アルコイリスさん、千葉産直さんなど色んな出会いがあり、楽しかったです。
これもまほろばさんが繋いでくれたご縁ですね。
横浜の「イーハートブ クリニック」の萩原優院長は、