まほろばblog

Archive for 7月 18th, 2013

『祖の地、祖の心』、「森下自然医学」8月号から

木曜日, 7月 18th, 2013

表紙

届いた「森下自然医学」8月号。

巻頭随想は会長の『徐福伝説』(補遺)。

文化遺産に指定された富士山を取り巻く「高天原」伝説から、

会長の生誕地・津久井、さらに徐福の飛翔した都留。

人は、何らかの巡り回る地の因縁で現在の生がある。

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早速、先月末に行った江蘇省・南通市の長寿調査と徐福の故郷・連雲港視察一行の

写真トピックスが掲載されました。

会長は、4,50年に亘って世界の長寿郷を回った旅人です。

人生は百代の過客・・・と言いますから、人生そのものが旅なんですね。

 

カラー版

 

田中あいこ先生講演会

 

田中愛子先生の燦々会の講演録「生かされて」が、掲載されています。

90年も人生を歩まれると、一言一言に心に伝わる調べがありますね。

年輪を重ねることは、素晴らしいことですね。

 

増川さん記事

 

新連載「感じるちから」は、新登場の増川いづみさん。

増川さんの話される言葉に、いつも勿体無いなー、記録すべきなのに・・・

と思わず、言ってしまうほど、珠玉の知識と経験がちりばめられています。

今回、連載で、ようやくそれが活字になり、人の目に触れられて素晴らしいな、と思いました。

 

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今回の徐福伝説の解説。

会長の講演にもありました、秦の始皇帝は徐福の日本永住を知って送り出した、

という新事実の裏には、始皇帝亡き後の高官たちの暗躍を予期してのことだった事を、

明記しています。これは、驚くべき内容で、必読のメッセージでもあります。

 

祖の地、心

 

今回の「倭詩」は『祖の地、祖の心』と題しての連雲港に行った感想です。

奇しくも、同じ日に同地で、孔子と徐福の子孫に会い友人になることが出来ました。

その顛末を描きましたが、何か強い祖先の糸に引き寄せられたように思えました。

これから長いお付き合いになると思いますが、日中友好の絆として、

民間レベルで、交流の場を拡げて行きたい、と強く感じました。

とても有り難い、今回の視察旅行でした。

未来に繋がればと望むところ切なるものがあります。

 

大内さん

 

今回同行しました、鍼灸マッサージ学校の先生をされている大内晃一さんと親しくお話をする機会を得ました。

若くして深く身体や人生を思考実践されていることに、大いに感心しました。

示唆を受けることも多く、これからも色々学ぼうと楽しみにしております。

彼の連載「医(旧字)をめざして」は、読み応えのある為になる内容です。

(まほろば扱い ¥472)

「いや、大丈夫。もう一回やりなさい。有美ならできるから」

木曜日, 7月 18th, 2013
  佐野 有美(さの・あみ=車椅子のアーティスト) 

              『致知』2013年8月号
               特集「その生を楽しみ その寿を保つ」より

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【記者:小さい頃にご両親から特訓を受けられたと
    おっしゃっていましたが、
    どのようなことをなさっていたのですか?】

皆さんもなんで手で食事をするのって
急に言われると困るじゃないですか。
それと同じように私も唯一あったこの三本の指で、
ごく自然と周りのものを触ったり、掴んだりしていたようです。

それを見た母が、

「あれ? もしかしたら足でいろいろできるんじゃないか」

と思ったらしく、積み木やおもちゃで遊ばせたり、
フォークやスプーンを持たせてくれたんです。

三歳の時、あゆみ学園という
肢体不自由児施設に一年間だけ通っていたのですが、
そこで着替えの練習をしていた記憶があります。
これは私の中で一番嫌な訓練でしたね。

フックのついた柱が二本あって、
その間にパンツやTシャツをかけておくんです。
そこをお尻で移動して、脱いだり穿いたりする
練習をしたんですけど、なかなか上手くいかない。

私が「できない」って言うと、
母は「やってみなきゃ分からない」と。

ところが、何回やってもできないわけですよ。
それで段々嫌になってしまったんです。

ただ、どんなに弱音を吐いても、

「いや、大丈夫。もう一回やりなさい。有美ならできるから」

と言って、母はとにかくやめさせてくれませんでした(笑)。

そうやって毎日、毎日、言われるがままにやっていたら
ある日、Tシャツを着ることができました。

その時、母に

「ほらね。やっぱり有美はできるんだよ」

って言われたのが凄く嬉しくて、
そこからどんどんチャレンジ精神が出てきました。
そのうち道具を使わずに、足でTシャツの裾を引っ張って
着脱したりと、自分でいろいろ考えていけるようになりました。

私は、他人と同じ方法ではできません。
ピアノを弾いたり、字を書いたり、
裁縫とかも自分なりに工夫してできるようになりました。

それから、小学校三年生の時に水泳で
二十五メートル泳ぎたいって思ったんです。
一般学校に通っていたので、私以外はみんな手足があって、
普通に泳いでいました。

それを見て、私もみんなのように泳ぎたいなと。
そしたら父が協力してくれて、
どうやったら泳げるか一緒に考えてくれました。

そして辿り着いたのが有美泳ぎ(笑)。

バタフライのように体全体をうねらせるんです。
息継ぎする時はクルンと仰向けになって、
またクルンと戻る。

それなら泳げるんじゃないかということで、
地元の市民プールで父と特訓を始めました。

ところが、何度も溺れるんですよ。
それで水が怖くなってしまって、やっぱり私には無理だと。

でも、その時に父が

「ここで諦めていいのか?
 さっき一人で五メートル泳げただろ。まだ行けるぞ」

って励ましてくれたんです。

「そっか、私の目標は二十五メートルだ。
 諦めるわけにはいかない」

と思い直して、頑張って練習を重ねて、
遂に二十五メートルを泳ぐことができたんですよ。

そしたら父が

「学校でも泳いでみろ。もっといけると思うよ」

と。それで先生に
「限界まで泳がせてください」とお願いして、
クラスの皆に見守られながら泳ぎました。

ターンの際は、片足を水中で回し、
体を半回転させて短い足で壁を精いっぱい蹴る。
そして、顔を上げた瞬間、もう先生も友達も大拍手。
気づいたら百メートルも泳いでいたんです。

あの時の達成感はもう本当に忘れられません。
いま振り返ると、初めて心の底から
諦めないでよかったって思えた瞬間だったと思います。

●車椅子のアーティスト・佐野有美さんのお写真はこちら
 <※誌面未公開写真もあります>

http://ameblo.jp/otegami-fan/entry-11572685031.html