まほろばblog

 「無限の力」

10月 2nd, 2011


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                   尾崎 まり子 (主婦、喫茶店勤務)

             『致知』2004年7月号「致知随想」
             ※肩書きは『致知』掲載当時のものです

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 突然、それは本当に突然でした。
 四年前になります。
 
 お正月を過ぎてほどない日の午後、
 息子の功が意識を失って倒れたのです。
 
 不整脈から心肺停止状態に陥ったのでした。
 小学生から野球に熱中し、中学生になると
 浦安リトルシニアに入り、やがては甲子園出場、
 巨人入団を夢見ていました。
 
 そんな作文を小学六年の時に書いています。
 
 中学三年で身長百七十六センチ、体重六十三キロ、
 鍛えた筋肉質の身体は頑健で、
 学校は無遅刻無欠席、病気らしい病気を知らずにきた子でした。
 それだけに突然の異変は驚きでした。

 それから四か月、何度も訪れた危篤状態を
 驚くような生命力で乗り越え、
 平成十二年五月二十日、功は天国に旅立ちました。
 十五歳八か月の人生でした。

 振り返ると、一日二十四時間では
 とても足りないような毎日を過ごした子でした。
 
 中学生になると、土日は野球の練習や試合でいっぱい。
 
 学校では生徒会役員を一年生からやり、
 三年では学級委員長も務めました。
 
 それだけでも手いっぱいなのに、
 部活動ではバスケット部に入りました。
 
 苦手の英語も、英会話で進める授業の面白さに引かれ、
 その勉強もしなければなりません。
 
 野球の仲間、クラスメートとの遊びもあります。

 あれもやりたい。
 これもやりたい。
 でも、功はこだわりの強い性格なのでしょうか。
 
 中途半端が大嫌いで、どれ一つとして疎かにはできません。
 徹底してやるから、時間がいくらあっても足りないはずです。

「ああ、時間が欲しいよォ」

 いまでも功の声が聞こえるような気がします。
 あんなふうに生きたのも、自分に与えられた
 時間の短さを予感していたからなのかもしれません。

 といって、功は特に才能に恵まれた子ではありませんでした。
 いささか恵まれているといえば背の高さぐらい。
 
 まず運動神経も人並み、頭脳のほうも
 人並みというのが率直なところです。

 だから、何かを達成しようと思えば、
 努力しなければなりません。
 
 野球でレギュラーになるのも努力、
 生徒会役員の務めを果たすのも努力という具合です。
 そして、目標を立て努力すれば夢は叶うという確信を、
 小さい営みの中で功なりにつかんだのでしょう。
 
 いつごろからか、功はそのことを
 「無限の力」という言葉で表現するようになりました。

誰にでも無限の力があるんだよ。
 無限の力を信じれば目標は必ず叶うんだ

 お母さん、これだけはちゃんと聞いてくれよという感じで、
 夕餉(ゆうげ)の食卓で功が言ったことを、
 昨日のように思い出します。

「無限の力」で忘れられないのは、
 やはり中学三年の時の校内合唱祭でしょうか。
 
 音楽が得意というわけでもなく、楽譜も読めない功が、
 自分から立候補して指揮をすることになったと
 聞いた時は驚きました。
 
 それからは楽譜と首っ引きで指揮の練習です。
 
 腕を振りすぎて痛くなったり、
 クラスのまとまりの悪さに悩んだり、
 いろいろとあったようですが、
 功は「無限の力」を学級目標にかかげ、
 みんなを引っ張っていったのでした。

 そして、クラスは最優秀賞、自身は
 指揮者賞を受けたのです。名を呼ばれ、
 周りにピースサインを送り、
 はにかんだ笑顔で立ち上がった功。
 「無限の力」は本当だと思ったことでした。

 その二か月後に功は倒れ、帰らぬ人になりました。
 しかし、私が「無限の力」を実感するようになったのは、
 それからかもしれません。

 一緒に野球をしてきた親友は功の写真に、
 「おれがおまえを甲子園に連れてってやる」と誓い、
 甲子園出場を果たしました。
 
 「功が言っていた無限の力を信じて、看護師を目指すよ」
 
 と報告してくれた女の子もいました。

 出会い、触れ合った人たちに何かを残していった功。
 それこそが「無限の力」なのでしょう。

 私も、と思わずにはいられません。
 自分の中にある「無限の力」を信じて、
 自分の場所で、自分にできることを精いっぱい果たしていく。
 
 そういう生き方ができた時、
 功は私の中で生き続けることになるのだと思います。

 先日、用事があって久しぶりに
 功が通っていた中学校を訪れました。

 玄関を入って私は立ちすくみ、動けなくなりました。
 
 正面の壁に功の作文が張り出されていたのです。
 それは功が倒れる数日前に書いたものでした。

 あれから月日が経ち、先生方も異動され、
 功をご存知の方は三人ほどのはずです。
 
 それでも功の作文が張られているのは、
 何かを伝えるものがあると思われたからでしょう。
 
 これを読んで一人でも二人でも何かを感じてくれたら、
 功はここでも生きているのだと思ったことでした。

 最後に、拙いものですが、功の「友情」と
 題された作文を写させていただきます。

《 私にとって「友情」とは、
 信頼でき助け合っていくのが友情だと思う。

 そして、心が通い合うことが最も大切なことだと思う。

 時には意見が食い違い、言い合う事も友情のひとつだと思う。

 なぜなら、その人のことを本気で思っているからだ。

 
 相手のことを思いやれば、相手も自分のことを
 必要と感じてくれるはずだ。

 
 私には友が一番だ。

 だから、友人を大切にする。

 人は一人では生きられない。

 
 陰で支えてくれている人を忘れてはいけない。

 
 お互いに必要だと感じることが、友情だと思う。

                                                            尾崎 功        》

『生き方の流儀』

10月 1st, 2011

   藤尾 秀昭 「小さな人生論」

・・・・・・・・・・・「運」についての話。

米長先生は最後にこのテーマに言及され、
ねたむ、そねむ、にくむ、ひがむ、うらむ。
 そういう気持ちを持っている人に運はついてこない。
 そういう人は運命の女神から見放される
と締めくくられました。

渡部昇一先生は「惜福(せきふく) 」の話をされました。
これは自分に舞い込んできた幸福を惜しむということ。
自分に舞い込んできた幸福を使い切らないで
大事に一部とっておく。
そういう心がけの人に運命の女神は微笑む――ということです。

まさに、その通りだと思います。
両先生の話に首肯(しゅこう)しながら、
私はその時、道元の言葉を思い出していました。

古人云(いわ)く、霧の中を行けば覚えざるに衣しめる、と。
 よき人に近づけば覚えざるによき人になるなり

昔の人は霧の中を歩いていると
知らないうちに衣がしめるといっている。
それと同じように、よき人のそばにいると、
知らないうちに、自分もよき人になっている、
ということです。

道元のこの言葉は
実は運をよくする神髄(しんずい)を
教えているのではないかと思います。

どんなに才能のある人でも
悪い人の中に交わっていては
運をよくすることはできません。

よき人に交わり、よき言葉、よき教えにふれていくことこそ、
運をよくする根元であろうと思うのです。

安岡正篤師の言葉があります。

人間はできるだけ早くから、
 良き師、良き友を持ち、良き書を読み、
 ひそかに自ら省み、自ら修めることである。
 人生は心がけと努力次第である

「どのくらい我慢すればいいですか?」

10月 1st, 2011

       
       
            鍵山 秀三郎 (イエローハット相談役)
        
            『致知』1999年8月号
             特集「節から芽が出る」より
            

                      ※肩書きは掲載当時です。

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叩かれ、踏みつけられた思いは私にもありますが、
私の場合はどんなことでも
割合簡単に譲るようにしてきました。

人が一歩踏み込んできたら「いいですよ」と引く。
すると相手は甘く見てどんどん踏み込んできますが、
私はどんどん引く。

しかしそれがある一線に達して、
私が「ほい、待った」と言ったときは
もう一歩も譲りません。

一歩も譲らないのは私個人の利害からではありません。
これを譲ったら社員が幸せにならないとか、
社会が良くならない、あるいは相手にもよくないと思ったら
絶対に譲りません。

量販店との取り引きをやめたのもそうですが、
相手が暴力団でも譲らずにやってきました。

大勢のやくざに一昼夜以上監禁されて
「金額が記入していない白地小切手を会社から届けさせろ」
と脅されたこともありました。

小切手にどれほどの金額を書き込まれるかわかりませんから、
断じて譲りませんでした。

そのときは着ている洋服をカミソリでずたずたに切られて
家に戻ったものです。

中国の言葉に

「睡面自乾(すいめんじかん)」

というのがあります。
喧嘩がめっぽう強い青年に、村の長老が

「世の中には強い人間がたくさんいるから、
 これからは我慢して喧嘩はするな」

と諭しました。

「どのくらい我慢すればいいですか」

と尋ねた青年に、

「たとえ顔につばきを引っかけられても我慢する。
 それも拭ったりせず、自然と乾くまでほっておけ」

と長老は答えました。それがこの四文字の意味です。

私は喧嘩が強いというわけではないですが、
人生において何度も、この言葉を思い出して我慢をしてきました。

仕事も人生も大切なことは、
「いかに将来良いことを、いまやるか」
ということに尽きます。

歴史を見ましても、人間、企業、国家が
いま良くて将来も良かったということはありません。
いまが悪くて将来良くなる、あるいは、
いまが良くて将来悪くなるというのが
歴史を見てわかる方程式です。

ところが、日本ではいま、
良いことばっかりを狙っていますから、
これでは将来は悪くなるばかりです。

そうではなく、いまは苦しくても
将来良くなるであろうことを願ってやっていく。

これが人生にも仕事にも共通する
大事な心構えだと思います。

エゾシカ肉、流行の兆し

9月 30th, 2011

毎月大4火曜日は「シカの日」。

『エゾシカ肉はやわかりブック』店頭にあります。

「エゾシカ肉料理教室」が西区では、11月12日(土)に「ちえりあ」で、

11月13日(日)に、白石区民センター等々で開かれます。

コンテストもありますよ。

詳しくはエゾシカ協会HPで。

リニューアルDOKODA

9月 29th, 2011

前厚別店店長の渡邉君のドーナツ店「DOKODA」がリニューアルする。

10月1日(土)、是非訪ねて上げて下さい。

また、9日(日)の大売出しには、本店での試食販売をします。

お楽しみに。

ジョージ・オーサワの世界

9月 29th, 2011

久司道夫マクロビ講演会

9月 28th, 2011

「エジソンの思考術」

9月 28th, 2011

        
       
            斎藤 茂太 (精神科医)
        
            『致知』2002年2月号
             特集「尽己」より
            

                      ※肩書きは掲載当時です。

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(坂村真民氏との対談記事より)

これは私自身が八十三年の人生を
生きてきて得た結論ですが、人間は、

一つは気力、

二つは人とうまくやること、

三つは百%達成しなくても悲観しない。

もちろん、望むんですが、百%達成できる人は
ほとんどいないんですから、七十%ぐらいで満足する。

この三つが大事だと思います。

坂村真民先生のおっしゃる一本の道というのは、
ぼくの言葉でいえば、根気ですよ。

いまの若い連中、根気のないのが、本当に多い。
もう一日で会社をやめるのがいっぱい、います。
しかし、人生で何かを成す上で、根気というのは不可欠です。

私の好きな話に、エジソンが電気のフィラメントになる素材を
発見するに至ったエピソードがあります。

彼は、電気のプラスとマイナスに
何をつなげば光を発するかを求めて、
その辺にあるものを片っ端から実験していった。

人間の髪の毛、こより、自分が食べ残したチーズ、
あらゆるものを実験し、その数は三千種類にも及んだが、
いい結果が得られなかった。

友人がみかねて

「もう三千回も実験したから気がすんだろう。
 そろそろ諦めたらどうだ」

といった時に、エジソンは、

バカなことをいうな。
 世の中に物質は五千五百種類あると聞いている。
 私はそのうちの三千の物質をすでに実験した。
 
 残りは二千五百。
 成功はもう目の前まできている
 

といった。このエジソンの根気のおかげで、
我々は電気という恩恵に浴している。

   (略)

精神の病気の最悪の状態は、根気をなくすことですね。

魚屋ガイドマップ

9月 27th, 2011

「お魚屋さんガイドマップ」が、札幌の卸売市場から発行された。

30年前に比べ、半数以下に減って今は333軒の魚屋。

昔懐かしい相対の対話もなく、無言で買って行く今のありようが、

本当に健全なのだろうか。

まほろばも、地域に根差した小さい魚屋さんとして生きて行く。

恵まれた市場の近くで、安全安心で鮮度の良い魚介類を扱える幸せを思う。

「汗のなかからホンマもんの知恵が出るんやで」

9月 27th, 2011

       
       
            江口 克彦 (PHP研究所副社長)
        
            『致知』1997年5月号
             特集「リーダーシップの本質」より
            

                      ※肩書きは掲載当時です。

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松下幸之助の言葉に

「風が吹くときは絶好や。凧がよう上がる」

というのがあります。
あるいは「短所は長所、長所は短所」とも言っています。

たしかに、考え方、見方によって物事は180度転換します。
だから、経営者が業績の悪さを景気のせいにしてはいけないのです。

松下が

「好況よし、不況なおよし」

と言っているのもそのことです。
松下電器がそうでした。

松下幸之助が元気だった頃は、
不況のときにむしろ取り引きが拡大しているのです。

なぜかと言いますと、
不況になると誠実で確実な企業と
取り引きをしたいと思うのが人情です。

好況のときにいくらいい成績をあげていても、
お客様のことを考えず、会社のこと、
自分たちのことばかりを考えていた企業は、
不況時には相手にされなくなります。

私が30歳になるかならないかの頃、ある経営者から、

「知恵ある者は知恵を出せ。

 知恵なき者は汗を出せ。

 それができない者は去れ。

 それがオレのモットーだ」

と聞かされたことがあります。
そのことを松下に話すと、

「その会社は潰れるな」

と言いました。そして、こう続けたのです。

「わしなら、まず汗を出せと言う。

 汗のなかから知恵を出せ、

 それができない者は去れと言う。

 汗のなかからホンマもんの知恵が出るんやで。

 生きた知恵は汗のなかから出るもんや

予言通りその会社は倒産しました。

そのように、汗を出すこと、
ほんとうの汗を流すことに徹すれば、
不況どこ吹く風となるのかもしれません。