まほろばblog

Archive for 6月 27th, 2012

発酵仮面の台所

水曜日, 6月 27th, 2012

NHK「きょうの料理」で、「発酵仮面」こと小泉武夫先生が出演されます。

以下、NHKの案内より。

2012年06月22日

きょうの料理「小泉武夫 焼き納豆丼&くさやチャーハン」

きょうの料理
2012年6月27日(水)21:00~21:25 Eテレ
テーマ:料理自慢の台所 発酵仮面の台所
講師:小泉武夫
料理:焼き納豆丼、くさやチャーハン

発酵学の第一人者である東京農業大学名誉教授の小泉武夫(こいずみたけお)。 小泉さんは、日本全国はもちろんのこと世界各地のおいしいものを求めて旅するほどの食いしん坊として知られており、これまでに多くの書籍を執筆しています。 また、テレビをはじめとしたメディアにも積極的に出演しており、その食に関するあくなき情熱を目にした人も多々いることでしょう。 なかなかひょうきんなキャラクターをしていることでも知られる小泉先生であります(笑) なお、小泉さんいわく、発酵は食べるだけではなく美容にも活用できるらしいです。

今回の「きょうの料理」は、そんな小泉武夫さんが講師として出演。 「発酵仮面の台所」と題して、小泉先生の自宅の台所を訪ね、日頃の食生活に迫る予定です。 フライパンに丼をかぶせて納豆と卵を蒸し焼きにする「焼き納豆丼」や、その美味しさがクセになるという「くさやチャーハン」などの発酵レシピも披露されますので、要注目! まさにワイルドな料理が楽しめることでしょう♪

詳しいレシピは、公式サイトで。
http://www.nhk.or.jp/kurashi/ryouri/

「お母さんから命のバトンタッチ」

水曜日, 6月 27th, 2012

       鎌田 實 (諏訪中央病院名誉院長)

         『致知』2012年7月号
           読者の集いより

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僕が看取った患者さんに、
スキルス胃がんに罹った女性の方がいました。

余命3か月と診断され、
彼女は諏訪中央病院の緩和ケア病棟にやってきました。

ある日、病室のベランダでお茶を飲みながら話していると、
彼女がこう言ったんです。

「先生、助からないのはもう分かっています。
  だけど、少しだけ長生きをさせてください」

彼女はその時、42歳ですからね。
そりゃそうだろうなと思いながらも返事に困って、
黙ってお茶を飲んでいた。すると彼女が、

「子供がいる。子供の卒業式まで生きたい。
 卒業式を母親として見てあげたい」

と言うんです。

9月のことでした。
彼女はあと3か月、12月くらいまでしか生きられない。

でも私は春まで生きて子供の卒業式を見てあげたい、と。

子供のためにという思いが何かを変えたんだと思います。

奇跡は起きました。
春まで生きて、卒業式に出席できた。

こうしたことは科学的にも立証されていて、
例えば希望を持って生きている人のほうが、
がんと闘ってくれるナチュラルキラー細胞が
活性化するという研究も発表されています。

おそらく彼女の場合も、希望が体の中にある
見えない3つのシステム、内分泌、自律神経、免疫を
活性化させたのではないかと思います。

さらに不思議なことが起きました。

彼女には2人のお子さんがいます。
上の子が高校3年で、下の子が高校2年。

せめて上の子の卒業式までは生かしてあげたいと
僕たちは思っていました。

でも彼女は、余命3か月と言われてから、
1年8か月も生きて、2人のお子さんの卒業式を
見てあげることができたんです。

そして、1か月ほどして亡くなりました。

彼女が亡くなった後、娘さんが僕のところへやってきて、
びっくりするような話をしてくれたんです。

僕たち医師は、子供のために生きたいと
言っている彼女の気持ちを大事にしようと思い、
彼女の体調が少しよくなると外出許可を出していました。

「母は家に帰ってくるたびに、
 私たちにお弁当を作ってくれました」

と娘さんは言いました。

彼女が最後の最後に家へ帰った時、
もうその時は立つこともできない状態です。

病院の皆が引き留めたんだけど、どうしても行きたいと。
そこで僕は、

「じゃあ家に布団を敷いて、
 家の空気だけ吸ったら戻っていらっしゃい」

と言って送り出しました。

ところがその日、彼女は家で台所に立ちました。
立てるはずのない者が最後の力を振り絞ってお弁当を作るんですよ。
その時のことを娘さんはこのように話してくれました。

「お母さんが最後に作ってくれたお弁当はおむすびでした。
 そのおむすびを持って、学校に行きました。
 久しぶりのお弁当が嬉しくて、嬉しくて。

 昼の時間になって、お弁当を広げて食べようと思ったら、
 切なくて、切なくて、
 なかなか手に取ることができませんでした」

お母さんの人生は40年ちょっと、とても短い命でした。

でも、命は長さじゃないんですね。

お母さんはお母さんなりに精いっぱい、必死に生きて、
大切なことを子供たちにちゃんとバトンタッチした。

人間は「誰かのために」と思った時に、
希望が生まれてくるし、その希望を持つことによって
免疫力が高まり、生きる力が湧いてくるのではないかと思います。

……………………………………………………………………………

私も、実の母が42歳で早逝した。

中学2年生の時だった。

母を失う悲しみより、子を置いてゆく悲しみの方が、

どれほど深かったかと思うと・・・・・・・・・。

胸の中には、若い母が何時までも、やはり母であることが不思議に思う。

人生はみな、母を求める歩みなのかもしれない・・・・。