まほろばblog

Archive for the ‘人生論’ Category

恒例「念仏会」が開かれます!

水曜日, 6月 21st, 2017
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https://ja-jp.facebook.com/honnouji369/

本應寺・栖岸院とのご縁

凡々々愚々々・・・・・念仏会

今年も、東京から本應寺さんのお念仏会が、まほろば本店地下洞で行われます。

今月25日(日)午後から2時からです。

宗旨宗派に囚われない大らかな生き方に賛同するものです。

凡々々愚々々・・・・・念仏会

月曜日, 5月 30th, 2016

念仏かい

毎年恒例の東京・本応寺のお念佛会が催されます。

こぞって、ご参加ください。

何かを、つかめるかもしれませんよ!!

詳しくは、お寺のHPをご覧くださいませ。

http://honnouji.com/

 

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命ある限り、希望があります!!

木曜日, 2月 18th, 2016

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映画で、最後のホーキング博士のスピーチ!

「我々は、千億の銀河の中の一つ、

平均的な恒星の周りを回る小さな惑星上の霊長類の中の

高度な種のひとつでしかありません。

しかし、文明の夜明け以来人々は、

この世の潜在的秩序について、理解したがっています。

宇宙の境界条件に関しては、特別な何かがあるのでしょう。

そして、さらに言えば、境界などないのです。

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人間の努力にも、境界はありません。

我々はみな違います。

いかに不運な人生でも、何かやれることがあり、

成功出来るのです。

命ある限り、希望があります」

 

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111歳、106歳画家、大活躍!!!

月曜日, 8月 31st, 2015

ビックリ!

何と111歳の後藤はつのさん、106歳の豊田三郎さん、

今なお、意気軒昂に「わが道を行く」!!!!!

その画業が、すばらしい!!!

私たちも、負けられません。

60歳還暦、折り返し地点に過ぎない。

 

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明治5年生まれ、昭和54年に没して107歳まで健在だった、

あの彫刻家、平櫛田中(ひらくしでんちゅう)翁、曰く

 

 

六十、七十、洟垂(はなた)れ小僧、

男盛りは百から百から、

わしもこれからこれから。

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いいぞ!

みんな、老けていられないヨ!!!

 

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http://www.akakura.gr.jp/wakui/mama/

後藤はつのさん(111歳)

73歳の手習いで始めた絵に夢中、

80歳代から99歳まで、100号の油絵を描き続ける。

100歳を超えてからは、アメリカ旅行、個展、新たに始めた百人一首…。

いつも笑顔の111歳! その素晴らしい絵と生き方エピソードを紹介。

 

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http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/pickup_photo/70651.html

豊田 三郎さん(106歳)

ふるさとの杉や足羽川などを描いた風景画が世界的に評価されている豊田三郎画伯は、

1908年(明治41年)美山町に生まれ、

5歳のときに見た古い墨絵に影響され画家を志すようになったといいます。

帝国美術学校(現 武蔵野美術大学)卒業後、中学校美術教員になり、

70歳を過ぎて画業に専念し、1989年(平成元年)「ふるさとの山河」が

サロン・ド・パリ展大賞を受賞。

以後、数々の世界的な賞を受賞しています。

 

 

 

皮下脂肪・・・・・・

金曜日, 8月 28th, 2015

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昨日の朝のミーテイングで、「職場の教養」を読む。

「サラリーマン川柳」がテーマ。

今年第一位。

皮下脂肪 資源にできれば ノーベル賞」ウフフ、もう一つ

増えてゆく 暗証番号 減る記憶」もっとももっとも、さらに、

オレオレと アレアレ増える 高齢化」笑うに笑えない、身につまされる・・・・

しみじみと哀歓漂う内容は、ことに夫婦間のありようが題材になる。

笑い転げて、未だに頭に焼き付いているのが、もう20年以上前の

まだ寝てる 帰ってみれば もう寝てる」の一句。

家族との断絶をアイロニーこめて詠っているが、実際はほほえましい家庭なのだろう。

まだある。

いい夫婦 今じゃどうでも いい夫婦」笑えます。まだあります。

いい家内 10年経てば おっ家内」わっつ、はっは!

プロポーズ あの日に帰って 断りたい」これは有名。

昼食は 妻はセレブで 俺セルフ」道理で、熟女は元気なのだ。

夕暮れ時の何とも切ない悲哀を感じますが、詠えることは、

心に余裕があってのこと、これらのご夫婦、きっと仲が良いのでしょう。

悩みも、川柳で吹き飛ばして周りを笑わせれば、また新たなエネルギーを貰えます。

人生を川柳で、乗り切るのも一興ではありませんか。

無為のパワー

火曜日, 5月 12th, 2015

米国ダラスの治療師・高松文三氏から、また一文が送られて来た。

老子の「無為にして為さず」の観念が、

実は体験としては大きな力を持っていることを語っている。

起きている時間と寝ている時間の他に、覚醒の時があると。

それは明々溌々とした意識であり、

自己が活き活きと力が溢れる歓びの時であると。

それを、高松氏は、気功の中に見出しつつある、らしい。

その文、甚だ面白く、惹かれるものあり、どうぞ、ご参読を。

 

無為のパワー

 

前世療法、大盛況!!!

水曜日, 4月 15th, 2015

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横浜市の「イーハトーヴクリニック催眠センター」の荻原優院長によるセミナーが28日にちえりあで、

そして翌日『前世療法1日体験ワークショップ』がまほろばで行われました。

前日、まほろばで「アスタジー」のセミナーが終わった後、駆けつけたのですが、

不覚にも、催眠誘導以前から既に自ら誘導して、本格的睡眠状態に突入、

後から目を覚ましてその誘導事項を聞くが、目新しいことばかりで、

自らを爆睡療法で心身を癒していたらしいことが判明。(笑い)

とにかく、催眠にかかりやすい体質で、何年か前に「記憶と前世」を書いたことがあった。

仏教では、輪廻転生は基本思想で、それがいわば西洋科学の手法で実証されている感がある。

 

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荻原先生は、まほろばでは二回目の講座。

当日、満席の熱狂で、これほどの方々が参加されるほどの、受け入れる時代の熟成だろうか。

基本の知識と歴史。さらに、実技で参加者同士の実践。

初めての方も含め、なかなかどうしてどうして、みなさん入りやすいんですね。

それぞれに、相当の記憶が甦ったようで、それも具体的に詳細に告白されたようです。

それにより浄化され、今の生を肯定し、明日への希望が沸いてくる体験に、

みなさん一同に、次回のセラピスト講座を札幌と函館で開き、参加したいとの事。

もうビックリデスね。

さらに一層研鑽をつまれて、新しい人生の扉を開かれますことを祈ります。

 

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100歳長岡さん世界初、1500メートル完泳 

日曜日, 4月 5th, 2015

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 100歳の長岡のおばあちゃま。
すごい!!
1,5kmを泳ぎ切った!!
それも、世界新記録!!!
そして、水泳を始めたのが、何と80歳から!!!!
誰もが、人生に希望を持てますね。
人生、いくつからでも遅くない。
やる時は、今!!
ありがとう!長岡さん。
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 100歳の現役スイマー、長岡三重子さん=山口県田布施町=が4日、松山市で開かれた日本マスターズ水泳短水路(25メートルプール)大会の女子1500メートル自由形に出場し、100~104歳の部で世界初の完泳を果たした。ゴールの後「やれやれです。寿命があれば105歳まで泳ぎたい」と笑顔を見せた。

 記録は1時間15分54秒39。日本マスターズ水泳協会によると、今後、国際水泳連盟(FINA)に申請し、正式な世界記録と認定される。長岡さんの持つ世界記録は25種目となる。マスターズ水泳は、年齢層ごとに順位を競い、健康増進や他の選手との交流も重視。国内では18歳以上が参加でき、距離や泳法で種目が分かれる。

 100~104歳の部に出場したのは長岡さん1人で、40~70代の選手にまじって背泳ぎで挑戦。30往復を泳ぎ切った。

 長岡さんは第1次世界大戦が始まった1914年に山口県周南市の商家に生まれた。「前畑ガンバレ」のラジオ放送で知られ、36年のベルリン五輪200メートル平泳ぎで優勝した故前畑秀子選手と同い年に当たる。水泳を始めたのは80歳の時。リハビリが目的でほとんど泳げなかった。短水路はターンの回数が増えるため、より負担が大きい。長岡さんは過去に2度挑戦したが、いずれも途中棄権していた。

 

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100歳スイマー

 

死生

日曜日, 3月 1st, 2015

「降りてゆく生き方」の森田さんから、送られて来た記事です。

佐治先生の死生観が見事に平易に書かれたものです。

人は、いつかは直面する死。

それをどう受け止めるか、私達ひとりひとりの課題でもあります。

 

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『僕を支えた母の言葉』

月曜日, 12月 29th, 2014

昨日、登別のアイ企画・野崎秀夫さんから、年末のお手紙を戴きました。

以前から、ご紹介戴いている梅原司平さんのことは存じ上げているのですが、

時のご縁でしょうか、彼の唄に動かされ、それと野崎さんが同封してくださった

ある方の「おかあさん」への想いの綴りが重なって、

皆さまにお知らせしたくなりました。

また韓国の後藤翁も「母の会」を立ち上げましたので、次回お知らせいたします。

まずは、野崎さんの許可を得て、文章と共に、動画も添付します。

 

宮下社長!

沖田 真琴 @野崎秀夫です。先日はありがとうございました。

このCD是非お聞きください。お願いします。(以下は私の顧客にお知らせした内容です)

拝啓

18日(木)午後2時から90分、NHKラジオ第一に、シンガーソングライターの梅原司平さんがゲスト出演されました。

しかし、今回の爆弾低気圧で、肝心なところが北海道のラジオでは聞けませんでした。

ところが・・

偶然ある方から依頼を受けてパソコンで録音していたので、聞き直して感動しております。 

もし、聞きたい方が居られましたら、CDに焼いてお届けいたします。

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梅原司平

 

内容は、NHKのブログから引用してご紹介します。

 

『売れない歌手でよかった』

キャリア40年以上、“アラ古希”とは思えない艶やかな

声と見事なギターテクニックをスタジオで御披露ください

ました。でも、何より、歌詞に込められている司平さんの

思いの深さが、パーソナリティ陣の胸にストレートに刺さ

ってきて、“みちや”の目に 涙・・・きっとラジオでお聞

きになっていた皆さんの胸にも届いたことと思います。

 

昭和20年の富山大空襲のとき、お母さんのお腹の中に

いた司平さん。自宅は全焼、疎開先の物置小屋で生まれ、

お母さんや兄弟から空襲のときの様子を繰り返し聞かされながら、

大きくなりました。

 

30歳で故郷を離れ、歌手としてデビューするも、なかなかメジャーになれません。全国各地でオリジナルコンサートをしながら、フォークソングの原点である“ラブ&ピース”をテーマにした歌を作りたいとずっと思っていたそうです。そして、被爆者の方と知り合い、平和の歌を作ることになったとき、子どものころ から聞かされてきた富山大空襲と改めて向き合って、今も歌い継がれる『折り鶴』が生まれました。

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今日、もう一曲歌っていただいたのは、東日本大震災の被災地、福島県楢葉町との交流の中で作られた『望郷』。司平さんの歌は、弱い人、苦しみにある人たちのそばで生まれ、癒しと励ましを与えています。

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番組でもご紹介いただきましたが、司平さんのファンの方たちは、コンサートのあとに書くアンケートの内容が濃いんです!学校コンサートでの小学生の率直な 感想にも驚かされましたが、多くの人が、ご自分の人生や生き方を司平さんの歌に重ね、明日へ、未来へ生きる力にしていることがわかります。そして、その1 枚1枚を大切にしている司平さん。

売れたほうが、多くの人に歌を聴いてもらえるからもちろん良いのだけれど、でも、ご著書のタイトル『売れない歌手でよかった』ではありませんが、こうして人々の思いを近くで感じて、くみ上げることのできることを幸せに思っている司平さんでした。

引用おわり

 

ラジオ深夜便に登場してから11年余り。久々に90分のラジオ番組に登場されました。

彼の一途な営みに感謝して、この一年を終えることを幸せに感じております。

皆様のご健康をお祈り申し上げます。

http://www005.upp.so-net.ne.jp/pulana/

 

 

『僕を支えた母の言葉』

僕が3歳のとき父が亡くなり

その後は母が女手ひとつで僕を育ててくれた

仕事から帰ってきた母は 疲れた顔も見せずに

晩ごはんをつくり 晩ごはんを食べた後は内職をした

毎晩遅くまでやっていた

母が頑張ってくれていることはよくわかっていた

だけど僕には不満もいっぱいあった

僕が学校から帰ってきても家には誰もいない

夜は夜で母は遅くまで内職

そんなに働いているのにわが家は裕福じゃなかった

遊園地にも連れて行ってもらえない

ゲームセンターで遊ぶだけの小遣いももらえない

テレビが壊れた時も半年間 

買ってもらえなかった

僕はいつしか母にきつく当たるようになった

「おい」とか 「うるせー」とか なまいきな言葉を吐いた

「ばばあ」と 呼んだこともあった

それでも母はこんな僕のために頑張って働いてくれた

そして僕にはいつもやさしかった

小学校6年のときはじめて運動会にきてくれた

運動神経が鈍い僕はかけっこでビリだった

悔しかった

家に帰って母はこう言った

「かけっこの順番なんて気にしなくていい

おまえは素晴らしいんだから

だけど僕の悔しさはちっともおさまらなかった

僕は学校の勉強も苦手だった

成績も最悪 自分でも劣等感を感じていた

だけど母はテストの点や通知表を見るたび、やっぱりこう言った

「大丈夫 おまえは素晴らしいんだから」

僕にはなんの説得力も感じられなかった

母に食ってかかったこともあった

「何が素晴らしいんだよ!?どうせ俺はダメな人間だよ」

それでも母は自信満々の笑顔で言った

「いつかわかる時が来るよ

おまえは素晴らしいんだから

僕は中学2年生になったころから 仲間たちとタバコを吸うようになった

万引きもした 他の学校の生徒とケンカもした

母は何度も学校や警察に呼び出された いつも頭を下げて

「ご迷惑をかけて申し訳ありません」 と 

あやまっていた

ある日のこと 僕は校内でちょっとした事件を起こした

母は仕事を抜けて学校にやって来て いつものようにあやまった

教頭先生が言った

「お子さんがこんなに”悪い子”になったのは

ご家庭にも原因があるのではないでしょうか」

その瞬間 母の表情が変わった

母は明らかに怒った眼で教頭先生をにらみつけ

きっぱりと言った「この子は悪い子ではありません」

その迫力に驚いた教頭先生は言葉を失った

母は続けた

「この子のやったことは間違っています

親の私にも責任があります

ですがこの子は悪い子ではありません」

僕は思いきりビンタをくらったような そんな衝撃を受けた

僕はわいてくる涙を抑えるのに必死だった

母はこんな僕のことを

本当に素晴らしい人間だと 思っていれくれていたんだ・・・

あとで隠れてひとりで泣いた

翌日から僕はタバコをやめた

万引きもやめた 仲間たちからも抜けた

その後 中学校を卒業した僕は高校に入ったが

肌が合わなくて中退した

そして仕事に就いた

そのときも母はこう言ってくれた

「大丈夫 お前は素晴らしいんだから」

僕は心に誓った

「これから僕が頑張って お母さんに楽をしてもらうぞ」

だけどなかなか仕事を 覚えられなくてよく怒鳴られた

「何度同じ事を言わせるんだ!」 「すこしは頭を働かせろ!」

「おまえはほんとうにダメなやつだな!」

怒鳴られるたびに落ち込んだけど

そんなとき 僕の心には母の声が聞こえてきた

「大丈夫 おまえは素晴らしいんだから」

この言葉を何度もかみしめた

そうすると 元気がわいてきた 勇気もわいてきた

「いつかきっと 僕自身の素晴らしさを証明して お母さんに見せたい」

そう考えると僕はどこまでも頑張れた

仕事を始めて半年くらい経ったときのことだ

仕事を終えて帰ろうとしていたら 社長がとんできて言った

「お母さんが事故にあわれたそうだ すぐに病院に行きなさい」

病院に着いたとき 母の顔には白い布がかかっていた

僕はわけがわからなくて 何度も 「おかあさん!」

と叫びながら ただただ 泣き続けた

僕のために 身を粉にして働いてくれた母

縫いものの内職をしているときの 母の丸くなった背中を思い出した

母は何を楽しみにして 頑張ってくれてたんだろう?

これから親孝行できると思っていたのに

これから楽させてあげられると思っていたのに

葬式のあとで親戚から聞いた

母が実の母でなかったことを

実母は僕を産んだときに亡くなったらしい

母はそのことを いつか僕に言うつもりだったんだろう

もしそうなったら僕はこう伝えたかった

「血はつながっていなくても お母さんは僕のお母さんだよ」

あれから月日が流れ僕は35歳になった

今あらためて母にメッセージを送りたい

お母さん 僕とは血がつながっていなかったんだね

そんな僕のためにお母さんは 昼も夜も働いてくれたね

そして お母さんはいつも言ってくれた

「おまえは素晴らしいんだから」 って

その言葉が どんなに僕を救ってくれたか

どんなに僕を支えてくれたか

あれから僕なりに成長し     

今は結婚して子どももいるよ

規模は小さいけど会社の社長になって

社員たちと楽しくやっているよ      

まだまだ未熟な僕だけど 僕なりに成長してきたと思う

その成長した姿をお母さんに見せたかったよ

「おまえは素晴らしい」 って言ってくれたお母さん

その言葉は間違っていなかった っていう証拠を見せたかった

そしてそれを見せられないことが 残念でならなかった

だけど最近気づいたんだ     

お母さんは最初から 僕の素晴らしさを見てくれてたんだよね

証拠なんてなくても 心の目でちゃんと見てくれてたんだよね

だって、 お母さんが 「おまえは素晴らしいんだから」

って言うときは まったく迷いがなかったから

お母さんの顔は確信に満ちていたから 僕も今 

社員たちと接していて

ついついその社員の悪いところばかりに 目が行ってしまうことがある

ついつい怒鳴ってしまうこともある

だけどお母さんの言葉を思い出して 心の目で

その社員の素晴らしさを 見直すようにしているんだ

そして心を込めて言うようにしている

「きみは素晴らしい」 って

おかげで社員たちともいい関係を築け 楽しく仕事をしているよ

これもお母さんのおかげです

お母さん 血はつながっていなくても

僕の本当のお母さん

ありがとう

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